無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
本当の自分をどうみつけるか (講談社+アルファ文庫 F 16-3) 文庫 – 1998/12/1
小此木 啓吾
(著)
なぜ自分が自分を偽るか?揺らぐ心の旅路を道案内!!
映画は愛憎のカタログ。心は苦しみから逃れ幸福を求めて様々に変容してしまう。自分だと信じたものが実は真っ赤なにせ者かもしれない。記憶喪失、現実感のない青春期の自我、性の意識、演技する自我、アイデンティティの動揺、嫉妬や羨望の心理、幻想で支える自我、中年期の惑いなど、真実の自分を把(つか)み人生を揺るぎないものにするための心のガイドブック!!
映画は愛憎のカタログ。心は苦しみから逃れ幸福を求めて様々に変容してしまう。自分だと信じたものが実は真っ赤なにせ者かもしれない。記憶喪失、現実感のない青春期の自我、性の意識、演技する自我、アイデンティティの動揺、嫉妬や羨望の心理、幻想で支える自我、中年期の惑いなど、真実の自分を把(つか)み人生を揺るぎないものにするための心のガイドブック!!
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1998/12/1
- ISBN-104062563096
- ISBN-13978-4062563093
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
1930年、東京生まれ。慶応義塾大学医学部を卒業。同大学総合政策学部教授、東京国際大学人間社会部教授。医学博士。わが国におけるフロイト研究、精神分析学の第一人者。精神分析の手法を社会心理に応用して現代日本人の心理を分析した『モラトリアム人間の時代』(中公文庫)で一般にも精神分析への目を大きく開かせた。
著書には『対象喪失』(中公新書)、『モラトリアム国家・日本の危機』(祥伝社)、『父と母と子、その愛憎の精神分析』『愛の真実と偽りをどうみわけるか──映画でみる精神分析』(以上、講談社+α文庫)などがある。
著書には『対象喪失』(中公新書)、『モラトリアム国家・日本の危機』(祥伝社)、『父と母と子、その愛憎の精神分析』『愛の真実と偽りをどうみわけるか──映画でみる精神分析』(以上、講談社+α文庫)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1998/12/1)
- 発売日 : 1998/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 237ページ
- ISBN-10 : 4062563096
- ISBN-13 : 978-4062563093
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,138,786位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
6グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少しは使用感があるかと思ってました。しかし、とても綺麗な本でした。とても満足しています。
2015年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
率直な感想としては、「精神分析って怖い。フロイト怖い。」だった(笑)。
当たり前だが、映画だけでなく小説や演劇も含め、「創作の世界」は、殺人やら陰謀やらの壮絶な急展開などがほとんどだ。
それらは、面白さの追求だとか、観る人間の感情に訴えかける効果などを狙っているのだろう。
しかし、そういう「創作の世界」の登場人物の心情を”厳密に精神分析学的”にみてしまうと、そんな悠長なことは言っていられなくなってしまった。
なぜなら、「自分の周辺や自身にも、こういう壮絶なことが起こりうる可能性が十分にあるのだ」と認識してしまうからだ。
心理学系の本を少しかじった程度の僕にとっては、この本はある意味、「恐怖体験」のようなものだった。
そこらへんのホラー映画より、何倍も怖かった。
「あーあ、殺しちゃたよ」とかなんとか言いながら気楽に映画を観ることができているとき、僕と「創作の世界」との距離は隔たっている状態だ。
でも上に書いたような「新しい視点」をもってしまうと、もうその隔たった距離感ではいられなくなる。そんな気がしてしまうのだ。
ただし、よく考えてみると違和感が残る。
フロイト大先生は誰もが知っている有名な人だろうけど、その理論を現代の映画に当てはめてみるのは、うーん・・なんか違う。
例えば、現実社会において「父親殺し」なんて、確かに心の中ではそういう葛藤があるかもしれないけれど、
実際に殺すのと、心の中で恨み続けるだけなのとでは天と地の差があるだろう。
「精神的に考えてること」と「実際に実行すること」には似て非なる心理が働いてる気がするからだ。
