彼女のどの作品にも 穏やかなほんわかした空気感のようなものが 漂っている。 短編集。 そのくせ 作者はいつもどかか上の方にいて 冷静に作品の主人公を見ている。 のんびり楽し気に お洒落なカフェで。 一人道行く人々を眺めているいるようだ。息せき切っていないから読者もゆったりできる。 楽しめる。小さな人生のほんの一コマのできごとを我がことのように。
川上弘美とはなんと想像力が豊かなのか。次から次へと 絶え間なく物語が紡げそうな気がする。うらやましい限りだ。
これからの作品も期待しよう
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ハヅキさんのこと 単行本 – 2006/9/30
川上 弘美
(著)
ささいな男女の機微を描く掌篇小説集。 そこには、ささやかな日常がある。そして、男と女の心のふれあいやすれ違いがある。魅力あふれる、川上ワールドが、ふっと心をかすめる・・・。
- 本の長さ227ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/9/30
- ISBN-104062136287
- ISBN-13978-4062136280
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/9/30)
- 発売日 : 2006/9/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 227ページ
- ISBN-10 : 4062136287
- ISBN-13 : 978-4062136280
- Amazon 売れ筋ランキング: - 422,234位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 10,050位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年生まれ。1996年「蛇を踏む」で芥川賞。1999年『神様』で紫式部文学賞。2000年『溺レる』で伊藤整文学賞と女流文学賞。2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。2007年『真鶴』で芸術選奨を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 パスタマシーンの幽霊 (ISBN-13: 978-4838721009 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年12月16日に日本でレビュー済み
著者本人の思い出話のようにも、どことなく浮世離れした夢物語にも思える
少し不思議な読者との距離感を感じる掌編小説集。
もともと川上弘美作品は、すごく読みやすいとか好きだ!って思えたことが無くて
つかみどころのない作家だなぁと思っていたが
今回の本は、まさに川上弘美という感じである。
上手い掌編小説だと思うのだが、
川上弘美のどこもつかめてないし、私の心のどこもつかまれなかった。
ミネラルウォーターのようだと思った。
刺激がなく、栄養もないけど
身体の中に確実に流れていて、
必要な人には、染み入るようになじんでいく。
でも、水では酔えないし、夢を見せてくれないし、忘れさせてはくれない。
ちなみに、本編と関係ないのですが
解説(柴田元幸:翻訳家)で、川上弘美と小川洋子の対談が引いてあり
その対談内容はともかく、その対談セッティングした彼とは気が合うなって思った。
私の中の作家の位置づけ、川上弘美と小川洋子まさに同じところにあるんだもんw
そして、解説かなりうまい。
少し不思議な読者との距離感を感じる掌編小説集。
もともと川上弘美作品は、すごく読みやすいとか好きだ!って思えたことが無くて
つかみどころのない作家だなぁと思っていたが
今回の本は、まさに川上弘美という感じである。
上手い掌編小説だと思うのだが、
川上弘美のどこもつかめてないし、私の心のどこもつかまれなかった。
ミネラルウォーターのようだと思った。
刺激がなく、栄養もないけど
身体の中に確実に流れていて、
必要な人には、染み入るようになじんでいく。
でも、水では酔えないし、夢を見せてくれないし、忘れさせてはくれない。
ちなみに、本編と関係ないのですが
解説(柴田元幸:翻訳家)で、川上弘美と小川洋子の対談が引いてあり
