再掲
死とは何か、魂とは何かと同時期に発売された、池田さん死後に池田の夫らが設立したNPO法人わたくし、つまりNobodyが編集したもの。
池田晶子(1960-2007)の文章のうち雑誌、新聞等に掲載されたもの、未発表原稿は13歳の時の文章と他一編のみ。
池田さんの著作に触れている人には物足りないというか纏まりがないと感じるのではないだろうか。少なくとも自分はそのように感じた。しかし買ってしまいます。
備忘録として
世論の心理というのも、仔細に観察してみると面白い。軽薄な尊大さの裏側には、小心な自己肯定が透けて見えないか。P65
人が老いに抵抗を覚える理由のもうひとつ、周囲の老人の姿をみるからもあるだろう。快楽を人生の価値と思い為し、ただ年をとっただけの無内容な人、そういう人ばかり見るからである。しかし、かっては、老いるということと、賢くなるということは、同義のことであったはずだ。人生の価値は、賢く生き、より賢い人間になることにあると、昔の人々は知っていたのである。P101
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私とは何か さて死んだのは誰なのか 単行本 – 2009/4/4
池田 晶子
(著),
NPO法人わたくし、つまりNobody
(編集)
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●刊行の趣旨
ベストセラーとなった『14歳のための哲学』をはじめ、専門用語や権威によらず自らの言葉で「考える」ことの大切さを説き、世代を超えた愛読者を持つ池田晶子氏。
本書は、池田氏の著作権者であるNPO法人「わたくし、つまりNobody」の編集協力により、残された貴重な未発表・未収録作品を集めた「最後の新刊」となるエッセイ集です。
最初期から晩年までの作品を通して、池田氏の哲学の出発点であり、哲学にとって永遠のテーマである「私が存在するとはどういうことか」「考えるとはどういうことか」を伝える本書は、ファンのみならず初心者の方にも読みやすい一冊となります。
●主な内容
池田晶子氏が残した単行本未収録の講演原稿、産経新聞連載コラム「はてなの深度」ほか新聞および雑誌掲載エッセイ、池田氏の哲学の原点を記す幻の初期名編「わたくし、つまりNobody」、小学生のときに書いた短編小説「空を飛べたら」までを収録。池田晶子氏の「原点」にして哲学の原点を伝える、「最後の新刊本」。
ベストセラーとなった『14歳のための哲学』をはじめ、専門用語や権威によらず自らの言葉で「考える」ことの大切さを説き、世代を超えた愛読者を持つ池田晶子氏。
本書は、池田氏の著作権者であるNPO法人「わたくし、つまりNobody」の編集協力により、残された貴重な未発表・未収録作品を集めた「最後の新刊」となるエッセイ集です。
最初期から晩年までの作品を通して、池田氏の哲学の出発点であり、哲学にとって永遠のテーマである「私が存在するとはどういうことか」「考えるとはどういうことか」を伝える本書は、ファンのみならず初心者の方にも読みやすい一冊となります。
●主な内容
池田晶子氏が残した単行本未収録の講演原稿、産経新聞連載コラム「はてなの深度」ほか新聞および雑誌掲載エッセイ、池田氏の哲学の原点を記す幻の初期名編「わたくし、つまりNobody」、小学生のときに書いた短編小説「空を飛べたら」までを収録。池田晶子氏の「原点」にして哲学の原点を伝える、「最後の新刊本」。
- 本の長さ258ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2009/4/4
- 寸法13.3 x 1.8 x 19.4 cm
- ISBN-104062154196
- ISBN-13978-4062154192
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商品の説明
著者について
池田 晶子
(いけだ・あきこ)
1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。著書多数。2007年2月23日没。その死から2年が経ても既刊本はロングセラーとなり、幅広く新しい読者を獲得し続けている。
(いけだ・あきこ)
1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。著書多数。2007年2月23日没。その死から2年が経ても既刊本はロングセラーとなり、幅広く新しい読者を獲得し続けている。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/4/4)
- 発売日 : 2009/4/4
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 258ページ
- ISBN-10 : 4062154196
- ISBN-13 : 978-4062154192
- 寸法 : 13.3 x 1.8 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 29,904位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 84位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 535位哲学 (本)
