タイトルの通りですが、言葉の定義(モデリング)を大切にしています。
なので、理系の人には向いているかもしれません。
理論チックでいい本だと思いました。
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交易する人間(ホモ・コムニカンス) (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2000/3/10
今村 仁司
(著)
人間存在の根源を追究する今村理論の新展開!
ヒトは、なにを、なぜ、交易するのか?
自然と「交感」し、人と「交際」し、物を「交換」する人間=ホモ・コムニカンス。ポトラッチ、歓待(ホスピタリティー)、クラ交易、供犠(サクリファイス)──人間存在の根源に宿る「負債」が駆動する行為。
「敵対」を「友好」に変える贈与体制の驚くべき叡知とは?資本主義が破壊した文化制度を検証し、人間学に新地平を切り拓く。
ヒトは、なにを、なぜ、交易するのか?
自然と「交感」し、人と「交際」し、物を「交換」する人間=ホモ・コムニカンス。ポトラッチ、歓待(ホスピタリティー)、クラ交易、供犠(サクリファイス)──人間存在の根源に宿る「負債」が駆動する行為。
「敵対」を「友好」に変える贈与体制の驚くべき叡知とは?資本主義が破壊した文化制度を検証し、人間学に新地平を切り拓く。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2000/3/10
- ISBN-104062581787
- ISBN-13978-4062581783
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
自然と「交感」し、人と「交際」し、物を「交換」する人間。ポトラッチ、歓待、供犠…贈与体制の下での行為に潜む驚くべき叡知とは? 資本主義が破壊した文化制度を検証し、人間学に新地平を拓く。
著者について
1942年生まれ。京都大学大学院経済研究科博士課程修了。現在、東京経済大学教授。専門は、社会哲学・社会思想史。著書に、『暴力のオントロギー』(勁草書房)、『排除の構造』(ちくま学芸文庫)、『近代の思想構造』(人文書院)、『近代性の構造』『ベンヤミンの〈問い〉』(ともに講談社選書メチエ)、『作ると考える』(講談社現代新書)、『貨幣とは何だろうか』(ちくま新書)など、訳書に『パサージュ論』(共訳・岩波書店)など多数ある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2000/3/10)
- 発売日 : 2000/3/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 288ページ
- ISBN-10 : 4062581787
- ISBN-13 : 978-4062581783
- Amazon 売れ筋ランキング: - 880,959位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年6月9日に日本でレビュー済み
「贈与」「交易」といった語をキーワードに、「社会」「社会的なもの」の内実を真摯に考察した書。
今村氏は、これまでにも暴力論や貨幣論などに関する優れた洞察を行ってきたが、本書ではそれらを踏まえながらも、相互行為の関係性としての「社会的なもの」を、「贈与」という視点から解き明かしていく筆致は圧巻である。
「贈与」という行為が、単純な「モノ」と「モノ」との「交換」に還元されないこと、それが経済性・政治性・宗教性・文化性という多元的な意義を有していることを、鮮やかに描いている。
現在、リベラリズムやリバタリアニズムなどで、「所有とは何か」という問題が改めて問われているが、それらでしばしばスルーされる問題(例えば「人格」と「所有」の問題」)にも、興味深い言及が行われている。
「固い」内容であるにもかかわらず、論旨は明快で辿りやすい(と思う)。今村ファンのみならず、幅広い視点から「社会的なもの」を考えてみたいと思う方にお勧めである。なお、今村氏自身が、本書を、同シリーズの『抗争する人間』と姉妹編をなすと言及している点から、それも併せて読まれるべきであろう。
