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愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ 260 カイエ・ソバージュ 3) 単行本 – 2003/1/10
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モース、マルクス、ラカンを超えて、21世紀の贈与論へ!
本当の豊かさとは? 資本増殖の秘密とは?
貨幣と魔術。愛と資本主義。
全体性の運動としての経済と精神の構造は同一である。
資本主義の彼方に出現する「未知の贈与論」を探究する。
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2003/1/10
- 寸法13 x 1.3 x 18.9 cm
- ISBN-104062582600
- ISBN-13978-4062582605
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商品の説明
商品説明
3冊目にあたる本書ではズバリ「経済」がテーマ。とはいっても文字通りの経済学のことではない。バレンタインデーに備えて女の子がチョコレートを購入するとき、店員は値札を外し包装をし直すことによって商品としての痕跡を消す。贈りものの価値(贈与)は、商品の値段(交換)ではなく、人間関係における意味や感情によって決まるからだ。同様にアメリカ原住民のポトラッチという祭りでは、亡き首長のために、新しい首長が貴重品を海に投げ込む(純粋贈与)慣習がある。そこでは気前のよさが首長の威信を高め、それが部族全体の霊力の活性化をも意味した。太古の世界では、他人に贈りものをすること(贈与)や、神や自然に感謝し捧げものをすること(純粋贈与)が、重要な経済活動だと考えられていた。
その後、貨幣が発明されて資本主義が生まれていくまでを、著者は北欧における聖杯伝説やクエーカー教徒の集会などの豊富な事例をつかって楽しく読みといていく。が、そこから導きだされてくる答えはシビアなものだ。ヨーロッパから生まれた資本主義という商品経済(交換)ばかりが発達してしまい「交換」「贈与」「純粋贈与」の3つのバランスが崩れ、現代では何から何までが経済の影響下にあるような状態になった。かつてないほど豊かな時代なのに、実感としてあまり幸福でも豊かでもない社会。だからこそ、神話的な知の力を借り、資本主義の彼方に新しい社会形態や経済学を打ち立てるべきだと中沢先生は提案するのだ。(金子 遊)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2003/1/10)
- 発売日 : 2003/1/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 218ページ
- ISBN-10 : 4062582600
- ISBN-13 : 978-4062582605
- 寸法 : 13 x 1.3 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 234,204位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 500位文化人類学一般関連書籍
- - 515位社会と文化
- - 541位講談社選書メチエ
- カスタマーレビュー:
著者について
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所所長。思想家。著書に『チベットのモーツァルト』(サ ントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)、『フィロソフィア・ヤポニカ』(伊藤整文学賞)など多数ある(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『カイエ・ソバージュ』(ISBN-10:4062159104)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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「贈与・交換・純粋贈与の構図が示すのは、宗教と社会性と経済と愛の本質」
【サノーさんおすすめ度★★★★★】
・ウノーさん一言コメント
「発想が飛躍し、次の発想を生みながら、人間の歩んできた道のりと歩んだ歩幅を照らしていきます。進むべき道は、どれなのでしょうか」
【ウノーさんおすすめ度★★★★★】
・サノーさん、ウノーさん読書会
サノーさん(以下サ):全5巻の『カイエ・ソバージュ』シリーズの、第3巻、折り返し地点となる一冊だ。
ウノーさん(以下ウ):神話における象徴と人間の思考の変遷、社会が形成される過程での「神」と国家の芽生えである「王」の誕生、そして今回は国家をなす人々の基盤となった「経済」とはなにかを探究する物語です。
サ:大活躍なのが、贈与・交換・純粋贈与の定義と構図だ。これと社会、宗教、哲学の変遷を重ねていくことで、経済の本質について論じている。
ウ:贈与の環と純粋贈与の曲線も大活躍ですよ。増殖についての考え方と、神と生産、贈与と消失についての関係を考えるには、なくてはならない図式となっています。
サ:この二つの整理により、別々の次元で考えられていた事象の共通性を見出し、そこから本質となるものを炙り出していくわけだ。
ウ:驚きの結論がたくさん出てきますが、どれも根拠が明確なので、どれも納得してしまいます。
サ:そうか?三位一体との関連は、強引な気がするが。
ウ:そこで登場する接着剤が「愛」なんですよ。農耕が労働の基盤だった社会では、人は大地を愛し、大地から愛されているのが前提でした。ところが、工業、製造することが基盤となった社会では、そもそもの「経済の起源」との造反が生まれ、矛盾が生じ、人々が悩み苦しむ訳です。
サ:そこで登場するのが、我らが「ジーザス☆スーパースター」なわけだ。神の愛、父の愛、精霊の愛をもって、この経済社会に生じた原理との隙間を埋めていくんだな。
ウ:この構図が、キリスト社会そのものであるという著者の指摘には、思わず唸ってしまいました。
サ:「資本主義とキリスト教は、双子の兄弟である」こんなこと、考えたことなかった。
ウ:『資本論』のマルクスにおける「愛」も、初めて知りました。ロマンチストですよね。
サ:そのロマンと数理物理の狭間に「経済」が誕生したんだ。
ウ:確かに、原理としての貨幣経済を見直してみると、おかしな法則がたくさん存在します。価値と価値の交換で成り立つことに問題はないのに、そこに余剰価値や付加価値を見出し、不等価交換を前提とした仕組みが、競争と秩序を生み出しています。
この絶妙なバランス、人間が人間たる「生」を追究いるためにあるがごとき法則は、どこから来るのでしょう?
