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画商の「眼」力―真贋をいかにして見抜くのか 単行本 – 2009/1/8
長谷川 徳七
(著)
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購入オプションとあわせ買い
絵画の真贋に秘められた「真実」を明かす! 洋画商界の第一線で世界を相手に生きて半世紀。何が本物で何が偽物かわからない時代だからこそ知っておきたい、絵画・仕事・人生の「本物だけが持つ輝き」を語る
- 本の長さ242ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2009/1/8
- ISBN-104062149524
- ISBN-13978-4062149525
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/1/8)
- 発売日 : 2009/1/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 242ページ
- ISBN-10 : 4062149524
- ISBN-13 : 978-4062149525
- Amazon 売れ筋ランキング: - 570,974位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 136位古美術・骨董 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日動画廊社長による絵の真贋の見分け方が様々な経験談と共に語られる。藤田嗣治や鴨居玲らとの個人的交流にも裏付けられた鑑定の話には説得力がある。「絵の品」「絵の”匂い”」など、真贋を見分ける際の表現も面白い。結局、他の鑑定士も口を揃えて言うように、数多くの「本物」を見ること、自分で大金を出して買い物をすることが真贋を見分けるためには不可欠であるということだろう。ただ、話の内容が想定できる範囲を超えるものではなく、もう少し専門的な話が聞きたかったとの思いは残る。
2013年8月17日に日本でレビュー済み
本著で取り上げている法廷で争われた佐伯祐三真贋事件とは、そもそも著者が、吉薗コレクションの佐伯祐三作品全てを贋作と断定したことで真贋事件に発展したもの。
真作派落合莞爾は、吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記を根拠に、真作と主張するとともに、著者経営の日動画廊が販売した大量の佐伯祐三作品を、佐伯の妻・米子が加筆した作品、との指摘もしている。
しかし本著「画商の眼力」では、米子加筆についてだけは、あえて口をつぐむ。その弁明を聞きたくて本著を買った読者の要求に一切応えぬまま贋作と叫ぶ著者の姿勢に、不可解な疑問を感じたのは私だけではあるまい。
落合莞爾氏は「天才画家佐伯祐三真贋事件の真実」を著し、真作派で大活躍していることが知られている。これは本著「画商の眼力」の信憑性の良否にも関わるから、念のため「『芸術新潮』1996年4月号の【特集 佐伯祐三の真実】「附 真贋騒動レポート」も中古本で探して読んで見た。
その内容は、美術業界紙ゆえ中立を装う記述ながらも心証贋作派に立ちながら、真作派が根拠とする吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記への踏み込みが甘く、真作派支援者の故・河北倫明(当時の美術界大御所)、落合莞爾(上記本著者)、故・匠秀夫(元・茨城県近代美術館長)らの所見をはしょっている。河北倫明は何も著さずに急逝したが、匠秀夫は病床の絶筆「未完・佐伯祐三の『巴里日記』吉薗周蔵宛書簡」を残し、落合莞爾は「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」を著したことで、佐伯祐三本人と吉薗周蔵資料などの膨大な古文書・記録類の現物を発表しているので、にわかに贋作とは信じ難い。以上を読破すれば真作派と贋作派のいずれが正しいのか?となれば、高みの見物の読者は概ね真作派に傾くから、右三氏らの所見の信憑性も高まる。