その対談内容はともかく、その対談セッティングした彼とは気が合うなって思った。
私の中の作家の位置づけ、川上弘美と小川洋子まさに同じところにあるんだもんw
そして、解説かなりうまい。
2007年4月20日に日本でレビュー済み
川上さんの短編集。短いお話がいっぱい収録されてます。川上短編に登場する人たちは、いつだって素敵ななまえを持っている。川上さんの小説では、いつもだれかが誰かの名前を呼びかける。それは、なんだかすごくやさしい。
*************
「なあ、春子」ケン坊が言った。ケン坊に、春子、と呼びかけられると、いつもわたしのおなかのあたりは、とくんとくんとなる。
…
「ケン坊」わたしは小さな声で言った。わたしのすぐ横でしゃがんでいるケン坊の体温が、隣のわたしに伝わってくる。ケン坊はいつも大きくてあたたかい。ケン坊は、じっと水かまきりのたらいを見つめていた。
「ケン坊、アイス食べに行こう」わたしが言うと、ケン坊は立ち上がった。もう一度空を見上げ、少しため息をついて、歩き始めようとした。
…
川上弘美「水かまきり」『ハヅキさんのこと』所収
**************
自分のなまえは自分に必要なのではなくて、自分のなまえを呼びかけてくれるひとのために必要なものなんだと思う。
*************
「なあ、春子」ケン坊が言った。ケン坊に、春子、と呼びかけられると、いつもわたしのおなかのあたりは、とくんとくんとなる。
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「ケン坊」わたしは小さな声で言った。わたしのすぐ横でしゃがんでいるケン坊の体温が、隣のわたしに伝わってくる。ケン坊はいつも大きくてあたたかい。ケン坊は、じっと水かまきりのたらいを見つめていた。
「ケン坊、アイス食べに行こう」わたしが言うと、ケン坊は立ち上がった。もう一度空を見上げ、少しため息をついて、歩き始めようとした。
…
川上弘美「水かまきり」『ハヅキさんのこと』所収
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自分のなまえは自分に必要なのではなくて、自分のなまえを呼びかけてくれるひとのために必要なものなんだと思う。
2006年10月14日に日本でレビュー済み
川上さんは私のもっとも好きな作家で、単行本は必ず買ってしまう。
あとがきにあったように、エッセイじみている短編集。
本書の帯に「虚と実のあわいを描く」とあり、これはうまい言い方だなあと思った。
どうともつかない、けれどもよく知っているあわいに、うっすらと輪郭がつくような
不思議な感覚に接することができる。
雑誌に掲載されたときもいくつか目にして入るが、単行本としてまとまって読むと本当に心地よい。
「夜の公園」のような熱の最中にいるような人たちが描かれているものも好きだが、
寝る前に好きなページを開いて好きなところで灯りを消せる本書は当分枕元の友です。
あとがきにあったように、エッセイじみている短編集。
本書の帯に「虚と実のあわいを描く」とあり、これはうまい言い方だなあと思った。
どうともつかない、けれどもよく知っているあわいに、うっすらと輪郭がつくような
不思議な感覚に接することができる。
雑誌に掲載されたときもいくつか目にして入るが、単行本としてまとまって読むと本当に心地よい。
「夜の公園」のような熱の最中にいるような人たちが描かれているものも好きだが、
寝る前に好きなページを開いて好きなところで灯りを消せる本書は当分枕元の友です。
2006年12月16日に日本でレビュー済み
長編も好きだけど、このぐらいのショートショートほのうが、わたしはコノ人にはあっているような気がします。
長いお話だと埋もれてしまいがちな、ほんとに何気ない小さなエピソードたち。川上弘美の世界ではそれが個人的には惹きつけられるところだったりします。いちいち「あ。想像がつくわあ」と頭の中に情景が浮かんでくるような、それらの小さいものたちが、今回のような短いお話では、主役をはっているので、アノテコノテで楽しませてもらえました。
彦麻呂じゃないけど、まさに「宝石箱」ですね。
短い通勤時間でもキリよく読めるところもオススメです。
長いお話だと埋もれてしまいがちな、ほんとに何気ない小さなエピソードたち。川上弘美の世界ではそれが個人的には惹きつけられるところだったりします。いちいち「あ。想像がつくわあ」と頭の中に情景が浮かんでくるような、それらの小さいものたちが、今回のような短いお話では、主役をはっているので、アノテコノテで楽しませてもらえました。
