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今知りたい世界四大宗教の常識 単行本(ソフトカバー) – 2006/3/15
白取 春彦
(著)
教科書よりわかりやすい宗教と戦争と歴史!なぜそこで戦争がおきるのか? なぜそこにだけ「事件」がおきるのか? なぜ世界の指導者はその土地・その人物にこだわるのか?歴史と戦争の真実がよく分かる!
- 本の長さ274ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/3/15
- ISBN-104062131978
- ISBN-13978-4062131971
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/3/15)
- 発売日 : 2006/3/15
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 274ページ
- ISBN-10 : 4062131978
- ISBN-13 : 978-4062131971
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,440,395位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,315位宗教入門 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年8月16日に日本でレビュー済み
著者はキリスト教の信者のようですが、本書全体がキリスト教を至上の宗教とする立場から書かれており、他の宗教に対する公平さに欠きます。イスラム教を信仰するアラブ人を蔑視するような筆致は非常に不快でした。
2007年9月15日に日本でレビュー済み
題名から、どの宗教にも平等な姿勢で書かれた本だと思って買ったんですが、基督教的偏見により書かれた一冊でした。「アラブ人は、生産意欲が全くない」など異教や異教徒をさげすむ記述が多いんですが、笑えるところが少ないのでトンデモ本としての利用価値も低いと思います。
2016年8月16日に日本でレビュー済み
本書のタイトルを見ただけで、著者の宗教理解に、大きな偏りがあることが、よくわかります。
「三大宗教」「四大宗教」「五大宗教」などという枠をつくって、仏教とそれ以外の宗教をチョイスしている人を見かけることがありますが、これは、日本人だけがすることであって、海外に出たら、通用しません。
日本ではよく「日本三景」「日本三大祭り」「日本百名山」などという「まとめ方」が、何となく定着しています。しかし、その枠組みに入れてもらえなかった場合には、異議を唱えて、またもや新しいグループを作るといったことが、ありますよね?
つまり、もともと、有るべきではなかった「枠組み」を作ったことが、視野を狭めてしまい、トラブルを起こす原因にもなる、というわけです。
そもそも、「~大宗教」を、どうやって英訳するのでしょうか? 世界でいちばん信徒人口が多い宗教? それとも、世界でいちばん有名な宗教? もっとも偉大な宗教? ・・・どれも、世界の諸宗教の本質を、公平にとらえた価値規準ではありません。少数派だって、人類の歴史に影響を及ぼす大切な教えを説いている宗教もありますし、あまり知られていないからといって、価値のない宗教であるとはいえません。なにが「偉大」なのかは、評価する人によって異なりますし、後世になってからでないと、真価がわからない宗教もあることでしょう。
※ 海外の人に向かって、「~大宗教」などという語を外国語に訳したりすれば、一遍で、不興を買いますから、くれぐれも、御注意ください!
著者は最初から「世界の三大宗教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つです」(16ページ)と断定し、これに「仏教」を加えた「四大宗教」というまとめ方が、当然であるかのように、章構成してゆきます。
著者が選ばなかった諸宗教(例えば、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、儒教、道教、神道など)のなかには、日本人の生活に縁の深い思想や文化が、数えきれないほど見つかります。また、著者の選んだ「四大宗教」とその他の諸宗教が、お互いに関わりあって存続してきた史実があります。
本書の帯には「本書の知識で「世界の見方」が一変する!!」という文がみられますが、この「世界」の範囲が、いかに狭いものなのかは、ここまで読んでくださった方々ならば、もうおわかりのことでしょう。
・・・まぁ、それは著者の考えだから、あえてスルーすればよい、と割り切って読むうえでは、それなりの「まとめ方」として、参考書の一つにはなるでしょう。巻末の「主な参考文献」(著者によるリサーチの範囲)は、決してバランスの取れたものではありませんが、本書の「まとめ」がそれらの書物の内容に相応していること(著者がよく勉強していらっしゃること)は、読み取れます。
ただ、「著者が勉強してみて、わかったことから、どんな洞察をおこなったのかを読みたい」という読者の期待が、どこまで報われるのかは、定かではありません。
例えば、「キリスト教では元来、偶像崇拝を禁じているのに、なぜ、イエスの像に向かって祈るのか?」という疑問に対して著者は「象徴だということを踏まえて」いるから、「キリスト教会にも神の像はありません」(52~53ページ)という、曖昧な文章で、軽く片付けてしまっています。これは、イエスの歴史的存在の意義を深く考察していない証拠です。
著者のいう「三大宗教」のなかで、キリスト教だけがイエスを中心とする絵画や彫刻の制作をあえて許してきたのは、福音書をみても明らかなとおり、「人の形」を取ってこの世に降誕した(父なる)神(三位一体説では「子なる神」と同格。「神の子」ともいう)に対する崇敬の念を表現するためなのです。「みえない神」を直に信仰するユダヤ教とイスラム教とは対照的に、「人の姿となった神」に対する思い入れが深いために、キリスト教美術のめざましい発展をみることになったのでした。
同様にして、仏教の章における著者の記述にも、多くの問題点があります。一例だけ指摘すれば、仏陀の前生物語である『ジャータカ』のことを「幼稚な空想に彩られた教訓譚とでもいうべきものです」(253ページ)と断定していますが、この『ジャータカ』が、インド仏教の菩薩思想をいかに展開させていったのかは、いまも研究の余地のある重要なテーマとなっているのです。何を根拠に「幼稚」だというのか、確かな典拠があるとは思えません。
248ページ(仏教の章)の「空というのはその本質を言いあてる表現であって、存在自体をも同時に否定はしないのです」という一文に続く、いくつかの段落は、よく書けていますが、著者自身の考察なのか、引用なのかを、注によって明らかにする配慮は、なされていません。
本書に「注」があって、どの箇所が著者自身の創見(オリジナルの見解)なのかをわかるようにしていない、という点に、本書を信頼できる参考書としては扱えない、主な理由があります。参考文献を多く読んだからといって、良い内容になるとは限りません。
もう少し、歳月をかけたうえで、執筆すべきだったのではないでしょうか?「四大宗教」という非常識に「常識」と銘打ったことに、気づいてほしいものです。
「三大宗教」「四大宗教」「五大宗教」などという枠をつくって、仏教とそれ以外の宗教をチョイスしている人を見かけることがありますが、これは、日本人だけがすることであって、海外に出たら、通用しません。
日本ではよく「日本三景」「日本三大祭り」「日本百名山」などという「まとめ方」が、何となく定着しています。しかし、その枠組みに入れてもらえなかった場合には、異議を唱えて、またもや新しいグループを作るといったことが、ありますよね?
