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人間 昭和天皇(上) 単行本 – 2011/12/9
髙橋 紘
(著)
皇室取材歴約40年の著者による渾身の遺作。
帝国の統治者たることを運命づけられた少年、裕仁。
偉大な祖父は皇孫の誕生を誰よりも喜んだ。病弱な父と勁き母、闊達な弟宮たちとの葛藤、学友とともに受けた厳しい教育。乃木、東郷ら多くの功臣の期待を背に成長した彼は、第一次世界大戦後の欧州で君主とは何かを自問する。摂政就任から即位、戦争突入まで。
●……私は他の伝記作家とは違い、昭和、平成2代の両陛下やご家族、皇族に会見などでお会いしている。宮内庁を自由に歩きまわり、御用邸、御所なども見学会で見ているし、皇室の周辺にいた人とも数多く会っている。
私は社会部育ちの、現場主義者なのだ。天皇がかつて訪れた場所やゆかりの地は、いまどうなっているのか、天皇や子どもたちはどう育てられたのか。そんなことを思いながら内外の現場をずいぶん歩いた。こうした経験をもとに、内側からみた天皇、皇室像を書いてはどうかと思ったのである。(「まえがき」より)
帝国の統治者たることを運命づけられた少年、裕仁。
偉大な祖父は皇孫の誕生を誰よりも喜んだ。病弱な父と勁き母、闊達な弟宮たちとの葛藤、学友とともに受けた厳しい教育。乃木、東郷ら多くの功臣の期待を背に成長した彼は、第一次世界大戦後の欧州で君主とは何かを自問する。摂政就任から即位、戦争突入まで。
●……私は他の伝記作家とは違い、昭和、平成2代の両陛下やご家族、皇族に会見などでお会いしている。宮内庁を自由に歩きまわり、御用邸、御所なども見学会で見ているし、皇室の周辺にいた人とも数多く会っている。
私は社会部育ちの、現場主義者なのだ。天皇がかつて訪れた場所やゆかりの地は、いまどうなっているのか、天皇や子どもたちはどう育てられたのか。そんなことを思いながら内外の現場をずいぶん歩いた。こうした経験をもとに、内側からみた天皇、皇室像を書いてはどうかと思ったのである。(「まえがき」より)
- 本の長さ498ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/12/9
- 寸法14 x 3.8 x 19.6 cm
- ISBN-104062172992
- ISBN-13978-4062172998
商品の説明
著者について
(たかはし・ひろし)
1941年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、共同通信社入社。社会部長、ラジオ・テレビ局長、(株)共同通信社取締役などを歴任。この間、宮内記者会に在籍した。退社後は静岡福祉大学教授も務めた。専攻は皇室の近現代史。著書に『現代天皇家の研究』(講談社)、『象徴天皇』(岩波新書)、『昭和天皇 1945─1948』(岩波現代文庫)、『天皇家の密使たち』(共著、現代史出版会)などがある。また編集解説に『側近日誌』(文藝春秋)、『昭和初期の天皇と宮中─侍従次長河井弥八日記』(共編・岩波書店)などがある。
1941年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、共同通信社入社。社会部長、ラジオ・テレビ局長、(株)共同通信社取締役などを歴任。この間、宮内記者会に在籍した。退社後は静岡福祉大学教授も務めた。専攻は皇室の近現代史。著書に『現代天皇家の研究』(講談社)、『象徴天皇』(岩波新書)、『昭和天皇 1945─1948』(岩波現代文庫)、『天皇家の密使たち』(共著、現代史出版会)などがある。また編集解説に『側近日誌』(文藝春秋)、『昭和初期の天皇と宮中─侍従次長河井弥八日記』(共編・岩波書店)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/12/9)
- 発売日 : 2011/12/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 498ページ
- ISBN-10 : 4062172992