彦麻呂じゃないけど、まさに「宝石箱」ですね。
短い通勤時間でもキリよく読めるところもオススメです。
2007年7月28日に日本でレビュー済み
短編集ってことで読んだけれど、
思った以上に短い短編。
エッセイのような短編。
川上弘美の小説は好きで、
エッセイも愉しく読めた。
しかし、この本はだめだったー。
なんというか、メリハリがなくて、
だらりーんとした感じ。
脱力系、癒し系とも違う感じ。
ちょっとがっくし。
思った以上に短い短編。
エッセイのような短編。
川上弘美の小説は好きで、
エッセイも愉しく読めた。
しかし、この本はだめだったー。
なんというか、メリハリがなくて、
だらりーんとした感じ。
脱力系、癒し系とも違う感じ。
ちょっとがっくし。
2009年11月29日に日本でレビュー済み
「真鶴」に続き、立て続けに川上弘美。25編の短篇、というよりも裏表紙の解説文にあるように「掌篇」を一冊にまとめたもの。
最初の何篇かは「ふんふん」とばかりにさらりと読んでいった。読後感の強い『真鶴』を読んでしまった直後だっただけに、するする読めてしまうことに物足りなさを感じる部分も、ないではなかった。
が、この人の小説は、やはり一筋縄では行かぬのだわ…。「ネオンサイン」あたりからある種の感慨を残す作品が出てきて、読み進めるほどにその感慨がじわじわと、少しずつ堆積してゆくような感覚があった。
いずれもすぐに読めてしまう短いものばかりではあるのだが、何せ収録されている作品数が多いので、好きと感じる作品は人によってずいぶん違いそうな気がする。私は三篇連作となっていた「疑惑」を始め、「森」、「扉」、「白熱灯」、表題作「ハヅキさんのこと」、「吸う」、「島」が特に気に入った(こうして見てみるとやはり中盤以降の作品が多いな)。
ところどころ、読んでいて吹き出してしまう可笑しみのある部分や、ぐっときてしまう部分など、ひとつひとつはさりげないのだけれど、心の中にある風鈴をちりんちりんと鳴らしてくれるような、小さいながらも確かな「動かし方」をされるところがあって、こういうところに行き当たると「やっぱりこの人の作品を読むの、好きだなあ」と再認識する。
なおこれはいつものことながら、この人の日本語は、目にも耳にも(というか、あたまの中で音読したときの響きがね)たいそう心地よい。端正でありつつ、しっとりとウエットな(そういう意味でとても日本的な)、間合いが行間から滲み出てくるような文章だ。こういう日本語に出会うといつも「ああ日本で、母語として日本語を話す人間に生まれて良かったー」としんそこ思う。
以下引用。
---------------------------
そのうちに泣くタネがなくなったので、「絶対泣ける」といううたい文句のついている本を三冊くらい買ってきて読んでみたけれど、これは、泣けなかった。だって、本の中の、死病だったり純愛をつらぬいていたり家庭環境が劣悪だけれどけなげに生きてる、とかいう女の子たちって、みんなわたしよりも幸せそうだったから。どの女の子も、人生的には不幸だったけれど、どの女の子も、誠実な恋人をもっていた。読んでいるうちに、いやあな気持ちになったので、庭で焚きつけにした。区の条例で焚き火をしちゃいけないことになってるのよ、と、飛んできた母に叱られて、一瞬泣きたくなったけれど、結局笑うことにした。焼け残った本の残骸が、かけた水をすってぶすぶす音をたてた。ばかだよねえわたし、と思って、最後はやっぱり、ちょっと泣けた。
「グッピー」より
(※「庭で焚きつけ」っていう唐突さに吹き出した)
---------------------------
最初は、貴夜子とマブチ青年とは憎からずおもいあう仲なのかと推し量ったりもしたが、よくよく観察してみても、その気配は感じられない。それならばマブチ青年はわたしに好意を持っているのかとも推し量ったが、どうもよくわからない。男性と見るとすぐに恋愛ざたを思うのもいいかげんにすれば、と貴夜子ならば言うことだろう。両親の情熱の結果みたいな名前をつけられているにしては、貴夜子はそちらの方面はさっぱりであるらしい。
「白熱灯」より
(※両親の情熱の結果みたいな名前、というのにまた笑ってしまった)
---------------------------
ヤマナシさんと、こないだ、目があって、わたしはそのあと嬉しくて、そこらの壁を蹴ったり、一、二回跳ねたりしたよ。
「姫鏡台」より
