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最後のクレイジー 犬塚弘 ホンダラ一代、ここにあり! 単行本(ソフトカバー) – 2013/6/26
1960年代のニッポンで、数々のテレビ番組や歌、映画で、子供からお年寄りまであらゆる世代に、笑いと明るい希望をもたらした“ハナ肇とクレイジー・キャッツ”。そのメンバーで存命なのは犬塚弘ただ一人。犬塚弘は2013年、84歳を迎えたが、なお精力的に活動していて、クレイジーの誕生から全盛期にいたる活動、メンバーたちについて語ることのできる唯一の存在である。
本書は、その犬塚氏を娯楽映画研究家の佐藤利明氏が長時間取材し、いまだ知られざるクレイジーのエピソードや、犬塚弘氏自身の生い立ちから現在に至るまでを語り、そして犬塚氏がいかにクレイジーと共に生き続けてきているのかを通して、いつの時代になってもその輝きを失わないクレイジー・キャッツの永遠の魅力を解き明かしていこうとする、自伝かつエッセイ。これは、閉塞したいまの時代へ向けた輝けるメッセージだ。
本書では昭和20年代のジャズ・ブームから、昭和30年のクレイジー結成秘話、そして伝説のテレビ・バラエティ「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などの舞台裏が縦横無尽に語り尽くされている。クレイジーのメンバーは、いずれも一流のジャズ・ミュージシャンばかり。結成当時30代だった彼らは、揃いのスーツに身を包み、アメリカナイズされたスマートさで、ジャズをコミカルに演奏し、テレビでコントを演じた。そして敗戦後の日本でエンタテインメントの一翼を担い、コミック・バンドとして、コメディ・グループとして、テレビ・バラエティの黄金時代を築いたパイオニアでもある。 そのクレイジーが駆け抜けた1950年代から1970年代にかけて、そしてメンバーそれぞれが俳優として活動していく1980年代から現在までが、ここでは豊富なエピソードとともに語られている。
聞き手・構成はクレイジーの植木等、谷啓らに取材を重ね、クレイジーの音楽、映像ソフトや研究書をプロデュースしてきた娯楽映画研究家の佐藤利明氏。2013年1月から3月にかけて、東京新聞夕刊に連載され、大きな評判を呼んだ「この道 犬塚弘 最後のクレイジー」に大幅加筆されたものである。
知られざるエピソード、爆笑秘話、そして仲間たちへの想いが満載。最後のクレイジー・キャッツのメンバーが語る、ニッポン・エンタテインメント史からの永遠なるメッセージ!
本書は、その犬塚氏を娯楽映画研究家の佐藤利明氏が長時間取材し、いまだ知られざるクレイジーのエピソードや、犬塚弘氏自身の生い立ちから現在に至るまでを語り、そして犬塚氏がいかにクレイジーと共に生き続けてきているのかを通して、いつの時代になってもその輝きを失わないクレイジー・キャッツの永遠の魅力を解き明かしていこうとする、自伝かつエッセイ。これは、閉塞したいまの時代へ向けた輝けるメッセージだ。
本書では昭和20年代のジャズ・ブームから、昭和30年のクレイジー結成秘話、そして伝説のテレビ・バラエティ「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などの舞台裏が縦横無尽に語り尽くされている。クレイジーのメンバーは、いずれも一流のジャズ・ミュージシャンばかり。結成当時30代だった彼らは、揃いのスーツに身を包み、アメリカナイズされたスマートさで、ジャズをコミカルに演奏し、テレビでコントを演じた。そして敗戦後の日本でエンタテインメントの一翼を担い、コミック・バンドとして、コメディ・グループとして、テレビ・バラエティの黄金時代を築いたパイオニアでもある。 そのクレイジーが駆け抜けた1950年代から1970年代にかけて、そしてメンバーそれぞれが俳優として活動していく1980年代から現在までが、ここでは豊富なエピソードとともに語られている。
聞き手・構成はクレイジーの植木等、谷啓らに取材を重ね、クレイジーの音楽、映像ソフトや研究書をプロデュースしてきた娯楽映画研究家の佐藤利明氏。2013年1月から3月にかけて、東京新聞夕刊に連載され、大きな評判を呼んだ「この道 犬塚弘 最後のクレイジー」に大幅加筆されたものである。
知られざるエピソード、爆笑秘話、そして仲間たちへの想いが満載。最後のクレイジー・キャッツのメンバーが語る、ニッポン・エンタテインメント史からの永遠なるメッセージ!