・・・だが、どうしても佐伯真贋事件ではっきりさせておかねばならない宿題が残っている。それは、真贋裁判では、なぜか?美術専門家でもない裁判官が、佐伯没後に製造されたチタン白絵具で描かれていないから贋作との判決を出していたのか?という不動の事実が気になるからだ。
そもそも東京美術倶楽部で本著著者の長谷川氏が、吉薗コレクションの佐伯祐三作品全てを贋作と断定したことで真贋事件に発展している。真作派落合莞爾氏は、美術業者が販売していた大量の佐伯祐三作品を、佐伯祐三巴里日記と吉薗周蔵手記の記録を根拠に、佐伯の妻・米子が加筆した作品、と指摘したのだ。しかし長谷川氏ら佐伯祐三専売美術業者は、米子加筆についてだけは、あえて口をつぐんでいる。その弁明を聞きたくて日動画廊・長谷川徳七著「画商の眼力」も買って読んだのだが、米子加筆についての読者の要求に一切応えぬまま吉薗佐伯コレクションを贋作と声高に叫ぶ著者の姿勢に、不可解な疑問を感じたのは私だけではあるまい。長谷川は、米子加筆は棚に上げ、贋作根拠だけをあれこれとつらつら述べるだけで、いずれも主観や伝聞に基づく文体にて、決して肝心な点を読者に明らかにせぬまま巧妙にはぐらかす曖昧記述だから、直ちに信用し難い。
但し、「2002年7月、東京地方裁判所は、吉薗コレクションのすべてを贋作と判定しました。」(P174)だけは、外形的事実を確認できるので、私を含む多くの読者は、この一事をもって吉薗コレクションの佐伯作品の贋作が確定し、吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記もニセモノと思ってしまった。
・・・と思いきや今頃になり、紀州文化振興会HPに寄稿論文 ★急告・チタン白に関する裁判上の偽証について★ が更新されていたのを読まれた美術愛好家は唖然!目が点になってしもうたとのこと。
その急告内容とは・・・真作派(原告)に訴えられた贋作派中島誠之助(被告)側推薦の鑑定家の科学鑑定で提出された(佐伯没後の白絵具で描かれていたとされる)証拠の「チタン白製造史」の典拠文献の引用文が、なんと(鑑定対象の顔料の製造時期・年代をずらすなど)巧妙に捏造されていた事実=証拠を示しており、即ち、そもそも佐伯が生存中のパリに存在していたはずのチタン白ルチル型絵具は、あたかも1940年代以降にしか存在していない、という内容に字句が変造=捏造されていたのだ。むろんその証拠を信じ、騙された裁判官は贋作誤審させられてしまった! という、とんでも裁判所科学鑑定・文献捏造による⇒偽証発覚事件のスクープ急告だったのだ!
右の急告事実による真贋逆転のどんでん返しに、真作派・落合勝利の瞬間だった。一方、反則ワザで裁判所まで騙す美術界と知り、多くの美術ファンは実に不快なり。一方、一部の真面目な美術界(業者・研究者)の信用まで貶めているのだ。
そもそもこの誤審事件とは、裁判所指名の鑑定家(教授級鑑定人から修復専門家ら3名)が仕掛けたタッグマッチによる反則ワザで、裁判官を騙し⇒誤審させ⇒贋作派の被告を勝訴させた、という(記録・証拠捏造=)偽証事件であったが、それだけでは終わらない。
その後、この勝訴を積極的に取り上げ喧伝したのが本著・日動画廊の長谷川徳七著「画商の眼力」である。長谷川は、米子加筆とされる佐伯作品を長年に亘り大量に販売した美術業者だから、裁判での証拠捏造への直接・間接の関与を問いたいところだが、そもそも著者は被告ではなかったから、外形的には共同謀議へ関与の有無は問えぬはず。ところが、「画商の眼力」P172で、「ぐうの音もでないほどの、はっきりした証拠を出さないかぎり、裁判で勝つには難しいのです。」とか、「被告として訴えられた私たちは・・・」と書かれるから、どうやら著者本人意識では、自ら被告意識を積極的に自認しているのだから、何やら不可解さが匂う。
そもそも事件の発端を造ったのが長谷川氏本人であることは、右著書でも自認しているから、右真贋事件での「画商の眼力」や「真贋」を問うのではなく、今頃になって真贋どんでん返しをくらう原因となった「裁判所指定鑑定人の証拠捏造の真相」と自らの著書内容への釈明を問わねばなるまいが、いかに?