つまり、もともと、有るべきではなかった「枠組み」を作ったことが、視野を狭めてしまい、トラブルを起こす原因にもなる、というわけです。
そもそも、「~大宗教」を、どうやって英訳するのでしょうか? 世界でいちばん信徒人口が多い宗教? それとも、世界でいちばん有名な宗教? もっとも偉大な宗教? ・・・どれも、世界の諸宗教の本質を、公平にとらえた価値規準ではありません。少数派だって、人類の歴史に影響を及ぼす大切な教えを説いている宗教もありますし、あまり知られていないからといって、価値のない宗教であるとはいえません。なにが「偉大」なのかは、評価する人によって異なりますし、後世になってからでないと、真価がわからない宗教もあることでしょう。
※ 海外の人に向かって、「~大宗教」などという語を外国語に訳したりすれば、一遍で、不興を買いますから、くれぐれも、御注意ください!
著者は最初から「世界の三大宗教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つです」(16ページ)と断定し、これに「仏教」を加えた「四大宗教」というまとめ方が、当然であるかのように、章構成してゆきます。
著者が選ばなかった諸宗教(例えば、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、儒教、道教、神道など)のなかには、日本人の生活に縁の深い思想や文化が、数えきれないほど見つかります。また、著者の選んだ「四大宗教」とその他の諸宗教が、お互いに関わりあって存続してきた史実があります。
本書の帯には「本書の知識で「世界の見方」が一変する!!」という文がみられますが、この「世界」の範囲が、いかに狭いものなのかは、ここまで読んでくださった方々ならば、もうおわかりのことでしょう。
・・・まぁ、それは著者の考えだから、あえてスルーすればよい、と割り切って読むうえでは、それなりの「まとめ方」として、参考書の一つにはなるでしょう。巻末の「主な参考文献」(著者によるリサーチの範囲)は、決してバランスの取れたものではありませんが、本書の「まとめ」がそれらの書物の内容に相応していること(著者がよく勉強していらっしゃること)は、読み取れます。
ただ、「著者が勉強してみて、わかったことから、どんな洞察をおこなったのかを読みたい」という読者の期待が、どこまで報われるのかは、定かではありません。
例えば、「キリスト教では元来、偶像崇拝を禁じているのに、なぜ、イエスの像に向かって祈るのか?」という疑問に対して著者は「象徴だということを踏まえて」いるから、「キリスト教会にも神の像はありません」(52~53ページ)という、曖昧な文章で、軽く片付けてしまっています。これは、イエスの歴史的存在の意義を深く考察していない証拠です。
著者のいう「三大宗教」のなかで、キリスト教だけがイエスを中心とする絵画や彫刻の制作をあえて許してきたのは、福音書をみても明らかなとおり、「人の形」を取ってこの世に降誕した(父なる)神(三位一体説では「子なる神」と同格。「神の子」ともいう)に対する崇敬の念を表現するためなのです。「みえない神」を直に信仰するユダヤ教とイスラム教とは対照的に、「人の姿となった神」に対する思い入れが深いために、キリスト教美術のめざましい発展をみることになったのでした。
同様にして、仏教の章における著者の記述にも、多くの問題点があります。一例だけ指摘すれば、仏陀の前生物語である『ジャータカ』のことを「幼稚な空想に彩られた教訓譚とでもいうべきものです」(253ページ)と断定していますが、この『ジャータカ』が、インド仏教の菩薩思想をいかに展開させていったのかは、いまも研究の余地のある重要なテーマとなっているのです。何を根拠に「幼稚」だというのか、確かな典拠があるとは思えません。
248ページ(仏教の章)の「空というのはその本質を言いあてる表現であって、存在自体をも同時に否定はしないのです」という一文に続く、いくつかの段落は、よく書けていますが、著者自身の考察なのか、引用なのかを、注によって明らかにする配慮は、なされていません。
本書に「注」があって、どの箇所が著者自身の創見(オリジナルの見解)なのかをわかるようにしていない、という点に、本書を信頼できる参考書としては扱えない、主な理由があります。参考文献を多く読んだからといって、良い内容になるとは限りません。
もう少し、歳月をかけたうえで、執筆すべきだったのではないでしょうか?「四大宗教」という非常識に「常識」と銘打ったことに、気づいてほしいものです。