日本語は非論理的だという蒙昧を啓く書。
人工知能学者の立場から日本語の論理性を解き明かす。
後半、そして通底するテーマとして、早期英語教育の危険性をうったえている。
おもしろく感じたので引用。
”川が見える”
この文の主語は、どこにあるかという問いかけです。
いろいろな主語がとれますよね。例えば、
私が、川を見ている。悠久の時が、川を見ている。(俯瞰的に)日本的な神々が、川を見ている。
言語学者は、このときの”川が”を目的語、対象語といったりするようです。
外国の文法を日本語に当てはめようとする初手が、間違いのような気はしますが。。。
たしかに、小学校の内に英語なんかの勉強をするより、日本語をしっかり教えて欲しかったです。
大人になって気づいたのですが、日本語では動詞の連用形が名詞化する特徴があります。
文法用語で書くと、ナンノコッチャなのですが簡単の話で、
走る→走り
例えば、”韋駄天走り”であるとか、
”ラグジュアリーなその走りは、大人を魅了する”とか。
日本語では文脈から動作の主体を類推できるので、いちいちかきません。
”ラグジュアリーなその走りは、大人を魅了する”とあれば、
車、もしくはエンジンのついているもの。そして、高級であることをいいたいのだろうなと、思うわけです。
論理的か否かは知りませんが、日本語は豊かです。
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日本語は論理的である (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2009/7/10
月本 洋
(著)
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日本語は特殊でも非論理的でもない! 人工知能研究と脳科学の知見を武器に、形骸化した学校文法からは見えなかった、日本語の論理がもつ普遍性と特徴を、非常に明快に解説。返す刀で、小学校での英語教育の根源的問題点を突く。理系と文系を架橋する、まったく新しい角度からの日本語論。(講談社選書メチエ)
- ISBN-10406258445X
- ISBN-13978-4062584456
- 出版社講談社
- 発売日2009/7/10
- 言語日本語
- 本の長さ220ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/7/10)
- 発売日 : 2009/7/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 220ページ
- ISBN-10 : 406258445X
- ISBN-13 : 978-4062584456
- Amazon 売れ筋ランキング: - 591,769位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 834位講談社選書メチエ
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年7月15日に日本でレビュー済み
前著「日本人の脳に主語はいらない」の続編だが、独立に読める。前半
3分の2が日本語の論理性、後半3分の1が教育論に当てられている。
教育論についてはかなり多くの人の賛意を得られるのではないだろうか。
特に「感動の強要」批判と早期英語教育の危険性の指摘は大いに賛同
できる。問題は日本語の論理性の部分である。日本語と英語の相違点を
「主体の論理と空間・容器の論理」「擬人の比喩と容器の比喩」等の
対立項で読み解き、最終的に英語の論理を述語論理、日本語の論理を
命題論理であると結論付ける。前半部はこれまでに類似した主張も多く
なされており、理解できるが、帰結部には疑問が残る。周知の通り、
集合演算は命題論理のモデルであってその意味で同型であると言える。
この集合演算を著者の言う「容器の論理」と結び付けることで、それ
と同型の命題論理に話を持って行きたいのであろうか。いずれにせよ、
読者層や紙幅を考えるとこの種の本では限界がある。万人を納得させる
ためにはフォーマルな体裁で理論を提示する必要があると感じる。
日本語意味論の厳格な定式化としては、本書でも紹介されているが、
既にカテゴリー文法による定式化が提示されている。著者の主張の
正当性は、最終的にこれに対抗できるレベルの理論を提示できるかに
掛かっているように思われる。またこれらに関心のある読者も、本書
が自身の論理を構築するきっかけになるかもしれない。将来の成果に
期待を込めるという意味で、星4つを付けさせて頂きたい。
3分の2が日本語の論理性、後半3分の1が教育論に当てられている。
教育論についてはかなり多くの人の賛意を得られるのではないだろうか。
特に「感動の強要」批判と早期英語教育の危険性の指摘は大いに賛同
できる。問題は日本語の論理性の部分である。日本語と英語の相違点を
「主体の論理と空間・容器の論理」「擬人の比喩と容器の比喩」等の
対立項で読み解き、最終的に英語の論理を述語論理、日本語の論理を
命題論理であると結論付ける。前半部はこれまでに類似した主張も多く
なされており、理解できるが、帰結部には疑問が残る。周知の通り、
集合演算は命題論理のモデルであってその意味で同型であると言える。
この集合演算を著者の言う「容器の論理」と結び付けることで、それ
と同型の命題論理に話を持って行きたいのであろうか。いずれにせよ、
読者層や紙幅を考えるとこの種の本では限界がある。万人を納得させる
ためにはフォーマルな体裁で理論を提示する必要があると感じる。
日本語意味論の厳格な定式化としては、本書でも紹介されているが、
既にカテゴリー文法による定式化が提示されている。著者の主張の
正当性は、最終的にこれに対抗できるレベルの理論を提示できるかに
掛かっているように思われる。またこれらに関心のある読者も、本書
が自身の論理を構築するきっかけになるかもしれない。将来の成果に
期待を込めるという意味で、星4つを付けさせて頂きたい。
2009年12月21日に日本でレビュー済み
著者は日本語が形式論理と同等であり論理的だという.「同等」ということばの意味がよくわからない.しかし,形式論理と 1 対 1 に対応するとはかんがえられないから,形式論理と対応づけられるという以上につよい意味はないだろう.日本語が論理的でないといわれるのは,形式論理と対応づけられないということではなくて,それとの対応関係のあいまいさが英語にくらべておおきいということだろう.それを否定する議論はこの本のなかにはないから,「日本語が英語とくらべて論理的でない」というかんがえを否定する根拠はあげられていないとかんがえられる.だから,この本はその主要なテーマにおいて失敗しているとかんがえられる.