- 本の長さ226ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2013/6/26
- ISBN-104062184478
- ISBN-13978-4062184472
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商品の説明
著者について
犬塚 弘
いぬづか・ひろし 1929年生まれ。コメディアン。IBMを経て、ハワイアンバンドでベースを担当。その後ハナ肇の誘いでキューバンキャッツ(クレイジー・キャッツの前身)結成に参加。植木等、ハナ、谷啓に次ぐ『第4の男』として映画主演作も。その後俳優として「男はつらいよ」シリーズなどで地位を確立。現在、80歳を超えてラジオレギュラーなどでなお活躍中。
さとう・としあき 1963年生まれ。娯楽映画研究家。昭和30年代、40年代のテレビ、映画、ヒット曲B級文化を論じ、日本人が子供のとき体験して琴線に触れた「感動」を掘り起こし共有化する作業をライフワークとしている。編著作に、『無責任グラフィティクレージー映画大全』『植木等ショー!クレージーTV大全』など多数。
いぬづか・ひろし 1929年生まれ。コメディアン。IBMを経て、ハワイアンバンドでベースを担当。その後ハナ肇の誘いでキューバンキャッツ(クレイジー・キャッツの前身)結成に参加。植木等、ハナ、谷啓に次ぐ『第4の男』として映画主演作も。その後俳優として「男はつらいよ」シリーズなどで地位を確立。現在、80歳を超えてラジオレギュラーなどでなお活躍中。
さとう・としあき 1963年生まれ。娯楽映画研究家。昭和30年代、40年代のテレビ、映画、ヒット曲B級文化を論じ、日本人が子供のとき体験して琴線に触れた「感動」を掘り起こし共有化する作業をライフワークとしている。編著作に、『無責任グラフィティクレージー映画大全』『植木等ショー!クレージーTV大全』など多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2013/6/26)
- 発売日 : 2013/6/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 226ページ
- ISBN-10 : 4062184478
- ISBN-13 : 978-4062184472
- Amazon 売れ筋ランキング: - 768,476位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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佐藤利明(さとう としあき)
娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー。1963年東京都生まれ。ハナ肇とクレイジーキャッツ、「男はつらいよ」、エノケン・ロッパなどの昭和の喜劇人の魅力を、新聞連載やコラム、CDアルバム、映像ソフトのプロデュースを通して紹介を続けるエンタテイメントの伝道師。音楽プロデューサーとしても活躍。2015 年文化放送特別賞受賞。著書『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』(シンコーミュージック)、『植木等ショー! クレージーTV大全』(洋泉社)、『寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま』(東京新聞)、『寅さんのことば 生きてる?そら結構だ』(幻冬舎)、『石原裕次郎 昭和太陽伝』『みんなの寅さん from1969』(アルファベータブックス)など多数。
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トップレビュー
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2023年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
クレイジーキャッツは小さな頃からテレビで馴染みだけに貴重なる商品ゲット出来て感無量です。犬塚弘氏が旅立ち、一つの時代の終わりを感じます。大事に愛読します。
