本書は、服飾史の観点から、中世ヨーロッパの色彩に対する概念や価値観を読み解いた一冊である。
今迄何気なく観ていた美術作品の色使いには、実は重要な意味が隠されていた…そんな事に気付かせてくれるのが本書であり、極めて新鮮な著作であった。
本書は、シシル著『色彩の紋章』に基いて論述を展開させている。
扱う色は、赤、青、緑、黄、白黒のモノクローム、金と銀、そして多色使いに依る縞模様だ。
意外に少ない…と感じる方もいるかもしれないが、当時は「色」は神の創造物という概念があった為に、微妙な中間色が現れるのは後世になってからとの事、誰しも納得出来るであろう。
さて、本書は上記に挙げた各色について、様々に興味深い指摘をしている。
例えば、当時最も好まれた赤については、本来は高級織物を意味した「スカーレット」に因んで権威の象徴と見做され、更には「赤=血の色」である事から、一種の「おまじない効果」を期待していた事を述べているのだ。
「赤色を身に纏えば血が止まる」というのは、何やら稚拙な俗信にも思えるが、日本に於いてもこのような迷信はいくらでも存在するので、洋の東西を問わず、中世人の発想の原点を考えてみるのも一興であろう。
また、キリスト教の発達に伴って急速に青が注目され、聖母マリアの衣の色として定着した事、新緑の緑が「移ろい易さ」を暗示する事、何故か忌み嫌われた黄色が差別的な意味を持っていた事、更には「負」のイメージを持つ黄色と緑の組み合わせが一層の相乗効果を演出した事等など…ここで全てを紹介し切れないのが残念ではあるが、何れも首肯出来る内容ばかりで、とにかく面白い。
尚、解り易い例を引用しながら解説を進めているのも本書の特色で、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』に始まり、中世文学の『トリスタン物語』、更には昨今大人気を誇った『シュレック』等も引き合いに出しているので、非常に親しみ易いのだ。
更には、美術作品の掲載も豊富であり(白黒なのが残念ではあるが)、取り分け、ティツィアーノ《改悛するマグダラのマリア》に於いて、正しく著者が指摘する通りの「娼婦の象徴である縞模様」のショールが描き込まれているのに気付いた時には驚きを感じずにはいられなかった。
一つの色彩がこんなにも豊かに感じられたのは初めてであり、本書のお陰で、名画に隠された色彩の意義深さを実感した次第である。
但し、本書は服飾史、特に大半をフランス中心としている事から、若干の偏りがある事は否めない。
例えば、シャルトル大聖堂のステンド・グラスを取り上げて「聖母の色として青が価値を高めた故」と帰結しているが、実際には、シャルトルは光の弱い北側に、敢えて採光に適した青を用いたという合理性もあった為、その証拠に南側は赤が際立っている。
勿論、本書に限らずシャルトル・ブルーを「青の勝利」と見做す論考は多いものの、だからと言って「シャルトル・ブルー=聖母マリア信仰」と断定するのは少々短絡的ではなかろうか。
また、本書の論述に従えば、ヴァチカンの衛兵は「道化の服装」の一例になろうし、その他にも後期ゴシックからルネッサンス期に掛けてのイタリア絵画には、この「道化」が随分と登場する事になってしまうが、当時の人々はどのように思っていたのだろう…と言う疑問も残る。
本書は「多色使いの縞模様」や「左右色違い」を既成の事実として「道化」と位置付けているが、寧ろ、この独特の装いを遡り、その価値観の変化を追えば、より一層説得力のある著作になったと思うと、その点がやや残念でならない。
尤も、本書はこのように幾つかの難点はあるものの、それを大きなマイナス要因とは考えたくない。
何故なら、本書の目的は「色という表象を通して中世人の心の世界に迫る事」であり、それは充分過ぎる位に果たしているからだ。
一つの色を見て、中世人は何を思い、何を連想したのか…。
本書は、色彩に対する価値観と深層心理を読み解く事に依って、新しい世界を見せてくれる良書であり、多くの方にお勧めしたいと思う。
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色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2006/6/10
徳井 淑子
(著)
色に込められたメッセージを読む
黄色に付随する負のイメージ。権力と護符の色としての赤。美しくも不気味な緑。15世紀に大流行する黒――。当時の人々は色にどのようなメッセージを込めたのか?色彩に満ちた時代はどのようにして始まり、そして終焉を迎えたのか?さまざまな色から中世ヨーロッパ人の感情生活を捉え直す。
黄色に付随する負のイメージ。権力と護符の色としての赤。美しくも不気味な緑。15世紀に大流行する黒――。当時の人々は色にどのようなメッセージを込めたのか?色彩に満ちた時代はどのようにして始まり、そして終焉を迎えたのか?さまざまな色から中世ヨーロッパ人の感情生活を捉え直す。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2006/6/10
- ISBN-10406258364X
- ISBN-13978-4062583640
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2006/6/10)
- 発売日 : 2006/6/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 238ページ
- ISBN-10 : 406258364X
- ISBN-13 : 978-4062583640
- Amazon 売れ筋ランキング: - 76,728位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 152位ヨーロッパ史一般の本
- - 256位講談社選書メチエ
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年4月22日に日本でレビュー済み
1949年生まれのフランス服飾・文化史研究者が、主にシシル『色彩の紋章』に依拠しつつ、12〜15世紀の衣服の色を通じて、中世人(主としてフランス)の意識にある色のイメージとその生成過程、その背後にある生活感情を、ヨーロッパ文明の基層として解明しようとして、2006年に刊行した本。中世人は、視覚に優位を置き、目に見えるあらゆる具体的な事物に抽象的な意味を読み込もうとし、色による表示システムを作り出した。色の区分の問題はあるが、中世の色彩体系は白黒を両極とし、中心に赤が位置するという配置をとり、赤、金銀、黒青、緑黄の順に好まれた。赤は鮮明な染色の困難ゆえに権威の象徴であり、同類療法ゆえに止血の護符としての効果を期待された。青は身分を問わずに好まれ、誠実と欺瞞のような相反する価値を付与された。緑は五月の自然を体現し、青春、愛、出産、栄枯盛衰を表した。それに対して、黒は危険、醜さ、悲しみという悪徳を表したし、黄色は裏切りや理性の欠如を示し、ユダヤ人や道化・子どもと結びつけられた。縞や二色のミ・パルティも、道化・娼婦・楽師・奉公人・子どもと結びつき、従属という意味合いを帯びていた。しかし14世紀末頃から、従来嫌悪されていた黒・黄・タンニン色・紫・灰色が汎ヨーロッパ的に流行色となり、色の価値が大きく転換した。その背景には、悲しみ・憂鬱質の再評価や贅沢禁止令があり、また印刷本やプロテスタントの倫理がそれに拍車をかけたとされる。著者はこれをモノクロ重視の近代的感性の誕生と見、分析の限界(202頁)を自覚しつつも、長期持続の転換期としている。本書は色彩という観点からの社会・芸術分析としてきわめて興味深いが、主題の性質や史料的制約ゆえか、歯切れの悪い指摘や推測が多く、イメージの生成過程の分析もやや一般論的に感じるのが残念である。