- ISBN-13 : 978-4062172998
- 寸法 : 14 x 3.8 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 901,777位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 121,039位趣味・実用
- - 131,848位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2012年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
記者の立場から得られた内部の関係者からの情報により、決して聖人君子ではない、人間的な昭和天皇やその家族の姿が見えてくる。兄弟喧嘩や嫁姑等の女性同士の確執、侍従等身近な人から見た天皇の性格など、あまり表には出てこないので興味深い。特に、戦後、様々な国際情勢に関心を持ち、象徴天皇とは言いながら、戦前の総攬者としての意識が抜けずに政治にも首を突っ込んでいたというあたりは、現天皇との比較で面白いと思った。やや話が飛びがちではあるが、読み応えがある。上下読むとかなりの厚さだが、あっという間に読み切ってしまった。
2011年12月27日に日本でレビュー済み
共同通信記者として皇室取材した著者の遺作である。
特に目新しい事実があるわけではないのが、研究者や作家の作品とは違い、
実際に宮内庁幹部や侍従長らと接せられ、時に昭和天皇をも間近に見ることが出来る
記者の強みが生かされている。
上下2巻でそれぞれ結構厚いが読みやすい。昭和天皇を知る入門の書としても十分耐えうる。
特に目新しい事実があるわけではないのが、研究者や作家の作品とは違い、
実際に宮内庁幹部や侍従長らと接せられ、時に昭和天皇をも間近に見ることが出来る
記者の強みが生かされている。
上下2巻でそれぞれ結構厚いが読みやすい。昭和天皇を知る入門の書としても十分耐えうる。
2018年8月24日に日本でレビュー済み
著者は、共同通信社の宮内記者会に長年在籍し皇室取材歴約40年の持ち主で冒頭で次のように語っています。
「私は他の伝記作家とは違い、昭和、平成二代の両陛下やご家族、皇族に会見などでお会いしている。宮内庁を自由に歩きまわり、御用邸、御所なども見学会で見ているし、皇室の周辺にいた人とも数多く会っている。私は社会部育ちの、現場主義なのだ。天皇がかつて訪れた場所やゆかりの地は、いまどうなっているのか、天皇や子どもたちはどう育てられたのか。そんなことを思いながら内外の現場をずいぶん歩いた。
こうした経験をもとに、内側から見た天皇、皇室像を書いてはどうかと思ったのである。」
まず昭和天皇(1901〜1989年)の相撲好きのことですが、幼年時代に学友や侍従と皇居内で相撲を取ったりしてテレビの無い時代にしては決まり手のこともよくご存じだった。裕仁親王は押し専門だった。最初の相撲見物は8歳の時、弟淳宮(後の秩父宮)と一緒の両国国技館だった。
身体は屈強でなく病弱で風邪ひきやすく運動神経もある方でなく鉄棒の尻上がりなどもできなかった。後年天皇は「スケート以外のスポーツはなんでもしたが、ものになったものはなかった」と述懐されています。とは言ってもゴルフと水泳、スキーは好きでショートゴルフ場は皇居内にあり、水泳は古式泳法で立ち泳ぎで書もかけたのこと。
学習院初等科時代の得意な科目は理科や歴史、苦手は音楽や習字。唱歌は特に下手だった。
昭和天皇は幼くして里子に出され両親と別居し洋館で暮らしたせいか万事洋風好きで後年、畳を撤去し洋風に改造したりして母親の貞明皇后から「正座もできない人」と揶揄されたんですな。寝る時もパジャマ派で着物みたいなものは学生時代に一時召したことはあるらしいが結婚後は洋服で通した。部屋の間取りなどは皇太子時代のヨーロッパ訪問で目にした洋館の合理的な配置を参考にした。
母親の貞明皇后とは何かとギクシャクした関係で、特に皇太子時代にオクの女官制度の改革、今で言えばリストラですね。女官の源氏名の呼称の廃止、員数の削減、住み込みでなく原則通勤制への変更、そして側室制度の廃止を提案したときは、守旧派の貞明皇后との軋轢は大きく貞明皇后の逝去まで女官制度は二本立てだった。
