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「私」の秘密 哲学的自我論への誘い (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2002/11/8

4.1 5つ星のうち4.1 7個の評価

「我思う、ゆえに我あり」を徹底的に論破!デカルトもカントもフッサールも間違っている。「過去の想起」と「現在の知覚」の交点=私である。時間・身体・他者を通して、<私>という哲学的難問を解明する

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

「私とは何か」と問う者こそが「私というあり方」をする者である。過去と現在。両立しえない二つの時間をつなぐ能力こそが「私」である。時間論・身体論との出会いが「私」という不可思議な存在の謎を解く。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2002/11/8)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2002/11/8
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 192ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062582538
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062582537
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 7個の評価

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中島 義道
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上位レビュー、対象国: 日本

2010年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コメントのとおり美本でした。信頼できる本屋さんでした。これからも利用したい。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年4月30日に日本でレビュー済み
 中島哲学の論域は広範にわたるが、強いて分ければ「時間論」「自我論」「自由論」の三つに大別できるであろう。それはカント哲学の主領域ともほぼ重なるが、本書はその中の自我論に照準を絞った優れた入門書である。
「私」とは何か。社会的には如何様にも答えることのできるこの問いは、哲学的には返答に戸惑わざるを得ない難問である。例えば永井均が<私>の唯一性・絶対性に立脚した独我論を展開するのに対し、中島の自我論はもう少し柔軟性があり、また永井よりも時間性に重点を置いているのが特徴である。「私が過去を想起するのではなく、過去と現在をつなぐ存在がすなわち私なのだ」という主張にカントの超越論的統覚を、「私とは知覚の対象にも想起の対象にもなりえない、膨大な不在のことである」という主張にサルトルの対自存在を見て取ることもできようが、豊富な哲学的知識に裏付けられつつ経験を何よりも重視する中島の論述には説得力があり、読者は安心して読み進むことができる。
 あとがきで中島自身が自嘲気味に語っているとおり、エッセイスト中島とは一線を画した格調高い哲学入門書である。よりハイスペックな『カントの自我論』よりも汎用的で分かりやすく、読者を選ばない。哲学者中島の面目躍如たる好著である。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2002年12月3日に日本でレビュー済み
いみじくも「あとがき」にあるように、タイトル中の「私」は別に著者自身(だけ)を指しているわけではないので、その種の本を期待されている方は少々ガッカリ(?)されるかもしれません。でも、その種の本にもうウンザリされている方には、是非一度手にとってみることをお勧めします。今度は著者自身ではなく、自分たち自身の秘密の一端に触れることができるかもしれません。これは、「私」について、「私というあり方」をしている全ての人たちに向けて書かれた本です。
「私」(自己)は、伝統的にも哲学的議論の最たる対象として捉えられて来ました。でも著者は、いわゆる「大哲学者」たちの思想を軽く受け流しつつ、師である大森荘蔵氏の哲学をも批判的に乗り越えて、いとも飄々と自らの論考を綴って行きます。「私」は、現在という単独の時点、あるいはそもそも時間以前に成立するような存在ではない。むしろ、独特な仕方で過去と現在とを「つなぐ」、やや具体的には「私は・・・だった」と後で想起する(そしてそう語る)ことができてこそ初めて、「私というあり方」が成立するのだ。「人の間」ならぬ「時の間」の存在者としての「私」、つまりはこれが著者のポイントだと言えるでしょう。
「私」は哲学的議論の対象であると同時に、正にその主体でもあります。ですから、その「対象」の捉え方には「主体」の性質自体がロコツに反映して来てもおかしくはありません。実際、本書に出て来る例の中の(著者自身としての)「私」はいつも不機嫌で、相変わらず駅員や知人を罵倒してばかりいます。でも心配はご無用、論考は身体論を経て他者(「他の私」)論へもちゃんと(?)向かってくれています。
&inbsp最後に、本書は、「エッセイスト中島義道」ファンの人もそうでない人も、自分たち自身の秘密と同時に「哲学者中島義道」の一端を垣間見るにはうってつけだと思います。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年9月16日に日本でレビュー済み
哲学者の思索の形式が理解できる。私とは何かと問うことが私というあり方を輪郭づけている、知覚の現場に私はいない、など興味深い思索の流れを提示している。想起の能力が私という指摘、時間が私と密接な関連があるという論点は、哲学の時間論、身体論の究極に近いと感じる。