2013年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の高度成長期の只中でエンターテインメントの中心で活躍した人がこんなに全うだったとは吃驚。
「植木等伝」も購入してしまった。
「植木等伝」も購入してしまった。
2022年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まさに時代の証言者。
クレージー時代や山田映画時代。
バイプレーヤーの位置にあって光り続けておられている。
クレージー映画の中でもあの飄逸なキャラクターは貴重でした。
いろいろなお話をもっと聞かせていただきたい。
・・・・・・・・・・・・
追記 2023年10月28日
94歳 ご逝去の報を聞きました。
私はドリフの息子であり、クレージーの孫でした。
今夜、またこの本を読み返し、昭和の熱気を噛みしめたいと思います。
クレージー時代や山田映画時代。
バイプレーヤーの位置にあって光り続けておられている。
クレージー映画の中でもあの飄逸なキャラクターは貴重でした。
いろいろなお話をもっと聞かせていただきたい。
・・・・・・・・・・・・
追記 2023年10月28日
94歳 ご逝去の報を聞きました。
私はドリフの息子であり、クレージーの孫でした。
今夜、またこの本を読み返し、昭和の熱気を噛みしめたいと思います。
2017年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
犬塚さんは人間的にも素晴らしい方ですね。2.5枚目の役割を理解して担われたのだと思います。
2014年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
犬塚さんの人柄で出てて良著です、できればハナさんや植木さんもこういう本を出して欲しかった、ハナさんのは確か絶版のはず
2013年6月26日に日本でレビュー済み
“どうも、犬塚弘です。本名はイヌヅカヒロムと読みます。“ハナ肇とクレイジー・キャッツ”のベースを担当しております。舞台俳優でもあります。映画にも出ています。芝居の若い仲間たちから「犬塚さん、ミュージシャンだったんですか?」と聞かれることもあります。そういうとき、決まってこう答えます。「ぼくは今でも、クレイジーのベーシストだよ」と。”
―――本書巻頭「前口上」より
これだけでもう、胸がいっぱいになる方も少なくないことだろう。
2011年1月から2月にかけ、佐藤利明さんが犬塚弘さんに行なった超ロング・インタビュー―この際、講談社で撮影された写真も本書には掲載されているので、当初から単行本としての出版が前提としてあった企画なのかもしれない―を文字に起こしたものをもとに、佐藤さんがさらに犬塚さんと対話を重ねつつ、文章にまとめて行く………という過程を経て、できあがった本書。
2013年1月から3月まで、東京新聞夕刊に連載され反響を呼んだという『この道/犬塚弘 最後のクレイジー』に、さらに大幅に加筆を行なったものだという。
まず、表紙を開いてすぐ眼に飛び込んで来る、クレイジーのメンバー7人が揃った写真。
これがなんとも、素晴らしすぎる。
いわゆる「クレイジー・キャッツの集合写真」ときいてイメージされるものとはまったく違う、それでいて、クレイジー・キャッツというグループのコアな部分を十二分に伝えて余りある一枚だ(裏表紙には、クレイジーのメンバー7人が全員出演した最後の映画である『会社物語』の時のスチールが…)。
犬塚さんといえば、音楽の世界に飛び込むまでのユニークな経歴も興味をひくところだけれど、本書では、触れてはいるけれど本当にサラッとで、あとは戦後空前のジャズ・ブームの中、ふとしたきっかけでウッドベースを手にしたことから始まった、その激動の60年とちょっとの歩みを、軽妙な語り口で一気に読ませてくれる。
特に『おとなの漫画』や『シャボン玉ホリデー』などの臨場感あふれるスケッチを通して、クレイジー・キャッツが「笑いの要素もあるジャズ・バンド」から「日本を代表する7人のエンターテイナー」へと変貌を遂げてゆく様子を、リアルに感じ取ることができる。
あちらこちらに意外な人物、意外なエピソードが思いがけず登場して度肝を抜かれたりもするが、それは読んでのお楽しみ、ということにしておこう。
ひとつだけ、多忙を極めていた時期、植木さんが他のメンバーにかけたという言葉を引いておく。
