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京都の平熱 哲学者の都市案内 単行本 – 2007/3/21
鷲田 清一
(著)
古い寺社は多いが歴史意識は薄い。
自然そのものより技巧・虚構に親しむ。
けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。
「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり。
古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものが3つある。1つは大木、1つは宗教施設、いま1つは場末だ。この3つには共通するものがある。世界が口を空けている場だということだ。……京都という街には、こうした世界が口を空けているところが、まだまだたっぷりある。……ドラマで描かれるよりはるかに、形而上学的に、妖しい街なのである。――<本書より>
自然そのものより技巧・虚構に親しむ。
けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。
「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり。
古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものが3つある。1つは大木、1つは宗教施設、いま1つは場末だ。この3つには共通するものがある。世界が口を空けている場だということだ。……京都という街には、こうした世界が口を空けているところが、まだまだたっぷりある。……ドラマで描かれるよりはるかに、形而上学的に、妖しい街なのである。――<本書より>
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2007/3/21
- ISBN-104062138123
- ISBN-13978-4062138123
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2007/3/21)
- 発売日 : 2007/3/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 262ページ
- ISBN-10 : 4062138123
- ISBN-13 : 978-4062138123
- Amazon 売れ筋ランキング: - 59,893位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
町とは関係を持たずにマンションに住んでいる今の多数の人たちの生活とは正反対の、京都の古くからの町とのつながりのなかでいきている、一人の哲学者の生活が描かれている。幼少期の町の経験が著者をつくったところ、いかにも哲学者らしい、理想のうどんの話など、特に面白く読んだ。京都の観光を学ぶのではなく、京都で生きる著者の生き方を学んでほしい。
2017年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の鷲田清一氏は以前からモードに関する著作などで知っていました。
今年の秋に京都に行く機会があったため、慌てて面白そうな京都案内の本を探したところ、その鷲田氏の本書がありましたので迷うことなく注文。なるほどご本人の凛としつつユーモアを漂わせた姿勢は私の中の「京都人」のイメージともしっくり合うものです。
京都おなじみの市バス206系統の運行ルートに沿って、南は京都駅から北は北大路のあたりまで市内をぐるりと一周しつつ、
沿線の神社仏閣や「うまいもん」、その他もろもろ鷲田氏の個人的な思い出の場所も含めて書き綴っていくという内容。
都市案内とはいえ私的なエッセイの色合いが強く、退屈な歴史講義が長々と続くと辛い私のような人間にはちょうどよいバランスでした。
特に京都は「奇人の多い街である」という鷲田氏の印象は、私も少ない京都経験の中でひしひしと感じていたことであり、
であるからこその街の懐の広さと、祇園に表れるようなカタギとカブキの微妙なバランスからなる蠱惑的な雰囲気こそが、
これまで多くの「けったいな」人たちを引きつけてきたのではないかと思われました。
鷲田清一氏と京都という街の色気がふうわりと漂ってくるような良書ですが、
滞在期間が限られておりある程度計画を立てる必要のある方には、
もう少し具体的なお土産物や、食い物屋が載っているようなガイドもあわせて求められるとよろしいかと思います。
そこは京都ですから、新書などでも有用な案内書がいくつかあります。
(私には柏井壽氏の書籍などが参考になりました)
最後に一つあげるとすれば、kindle版で購入したのは失敗でした。
(これは京都行きの車中という土壇場で購入・読破しようとした私のミスでありますが)
各章の頭に掲載されている地図と見比べながら本文を読み進めるのが難しいことと、