(※好きなひととのことで一喜一憂するこのかんじがとてもリアル)
最初の何篇かは「ふんふん」とばかりにさらりと読んでいった。読後感の強い『真鶴』を読んでしまった直後だっただけに、するする読めてしまうことに物足りなさを感じる部分も、ないではなかった。
が、この人の小説は、やはり一筋縄では行かぬのだわ…。「ネオンサイン」あたりからある種の感慨を残す作品が出てきて、読み進めるほどにその感慨がじわじわと、少しずつ堆積してゆくような感覚があった。
いずれもすぐに読めてしまう短いものばかりではあるのだが、何せ収録されている作品数が多いので、好きと感じる作品は人によってずいぶん違いそうな気がする。私は三篇連作となっていた「疑惑」を始め、「森」、「扉」、「白熱灯」、表題作「ハヅキさんのこと」、「吸う」、「島」が特に気に入った(こうして見てみるとやはり中盤以降の作品が多いな)。
ところどころ、読んでいて吹き出してしまう可笑しみのある部分や、ぐっときてしまう部分など、ひとつひとつはさりげないのだけれど、心の中にある風鈴をちりんちりんと鳴らしてくれるような、小さいながらも確かな「動かし方」をされるところがあって、こういうところに行き当たると「やっぱりこの人の作品を読むの、好きだなあ」と再認識する。
なおこれはいつものことながら、この人の日本語は、目にも耳にも(というか、あたまの中で音読したときの響きがね)たいそう心地よい。端正でありつつ、しっとりとウエットな(そういう意味でとても日本的な)、間合いが行間から滲み出てくるような文章だ。こういう日本語に出会うといつも「ああ日本で、母語として日本語を話す人間に生まれて良かったー」としんそこ思う。
以下引用。
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そのうちに泣くタネがなくなったので、「絶対泣ける」といううたい文句のついている本を三冊くらい買ってきて読んでみたけれど、これは、泣けなかった。だって、本の中の、死病だったり純愛をつらぬいていたり家庭環境が劣悪だけれどけなげに生きてる、とかいう女の子たちって、みんなわたしよりも幸せそうだったから。どの女の子も、人生的には不幸だったけれど、どの女の子も、誠実な恋人をもっていた。読んでいるうちに、いやあな気持ちになったので、庭で焚きつけにした。区の条例で焚き火をしちゃいけないことになってるのよ、と、飛んできた母に叱られて、一瞬泣きたくなったけれど、結局笑うことにした。焼け残った本の残骸が、かけた水をすってぶすぶす音をたてた。ばかだよねえわたし、と思って、最後はやっぱり、ちょっと泣けた。
「グッピー」より
(※「庭で焚きつけ」っていう唐突さに吹き出した)
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最初は、貴夜子とマブチ青年とは憎からずおもいあう仲なのかと推し量ったりもしたが、よくよく観察してみても、その気配は感じられない。それならばマブチ青年はわたしに好意を持っているのかとも推し量ったが、どうもよくわからない。男性と見るとすぐに恋愛ざたを思うのもいいかげんにすれば、と貴夜子ならば言うことだろう。両親の情熱の結果みたいな名前をつけられているにしては、貴夜子はそちらの方面はさっぱりであるらしい。
「白熱灯」より
(※両親の情熱の結果みたいな名前、というのにまた笑ってしまった)
---------------------------
ヤマナシさんと、こないだ、目があって、わたしはそのあと嬉しくて、そこらの壁を蹴ったり、一、二回跳ねたりしたよ。
「姫鏡台」より
(※好きなひととのことで一喜一憂するこのかんじがとてもリアル)
2014年11月6日に日本でレビュー済み
10ページに満たない小話を束ねた短編集。
読了後、あれっと思った。悪くはないのだけど…何だか物足りないのだ。
たぶん、ひとつひとつが短すぎるのだと思う。川上氏の作品は、その筋よりも空気や雰囲気を漂って楽しむのだが、世界が広がりはじめたところでぱたりとページが終わってしまう。あれっと思う。
だが、冒頭の「琺瑯」は、たまにふと思い出すほど心に残った。
読了後、あれっと思った。悪くはないのだけど…何だか物足りないのだ。
たぶん、ひとつひとつが短すぎるのだと思う。川上氏の作品は、その筋よりも空気や雰囲気を漂って楽しむのだが、世界が広がりはじめたところでぱたりとページが終わってしまう。あれっと思う。
だが、冒頭の「琺瑯」は、たまにふと思い出すほど心に残った。