- - 848位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年(昭和35年)8月21日、東京生まれ。1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。文筆家と自称する。池田某とも。「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。2007年(平成19年)2月23日死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『事象そのものへ!』(ISBN-10:4901510789)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2009年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
―池田晶子の「私とは何か」について―
これぞ本物の「哲学の書」である。
多くの哲学書は、歴史に名だたる哲学者による過去からの思想が受け継がれながら現在に至っていて、その思想の筋道によらなければあたかも哲学ではないかのような印象である。何人もの学者たちがこねくり回した思索を知識として知って何になる。他人の思索の続きを考えようとするから難しくなる。
「哲学とは考えることである」として、さらに池田は「考えるとは?」を教えている。哲学の題材は自分の中にある。哲学とは、己が己を見つめ、まことの己、すなわち真我を見出すことではないか。その真我こそ永遠の己、池田の言う「普遍に至る私」であろう。
わたしは真の哲学の書を得た。そしてわたしの考えは本書によって肯定された。
これぞ本物の「哲学の書」である。
多くの哲学書は、歴史に名だたる哲学者による過去からの思想が受け継がれながら現在に至っていて、その思想の筋道によらなければあたかも哲学ではないかのような印象である。何人もの学者たちがこねくり回した思索を知識として知って何になる。他人の思索の続きを考えようとするから難しくなる。
「哲学とは考えることである」として、さらに池田は「考えるとは?」を教えている。哲学の題材は自分の中にある。哲学とは、己が己を見つめ、まことの己、すなわち真我を見出すことではないか。その真我こそ永遠の己、池田の言う「普遍に至る私」であろう。
わたしは真の哲学の書を得た。そしてわたしの考えは本書によって肯定された。
2009年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
池田晶子さんの著書はどこから読んでも、私自身と同化し、ついに誰でもない私にたどり着きます。全ての著書を所蔵しますが、池田氏の貫いた考え生き方が自分と重なり他では得られない爽快感があります。
2013年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ずいぶん以前の記事などからも構成されていたが、
核心がブレず、視点が深いので、現在の問題としても十分に考えさせられた。
また、個人的には「ソフィーの世界」ブームのときの話題には、スッキリできた。
当時自分も、あの本を読んだが、なぜか読むのに半年もかかった。
その上、何も残るものがなかったので、
なぜあれほど、世間が騒いでいたのか不思議に思っていた。
しかし今回、池田さんの「かの本は哲学ではない」という話、
かの本に書かれていたことは何だったか、ということが書かれているのを読んで、
「ああ、面白いと思えなくてもよかったんだ」
と今更ながら、自分の気持ちを肯定することができてよかった。
ストーレートすぎる表現をされる方だとも思うが、
すべて正論なので、私は、読んでいて気分爽快である。
核心がブレず、視点が深いので、現在の問題としても十分に考えさせられた。
また、個人的には「ソフィーの世界」ブームのときの話題には、スッキリできた。
当時自分も、あの本を読んだが、なぜか読むのに半年もかかった。
その上、何も残るものがなかったので、
なぜあれほど、世間が騒いでいたのか不思議に思っていた。
しかし今回、池田さんの「かの本は哲学ではない」という話、
かの本に書かれていたことは何だったか、ということが書かれているのを読んで、
「ああ、面白いと思えなくてもよかったんだ」
と今更ながら、自分の気持ちを肯定することができてよかった。
ストーレートすぎる表現をされる方だとも思うが、
すべて正論なので、私は、読んでいて気分爽快である。
2009年4月17日に日本でレビュー済み
本書で購入前から気になっていたのは、池田さんが小学校6年の時の創作童話のこと。
購入、一読後、その完成度の高さに驚いた。
”私は非常に作文が好きだった。しかも、うまかった。自分で言うのもなんですが”(本書P.113)。
ケレン味無く言い切っているように見えて仄かに感じる一抹の含羞。池田さんの文章を読むときの醍醐味である。そして、その文才を通じての中学時の恩師との心の交流。
”本を読んでは、そこに書かれている「意味」のみ抽出し、それをもって、自己の「考え」のほうへより考えを凝らす。”
自ら自然と実践したそうした読書法を示しつつ、自らの著書もそのように読んでもらえたら、と池田さんは語る。裏を返せば自らが普遍の真実を語っているという自負、というよりは、端的な”事実”。私とは何か、という問いへの、ひとつの回答、ということであろうか。
小学校からの池田晶子の魂の流れを俯瞰できる、”池田晶子クロニクル”。
購入、一読後、その完成度の高さに驚いた。
