1,2時間でさくっと読めます。
内容は携帯電話に依存する社会について懐疑を呈する自論。
データ(根拠)がないという点からの批判が多く出ていて、まあその通りなんですが、
著者の主張について、ぼくは直感的にそう間違ってるとも思えないと感じました。
筆者の言いたいこともよく分かるし、確かにそういう面もあるよねって思います。
データ満載だと読むのが面倒なので、気分転換や気晴らしに読むにはいい本です。
論文や専門書ではないんだから、話半分、楽に読むのがいいかと。
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他人を許せないサル―IT世間につながれた現代人 (ブルーバックス) 新書 – 2006/8/18
正高 信男
(著)
よくキレよくムカツク現代人にレッドカードケータイやインターネットに四六時中つながった現代人の言動に異常事態発生! いつもイライラ、他人に厳しく、無責任。気鋭のサル学者がその生態にメスを入れる
- 本の長さ176ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/8/18
- ISBN-104062575264
- ISBN-13978-4062575263
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/8/18)
- 発売日 : 2006/8/18
- 言語 : 日本語
- 新書 : 176ページ
- ISBN-10 : 4062575264
- ISBN-13 : 978-4062575263
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,256,787位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年11月24日に日本でレビュー済み
まず根拠となる資料の提示が不十分です。
「電車内でケータイを操作している人は、本を読んでいる人よりも多い」という記述がありましたが、このような事実は客観的に確認できませんでした。確かに、日本人のメール利用頻度が多いというのは事実かも知れません。しかし、この現象を「サル=主体性がない」と表現するのは短絡的かと思います。
文中では、日本人特有の文化や気質にも触れています。しかしデータからの考察が幼稚なため、全く説得力がありません。統計資料も都合の良いように解釈されており、読み手に誤解を与える可能性があります。 若者言葉やケータイの何が気に入らないのかは不明ですが、とにかく著者の主観に満ちた愚痴と説教ばかりの内容で、断じて科学的ではありません。
読み物として否定はしませんが、
ブルーバックスシリーズとして相応しくない著書だと思います。
非常に残念です。
「電車内でケータイを操作している人は、本を読んでいる人よりも多い」という記述がありましたが、このような事実は客観的に確認できませんでした。確かに、日本人のメール利用頻度が多いというのは事実かも知れません。しかし、この現象を「サル=主体性がない」と表現するのは短絡的かと思います。
文中では、日本人特有の文化や気質にも触れています。しかしデータからの考察が幼稚なため、全く説得力がありません。統計資料も都合の良いように解釈されており、読み手に誤解を与える可能性があります。 若者言葉やケータイの何が気に入らないのかは不明ですが、とにかく著者の主観に満ちた愚痴と説教ばかりの内容で、断じて科学的ではありません。
読み物として否定はしませんが、
ブルーバックスシリーズとして相応しくない著書だと思います。
非常に残念です。
2006年12月7日に日本でレビュー済み
この本の長所
第3章を中心として、ところどころ正高さんの教養がにじみ出ているところ。
この本の短所
1、「科学的に物を考える習慣」、「科学的に物を見る目」(発刊のことば)が身につきそうもないところ。記述に根拠薄弱なところが結構ある。
2、欧米と同じでないからダメと言ったり、、古くからの日本と異なるからダメと言ったりしているところ。現在が仮に著者の言うとおりでも悪いことばかりではないと思うけどなぁ。
3、若者を敵視しているところが多い(たとえば、あいさつしないのは若者だけか)。まぁ、ウケ狙いで書いたのでしょう。
結論―長所でかろうじて星1つを免れているが、全体としてはダメな本なので、星2つ。
第3章を中心として、ところどころ正高さんの教養がにじみ出ているところ。
この本の短所
1、「科学的に物を考える習慣」、「科学的に物を見る目」(発刊のことば)が身につきそうもないところ。記述に根拠薄弱なところが結構ある。
2、欧米と同じでないからダメと言ったり、、古くからの日本と異なるからダメと言ったりしているところ。現在が仮に著者の言うとおりでも悪いことばかりではないと思うけどなぁ。