行ってみたいスポットのページに付箋をはり現地でさっと開く、という「地球の歩き方」的使い方にはkindleは向きませんね。
今年の秋に京都に行く機会があったため、慌てて面白そうな京都案内の本を探したところ、その鷲田氏の本書がありましたので迷うことなく注文。なるほどご本人の凛としつつユーモアを漂わせた姿勢は私の中の「京都人」のイメージともしっくり合うものです。
京都おなじみの市バス206系統の運行ルートに沿って、南は京都駅から北は北大路のあたりまで市内をぐるりと一周しつつ、
沿線の神社仏閣や「うまいもん」、その他もろもろ鷲田氏の個人的な思い出の場所も含めて書き綴っていくという内容。
都市案内とはいえ私的なエッセイの色合いが強く、退屈な歴史講義が長々と続くと辛い私のような人間にはちょうどよいバランスでした。
特に京都は「奇人の多い街である」という鷲田氏の印象は、私も少ない京都経験の中でひしひしと感じていたことであり、
であるからこその街の懐の広さと、祇園に表れるようなカタギとカブキの微妙なバランスからなる蠱惑的な雰囲気こそが、
これまで多くの「けったいな」人たちを引きつけてきたのではないかと思われました。
鷲田清一氏と京都という街の色気がふうわりと漂ってくるような良書ですが、
滞在期間が限られておりある程度計画を立てる必要のある方には、
もう少し具体的なお土産物や、食い物屋が載っているようなガイドもあわせて求められるとよろしいかと思います。
そこは京都ですから、新書などでも有用な案内書がいくつかあります。
(私には柏井壽氏の書籍などが参考になりました)
最後に一つあげるとすれば、kindle版で購入したのは失敗でした。
(これは京都行きの車中という土壇場で購入・読破しようとした私のミスでありますが)
各章の頭に掲載されている地図と見比べながら本文を読み進めるのが難しいことと、
行ってみたいスポットのページに付箋をはり現地でさっと開く、という「地球の歩き方」的使い方にはkindleは向きませんね。
2016年7月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
言葉にならないことを少なくとも説明しようとする、あえて言葉にしようとするのが哲学だとしたら、京都案内というのは哲学には案外打って付けかもしれない。
それにしても、歴史がない。
年代別の断面を古地図で繙くような案内は他に当たればよいのかもしれないが、歴史論に限界があるにしても歴史を単に超越しては絶対に解けていない処がある。
それでも、本書は哲学者のぜんぶ、全てだという。
現象学が好きなあらゆるとか徹頭徹尾とか厳密なという掛け声のようなものでは多分それはなく、京都にはないとされてきた詩性感性の意気込みでぜんぶを含んでということなのだろう。
構成で云うと、北西端で元来た高野橋と先に見える羅城門を見通すので、それぞれ記事に対して地図が相前後する。
京都は地図も難しい。
東京大阪、名古屋には環状の地下鉄がある。京都にあるのは方形のバス巡り(勿論、地下鉄はあるが)というのは仙台と同じサイズだと気付かされる。
本書で扱われるのは洛中(中京区、下京区)だけだ。朱雀大路の東だけだから左京だとだけ思っていたら京都の左京区はもっとずっと遠くの山間だった。
この小さな空間に、全てと云うのでもないが、いつまで経っても説明できない奇妙奇天烈(自由)と、他にはない多分荘厳と言っておいてもいいであろう知の営み(超自由)が同時に含まれている。勿論、本書には似合わない歴史やその呪いも。
それにしても、歴史がない。
年代別の断面を古地図で繙くような案内は他に当たればよいのかもしれないが、歴史論に限界があるにしても歴史を単に超越しては絶対に解けていない処がある。
それでも、本書は哲学者のぜんぶ、全てだという。
現象学が好きなあらゆるとか徹頭徹尾とか厳密なという掛け声のようなものでは多分それはなく、京都にはないとされてきた詩性感性の意気込みでぜんぶを含んでということなのだろう。
構成で云うと、北西端で元来た高野橋と先に見える羅城門を見通すので、それぞれ記事に対して地図が相前後する。
京都は地図も難しい。
東京大阪、名古屋には環状の地下鉄がある。京都にあるのは方形のバス巡り(勿論、地下鉄はあるが)というのは仙台と同じサイズだと気付かされる。
本書で扱われるのは洛中(中京区、下京区)だけだ。朱雀大路の東だけだから左京だとだけ思っていたら京都の左京区はもっとずっと遠くの山間だった。
この小さな空間に、全てと云うのでもないが、いつまで経っても説明できない奇妙奇天烈(自由)と、他にはない多分荘厳と言っておいてもいいであろう知の営み(超自由)が同時に含まれている。勿論、本書には似合わない歴史やその呪いも。
2012年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
京都市バス「206番」は、京都駅から出発して、東本願寺、三十三間堂、清水寺、八坂の塔、安井金比羅宮、祇園、八坂神社、知恩院、熊野神社、大徳寺、建勲神社、金閣寺、わら天神、平野神社、出世稲荷、西本願寺と、有名寺社の門前をぐるりと周回しています。