どうやら、真作派落合氏は、この日のために「急告・チタン白に関する裁判上の偽証について」の隠し玉を「画商の眼力」を読んだ(科学鑑定に特化した)研究者からの通報で裁判資料を提供し⇒ 鑑定書典拠資料の捏造部分発見⇒ その仔細を入手・温存していた様子に見える。
即ち、真贋裁判に敗訴した真作派・落合氏への批判など予め織り込んでいただろうから⇒ 美術界からの愚かな批判が出揃うのを待ち⇒ 充分出切ったところで隠し玉(ネタ)をスクープ出しし⇒ 沈静化させたのであろうと思う。それに嵌ってあれこれ書いてしまった御仁にとってはたまらんことだろうが、言論の自由のある当世では、動機色々も悪意ある中傷・妨害一派を血祭りに上げる優良なる専守防衛手法とも言える。むろん他の週刊誌が追随することを熟知している週刊新潮などもよくやる常套手法として知られているが。
誤審判決の加勢を得て書くのは、良識と見識が伴わぬなら誰でも出来ることだが、後日の発覚でのどんでん返しに遭遇するなら、著者には、常に「賢者か愚者の発想」が求められていることは言うまでもあるまい。 賢者であればこそ、行間を読む読者の眼が決して「節穴」ではないことを知りて書くべきもの。
なお、このレビューに付け加えさせていただくべきは、著者と本著出版社に、真相を知るや知らずを問うまでもなく、「真実を書かぬ姿勢」ならびに「事実に反した風評を撒き散らした責任」・・・の2点だけは問わねばなるまい。 ・・・⇒ 右2点を放置すれば、再び名誉毀損の訴訟事件となり、(真贋蒸し返しではなく)過去の前記裁判での科学鑑定書の捏造=偽証が鑑定補助者=佐伯祐三作品修復専門家の単独犯であったのか?それとも共同謀議による共犯者は誰なのか?などの問責課題の究明が法廷で開始されるは必定なり。
むろんかような裁判上の捏造カラクリなど知らずに書いてしまったのだから免責だ! と開き直ることも出来ようが、少なくも免責を求めるなら新聞広告での贋作風評被害者への謝罪は免れず、むろん読者諸氏に対してだけは、少なくもネット上での訂正謝罪などで積極的な訂正姿勢を伴わねば、著者の良識と見識を疑われてしまいかねぬことも、真摯に考慮せねばなるまい。
真作派落合莞爾は、吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記を根拠に、真作と主張するとともに、著者経営の日動画廊が販売した大量の佐伯祐三作品を、佐伯の妻・米子が加筆した作品、との指摘もしている。
しかし本著「画商の眼力」では、米子加筆についてだけは、あえて口をつぐむ。その弁明を聞きたくて本著を買った読者の要求に一切応えぬまま贋作と叫ぶ著者の姿勢に、不可解な疑問を感じたのは私だけではあるまい。
落合莞爾氏は「天才画家佐伯祐三真贋事件の真実」を著し、真作派で大活躍していることが知られている。これは本著「画商の眼力」の信憑性の良否にも関わるから、念のため「『芸術新潮』1996年4月号の【特集 佐伯祐三の真実】「附 真贋騒動レポート」も中古本で探して読んで見た。
その内容は、美術業界紙ゆえ中立を装う記述ながらも心証贋作派に立ちながら、真作派が根拠とする吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記への踏み込みが甘く、真作派支援者の故・河北倫明(当時の美術界大御所)、落合莞爾(上記本著者)、故・匠秀夫(元・茨城県近代美術館長)らの所見をはしょっている。河北倫明は何も著さずに急逝したが、匠秀夫は病床の絶筆「未完・佐伯祐三の『巴里日記』吉薗周蔵宛書簡」を残し、落合莞爾は「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」を著したことで、佐伯祐三本人と吉薗周蔵資料などの膨大な古文書・記録類の現物を発表しているので、にわかに贋作とは信じ難い。以上を読破すれば真作派と贋作派のいずれが正しいのか?となれば、高みの見物の読者は概ね真作派に傾くから、右三氏らの所見の信憑性も高まる。
