『自分という「問題」』(大和書房1997年著者50歳)の文庫本である。
今回は用語・言葉を確かめながら読んだ。小阪修平は哲学の概念を、いったん<自分の生活と生き方としての人生>に戻したうえで、往ったり来たりの往還の過程において、反芻してはコトバに戻し、また反芻してはコトバに戻すという思考と作業を繰り返してきたことで、哲学概念を平易なコトバにまで戻すことが出来た、そのために一行一節がかえって意味深くなっていて、読者がその平易なコトバを自分の生活・生き方にまで戻した上で思考しないと、解って分からないような読後感となる、そのような本を書く思想的哲学者だと思う。
小阪の「イラスト西洋哲学史」(1984年37歳)が参考になると思う。
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ガイドブック哲学の基礎の基礎: 「ほんとうの自分」とは何なのだろう (講談社+アルファ文庫 F 37-2) 文庫 – 2003/9/1
小阪 修平
(著)
なぜ自分について考えるのか!?この世界で生きることとは何か!?
デカルト、ハイデガー、ウィトゲンシュタインら、さまざまな哲学者たちの考え方を通じて、古来から人々を悩ませてきた答えられない問いをめぐる迷路を旅しよう!!
哲学の大命題である「自分とは何か」という問いは、古来から人々を悩ませてきた問いであり、しかも答えられない問いである。しかし、この問いは、だれもが一度は通らなければならない迷路なのである。そこで本書は、デカルト、ハイデガー、カント、ヘーゲル、フッサール、ウィトゲンシュタイン、サルトルら、さまざまな哲学者の「自分」と「世界」にまつわる考え方を紹介し、この迷路を旅するための水先案内役をつとめる。
デカルト、ハイデガー、ウィトゲンシュタインら、さまざまな哲学者たちの考え方を通じて、古来から人々を悩ませてきた答えられない問いをめぐる迷路を旅しよう!!
哲学の大命題である「自分とは何か」という問いは、古来から人々を悩ませてきた問いであり、しかも答えられない問いである。しかし、この問いは、だれもが一度は通らなければならない迷路なのである。そこで本書は、デカルト、ハイデガー、カント、ヘーゲル、フッサール、ウィトゲンシュタイン、サルトルら、さまざまな哲学者の「自分」と「世界」にまつわる考え方を紹介し、この迷路を旅するための水先案内役をつとめる。
- 本の長さ309ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2003/9/1
- ISBN-104062567792
- ISBN-13978-4062567794
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2003/9/1)
- 発売日 : 2003/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 309ページ
- ISBN-10 : 4062567792
- ISBN-13 : 978-4062567794
- Amazon 売れ筋ランキング: - 656,598位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年10月5日に日本でレビュー済み
小坂修平の本は毎回前提が矛盾している。パターンとしては常々「哲学入門書」というスタイルをとるにも関わらず、実はいきなり彼の著作を読んでもほとんど何について書いているのか分からない。これは正直かなり予備知識がなければついてイケナイ入門書である。たぶん岩波文庫・青の西洋の哲学者たちの著をいくぶんか読んでないと、言っていることが正しいのか、間違っているのか以前に、何を問題にしているかもよく分からないであろう(物によっては、コレを読んでも点でサッパリなことが本物を読めば一発ガッテンだったりする)。
一見切り口が「自分とは何だろう?」とか、そういう俗な疑問文から始まるから、とっつき易そうだが、数稿進めば哲学者たちの意味深な物言いを、彼なりの解き明かし方で展開していくため、なんていうか、本当に「自分とは何だろう?」みたいな質問の、(こっちが期待しているような)答えにはつながらなかったりする。まあこれはこの手の本の常套手段だが(題名と内容が一致していないというケース)。
しかしコレは「そうだったのか現代思想」よりはずっと分かり易かった。そもそも本作は存在の認識論みたいな物に焦点を絞って話を進めているため、なんとかまあ分かったような気にはなってくる。「そうだったのか現代思想」はもの凄い数の歴代哲学者たちや現代思想家たちの言説や、例として引用される現実の社会現象や、エンタメや芸術の知識などなどを彼なりの方法でつなぎ合わせているが故、読んでいるときは「なるほど、なるほど」という気になっていくが、読み終えて数日もすると、もう何について書いてあったのか思い出せななかったりする(独りよがりを助長されているようなモンじゃないでしょうか)。
ただこれは「そうだったのか現代思想」にも通づることだが、哲学者たちの人間模様みたいなものが強烈に伝わってきてGoodである。どちらかというと、哲学その物よりも、哲学者たちの人柄みたいな物に惹かれがちな僕としては、小阪流哲学入門書はそんじょそこいらの小説やエッセイより断然面白く思えてしまう(でもたぶん、結局ほとんど何も理解してないんだろうなぁ)。あとは、たまにこういうの読むと、(数学とかとは違った)頭のストレッチでもしているような気にさせてくれて、心地イイ。
一見切り口が「自分とは何だろう?」とか、そういう俗な疑問文から始まるから、とっつき易そうだが、数稿進めば哲学者たちの意味深な物言いを、彼なりの解き明かし方で展開していくため、なんていうか、本当に「自分とは何だろう?」みたいな質問の、(こっちが期待しているような)答えにはつながらなかったりする。まあこれはこの手の本の常套手段だが(題名と内容が一致していないというケース)。
しかしコレは「そうだったのか現代思想」よりはずっと分かり易かった。そもそも本作は存在の認識論みたいな物に焦点を絞って話を進めているため、なんとかまあ分かったような気にはなってくる。「そうだったのか現代思想」はもの凄い数の歴代哲学者たちや現代思想家たちの言説や、例として引用される現実の社会現象や、エンタメや芸術の知識などなどを彼なりの方法でつなぎ合わせているが故、読んでいるときは「なるほど、なるほど」という気になっていくが、読み終えて数日もすると、もう何について書いてあったのか思い出せななかったりする(独りよがりを助長されているようなモンじゃないでしょうか)。
ただこれは「そうだったのか現代思想」にも通づることだが、哲学者たちの人間模様みたいなものが強烈に伝わってきてGoodである。どちらかというと、哲学その物よりも、哲学者たちの人柄みたいな物に惹かれがちな僕としては、小阪流哲学入門書はそんじょそこいらの小説やエッセイより断然面白く思えてしまう(でもたぶん、結局ほとんど何も理解してないんだろうなぁ)。あとは、たまにこういうの読むと、(数学とかとは違った)頭のストレッチでもしているような気にさせてくれて、心地イイ。
2003年10月15日に日本でレビュー済み
いかにも『難しい』と思われがちな哲学を『自分とは誰か?』という視点で切り開いた一冊。基礎の基礎というだけあって、哲学を語る上でははずせない人物の考え方、その視点などがおさえられているので、たとえるならば哲学のツアーといえばわかりやすいのではないでしょうか。
またそれぞれ10~20ページごとの章に分けられているので秋の読書にも気軽に読める一冊であると思います。
またそれぞれ10~20ページごとの章に分けられているので秋の読書にも気軽に読める一冊であると思います。