3、若者を敵視しているところが多い(たとえば、あいさつしないのは若者だけか)。まぁ、ウケ狙いで書いたのでしょう。
結論―長所でかろうじて星1つを免れているが、全体としてはダメな本なので、星2つ。
2007年1月1日に日本でレビュー済み
この本から強く感じたのは著者の主観が強く出すぎている、という点です。
文化系の著作には多いのですが、欧米と日本を対比し、日本が良くないというスタンスが随所に出ています。
これは著者自身が警鐘を投げかけている日本人の村意識から出てくる排他傾向から表れてしまう、根拠の薄いものです。
一つ例を挙げると、私はオンラインで外国の方と交流することがありますが、往々にして身勝手さが鼻につく場面が多く、
日本人の方の一般傾向である付き合いのよさ、他者を尊重する気持ちに有難さを感じる場面があります。
このように、あくまで欧米と日本の文化は互いに独立したものであり、どちらが良い悪いと決めつけることはできないし、する必要もないのです。
余談ですが私も著者と同じく愛知県在住であり、筆者の日本人観は、実は日本人ではなく愛知県人観じゃないのかな、と思ってしまう点もあったりします。(笑)
また、どうしても”ケータイ”文化を引き合いに出して若者を叩きたいオジサンの意見というイメージをぬぐえません。
”ケータイ”のマナー違反者には、多くの”ケータイ”利用者が苦々しく思っており、
それを十把一絡に若者の”ケータイ”文化に押し付けてしまうのは乱暴な言い方です。
部分を全体とみせるのは昔からある手法ですが、細かい悪いところを指摘し、いい所をないように見せかけるのは詭弁の手法になってしまいます。
とはいえ、霊長類学の権威としてのサルと人間の比較部分からの視点は鋭く、あくまで一つの視点として解釈するなら面白い読み物です。
文化系の著作には多いのですが、欧米と日本を対比し、日本が良くないというスタンスが随所に出ています。
これは著者自身が警鐘を投げかけている日本人の村意識から出てくる排他傾向から表れてしまう、根拠の薄いものです。
一つ例を挙げると、私はオンラインで外国の方と交流することがありますが、往々にして身勝手さが鼻につく場面が多く、
日本人の方の一般傾向である付き合いのよさ、他者を尊重する気持ちに有難さを感じる場面があります。
このように、あくまで欧米と日本の文化は互いに独立したものであり、どちらが良い悪いと決めつけることはできないし、する必要もないのです。
余談ですが私も著者と同じく愛知県在住であり、筆者の日本人観は、実は日本人ではなく愛知県人観じゃないのかな、と思ってしまう点もあったりします。(笑)
また、どうしても”ケータイ”文化を引き合いに出して若者を叩きたいオジサンの意見というイメージをぬぐえません。
”ケータイ”のマナー違反者には、多くの”ケータイ”利用者が苦々しく思っており、
それを十把一絡に若者の”ケータイ”文化に押し付けてしまうのは乱暴な言い方です。
部分を全体とみせるのは昔からある手法ですが、細かい悪いところを指摘し、いい所をないように見せかけるのは詭弁の手法になってしまいます。
とはいえ、霊長類学の権威としてのサルと人間の比較部分からの視点は鋭く、あくまで一つの視点として解釈するなら面白い読み物です。
2006年9月5日に日本でレビュー済み
ケータイやインターネットに四六時中つながった現代人の言動に異常事態発生! いつもイライラ、他人に厳しく、無責任。
本当にそうなのだが、、だからと言ってネット、ケータイも
止められない。
(自分はケータイ持っていないけど)
本当にそうなのだが、、だからと言ってネット、ケータイも
止められない。
(自分はケータイ持っていないけど)
2006年8月23日に日本でレビュー済み
いやぁ、凄い。何が凄いって、根拠が一切ないところ。本書で出されているデータっていうのは基本的には、どーでも良い部分の数値か『いまどき中学生白書』(魚住絹代著)のようなダメ調査の見本みたいなものだけ。それもごくごく一部であり、基本的には、「私はこういう光景を見た。そのとき、こう思った。だから、こうなんだ!」というものばかり。これを妄想といわず、何というのだろうか? 第2章で、「人間は物事に対して理由を求めたがる。しかし、その理由は必ずしも合理的なものではなく、個人的経験を一般化したりしてしまう」という内容の部分がある。しかし、正高氏の場合、個人的経験ですらないのだから脱帽だ。
いくつか例を出してみよう。例えば74頁。「アメリカではサイン偽造による犯罪が無いところをみると、それをしたら社会から抹殺されるほどの信頼の基盤になっているからに他ならない」って、単に著者が聞いたことが無いってだけでしょ? 著者は、アメリカで起こった犯罪を全て調べて言っているのだろうか? ついでに言えば、印鑑よりサインの方が偽造がしにくい、ということもある(印鑑は一つ作れば、あとはやりたい放題だ)。