因みに歴代の天皇は正室よりも圧倒的に側室から生まれた方が多く、明治天皇も大正天皇も側室の子であった。昭和天皇は摂関家九条家出身の貞明皇后の実子であらせられます。良子皇后は皇族の久邇宮家出身(王女)でした。
昭和天皇の人生での最大の楽しい思い出は、皇太子時代(1921年、大正十年)のヨーロッパ渡航。社交性がなく宴席では石地蔵の如き態度で隣席に話しかけることもない若い皇太子の様子に原敬首相や元老の西園寺公望が心配し計画したものですが貞明皇后や浜尾東宮大夫の時期尚早、まず学問を修めてからとの反対もあって2年越しに実現したんですね。
英国では国王ジョージ5世から立憲君主の心得を親しく受けた。日英同盟の時代ですから英王室からも日本に王子が数名来日しているんですが、楽しみにしていたのは刺青で記念に刺青をして帰った。ジョージ5世の腕にも刺青があったとのこと。また名門貴族のアソル家訪問では領主領民一体となった民主的な饗宴の雰囲気に感銘した。
そして第一次世界大戦の傷痕が生々しい仏独の国境の激戦地であるヴェルダン要塞の視察は20歳の皇太子に強烈な印象を植え付けた。後年、昭和天皇が陸軍の中国大陸での戦局句拡大に抗し平和主義的な姿勢を終始取ったのもヴェルダン要塞の惨状が去来したのかも知れませんね。
ヨーロッパ訪問は渡航期間も含めて2年間かかったのですが、英国王室主催の宴席席での堂々とした挨拶や各訪問先での立派な振る舞いが逐次日本に送られ評判を呼び帰国時には国を挙げて皇太子の成長を祝う盛大な出迎えが待っていたんですね。
昭和天皇は一般的には温和な方であったという伝説がありますが、頑固と言うわけでは無いが筋が通らないものについてはしつこく追及する性癖もあったとのことですね。張作霖事件の田中義一首相の上奏事件などは、その一端でしょうか。
考えて見れば昭和天皇の即位は25歳(1925年)。満州事変、5.15事件、2.26事件、日中戦争と動乱が相続いたのは30歳代。親子ほど歳が違う老獪な元老や政治家、陸海軍将軍を相手に、また血気盛んな青年将校たちの動向に一日たりとも心の休まる時がなかったと思われますね。事実良子皇后も安眠できぬ天皇を心配し侍従長に天皇の静養の必要性を訴えることもありました。
あまりだらだらとメモっていたら切りがありません。昭和天皇物としては沢山の本が出ていると思いますが、著者は昭和天皇が皇太子時代に訪問したアソル家やベルダン要塞などにも実地訪問しており、また避暑先での寛いだ天皇会見のやり取りの様子もあり類書にはない一味違った「昭和天皇読本」となっています。
僭越至極ですが昭和天皇の血液型はAB型で平熱は35度5分であらせられます。
「私は他の伝記作家とは違い、昭和、平成二代の両陛下やご家族、皇族に会見などでお会いしている。宮内庁を自由に歩きまわり、御用邸、御所なども見学会で見ているし、皇室の周辺にいた人とも数多く会っている。私は社会部育ちの、現場主義なのだ。天皇がかつて訪れた場所やゆかりの地は、いまどうなっているのか、天皇や子どもたちはどう育てられたのか。そんなことを思いながら内外の現場をずいぶん歩いた。
こうした経験をもとに、内側から見た天皇、皇室像を書いてはどうかと思ったのである。」
まず昭和天皇(1901〜1989年)の相撲好きのことですが、幼年時代に学友や侍従と皇居内で相撲を取ったりしてテレビの無い時代にしては決まり手のこともよくご存じだった。裕仁親王は押し専門だった。最初の相撲見物は8歳の時、弟淳宮(後の秩父宮)と一緒の両国国技館だった。
身体は屈強でなく病弱で風邪ひきやすく運動神経もある方でなく鉄棒の尻上がりなどもできなかった。後年天皇は「スケート以外のスポーツはなんでもしたが、ものになったものはなかった」と述懐されています。とは言ってもゴルフと水泳、スキーは好きでショートゴルフ場は皇居内にあり、水泳は古式泳法で立ち泳ぎで書もかけたのこと。
学習院初等科時代の得意な科目は理科や歴史、苦手は音楽や習字。唱歌は特に下手だった。