「みんな、俺たち、これだけ一生懸命働いているけどな、どんな仕事をして、どれだけ頑張ったか、それだけは覚えておこうよ。嫌なこと、理不尽なこともあるけど、ちゃんと根に持っておこうな」
―――本書P.174より
「恨みを持つ」のではなく「根に持つ」、という考え方、そして生き方。
もしも心にそのことをしっかりと置いて生きて行けたら、もっとラクに生きられるのかも……。
ページが残り少なくなるに従って、じんわりと泣けてきたりもするのだけれど、それは、犬塚さんの大切な人たちが少しずついなくなってゆく、その喪失感とはまた違うところから来るもののようで、クレイジーのメンバー7人の、今でも固く結ばれている絆が、犬塚さんの言葉を通して、しっかりとこちらに伝わってくるからかもしれない。
そして、これまでいまひとつハッキリとはつかめなかった、クレイジーの中で犬塚さんが果たしてきた役割。
これもまた、この本を読むことで、少しずつわかってくるかもしれない。
最後に。
ベーシストの犬塚さんがいらっしゃる限り、クレイジー・キャッツはこれからも存在し続けることでしょう。
どうかお元気で、長生きしてください。
きっと、すべてのクレイジー・ファン、心の底からの願いです。
※他にも“クレージーキャッツ”等の表記がありますが、本稿では本書の表記に従い“クレイジー・キャッツ”と記しました。
―――本書巻頭「前口上」より
これだけでもう、胸がいっぱいになる方も少なくないことだろう。
2011年1月から2月にかけ、佐藤利明さんが犬塚弘さんに行なった超ロング・インタビュー―この際、講談社で撮影された写真も本書には掲載されているので、当初から単行本としての出版が前提としてあった企画なのかもしれない―を文字に起こしたものをもとに、佐藤さんがさらに犬塚さんと対話を重ねつつ、文章にまとめて行く………という過程を経て、できあがった本書。
2013年1月から3月まで、東京新聞夕刊に連載され反響を呼んだという『この道/犬塚弘 最後のクレイジー』に、さらに大幅に加筆を行なったものだという。
まず、表紙を開いてすぐ眼に飛び込んで来る、クレイジーのメンバー7人が揃った写真。
これがなんとも、素晴らしすぎる。
いわゆる「クレイジー・キャッツの集合写真」ときいてイメージされるものとはまったく違う、それでいて、クレイジー・キャッツというグループのコアな部分を十二分に伝えて余りある一枚だ(裏表紙には、クレイジーのメンバー7人が全員出演した最後の映画である『会社物語』の時のスチールが…)。
犬塚さんといえば、音楽の世界に飛び込むまでのユニークな経歴も興味をひくところだけれど、本書では、触れてはいるけれど本当にサラッとで、あとは戦後空前のジャズ・ブームの中、ふとしたきっかけでウッドベースを手にしたことから始まった、その激動の60年とちょっとの歩みを、軽妙な語り口で一気に読ませてくれる。
特に『おとなの漫画』や『シャボン玉ホリデー』などの臨場感あふれるスケッチを通して、クレイジー・キャッツが「笑いの要素もあるジャズ・バンド」から「日本を代表する7人のエンターテイナー」へと変貌を遂げてゆく様子を、リアルに感じ取ることができる。
あちらこちらに意外な人物、意外なエピソードが思いがけず登場して度肝を抜かれたりもするが、それは読んでのお楽しみ、ということにしておこう。
ひとつだけ、多忙を極めていた時期、植木さんが他のメンバーにかけたという言葉を引いておく。
「みんな、俺たち、これだけ一生懸命働いているけどな、どんな仕事をして、どれだけ頑張ったか、それだけは覚えておこうよ。嫌なこと、理不尽なこともあるけど、ちゃんと根に持っておこうな」
―――本書P.174より
「恨みを持つ」のではなく「根に持つ」、という考え方、そして生き方。
もしも心にそのことをしっかりと置いて生きて行けたら、もっとラクに生きられるのかも……。
ページが残り少なくなるに従って、じんわりと泣けてきたりもするのだけれど、それは、犬塚さんの大切な人たちが少しずついなくなってゆく、その喪失感とはまた違うところから来るもののようで、クレイジーのメンバー7人の、今でも固く結ばれている絆が、犬塚さんの言葉を通して、しっかりとこちらに伝わってくるからかもしれない。
そして、これまでいまひとつハッキリとはつかめなかった、クレイジーの中で犬塚さんが果たしてきた役割。
これもまた、この本を読むことで、少しずつわかってくるかもしれない。