”私は非常に作文が好きだった。しかも、うまかった。自分で言うのもなんですが”(本書P.113)。
ケレン味無く言い切っているように見えて仄かに感じる一抹の含羞。池田さんの文章を読むときの醍醐味である。そして、その文才を通じての中学時の恩師との心の交流。
”本を読んでは、そこに書かれている「意味」のみ抽出し、それをもって、自己の「考え」のほうへより考えを凝らす。”
自ら自然と実践したそうした読書法を示しつつ、自らの著書もそのように読んでもらえたら、と池田さんは語る。裏を返せば自らが普遍の真実を語っているという自負、というよりは、端的な”事実”。私とは何か、という問いへの、ひとつの回答、ということであろうか。
小学校からの池田晶子の魂の流れを俯瞰できる、”池田晶子クロニクル”。
2009年4月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これは、類似の書と比べると、本の紹介の通りの「未発表、本未収録のエッセイ集」である。
「私」については、仮に「私」が解ったとすると、解った「私」と、解られた「私」がいることになる。作者はそれを「これ」と「コイツ」と呼んで、間に「魂」を入れるとしっくり収まるなんていっている。が、エッセイなので、それ以上「私」について、論を展開していない。
しかし、「哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」と書いていることから、ここに集められたエッセイも「私とは何かということを考えたもの」ということにはなる。
それよりも、同時出版の「死とは何か」で、最後の講演原稿を収録した対比で、ここには最初というべき初期の作品というか、卒業文集に収められた6年2組池田晶子のかなり長い作文が収められていて、それが、登場するのが鳥たちの童話風作文なので、ファンには大変貴重な本ではある。
彼女のエッセイがお好きな方は、こちらのほうがお勧めです。
「私」については、仮に「私」が解ったとすると、解った「私」と、解られた「私」がいることになる。作者はそれを「これ」と「コイツ」と呼んで、間に「魂」を入れるとしっくり収まるなんていっている。が、エッセイなので、それ以上「私」について、論を展開していない。
しかし、「哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」と書いていることから、ここに集められたエッセイも「私とは何かということを考えたもの」ということにはなる。
それよりも、同時出版の「死とは何か」で、最後の講演原稿を収録した対比で、ここには最初というべき初期の作品というか、卒業文集に収められた6年2組池田晶子のかなり長い作文が収められていて、それが、登場するのが鳥たちの童話風作文なので、ファンには大変貴重な本ではある。
彼女のエッセイがお好きな方は、こちらのほうがお勧めです。
2013年6月22日に日本でレビュー済み
著者の池田が亡くなった後の「最後の新刊」シリーズである。本書の白眉は最後の「空を飛べたら」である。
「空を飛べたら」は、本書を信じる限り、著者が小学校六年生の際に書いた作文である。編者がこれを本書に収録した
理由を考えることは興味深い。
編者は池田という方がごく若い時から文章を書く才能があったという証左として収録したという。但し数あったであろう
「作文」からこれを選んできた理由は、それだけではないような気がする。書いた人が小学校六年生であることを一旦
忘れて、この一編の童話を読むべきだ。
童話の主人公はニワトリである。空を飛べないニワトリが、飛翔を希求しつつ、最後に「ぼく、空を飛べなくてもいいんだよ」と
言い切る話だ。この「空を飛べない鳥」は、実は書いた池田自身であるような気がしてならない。小学校六年生にして、
周りの人と自分が異なっており、異なった人生を歩まざるを得ないことを予感していたのではないか。編者は、そんな池田の
予感を「最後の新刊」にて紹介したいという野心を持っていたのではないか。そんな気がした。
池田は「飛ばない事」を選んだ。個性的な人生を歩み、夭折ともいうべき年齢でこの世を去って行った。副題の
「さて死んだのは誰なのか」とは池田が臨終の際に書いた言葉だと本書の著者紹介にあった。さて、死んだのは誰なのか?
「空を飛べたら」は、本書を信じる限り、著者が小学校六年生の際に書いた作文である。編者がこれを本書に収録した
理由を考えることは興味深い。
編者は池田という方がごく若い時から文章を書く才能があったという証左として収録したという。但し数あったであろう
「作文」からこれを選んできた理由は、それだけではないような気がする。書いた人が小学校六年生であることを一旦
忘れて、この一編の童話を読むべきだ。
童話の主人公はニワトリである。空を飛べないニワトリが、飛翔を希求しつつ、最後に「ぼく、空を飛べなくてもいいんだよ」と
言い切る話だ。この「空を飛べない鳥」は、実は書いた池田自身であるような気がしてならない。小学校六年生にして、
周りの人と自分が異なっており、異なった人生を歩まざるを得ないことを予感していたのではないか。編者は、そんな池田の
予感を「最後の新刊」にて紹介したいという野心を持っていたのではないか。そんな気がした。
池田は「飛ばない事」を選んだ。個性的な人生を歩み、夭折ともいうべき年齢でこの世を去って行った。副題の
「さて死んだのは誰なのか」とは池田が臨終の際に書いた言葉だと本書の著者紹介にあった。さて、死んだのは誰なのか?