・・・だが、どうしても佐伯真贋事件ではっきりさせておかねばならない宿題が残っている。それは、真贋裁判では、なぜか?美術専門家でもない裁判官が、佐伯没後に製造されたチタン白絵具で描かれていないから贋作との判決を出していたのか?という不動の事実が気になるからだ。
そもそも東京美術倶楽部で本著著者の長谷川氏が、吉薗コレクションの佐伯祐三作品全てを贋作と断定したことで真贋事件に発展している。真作派落合莞爾氏は、美術業者が販売していた大量の佐伯祐三作品を、佐伯祐三巴里日記と吉薗周蔵手記の記録を根拠に、佐伯の妻・米子が加筆した作品、と指摘したのだ。しかし長谷川氏ら佐伯祐三専売美術業者は、米子加筆についてだけは、あえて口をつぐんでいる。その弁明を聞きたくて日動画廊・長谷川徳七著「画商の眼力」も買って読んだのだが、米子加筆についての読者の要求に一切応えぬまま吉薗佐伯コレクションを贋作と声高に叫ぶ著者の姿勢に、不可解な疑問を感じたのは私だけではあるまい。長谷川は、米子加筆は棚に上げ、贋作根拠だけをあれこれとつらつら述べるだけで、いずれも主観や伝聞に基づく文体にて、決して肝心な点を読者に明らかにせぬまま巧妙にはぐらかす曖昧記述だから、直ちに信用し難い。
但し、「2002年7月、東京地方裁判所は、吉薗コレクションのすべてを贋作と判定しました。」(P174)だけは、外形的事実を確認できるので、私を含む多くの読者は、この一事をもって吉薗コレクションの佐伯作品の贋作が確定し、吉薗周蔵手記と佐伯祐三巴里日記もニセモノと思ってしまった。
・・・と思いきや今頃になり、紀州文化振興会HPに寄稿論文 ★急告・チタン白に関する裁判上の偽証について★ が更新されていたのを読まれた美術愛好家は唖然!目が点になってしもうたとのこと。
その急告内容とは・・・真作派(原告)に訴えられた贋作派中島誠之助(被告)側推薦の鑑定家の科学鑑定で提出された(佐伯没後の白絵具で描かれていたとされる)証拠の「チタン白製造史」の典拠文献の引用文が、なんと(鑑定対象の顔料の製造時期・年代をずらすなど)巧妙に捏造されていた事実=証拠を示しており、即ち、そもそも佐伯が生存中のパリに存在していたはずのチタン白ルチル型絵具は、あたかも1940年代以降にしか存在していない、という内容に字句が変造=捏造されていたのだ。むろんその証拠を信じ、騙された裁判官は贋作誤審させられてしまった! という、とんでも裁判所科学鑑定・文献捏造による⇒偽証発覚事件のスクープ急告だったのだ!
右の急告事実による真贋逆転のどんでん返しに、真作派・落合勝利の瞬間だった。一方、反則ワザで裁判所まで騙す美術界と知り、多くの美術ファンは実に不快なり。一方、一部の真面目な美術界(業者・研究者)の信用まで貶めているのだ。
そもそもこの誤審事件とは、裁判所指名の鑑定家(教授級鑑定人から修復専門家ら3名)が仕掛けたタッグマッチによる反則ワザで、裁判官を騙し⇒誤審させ⇒贋作派の被告を勝訴させた、という(記録・証拠捏造=)偽証事件であったが、それだけでは終わらない。
その後、この勝訴を積極的に取り上げ喧伝したのが本著・日動画廊の長谷川徳七著「画商の眼力」である。長谷川は、米子加筆とされる佐伯作品を長年に亘り大量に販売した美術業者だから、裁判での証拠捏造への直接・間接の関与を問いたいところだが、そもそも著者は被告ではなかったから、外形的には共同謀議へ関与の有無は問えぬはず。ところが、「画商の眼力」P172で、「ぐうの音もでないほどの、はっきりした証拠を出さないかぎり、裁判で勝つには難しいのです。」とか、「被告として訴えられた私たちは・・・」と書かれるから、どうやら著者本人意識では、自ら被告意識を積極的に自認しているのだから、何やら不可解さが匂う。
そもそも事件の発端を造ったのが長谷川氏本人であることは、右著書でも自認しているから、右真贋事件での「画商の眼力」や「真贋」を問うのではなく、今頃になって真贋どんでん返しをくらう原因となった「裁判所指定鑑定人の証拠捏造の真相」と自らの著書内容への釈明を問わねばなるまいが、いかに?