こんな市バス206系統が通過する町と人々を「まえがき」で紹介する鷲田清一先生のエッセイ集「京都の平熱」(講談社、2007年)を読み始めました。
モノクロの写真もとても興味深い。(写真撮影:鈴木理策)
京都で生まれ育って、京大に学んだ哲学者。哲学者らしい文章も時にはでてくるけれど、ちょっとインテリ好みで軽い文体、日々の京都ローカル文化の紹介です。
京都人が言う「先の大戦」とは「応仁の乱」のことだ、とはよく聞く話ですが、鷲田先生によれば、
「十何代か続かないと京都人とは言えないというのはまっかな嘘だ。(中略)そもそも京都の支配層は関東をはじめ他国から来たひとばかり。藤原、平、源、足利、豊臣、薩長、・・・と、京都を荒らしたのは、外のひとばかり。湯川秀樹はじめ代々のノーベル賞受賞者として、あるいは京大「名物」教授として鳴らしたひとも、京都出身者はほとんどいない。あってもせいぜい三代目くらいである」(同書、p.4)
・・とのご宣託。
「「都」が東京に移っていったときも、「第二の奈良になるな」をかけ声に、内国勧業博覧会を開き、平安神宮を建て、疎水を開き、市電を通し...とつぎつぎに近代的な設備に手をつけた。都が移ってさびれるという不安がこんな侮辱的とのいえる合い言葉として流布したわけだが、そういうふうにこけにされた奈良人のその孫たちは、「うちらの近所、日本史の教科書の最初のほうにいっぱいでてくるもんねえ...」と、ちょっとうら悲しいというか、やけくその自慢話をする」(同書、p.136)
”うどん”とは決して言わず、”おうどん”となるとの説明に続けて、
「ここで、もう一言つけ加えさせていただきたい。それは、「おみおつけ」。味噌汁のことだが、「御御御付け」と書く、そうな。ここまで「お」をつければほとんど異常の域である。けれどもどこか慎みというものもたしかにあるようで、「おみおつけ」と言いながら、奈良漬けこことは「オナラ漬け」とはけっして言わない」(同書、p.155)
ちなみに、現在の京大総長は奈良出身です。
「幼少の頃わたしは、「京女」(筆者注:きょうじょ)とは京都大学の女子校舎だと思い混んでいた。うちの家主さんのお嬢さんがここに通われ、「えらいかしこいひと」だという噂で、声をかけづらかった」(同書、p.31)
残りは、同書を購入されてお読みください。
こんな市バス206系統が通過する町と人々を「まえがき」で紹介する鷲田清一先生のエッセイ集「京都の平熱」(講談社、2007年)を読み始めました。
モノクロの写真もとても興味深い。(写真撮影:鈴木理策)
京都で生まれ育って、京大に学んだ哲学者。哲学者らしい文章も時にはでてくるけれど、ちょっとインテリ好みで軽い文体、日々の京都ローカル文化の紹介です。
京都人が言う「先の大戦」とは「応仁の乱」のことだ、とはよく聞く話ですが、鷲田先生によれば、
「十何代か続かないと京都人とは言えないというのはまっかな嘘だ。(中略)そもそも京都の支配層は関東をはじめ他国から来たひとばかり。藤原、平、源、足利、豊臣、薩長、・・・と、京都を荒らしたのは、外のひとばかり。湯川秀樹はじめ代々のノーベル賞受賞者として、あるいは京大「名物」教授として鳴らしたひとも、京都出身者はほとんどいない。あってもせいぜい三代目くらいである」(同書、p.4)
・・とのご宣託。
「「都」が東京に移っていったときも、「第二の奈良になるな」をかけ声に、内国勧業博覧会を開き、平安神宮を建て、疎水を開き、市電を通し...とつぎつぎに近代的な設備に手をつけた。都が移ってさびれるという不安がこんな侮辱的とのいえる合い言葉として流布したわけだが、そういうふうにこけにされた奈良人のその孫たちは、「うちらの近所、日本史の教科書の最初のほうにいっぱいでてくるもんねえ...」と、ちょっとうら悲しいというか、やけくその自慢話をする」(同書、p.136)
”うどん”とは決して言わず、”おうどん”となるとの説明に続けて、
「ここで、もう一言つけ加えさせていただきたい。それは、「おみおつけ」。味噌汁のことだが、「御御御付け」と書く、そうな。ここまで「お」をつければほとんど異常の域である。けれどもどこか慎みというものもたしかにあるようで、「おみおつけ」と言いながら、奈良漬けこことは「オナラ漬け」とはけっして言わない」(同書、p.155)
ちなみに、現在の京大総長は奈良出身です。
「幼少の頃わたしは、「京女」(筆者注:きょうじょ)とは京都大学の女子校舎だと思い混んでいた。うちの家主さんのお嬢さんがここに通われ、「えらいかしこいひと」だという噂で、声をかけづらかった」(同書、p.31)
残りは、同書を購入されてお読みください。
2015年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学者の目線と、50年に渡る京都人としての目線で、
市内周回のバスのルートに沿いながら
それぞれの地域について解説を進めつつ
この都市の特異性をかたる。
例えば、「着倒れ」文化について、