サ:それが、このシリーズのテーマである「見えざる者」であり「超越者」とはなにか、という問いに対する考察なんだ。
ウ:想像界・象徴界・現実界が交わるところに生じる「無の悦楽」とはなにか、贈与・交換・純粋贈与の中心にある「純粋消費」とはなにかについては、5巻で語られるそうですよ。
サ:いま、あれこれ考えてもしょうがない。さっさと、次の巻へ進むとしよう。
【了】
経済活動を、「交換」「贈与」「純粋贈与」に分類し、それぞれが、「贈与」→「交換」→「純粋贈与」という形に変化してきた、と説明します。このうちの純粋贈与という概念が大変ユニークで、これこそが愛であるという事に気がついた時、人間の思考の深遠さに驚嘆しました。
またこの純粋贈与の行為が、宗教儀式にも盛り込まれており、しかもそれが最初からこれら三者の関係維持を目的にしたものであることを著者は説明しています。このような形での三位一体の関係が壊れてしまっている現在の政治、経済システムの不完全さを思うと、古代の人の方が精神的には優れていたのかと思わざるを得ません。
曰く・・・
贈与にあっては、贈り物は贈り手の人格から分離されない一種の中間的対象である。贈与は、人格から分離し切っていない中間的対象を相手に届けることで、愛や信頼が届けられることを期待する。交換ではモノと人格の分離が徹底される。モノには価値尺度があてがわれる。贈与を去勢したところに交換が出現する。
昔の世界は贈与を中心として組織されていた。まず、市場(いちば)がつくられるが、たいがいは、聖地の近くなど神仏が支配する空間で市場が開かれる。神仏の支配する空間に持ち込まれたものは、もとの所有者の人格との結合を取り去られ、いったん神仏の所有物になる。神仏の支配する空間に持ち込まれたモノは、お金に換算可能な商品となる。次に、政治権力は、税金を取ることで神仏空間を支配する寺社仏閣に富が集まるのを防ごうとする(楽市楽座など)。最後に、封建領主の支配をなくしてしまえば、市場の機能は完全なものとなる。
純粋贈与は、贈与(し合うという)循環を断ち切る。モノの循環システムを壊してしまう。贈与ではモノを受け取るが、純粋贈与ではモノを受け取ることを否定する。モノの物質性や個体性は受け渡された瞬間に破壊されてしまう。贈ったことも贈られたことも記憶されることを望まない。
他者の悦楽は女の悦楽である(ラカン)。女性の身体が全身で他者を許容し、受け入れるときに発生する悦楽。
人が笑うのは、ほとんどが、剰余のエネルギーの浮遊状態が作り出されたとき。きちんとした紳士がバナナの皮にすべって転ぶときに笑うのは、紳士の身なりに緊張を強いられ、バナナの皮にすべったときにショート・サーキットがつくられ、そのとき余ったエネルギーが筋肉運動の方に流れて行こうとするから。
みたいな話。
映画の世界なんかはまさにそうなんだろうけど、「どんな作品になるか」ということは「どんな物語にするのか」ではなくて「誰をキャスティングするのか」ということでほとんど決定する、かもしれない。そういえば、「どんな会社になるか」というのは「どんな事業をするのか」ではなくって、「どんな人と会社を作るか」によって左右される、と『ビジョナリーカンパニー』という本に書いてあった。その通りかもしれない。ヒューレットさんとパッカードさんは、まず信頼できる仲間を集めてから「さて、何をしようか」と考えた。井深さんと盛田さんもそうだった。らしい。
これって、批評についても言えることだと思う。
ということで、内容はよくも悪くも非常に刺激的。ちゃんとこれ、二倍くらいの分量にまとめてほしいな。
個人的に印象に残ったのは、この箇所。「語りかけ」というテーマについては、最近読んだ川崎徹と重なっている。