今村氏は、これまでにも暴力論や貨幣論などに関する優れた洞察を行ってきたが、本書ではそれらを踏まえながらも、相互行為の関係性としての「社会的なもの」を、「贈与」という視点から解き明かしていく筆致は圧巻である。
「贈与」という行為が、単純な「モノ」と「モノ」との「交換」に還元されないこと、それが経済性・政治性・宗教性・文化性という多元的な意義を有していることを、鮮やかに描いている。
現在、リベラリズムやリバタリアニズムなどで、「所有とは何か」という問題が改めて問われているが、それらでしばしばスルーされる問題(例えば「人格」と「所有」の問題」)にも、興味深い言及が行われている。
「固い」内容であるにもかかわらず、論旨は明快で辿りやすい(と思う)。今村ファンのみならず、幅広い視点から「社会的なもの」を考えてみたいと思う方にお勧めである。なお、今村氏自身が、本書を、同シリーズの『抗争する人間』と姉妹編をなすと言及している点から、それも併せて読まれるべきであろう。
2014年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、「社会とは何か」「社会の中で生きるとはどういうことなのか」という問題関心から、社会における人間の相互行為を「交易」として定義し、人類が歴史的に経験してきた種々の相互行為を考察することを通じて、社会的存在としての人間の根源に迫ろうとするものである。なお、ここでの「交易」は、経済的行為に限定されない広い意味をもち、社会的人間の行動のすべてを包括するものとして定義される。
「プロローグ」
第1章「『<社会的>なもの』とは何か」
第2章「交易の構造」
第3章「交易としての労働――聖俗論の彼岸」
第4章「交易としての贈与――共有される負債」
第5章「神話的想像の動学――贈与と所有」
第6章「人間学の基本問題――贈与と威信」
第7章「『人格的所有』論――譲渡と非譲渡」
第8章「資本主義の誕生――贈与から交換へ」
「エピローグ」
1) 「交易」について。本書は、「相互行為」の抽象性、「関係」の形式性、「交換」の一元性などを避けるため、相互行為一般を表す用語として「交易」を定義する。そしてそれは、経済的交換だけでなく、言語コミュニケーションや信仰など精神的活動も含み、「すべては交易と言っても言い過ぎではない」という。しかし、そうであるならば抽象的な相互行為とほとんど変われないのではないだろうか。実際、本書において交易タームは相互行為と置換できるものとして使用されている。
2) 上記における問題点は、マルクス主義的な「所有」概念を、普遍的かつ没歴史的な相互行為一般にすべり込ませている点にあるように思う。本書は、贈与体制と交換による市場経済とを区別しつつ、前者から後者への移行とそれによる資本主義の誕生を主張しているが、それはもっぱらマルクス主義史観に結論的に依拠している。交易タームの使用は、このようなマルクス主義史観のキー概念である「所有」をアルカイックな社会の分析にいわば透明化させた形で導入するのに、役立っている。つまり、抽象的なレベルにおいては「交易」を相互行為一般と同一視する一方、具体的なレベルでは、(マルクス主義史観による)現在の経済的分析を遡及的に過去に当てはめつつ、アルカイックな社会における「交易」を(それが人格的、集団的、私的であれ)「所有」を前提とする贈与体制として論じるのである。結果として、全体的社会的事実の記述するという本書の意図に反して、その視点は経済的事象に集中している。
「プロローグ」
第1章「『<社会的>なもの』とは何か」
第2章「交易の構造」
第3章「交易としての労働――聖俗論の彼岸」
第4章「交易としての贈与――共有される負債」
第5章「神話的想像の動学――贈与と所有」
第6章「人間学の基本問題――贈与と威信」
第7章「『人格的所有』論――譲渡と非譲渡」
第8章「資本主義の誕生――贈与から交換へ」
「エピローグ」
1) 「交易」について。本書は、「相互行為」の抽象性、「関係」の形式性、「交換」の一元性などを避けるため、相互行為一般を表す用語として「交易」を定義する。そしてそれは、経済的交換だけでなく、言語コミュニケーションや信仰など精神的活動も含み、「すべては交易と言っても言い過ぎではない」という。しかし、そうであるならば抽象的な相互行為とほとんど変われないのではないだろうか。実際、本書において交易タームは相互行為と置換できるものとして使用されている。