舞妓さんの足し算の極みと、
修行僧の引き算の極みの両極が、
ファッションのリミットとなっており、
これ以上は服が服で無くなる境界線が日常にある。
「とらや」も、「鳩居堂」も本舗は赤坂や銀座ではなく、
今でも京都にある。
観光地の料亭のような中身は大して無いのに、
上べやムードで騙し、値段を吊り上げている様を
地の人は「えげつない」といい、
このような店が跋扈する京都を
「古都」ではなく「虚都」と自嘲する。
昔は誰も食べなかった鱧(はも)は、
生きた状態で手に入る数少ない
質素な食材として食べられはじめたもの。
京都人は教育熱心だが、
受験勉強は学問とみなしていないので
京大進学率も他県に譲る。
そもそも京大が教育に不熱心で有名。
京都の観光収入は実は1割に過ぎず、
京セラやオムロンといった企業が引っ張る工業都市。
京都タワーの存在は京都人のトラウマ。
京都駅改装時にはタワーが見えないプランなら何でもいい、
という声が上がったほど。
などなどのエピソードを交えながら、
なぜこの都市が世界中の人を引き寄せるかについて、
歴史書からも観光ガイドブックからも得られなかった目線、
示唆が得られる一冊でした。
本書では寺社などの歴史的建造物よりも
学校や市井のうどん屋、映画館、風俗といった旅行客がいかない場所に
紙面の多くが割かれており、この聖と俗、新と旧、内と外、表と裏が
混濁する複雑な都市を理解するには、
有名な寺社に行くよりむしろ、
京都人の好む質素な場所に行くことが近道のように思いました。
鷲田清一はどの著書も、読み手にそれなりの体力を要求しますが、
本書は気楽に読み進められる良書でした。
市内周回のバスのルートに沿いながら
それぞれの地域について解説を進めつつ
この都市の特異性をかたる。
例えば、「着倒れ」文化について、
舞妓さんの足し算の極みと、
修行僧の引き算の極みの両極が、
ファッションのリミットとなっており、
これ以上は服が服で無くなる境界線が日常にある。
「とらや」も、「鳩居堂」も本舗は赤坂や銀座ではなく、
今でも京都にある。
観光地の料亭のような中身は大して無いのに、
上べやムードで騙し、値段を吊り上げている様を
地の人は「えげつない」といい、
このような店が跋扈する京都を
「古都」ではなく「虚都」と自嘲する。
昔は誰も食べなかった鱧(はも)は、
生きた状態で手に入る数少ない
質素な食材として食べられはじめたもの。
京都人は教育熱心だが、
受験勉強は学問とみなしていないので
京大進学率も他県に譲る。
そもそも京大が教育に不熱心で有名。
京都の観光収入は実は1割に過ぎず、
京セラやオムロンといった企業が引っ張る工業都市。
京都タワーの存在は京都人のトラウマ。
京都駅改装時にはタワーが見えないプランなら何でもいい、
という声が上がったほど。
などなどのエピソードを交えながら、
なぜこの都市が世界中の人を引き寄せるかについて、
歴史書からも観光ガイドブックからも得られなかった目線、
示唆が得られる一冊でした。
本書では寺社などの歴史的建造物よりも
学校や市井のうどん屋、映画館、風俗といった旅行客がいかない場所に
紙面の多くが割かれており、この聖と俗、新と旧、内と外、表と裏が
混濁する複雑な都市を理解するには、
有名な寺社に行くよりむしろ、
京都人の好む質素な場所に行くことが近道のように思いました。
鷲田清一はどの著書も、読み手にそれなりの体力を要求しますが、
本書は気楽に読み進められる良書でした。
2013年5月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
京都に馴染みの著者には平熱なのだろうが、京都に行くたびに情報を仕入れ「無駄にならない時間を過ごそう」と思ってしまう私には微熱。
いいなぁ、こういうところもあるんだ
今度さりげなく通ってみたいなぁ
訳知り顔で歩けたらカッコいいかなぁ
こんな視点では書いていないのに、勝手にそう読み込んでしまう。
他の著作で感じたスタイルの原点が京都にあるのかと思ってしまう。
まったくもって身勝手なコンプレックスなのだけれど・・・
いいなぁ、こういうところもあるんだ
今度さりげなく通ってみたいなぁ
訳知り顔で歩けたらカッコいいかなぁ
こんな視点では書いていないのに、勝手にそう読み込んでしまう。
他の著作で感じたスタイルの原点が京都にあるのかと思ってしまう。
まったくもって身勝手なコンプレックスなのだけれど・・・
2017年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さすがは学者(哲学者)というところかな。距離を置きつつ京都を愛する筆者の姿勢に好感が持てる。
2013年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小生と年代的にもほぼ同世代、同じ時期に京都の町と文化を見ていたのでしょう。
このお方の好奇心 星5つです。
哲学者っぽくなく文化学者ですなあ。
このお方の好奇心 星5つです。
哲学者っぽくなく文化学者ですなあ。