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私たちのまわりで、何かが私たちに向かって応答するのをやめています。私たちがその何かに対して、「適切な問いかけ」をおこなうのに失敗しているからです。ペルスヴァルとは違って、その何かに問いかけをしなかったから、そうなっているのではありません。人間はうるさいくらいに饒舌に、その相手に話しかけてきました。しかし、話しかけ方、問いかけ方がまずいために、その相手は深い沈黙に入ったまま、応答を送り返してこないのです。
その「何か」のひとつが、「自然」であることは間違いありません。今日では科学が、もっぱらこの自然への問いかけ役の正統的な地位を独占している感があります。(…)
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人間が問いかける対象は、4万年の昔も、今も、変わらない。自然と、人間自身だ。対象が変わらないのに、問いかけ方は随分と変わってきた。現代社会における「問いかけ方」は決して普遍的なものではない。
ということをまず中沢さんは言いたいのだと思う。
「問いかけ方」については、いろいろなオプションがある方がいい。いろいろオプションを持っていたほうが、おりこうさんだ。
「純粋贈与」の概念を導入することによって,こんなにもすっきりと整理できるとは驚きである。
しかも,大学での講義をもとにしているため,哲学書や思想書にありがちなまわりくどい文語体ではなく,平易な文章でかかれている。
難しいことをわかりやく語ることほど難しいものはない!
現在,ビジネス書でとりあえげられているエモーショナルマーケティングやLinuxなどのオープンソースプロジェクトも,本書の文脈で十分理解できる。この本を片手に自分自身で思考をめぐらせれば,社会がどのような方向にすすもうとしているのかヒントを見つけられるのではないか。学生や哲学好きの方だけではなく,ビジネスマンにも読んで欲しいシリーズだ。
全体性としての経済を理解するための指標は「交換」「贈与」「純粋贈与」であるとし、「純粋贈与」は神の領域に属するものであると述べられる。「純粋贈与」と「贈与」が結びつくと増殖が惹き起こされる。
そして、経済は「交換」の原理だけではなく、「純粋贈与」と「贈与」の原理と密接に結びつかなければいけないとする。
21世紀の資本主義社会において、「愛」と「経済」を全体性として捉えるというのは、具体的にどういうことなのかは、わからなかった。
内容は難しいが、簡単に書いてくれているので楽しめた。
カイエ・ソバージュ(野放図な思考の散策)シリーズ第三巻。
本巻では「愛」と「経済」、反対方向を向いているとしかみなされない
この二つが、まるで兄弟の関係にあることが語られてゆく。
合理的な経済を支えているのは交換の原理ではあるが
この合理性を、無意識のように背後から支えているのが
不確定性をはらんだ贈与の原理であり、その贈与の極限には
神の領域に属する純粋贈与の原理が現れてくるのだという。
純粋贈与の力が贈与と結びつく時、そこには「たましい=霊力」
の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる。
しかし純粋贈与する力が交換の原理と接触するとき
そこには資本の増殖が起こり、それは「たましい」の活動を押し殺す。
だから現代の私たちの生活、資本の増殖は物質的な豊かさをもたらせても
「たましい」の豊かさをもたらすことはできないのだという。
純生産と資本を結び合わせること、それが「資本主義の夢」だ。
その夢を少しだけ実現させてみたのがクリスマスである。
交換と贈与との愛の結合。しかし私たちの経済システムにおいて、
毎日がクリスマスであることは残念ながら不可能である。