最後に。
ベーシストの犬塚さんがいらっしゃる限り、クレイジー・キャッツはこれからも存在し続けることでしょう。
どうかお元気で、長生きしてください。
きっと、すべてのクレイジー・ファン、心の底からの願いです。
※他にも“クレージーキャッツ”等の表記がありますが、本稿では本書の表記に従い“クレイジー・キャッツ”と記しました。
2013年6月30日に日本でレビュー済み
昨年、桜井センリさんが亡くなられ、ついに犬塚弘さんがクレージー・キャッツ最後のメンバーになってしまいました。クレージー・キャッツなのに犬塚とはこれいかに・・・なんちゃって・・本書は東京新聞夕刊に連載された「この道 犬塚弘 最後のクレージー」に大幅加筆されたもので、佐藤利明さんとの共著になっています。
犬塚さんは、1929年東京市大森生まれ、父親が貿易関係の仕事をしていた関係で、幼少時からジャズ、ハワイアン等の音楽に親しんでいました。文化学院卒業後IBMに就職しましたが、同僚を殴ったため2年半で退社します(日本人であるために差別されたことが原因らしいです)。その後、兄の勧めで兄のバンドでベースを担当、凝り性だったので、クラシックの専門家に師事したため、奏法はボーイングです。萩原哲晶とデューク・セプテットに参加、その後、ハナ肇の誘いでクレージー・キャッツの前身のキューバン・キャッツに参加します。
この本のために、前著まで購入して準備していました。内容的には重なっている部分がかなりありますが、クレージーのメンバー、そして、関係者についての記述はかなりヴォリュームが増加しています。
クレージー・キャッツ結成当時は、大阪道頓堀の法善寺横丁近くの銀馬車に出演、お客に受けてなんぼの大阪で鍛えられたこと、昭和31年裕ちゃんの嵐を呼ぶ男で安田伸が出演していたこと、そして、昭和34年「おとなの漫画」(見ていましたが、初期のものはうろ覚えです)がスタートします。ここで青島幸男と出会います。谷啓と植木のエイプリルフール事件、これでプロデューサーの椙山浩一に全員廊下に立たされます(もう30歳だというのに、トホホ・・・)、懲りていたはずなのに、植木のおなら事件で再び廊下に立たされます(しかし、懲りませんね!)、そして、砂田実の安保事件(砂田さんの著書にも書かれていました)。昭和36年エポック・メイキングなあの「シャボン玉ホリデー」放送開始(私はほぼ毎週見ていました)、昭和昭和36年スーダラ節リリース、植木等、クレージー・キャッツ大ブレイク、昭和37年クレージー・キャッツニッポン無責任時代8東宝)に主演、しかし、古澤憲吾監督と衝突、昭和40年クレージー・キャッツ第4の男として売り出します。そして、山田洋次監督との出会い、古澤監督と違い信愛尊敬の念を抱きます。クレージー・キャッツの人気が落ち、次第に芝居への興味がわき、1986年ナベプロを退職し独立します。
その他、エノケン、渥美清、三木のり兵、勝新(幼馴染だそうです)、谷啓(一番気が合ったそうです)、植木等(いつも芝居を見に来てくれて、適格な批評をしてくれたそうです。尊敬の念が感じられます)、ハナ肇(親分肌だったそうですが・・)、その他、桜井センリ、石橋エイタロー、安田伸・・・もっともっと思い出を書いてほしかった・・なんたって最後の生き証人ですから・・・・・
犬塚さんは、1929年東京市大森生まれ、父親が貿易関係の仕事をしていた関係で、幼少時からジャズ、ハワイアン等の音楽に親しんでいました。文化学院卒業後IBMに就職しましたが、同僚を殴ったため2年半で退社します(日本人であるために差別されたことが原因らしいです)。その後、兄の勧めで兄のバンドでベースを担当、凝り性だったので、クラシックの専門家に師事したため、奏法はボーイングです。萩原哲晶とデューク・セプテットに参加、その後、ハナ肇の誘いでクレージー・キャッツの前身のキューバン・キャッツに参加します。
この本のために、前著まで購入して準備していました。内容的には重なっている部分がかなりありますが、クレージーのメンバー、そして、関係者についての記述はかなりヴォリュームが増加しています。