2) 上記における問題点は、マルクス主義的な「所有」概念を、普遍的かつ没歴史的な相互行為一般にすべり込ませている点にあるように思う。本書は、贈与体制と交換による市場経済とを区別しつつ、前者から後者への移行とそれによる資本主義の誕生を主張しているが、それはもっぱらマルクス主義史観に結論的に依拠している。交易タームの使用は、このようなマルクス主義史観のキー概念である「所有」をアルカイックな社会の分析にいわば透明化させた形で導入するのに、役立っている。つまり、抽象的なレベルにおいては「交易」を相互行為一般と同一視する一方、具体的なレベルでは、(マルクス主義史観による)現在の経済的分析を遡及的に過去に当てはめつつ、アルカイックな社会における「交易」を(それが人格的、集団的、私的であれ)「所有」を前提とする贈与体制として論じるのである。結果として、全体的社会的事実の記述するという本書の意図に反して、その視点は経済的事象に集中している。
2022年8月3日に日本でレビュー済み
本書は『交易する人間』は、
諸共同体と諸共同体による交易・贈与体制(象徴記号の交換などが含まれる)を、
原初的な供儀体制(体系・システム)まで遡行しながら、
その仕組み・体系を解体し、その二重性(意味づけ・空性)について考察していくような書である。
上記のような概念は、諸共同体内における、
象徴記号の蓄積・神話・潜在的ヒエラルキー化においての下部集合 sous ensembleとしての贈与体制、
現代社会においては「資本の蓄積・消費するための生産・サーヴィス」が、
この概念に対応するのだろう、と考察することもできる。
また、本書内において解説がなされる首長制度を規則とする諸共同体では、
象徴記号の蓄積をポトラッチといわれる概念にて、それを逓減、あるいはゼロ化するよう試みているが、
ここにもある種の神話や、ある程度の潜在的ヒエラルキーが存在している、あるいは、
諸共同体の規模・構成要員・規則(諸記号の神話化/身振・記号・言語システム)に比例して、
その下部集合の関係性と差異化の度合い(象徴記号の蓄積/消費・ポトラッチ)が対応している、
とも考察することができる。
(_非ヒエラルキー化のシステム/クラ・ポトラッチ/諸共同体のヒエラルキーの消費の度合い)
(_蓄積が存在しない事態と、その延長/度合い)
・潜在的ポトラッチの逓減・ゼロ化(ある象徴記号を完全に消費する・諸共同体の非ヒエラルキー化)
(_神話と構造_象徴記号/蓄積システム/ピュリタン的・度合い)
・この独特の舌文化(ある潜在的な象徴を完全に消費する・蕩尽・ポトラッチ)は、
蓄積や私的所有をおのずから不可能にしてしまう。(~)
舌が所有の権利要求の言語(ラング)に変わるとき、(~)
それは新しい文化の到来を予告するだろう(236)
・昔は「聖なるもの」は(~)、現代では貨幣と資本がその代理をしているにすぎないし、
国家もまた「聖なる祖国」という形式を(~)
「聖なるもの」と人間の関係は、社会関係(制度と構造/体系・システム)の形式にとって、
不可欠な契機ないし原動力で(~)
(ある特定の秩序・規則の中での産物/諸共同体の諸交易)
・「神々、自然の精霊、死者の霊に対する人間の負債は、おそらくは出発点であった。
この想像的構造によって、カーストや階級や関係が結晶(蓄積)し、
(恣意的な)形式と意味が与えられる」(モーリス・ゴドリエ)
・呪術によって蓄積されたこの観念の宝庫(諸言語ゲームの諸概念)は、永い間、
科学によって開発される資本であった。呪術は科学を育て(~)
(『社会学と人類学(モース)136~137頁』)
・(諸言語ゲームでは)すべての行為と状態に(恣意的に)特定の神々がつくられており、
明確な特性をそなえた言葉で呼ばれる。
しかも行為や状態が全体としてこのように神格化されるだけではなく
そうした行為のなんらかの意味で<際立つ部分や所作や契機>もまた神格化(潜在的連載)される
(『神話的思考(カッシーラー)』)
・社会的欲望(象徴記号の度合い)は、
純粋に観念的な欲望(諸共同体における差異化の概念の度合い)である
(諸共同体においての諸価値の差異化の度合い)(76)
参考図書
『不可能な交換』『なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか』『消費社会の神話と構造 普及版』
『ウィトゲンシュタイン全集〈9〉 確実性の問題』
