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科学者は神を信じられるか―クォーク、カオスとキリスト教のはざまで (ブルーバックス) 新書 – 2001/1/19

3.4 5つ星のうち3.4 19個の評価

牧師になった物理学者が語る科学と信仰 日本人がひたすら合理精神の塊だと思っている科学は、超越神を信じるキリスト教の土壌から生まれた。この世界を理解する上で両者はどう関係し合っているのか?
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商品の説明

商品説明

本書は 『Quarks, Chaos & Christianity』の邦訳である。ジョン・ポーキングホーンは、量子力学の発展に貢献した20世紀を代表する物理学者の1人ディラックから直接指導をうけた著名な理論物理学者である。彼はケンブリッジ大学クイーンズカレッジの総長を務め、その後に神学校へ入学して聖職者となり現在は司祭としてさまざまな科学プロジェクトに関与している。

彼は神学の立場から科学と宗教の関係について「この世界を理解する上で、科学と宗教(キリスト教)が相互にどのように関係しているか」と問い、本書はその問いへの1つの結論として著されている。彼は科学と宗教について「科学は元来、『いかにしてか』と絶えず問い、それに答える営みである。それに対し宗教はなぜ物事がそうでなければならないかを問い、それに答えようとする営みである」と定義し、この両者は世界の理解のために相互補完的に必要ではないだろうかと、科学と宗教の積極的な交流の必要性を説いている。

彼は神の存在、神による世界の創造、奇跡、キリストの復活などについて、理論物理学者としての科学的な基盤から独自の神学を展開している。その中には複雑系や人工生命などで注目されつつある、大自由度力学系における創発の概念や仏教における輪廻転生の考え方に通じるような部分が見られ(もっとも彼はそれを意識していないが)、興味深い。

しかし、本書はやはりきちんとした神学書であり、キリスト教的な考えに慣れていないとついていけない部分もある。訳は良く、原文での表現の美しさを反映している。(別役 匝)

著者について

【ジョン・ポーキングホーン】
英国ケンブリッジ大学クイーンズカレッジ前総長。相対論的量子力学の創始者の1人であるディラックの直接の指導を受けた理論物理学者(PhD,ScD)。英国学士院会員。勲爵士。1979年までケンブリッジ大学数理物理学教授を務めた。現在、英国国教会の司祭として宣教活動をするかたわら、種々の科学プロジェクトに積極的に関与し、生命科学の倫理問題などにも独自の発言をしている。
【小野寺一清】
1997年、東京大学大学院農学生命科学科教授を定年退職。現在、工学院大学教授。農学博士、医学博士。専攻は分子生物学。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2001/1/19)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/1/19
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 174ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062573180
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062573184
  • カスタマーレビュー:
    3.4 5つ星のうち3.4 19個の評価

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星5つ中3.4つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2014年6月4日に日本でレビュー済み
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著者はケンブリッジ大学の元総長であり、理論物理学の分野でも権威のある科学者である。現在は、英国国教会の司祭を務めながら、数々の科学プロジェクトを手掛けている。その特異な経歴からしても、著者ほど科学と宗教の関係を論じるのに適した人物はいないだろう。科学音痴の私でも理解できるほどに、分かりやすく科学理論が整理されており、科学という文脈の中で神が論じられており、大変興味深い見識が本書には溢れている。神は決して宗教の占有物ではないのだということが、実感できる。科学絶対主義の時代に生きている我々は、どうしても反射神経的に科学的という形容詞が飾られるとそれに過度に信頼性を見出しがちである。他方で、宗教は主管性、直観性を基にしており、宗教的と言うとどこか信頼性に欠けるイメージを抱きがちだ。近代は中世の信仰に偏重した時代から極端に旋回し、物質、見えるもの以外は過度に無視する傾向がある。確かに、古代から中世に見られた、宗教的、迷信的な偏狭性が人々を苦しめてしまったことも事実だ。しかし、その負の側面は宗教の完全否定にはつながらなかった。むしろ、科学主義的唯物論は過度な迷信と同じく、深い人間性を捉えることなく、盲目的に無価値な虚無を人間に呼び起こしてしまった。21世紀は中世、近代の反省を踏まえ、科学と宗教が手を取り合い、豊かな刺激をお互いに交換する時代なのであろう。本書に流れる根底的なメッセージは「宗教と科学は相互排他的ではなく、相互補完的」だということだ。科学者的見地から神や祈り等の信仰的概念が語られている事も本書の大きな魅力の一つだ。宗教的な教条に慣れていない、やや忌避感を覚えている人にも、本書は消化し易い表現と説明で、目から鱗の内容に溢れている。それがゆえに、唯物的な感覚で長年生きて来た人にも、強く薦めることが出来る。本書は神の存在を証明した本ではない。しかし、神の存在を前提とすることが、学術的にも、そして人生においても、より豊かな価値をもたらすことが分かる。神の存在は自身の人生の中でも最も大きなテーマである。実際に神の存在を前提に人生上のあらゆる決断を行ってきたし、今後もそのように生きるつもりである。しかし、人間の心は弱いもので、すぐに神の存在が観念化、抽象化し、具体的な神との歩みが難しくなる時がある。知・情・意の三つで神を認識するのだとしたら、本書は知の部分で神の存在を認識するのに大きな助けになる。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年8月23日に日本でレビュー済み
「なぜ神を信じられるのか?」というタイトルの答えを、一言で要約すると、
「未知だから」に尽きる。