携帯によって、常に世間と繋がっている、ということを妄想で綴った101〜104頁の後、携帯犯罪が激増していると述べるのだが、そこにあるデータは、携帯電話の電源をオフにしている時間がどのくらいか、ということと、あとは犯罪の例を2つだけ。世代別のオフにしている時間より示すべきデータはあるんでないか? 携帯犯罪激増と言いながら、いつからいつまででどのくらい増えたのかはまったく書かれていない。
2つほど例を挙げたが、至るところがこのような文章だけだ。そもそも、本書で正高氏が参考に挙げる正高氏自身の著書『考えないヒト』からして客観的データは皆無の妄想みたいなものである。妄想を参考にして、さらなる妄想を広げている、と言っても良い。挙句の果てには、「『考えないヒト』のときより悪化している」と来る。もう何が何だか…。
正高氏にこそ、レッドカードを差し上げたい。
いくつか例を出してみよう。例えば74頁。「アメリカではサイン偽造による犯罪が無いところをみると、それをしたら社会から抹殺されるほどの信頼の基盤になっているからに他ならない」って、単に著者が聞いたことが無いってだけでしょ? 著者は、アメリカで起こった犯罪を全て調べて言っているのだろうか? ついでに言えば、印鑑よりサインの方が偽造がしにくい、ということもある(印鑑は一つ作れば、あとはやりたい放題だ)。
携帯によって、常に世間と繋がっている、ということを妄想で綴った101〜104頁の後、携帯犯罪が激増していると述べるのだが、そこにあるデータは、携帯電話の電源をオフにしている時間がどのくらいか、ということと、あとは犯罪の例を2つだけ。世代別のオフにしている時間より示すべきデータはあるんでないか? 携帯犯罪激増と言いながら、いつからいつまででどのくらい増えたのかはまったく書かれていない。
2つほど例を挙げたが、至るところがこのような文章だけだ。そもそも、本書で正高氏が参考に挙げる正高氏自身の著書『考えないヒト』からして客観的データは皆無の妄想みたいなものである。妄想を参考にして、さらなる妄想を広げている、と言っても良い。挙句の果てには、「『考えないヒト』のときより悪化している」と来る。もう何が何だか…。
正高氏にこそ、レッドカードを差し上げたい。
2006年9月8日に日本でレビュー済み
うーん。今まで気に入った著作もあっただけに、これには失望。
従来の著作に比べて、データが少なく、乱雑な作りになっている。
それなりなエピソードがちりばめられているが、バラバラしていてながれも安っぽい。
サルシリーズは、「携帯」でやめて、今まで通りのデータを主としたしっかりした著作に戻ってほしいと願う。
低レベルのテレビコメンテーターの域を出ない。読む価値はあまりない。
従来の著作に比べて、データが少なく、乱雑な作りになっている。
それなりなエピソードがちりばめられているが、バラバラしていてながれも安っぽい。
サルシリーズは、「携帯」でやめて、今まで通りのデータを主としたしっかりした著作に戻ってほしいと願う。
低レベルのテレビコメンテーターの域を出ない。読む価値はあまりない。
2008年2月5日に日本でレビュー済み
正高信男氏の本は初めて読んだので、氏が他に書かれたものとの比較はできない。
週刊誌的な口調と内容は軽く読める。
データらしきものはほとんどないが、質的分析がメインといえばそうともいえる。
ありきたりな内容だが、当たっていると思う。
興味深いのは、日本人としての回帰しているという見方もなるほどと思わせるところが多かった。他者の目によって自我が成立している日本人。
この見方はある意味正しいのかもしれない。
所詮、日本人が個人主義になれる文化ではないから。良いとこ取りして、とられた人が悔しがる、そこでイジメに走る。出る杭は叩かれる。などなど。。日本文化の暗い部分をケータイ文化に転移させて違和感ない、つまり言えている。
誰も今まで文字にしなかっただけで、十分に今の世の中の代弁書といえる。
週刊誌的な口調と内容は軽く読める。
データらしきものはほとんどないが、質的分析がメインといえばそうともいえる。
ありきたりな内容だが、当たっていると思う。
興味深いのは、日本人としての回帰しているという見方もなるほどと思わせるところが多かった。他者の目によって自我が成立している日本人。
この見方はある意味正しいのかもしれない。
所詮、日本人が個人主義になれる文化ではないから。良いとこ取りして、とられた人が悔しがる、そこでイジメに走る。出る杭は叩かれる。などなど。。日本文化の暗い部分をケータイ文化に転移させて違和感ない、つまり言えている。
誰も今まで文字にしなかっただけで、十分に今の世の中の代弁書といえる。