------------------------------------------------------------------------------------
第一章「〈社会的〉なもの」とは何か
第二章 交易の構造
第三章 交易としての労働──聖俗論の彼岸
第四章 交易としての贈与──共有される負債
第五章 神話的想像の動学──贈与と所有
第六章 人間学の基本問題──贈与と威信
第七章「人格的所有」論──譲渡と非譲渡
第八章 資本主義の誕生──贈与から交換へ
諸共同体と諸共同体による交易・贈与体制(象徴記号の交換などが含まれる)を、
原初的な供儀体制(体系・システム)まで遡行しながら、
その仕組み・体系を解体し、その二重性(意味づけ・空性)について考察していくような書である。
上記のような概念は、諸共同体内における、
象徴記号の蓄積・神話・潜在的ヒエラルキー化においての下部集合 sous ensembleとしての贈与体制、
現代社会においては「資本の蓄積・消費するための生産・サーヴィス」が、
この概念に対応するのだろう、と考察することもできる。
また、本書内において解説がなされる首長制度を規則とする諸共同体では、
象徴記号の蓄積をポトラッチといわれる概念にて、それを逓減、あるいはゼロ化するよう試みているが、
ここにもある種の神話や、ある程度の潜在的ヒエラルキーが存在している、あるいは、
諸共同体の規模・構成要員・規則(諸記号の神話化/身振・記号・言語システム)に比例して、
その下部集合の関係性と差異化の度合い(象徴記号の蓄積/消費・ポトラッチ)が対応している、
とも考察することができる。
(_非ヒエラルキー化のシステム/クラ・ポトラッチ/諸共同体のヒエラルキーの消費の度合い)
(_蓄積が存在しない事態と、その延長/度合い)
・潜在的ポトラッチの逓減・ゼロ化(ある象徴記号を完全に消費する・諸共同体の非ヒエラルキー化)
(_神話と構造_象徴記号/蓄積システム/ピュリタン的・度合い)
・この独特の舌文化(ある潜在的な象徴を完全に消費する・蕩尽・ポトラッチ)は、
蓄積や私的所有をおのずから不可能にしてしまう。(~)
舌が所有の権利要求の言語(ラング)に変わるとき、(~)
それは新しい文化の到来を予告するだろう(236)
・昔は「聖なるもの」は(~)、現代では貨幣と資本がその代理をしているにすぎないし、
国家もまた「聖なる祖国」という形式を(~)
「聖なるもの」と人間の関係は、社会関係(制度と構造/体系・システム)の形式にとって、
不可欠な契機ないし原動力で(~)
(ある特定の秩序・規則の中での産物/諸共同体の諸交易)
・「神々、自然の精霊、死者の霊に対する人間の負債は、おそらくは出発点であった。
この想像的構造によって、カーストや階級や関係が結晶(蓄積)し、
(恣意的な)形式と意味が与えられる」(モーリス・ゴドリエ)
・呪術によって蓄積されたこの観念の宝庫(諸言語ゲームの諸概念)は、永い間、
科学によって開発される資本であった。呪術は科学を育て(~)
(『社会学と人類学(モース)136~137頁』)
・(諸言語ゲームでは)すべての行為と状態に(恣意的に)特定の神々がつくられており、
明確な特性をそなえた言葉で呼ばれる。
しかも行為や状態が全体としてこのように神格化されるだけではなく
そうした行為のなんらかの意味で<際立つ部分や所作や契機>もまた神格化(潜在的連載)される
(『神話的思考(カッシーラー)』)
・社会的欲望(象徴記号の度合い)は、
純粋に観念的な欲望(諸共同体における差異化の概念の度合い)である
(諸共同体においての諸価値の差異化の度合い)(76)
参考図書
『不可能な交換』『なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか』『消費社会の神話と構造 普及版』
『ウィトゲンシュタイン全集〈9〉 確実性の問題』
------------------------------------------------------------------------------------
第一章「〈社会的〉なもの」とは何か
第二章 交易の構造
第三章 交易としての労働──聖俗論の彼岸
第四章 交易としての贈与──共有される負債
第五章 神話的想像の動学──贈与と所有
第六章 人間学の基本問題──贈与と威信
第七章「人格的所有」論──譲渡と非譲渡
第八章 資本主義の誕生──贈与から交換へ