ただ、もしかしたらフロイトの時代には、それで説明できたのかもしれないけど。
当たり前だが、映画だけでなく小説や演劇も含め、「創作の世界」は、殺人やら陰謀やらの壮絶な急展開などがほとんどだ。
それらは、面白さの追求だとか、観る人間の感情に訴えかける効果などを狙っているのだろう。
しかし、そういう「創作の世界」の登場人物の心情を”厳密に精神分析学的”にみてしまうと、そんな悠長なことは言っていられなくなってしまった。
なぜなら、「自分の周辺や自身にも、こういう壮絶なことが起こりうる可能性が十分にあるのだ」と認識してしまうからだ。
心理学系の本を少しかじった程度の僕にとっては、この本はある意味、「恐怖体験」のようなものだった。
そこらへんのホラー映画より、何倍も怖かった。
「あーあ、殺しちゃたよ」とかなんとか言いながら気楽に映画を観ることができているとき、僕と「創作の世界」との距離は隔たっている状態だ。
でも上に書いたような「新しい視点」をもってしまうと、もうその隔たった距離感ではいられなくなる。そんな気がしてしまうのだ。
ただし、よく考えてみると違和感が残る。
フロイト大先生は誰もが知っている有名な人だろうけど、その理論を現代の映画に当てはめてみるのは、うーん・・なんか違う。
例えば、現実社会において「父親殺し」なんて、確かに心の中ではそういう葛藤があるかもしれないけれど、
実際に殺すのと、心の中で恨み続けるだけなのとでは天と地の差があるだろう。
「精神的に考えてること」と「実際に実行すること」には似て非なる心理が働いてる気がするからだ。
ただ、もしかしたらフロイトの時代には、それで説明できたのかもしれないけど。
2014年10月17日に日本でレビュー済み
映画の「あらすじ」、精神分析的な観点からのストーリー解説、「ここで学ぶ精神分析用語」で登場人物たちの心のありかたが説明される。また「同じテーマを別な角度から」の中で、メインで紹介された映画作品と関連した映画が説明されている。
紹介される映画作品の数が多く、“精神分析×映画”が持つイメージとは異なり内容はわかりやすい。また漢字に振り仮名を付けられているなど、中学生ぐらいでも読むことは可能。
この中で取り上げられた作品は以下。
「心の旅路」、「かくも長き不在」、「ベルリン天使の詩」、「殺しのドレス」、「羊たちの沈黙」、「青い記憶」、「ロべレ将軍」、「メフィスト」、「トト・ザ・ヒーロー」、「シラノ・ド・ベルジュラック」、「セブン」、「アマデウス」、「太陽がいっぱい」、「追想」、「離愁」、「情婦」、「わらの男」、「嘆きの天使」、「クレイマー、クレイマー」、「マディソン郡の橋」、他。
章立は次の通り。
「第一章 自分は何者か?」、「第二章 偽りの自己とナルシズム」、「第三章 アイデンティティの危機が問われるとき」、「第四章 羨望と乗っ取りのエディプス・コンプレックス」、「第五章 心を支える幻想の力」、「第六章 秘密の心理」、「第七章 中年の惑い」、「第八章 人はいつ本当の自分になるのか?」。
ある程度の年齢の人達にとっては、かつて見た映画が“精神分析”の観点からどの様に語られるのかを知るために、良い機会になるような気がします。
また中年を過ぎた自分には「第一章」、「第七章」、「第八章」がこれからの人生を考え直すためにも参考になりました。
なお、1996年に彩樹社から発行された『映画でみる精神分析』を改題・再構成・加筆したものであり、二分冊にしたもう一冊として『愛の真実と偽りをどうみわけるか―映画でみる精神分析』があります。
紹介される映画作品の数が多く、“精神分析×映画”が持つイメージとは異なり内容はわかりやすい。また漢字に振り仮名を付けられているなど、中学生ぐらいでも読むことは可能。
この中で取り上げられた作品は以下。
「心の旅路」、「かくも長き不在」、「ベルリン天使の詩」、「殺しのドレス」、「羊たちの沈黙」、「青い記憶」、「ロべレ将軍」、「メフィスト」、「トト・ザ・ヒーロー」、「シラノ・ド・ベルジュラック」、「セブン」、「アマデウス」、「太陽がいっぱい」、「追想」、「離愁」、「情婦」、「わらの男」、「嘆きの天使」、「クレイマー、クレイマー」、「マディソン郡の橋」、他。
章立は次の通り。
「第一章 自分は何者か?」、「第二章 偽りの自己とナルシズム」、「第三章 アイデンティティの危機が問われるとき」、「第四章 羨望と乗っ取りのエディプス・コンプレックス」、「第五章 心を支える幻想の力」、「第六章 秘密の心理」、「第七章 中年の惑い」、「第八章 人はいつ本当の自分になるのか?」。
ある程度の年齢の人達にとっては、かつて見た映画が“精神分析”の観点からどの様に語られるのかを知るために、良い機会になるような気がします。
また中年を過ぎた自分には「第一章」、「第七章」、「第八章」がこれからの人生を考え直すためにも参考になりました。
なお、1996年に彩樹社から発行された『映画でみる精神分析』を改題・再構成・加筆したものであり、二分冊にしたもう一冊として『愛の真実と偽りをどうみわけるか―映画でみる精神分析』があります。