つまりは、この本は「神の存在証明に成功」した本ではなく、
「自然現象や数字の持つ美しい神秘を神の存在に故事付け」た本でもなく、
ただ「神の存在する可能性を証明」した本である。

読了すれば、著者もまた聖書・聖伝に示されている神の姿を持って、
まだ見ぬ神の全体像を推察し、その存在を信じる一人のキリスト者にしか過ぎないことがわかる。

読者として、著者の姿勢に「Es is gut(それでよい)」とするか、せざるか…
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年6月13日に日本でレビュー済み
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宗教は社会にとっていいものだと主張するのは可能だろう。個人的な趣味として信仰を持つのは楽しいのだと言うなら共感もできる。ところが著者は、聖書やキリスト教の教義は(ほぼ)事実であり、信仰は合理的なものであると読者に納得させるという一番困難な仕事に取りかかる。それは成功しているか?……まったく。

なぜダメかというと、結論ありきな上にロジックがいんちきだから。毎ページ5か所は突っ込み所があって読んでいてイライラする。一番苛つくのは言っていることがコロコロ変わることだ。神が実在するかどうかは決して証明できないといった直後に「神がいるという紛れもない事実は」と言ったりする。イエスの復活はメタファーであると言ったかと思うと、別のところでは世界観だと言い、別のところでは事実であるとほのめかして「相転移のようなものだ」と言う(ようなもの、ってなんだ?)。最終的には事実だという立場を強めるのだが、その根拠は「ユダヤ人は正直なので嘘を書くはずがない」だと…。

訳者による用語解説にもちょっとヘンなところがあって、「ギャップの神」のギャップを 二つの科学分野間のこととしてしまっているし、トップダウン/ボトムアップの説明は訳者の方がまともで著者の用法がおかしいのだが、本文に合っていないという点で問題だ(ポーキングホーンは、ボトムアップな科学理論を「変異と自然選択では人間の進化を説明できない」という主張に絡めているので、トップダウン式とは「超自然的な要因を仮定すべき」という意味なのだろう)。

信仰を持つ科学者が、科学知識や合理思考と、それに反する信仰にどう折り合いを付けているのかはわかる。要するにごちゃごちゃで混沌としていてうやむやなのだ。それがよくわかるという意味で本書には価値がある。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年1月21日に日本でレビュー済み
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 ケンブリッジ大学総長を務めた理論物理学者で、現在は英国国教会の司祭として教職を司る著者によ る科学とキリスト教の「相互関係」について考察した良著。科学者としては量子力学の分野における権 威で、キリスト教の教職者としては司祭の立場にある人物による洞察は炯眼で、読んでいて唸らせられ るところが多い。科学とキリスト教とを対立する関係ではなく、いずれも「世界を正しく理解するため に必要なもの」であるとし、前者はそれについてのHowを、後者はWhyを求め、「真実の探究」という 目的において一致しているとしている。また、神が宇宙を創造した初めからのプロセスは未だ進行中で あり、いずれ到来する終末へ向けて人間と協業して展開しているとした件は非常に説得力があった。

 また、祈りについての考察も絶妙で、祈りを「人間の意志と神の意志とのコヒーレントな関係」であ るとし、さらに我々が祈るのは「本当に我々が何を望んでいるかを言葉で言い表すようように呼び出さ れる」からだとしたところも実に説得力があった。

 本書は科学者による書であるので、神学的考察が科学的なたとえを持って展開されるところが多く、 「バタフライ効果」「カオス理論」「光の波動説」「バックグラウンド放射」「ERPの思考実験」とい った複雑な科学理論から多く引用される。しかし、小生のように科学の知識を持たない人間でも十分 理解できるように砕かれて解説されており、読んでいて難解な感は覚えない。なお、このあたりは翻訳 者の労に感謝すべきところであるとも思われる。