昭和天皇は幼くして里子に出され両親と別居し洋館で暮らしたせいか万事洋風好きで後年、畳を撤去し洋風に改造したりして母親の貞明皇后から「正座もできない人」と揶揄されたんですな。寝る時もパジャマ派で着物みたいなものは学生時代に一時召したことはあるらしいが結婚後は洋服で通した。部屋の間取りなどは皇太子時代のヨーロッパ訪問で目にした洋館の合理的な配置を参考にした。
母親の貞明皇后とは何かとギクシャクした関係で、特に皇太子時代にオクの女官制度の改革、今で言えばリストラですね。女官の源氏名の呼称の廃止、員数の削減、住み込みでなく原則通勤制への変更、そして側室制度の廃止を提案したときは、守旧派の貞明皇后との軋轢は大きく貞明皇后の逝去まで女官制度は二本立てだった。
因みに歴代の天皇は正室よりも圧倒的に側室から生まれた方が多く、明治天皇も大正天皇も側室の子であった。昭和天皇は摂関家九条家出身の貞明皇后の実子であらせられます。良子皇后は皇族の久邇宮家出身(王女)でした。
昭和天皇の人生での最大の楽しい思い出は、皇太子時代(1921年、大正十年)のヨーロッパ渡航。社交性がなく宴席では石地蔵の如き態度で隣席に話しかけることもない若い皇太子の様子に原敬首相や元老の西園寺公望が心配し計画したものですが貞明皇后や浜尾東宮大夫の時期尚早、まず学問を修めてからとの反対もあって2年越しに実現したんですね。
英国では国王ジョージ5世から立憲君主の心得を親しく受けた。日英同盟の時代ですから英王室からも日本に王子が数名来日しているんですが、楽しみにしていたのは刺青で記念に刺青をして帰った。ジョージ5世の腕にも刺青があったとのこと。また名門貴族のアソル家訪問では領主領民一体となった民主的な饗宴の雰囲気に感銘した。
そして第一次世界大戦の傷痕が生々しい仏独の国境の激戦地であるヴェルダン要塞の視察は20歳の皇太子に強烈な印象を植え付けた。後年、昭和天皇が陸軍の中国大陸での戦局句拡大に抗し平和主義的な姿勢を終始取ったのもヴェルダン要塞の惨状が去来したのかも知れませんね。
ヨーロッパ訪問は渡航期間も含めて2年間かかったのですが、英国王室主催の宴席席での堂々とした挨拶や各訪問先での立派な振る舞いが逐次日本に送られ評判を呼び帰国時には国を挙げて皇太子の成長を祝う盛大な出迎えが待っていたんですね。
昭和天皇は一般的には温和な方であったという伝説がありますが、頑固と言うわけでは無いが筋が通らないものについてはしつこく追及する性癖もあったとのことですね。張作霖事件の田中義一首相の上奏事件などは、その一端でしょうか。
考えて見れば昭和天皇の即位は25歳(1925年)。満州事変、5.15事件、2.26事件、日中戦争と動乱が相続いたのは30歳代。親子ほど歳が違う老獪な元老や政治家、陸海軍将軍を相手に、また血気盛んな青年将校たちの動向に一日たりとも心の休まる時がなかったと思われますね。事実良子皇后も安眠できぬ天皇を心配し侍従長に天皇の静養の必要性を訴えることもありました。
あまりだらだらとメモっていたら切りがありません。昭和天皇物としては沢山の本が出ていると思いますが、著者は昭和天皇が皇太子時代に訪問したアソル家やベルダン要塞などにも実地訪問しており、また避暑先での寛いだ天皇会見のやり取りの様子もあり類書にはない一味違った「昭和天皇読本」となっています。
僭越至極ですが昭和天皇の血液型はAB型で平熱は35度5分であらせられます。
2011年12月13日に日本でレビュー済み
小林よしのり氏の天皇論を読んで昭和天皇の人柄が結構好きになり、購入。
雷はお好きですか、などの陛下と新聞記者の日常会話(? のやりとりの記述など、陛下のあのギクシャクしたしぐさが目に浮かぶ。あれが昭和だったなあ。
歴史の話は読み物的でよくわかる。あわせて、細かい軽い話もちりばめられ、ページ数の割には意外と読みやすかった。
値段がちょっと高いので星4つで。
雷はお好きですか、などの陛下と新聞記者の日常会話(? のやりとりの記述など、陛下のあのギクシャクしたしぐさが目に浮かぶ。あれが昭和だったなあ。
歴史の話は読み物的でよくわかる。あわせて、細かい軽い話もちりばめられ、ページ数の割には意外と読みやすかった。
値段がちょっと高いので星4つで。