クレージー・キャッツ結成当時は、大阪道頓堀の法善寺横丁近くの銀馬車に出演、お客に受けてなんぼの大阪で鍛えられたこと、昭和31年裕ちゃんの嵐を呼ぶ男で安田伸が出演していたこと、そして、昭和34年「おとなの漫画」(見ていましたが、初期のものはうろ覚えです)がスタートします。ここで青島幸男と出会います。谷啓と植木のエイプリルフール事件、これでプロデューサーの椙山浩一に全員廊下に立たされます(もう30歳だというのに、トホホ・・・)、懲りていたはずなのに、植木のおなら事件で再び廊下に立たされます(しかし、懲りませんね!)、そして、砂田実の安保事件(砂田さんの著書にも書かれていました)。昭和36年エポック・メイキングなあの「シャボン玉ホリデー」放送開始(私はほぼ毎週見ていました)、昭和昭和36年スーダラ節リリース、植木等、クレージー・キャッツ大ブレイク、昭和37年クレージー・キャッツニッポン無責任時代8東宝)に主演、しかし、古澤憲吾監督と衝突、昭和40年クレージー・キャッツ第4の男として売り出します。そして、山田洋次監督との出会い、古澤監督と違い信愛尊敬の念を抱きます。クレージー・キャッツの人気が落ち、次第に芝居への興味がわき、1986年ナベプロを退職し独立します。
その他、エノケン、渥美清、三木のり兵、勝新(幼馴染だそうです)、谷啓(一番気が合ったそうです)、植木等(いつも芝居を見に来てくれて、適格な批評をしてくれたそうです。尊敬の念が感じられます)、ハナ肇(親分肌だったそうですが・・)、その他、桜井センリ、石橋エイタロー、安田伸・・・もっともっと思い出を書いてほしかった・・なんたって最後の生き証人ですから・・・・・
2015年9月25日に日本でレビュー済み
中学・高校生時代、「シャボン玉ホリデー」をほとんど忘我の状態で見入っていたことを思い出す。至福のひとときだった。
50年も前のことなのに、いくつかのコントが断片的に浮かぶ。植木等の「お呼びでない」、谷啓の「ガチョーン」、青島幸雄の「青島だァ」。
そしてザ・ピーナッツのみごとなハーモニー。
犬塚弘は、背が高く、長い手足を不器用に動かしながら植木等や谷啓の脇役をしていたと記憶する。
この本で、エリートサラリーマンの家庭で、子どもの頃(戦前)からふだんの暮らしの中にジャズがあるような環境の中で育った犬塚こそが、身についたスマートさでクレイジーキャッツの粋・ダンディズムを体現していたと初めて知った。
ハナ肇に誘われて初期からのメンバーとなったが、なかなか売れなかったこと、遅れて谷啓や植木等が参加してきてくれて「これでなんとかなるかもしれない」と感じるところ。そして、「シャボン玉ホリデー」があたって、有名になり高収入を得られるようになったことをすなおに喜ぶ言葉。気負いも嫌みもなく、とてもスマート。
寅さんシリーズに、端役で何回か出てきたことは記憶にある。山田洋次監督の、噛んで含めるような演技指導に心から感服したというエピソードを読んでいるうちに、香川京子・林寛子がマドンナで、アメリカからやってきた薬のセールスマンと寅さんがぶつかる『寅次郎春の夢』を思い出した。確かに、寅と同級生の大工の棟梁という役を印象的に演じていた。
クレイジーキャッツでいちばん不器用に見えたひとの、不器用で正確で、愛情に満ちた貴重な回顧談に、乾杯。
50年も前のことなのに、いくつかのコントが断片的に浮かぶ。植木等の「お呼びでない」、谷啓の「ガチョーン」、青島幸雄の「青島だァ」。
そしてザ・ピーナッツのみごとなハーモニー。
犬塚弘は、背が高く、長い手足を不器用に動かしながら植木等や谷啓の脇役をしていたと記憶する。
この本で、エリートサラリーマンの家庭で、子どもの頃(戦前)からふだんの暮らしの中にジャズがあるような環境の中で育った犬塚こそが、身についたスマートさでクレイジーキャッツの粋・ダンディズムを体現していたと初めて知った。
ハナ肇に誘われて初期からのメンバーとなったが、なかなか売れなかったこと、遅れて谷啓や植木等が参加してきてくれて「これでなんとかなるかもしれない」と感じるところ。そして、「シャボン玉ホリデー」があたって、有名になり高収入を得られるようになったことをすなおに喜ぶ言葉。気負いも嫌みもなく、とてもスマート。
寅さんシリーズに、端役で何回か出てきたことは記憶にある。山田洋次監督の、噛んで含めるような演技指導に心から感服したというエピソードを読んでいるうちに、香川京子・林寛子がマドンナで、アメリカからやってきた薬のセールスマンと寅さんがぶつかる『寅次郎春の夢』を思い出した。確かに、寅と同級生の大工の棟梁という役を印象的に演じていた。
クレイジーキャッツでいちばん不器用に見えたひとの、不器用で正確で、愛情に満ちた貴重な回顧談に、乾杯。