 一方、キリストの復活の根拠についての記述については、キリスト教信仰を持たない日本人にとって は簡単に咀嚼できる部分ではないとも思われ、クリスチャンではない大部分の普通の日本人ならばどの ように読むのだろうかと興味を覚えさせられた次第である。

 いずれにせよ、科学と宗教のポジティブな相互関係について学べる良著であることには間違いない 。本書がブルーバックスから出版されたのは多分に日本の科学者、または理系の学生読者を想定対象と したためと思われるが、普通の日本人でも十分に楽しめる本だと思われる。一読をおすすめする。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年6月28日に日本でレビュー済み
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一気読みした。末期がんの小生にとって、死に関する神の摂理の問題も解明してほしかったが、少し浅かったようだ。創造がまだ続いているとすれば、私を何とかしてくれそうでもあるが・・・。
西欧科学がキリスト教から生まれたとすれば、科学者が神を信ずることも首肯される。アラブ系の学問も、神が創造した宇宙や世界を解明するために生まれたと聞く。著者もさることながら、訳者のキリスト教とのかかわりも知りたかった。
蛇足:−東洋では学問と宗教の関係はどうなっているんだろう?
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年7月27日に日本でレビュー済み
 著者が物理学者であり、英国国教会の司祭でもあることを知れば、本書のタイトルの答えとして著者が何を用意しているのかはほとんど自明であろう。キリスト教を信じる科学者がどのように考えているのか、極端な例かもしれないが、それを知る本と思ったほうがよさそうである。

 著者は科学者らしく、「真理を追究する営み」として科学と宗教の類似性を指摘し、どちらも理性的に再検討を続けるべきもの、と書いている。それでも読み進むうち「私は信じている」という言葉で説明が終わってしまうところが幾つもでてきて、それを過ぎるとその先の文章はどんどん「ある前提の上での」展開になり、その「前提」を信じられない、もしくは疑ってしまうと特定の宗教観のおしつけにしか感じられなくなってしまう。この本の後半は、布教本に近くなっていると言わざるをえないだろう。科学を深く追求した人物でも「信仰」の説明は難しいものであることを変えることはできなかったようだ。

 科学の「真理」は誰でもが「信じる」ことができる事象・論理であることが判断規準になるが、宗教の「心理」場合はどうもそのあたりがまだ「誰でもが」といかない場合が多い。究極は「信じるかどうか」にあるとするなら、「信じる」とはどういうことかをもっと知る必要があるだろう。「信じる」という現象については、昨今の「脳科学」も少しずつ切り込んでいる。不都合なことの記憶が変化してしまったり、脳の損傷で重要度の順位が変わってしまったりすることも分かってきている。「信じる」行為を脳活動としてベールをはがすことで何が見えるか分からないけれど、「信じるから正しい」を越える道が見えて欲しいと思う。
 もっとも、著者はこういうやり方は反対するかもしれない。この本の中でも、著者は何箇所かで生物学者がもっとも還元主義的なおごりをもっていて、もっと慎重になるべき、と書いているから。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年10月4日に日本でレビュー済み
解がない問題は多いので、それらに対応する態度として、「神」に頼るかどうかなのでしょうか。
キリスト教と科学という視点では、「天使と悪魔」という小説もあります。

宗教を信じている人が、科学を研究していけないという決まりはありません。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年7月7日に日本でレビュー済み
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アインシュタインを初めとして、最先端の研究に従事する科学者たちは、研究を進めれば進めるほどかえって神の存在を信じるようになっていくということがよく言われています。自然の摂理というもののあまりの不思議さにそういう気分になるのだろうということは観念的には何となく理解できますが、科学者本人がその気持ちを詳しく語ってくれるという貴重な機会を与えてくれるのがこの本です。著者はケンブリッジ大学の教授を務めた理論物理学者で、その後退職してキリスト教の司祭になったという人物だそうです。
著者によれば、科学とキリスト教は決して対立的な存在ではなく、真実を探求するという共通の目的の為に互いを補完する存在とのことです。大部分の論説が「私はそう信じる」という形で終わっておりきちんと論証されていないので(宗教的真理は論証できないとのこと)、読者も直ちにキリスト教を信じるようになるという性質の本ではありませんが、例えば彼が宇宙は神が創造したとしか思えないことのひとつの証拠として挙げている「宇宙の温度や密度がホンのちょっとでもズレていたなら、宇宙には星も生物も生まれることはなかった。そして、その温度や密度が今のような経過を辿る確率は文字通り天文学的に低いもので、偶然とはとても信じられない」という事例などはなかなか説得力があると感じました。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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