どうやら、真作派落合氏は、この日のために「急告・チタン白に関する裁判上の偽証について」の隠し玉を「画商の眼力」を読んだ(科学鑑定に特化した)研究者からの通報で裁判資料を提供し⇒ 鑑定書典拠資料の捏造部分発見⇒ その仔細を入手・温存していた様子に見える。
即ち、真贋裁判に敗訴した真作派・落合氏への批判など予め織り込んでいただろうから⇒ 美術界からの愚かな批判が出揃うのを待ち⇒ 充分出切ったところで隠し玉(ネタ)をスクープ出しし⇒ 沈静化させたのであろうと思う。それに嵌ってあれこれ書いてしまった御仁にとってはたまらんことだろうが、言論の自由のある当世では、動機色々も悪意ある中傷・妨害一派を血祭りに上げる優良なる専守防衛手法とも言える。むろん他の週刊誌が追随することを熟知している週刊新潮などもよくやる常套手法として知られているが。
誤審判決の加勢を得て書くのは、良識と見識が伴わぬなら誰でも出来ることだが、後日の発覚でのどんでん返しに遭遇するなら、著者には、常に「賢者か愚者の発想」が求められていることは言うまでもあるまい。 賢者であればこそ、行間を読む読者の眼が決して「節穴」ではないことを知りて書くべきもの。
なお、このレビューに付け加えさせていただくべきは、著者と本著出版社に、真相を知るや知らずを問うまでもなく、「真実を書かぬ姿勢」ならびに「事実に反した風評を撒き散らした責任」・・・の2点だけは問わねばなるまい。 ・・・⇒ 右2点を放置すれば、再び名誉毀損の訴訟事件となり、(真贋蒸し返しではなく)過去の前記裁判での科学鑑定書の捏造=偽証が鑑定補助者=佐伯祐三作品修復専門家の単独犯であったのか?それとも共同謀議による共犯者は誰なのか?などの問責課題の究明が法廷で開始されるは必定なり。
むろんかような裁判上の捏造カラクリなど知らずに書いてしまったのだから免責だ! と開き直ることも出来ようが、少なくも免責を求めるなら新聞広告での贋作風評被害者への謝罪は免れず、むろん読者諸氏に対してだけは、少なくもネット上での訂正謝罪などで積極的な訂正姿勢を伴わねば、著者の良識と見識を疑われてしまいかねぬことも、真摯に考慮せねばなるまい。
2009年10月24日に日本でレビュー済み
先代が銀座で立ち上げた老舗の日動画廊・代表取締役社長の長谷川徳七氏の絵画にまつわる様々なエピソードを満載しています。長谷川氏は全国洋画商連盟会長、全国美術商連合会会長を歴任するなど、美術の世界では大変な功績と役割を果たしてこられ、語り口調で読みやすく知られざる画廊経営の面白さと難しさも感じ取れました。
贋作の見分け方は美術商と呼ばれるプロでも難しくそれぞれ専門とする画家や領域があるようで含蓄のある話が展開してあります。贋作を防ぐために、作家の全作品を写真とデータによって収録したカタログ・ゼロネという全画集があり、それによって鑑定書が書かれるそうです。
藤田嗣治の作品の鑑定に際しては、長谷川氏の名前が登録されているようで、画家の遺族からも確認書をとっているとのこと。
146ページに、元経済企画庁の藤山愛一郎長官所蔵のルノアールの「少女」の絵が盗まれ、「絵が戻ってきたら国立西洋美術館に寄贈する」と発表し、その後無事帰ってきたことが書かれていました。滝川太郎というものがこのルノアールを描き、著名な評論家と組んで贋作を売り飛ばしたようです。寄贈を受けた国立西洋美術館は一度もその絵を展示していないという話はなるほど、感じた次第です。
佐伯祐三の贋作「吉薗コレクション」の大胆さにも驚かされました。巨額のお金が動く美術コレクションの売買の凄まじさを知る思いです。贋作とは別の詐欺で逮捕というのも納得です。
公正な判断とは自分の中の偏った善悪の感覚で見るのではなく、その絵が語りかけるままに見ることです、というコメントは含蓄に富んだものでした。
贋作の見分け方は美術商と呼ばれるプロでも難しくそれぞれ専門とする画家や領域があるようで含蓄のある話が展開してあります。贋作を防ぐために、作家の全作品を写真とデータによって収録したカタログ・ゼロネという全画集があり、それによって鑑定書が書かれるそうです。
藤田嗣治の作品の鑑定に際しては、長谷川氏の名前が登録されているようで、画家の遺族からも確認書をとっているとのこと。
146ページに、元経済企画庁の藤山愛一郎長官所蔵のルノアールの「少女」の絵が盗まれ、「絵が戻ってきたら国立西洋美術館に寄贈する」と発表し、その後無事帰ってきたことが書かれていました。滝川太郎というものがこのルノアールを描き、著名な評論家と組んで贋作を売り飛ばしたようです。寄贈を受けた国立西洋美術館は一度もその絵を展示していないという話はなるほど、感じた次第です。
佐伯祐三の贋作「吉薗コレクション」の大胆さにも驚かされました。巨額のお金が動く美術コレクションの売買の凄まじさを知る思いです。贋作とは別の詐欺で逮捕というのも納得です。
公正な判断とは自分の中の偏った善悪の感覚で見るのではなく、その絵が語りかけるままに見ることです、というコメントは含蓄に富んだものでした。