しかし,この本にはおしえられることもおおい.著者は日本では外国人向けには学校文法より合理的な文法が教育されているのに,英文法を無理にまねた学校文法が支持者がほとんどいないのに昔のまま教育されていることを批判している.そこには制度的な問題があることを指摘しているが,民主党政権がそこにきりこんでくれることを期待しておこう.
また,著者は日本語においては母音を左脳できくが,英語をはじめたいていの言語においては母音を右脳できいていることを指摘し,それを小学校での英語教育の問題にむすびつけている.小学校で音声中心の英語教育をすれば母音を左脳できかなくなることを心配している.かんがえすぎのようにもおもうが,興味ぶかい議論ではある.
しかし,この本にはおしえられることもおおい.著者は日本では外国人向けには学校文法より合理的な文法が教育されているのに,英文法を無理にまねた学校文法が支持者がほとんどいないのに昔のまま教育されていることを批判している.そこには制度的な問題があることを指摘しているが,民主党政権がそこにきりこんでくれることを期待しておこう.
また,著者は日本語においては母音を左脳できくが,英語をはじめたいていの言語においては母音を右脳できいていることを指摘し,それを小学校での英語教育の問題にむすびつけている.小学校で音声中心の英語教育をすれば母音を左脳できかなくなることを心配している.かんがえすぎのようにもおもうが,興味ぶかい議論ではある.
2009年8月13日に日本でレビュー済み
> キーワード自虐的言語観、空間のアナロジ
この本を読んで、脳科学方面からの言語学へのアプローチは唯一生産的であることを認識しました。自虐的言語観に基づく欧米的思考法によるマインドコントロールの鬱屈から覚醒し日本文明を見直し元気づける効果があります。
1、自虐的言語観とはまさしく至言。小学校から英語を教えるという風潮には苦々しい感情を抱いていましたが、その害悪は最近増えてきた多動性障害児問題として切迫したものになってきているのではなかろうか。特に母親が、英語かぶれで中途半端な英語の口写しなどやると3歳になるまでに、言語形成の中枢部分が破壊され混迷してしまうのではないだろうか。
2、関数表現 f(x)を主体の論理と説明しているが、クワインの発明に基づく、この記号表現法は、欧米的、アリストテレス式の主語―述語形式(S−P)の表現を場所(トポスの論理)として構成しなおしたのではなかろうか。
>再読して新たに発見したこと。
論理学特に本橋信義筑波大学名誉教授の諸著作にて、現代論理学に触れてみて、最近再び3年前に読んだ本書の斬新性に気づいた。前回はベン図などの意味に無関心であったのだが、数学基礎論から説き起こすべき論理に触れてみると、コンピュータ科学者である月本教授にとっては、論理的であるということは、あまりにも自明的すぎることなのではなかろうか。本書の肝は、まさしく日本語が現代論理学がその基底に置く集合論(=空間、容器モデル)に最もかなった言語であることの具体的な検証ではなかろうか。
この本を読んで、脳科学方面からの言語学へのアプローチは唯一生産的であることを認識しました。自虐的言語観に基づく欧米的思考法によるマインドコントロールの鬱屈から覚醒し日本文明を見直し元気づける効果があります。
1、自虐的言語観とはまさしく至言。小学校から英語を教えるという風潮には苦々しい感情を抱いていましたが、その害悪は最近増えてきた多動性障害児問題として切迫したものになってきているのではなかろうか。特に母親が、英語かぶれで中途半端な英語の口写しなどやると3歳になるまでに、言語形成の中枢部分が破壊され混迷してしまうのではないだろうか。
2、関数表現 f(x)を主体の論理と説明しているが、クワインの発明に基づく、この記号表現法は、欧米的、アリストテレス式の主語―述語形式(S−P)の表現を場所(トポスの論理)として構成しなおしたのではなかろうか。
>再読して新たに発見したこと。
論理学特に本橋信義筑波大学名誉教授の諸著作にて、現代論理学に触れてみて、最近再び3年前に読んだ本書の斬新性に気づいた。前回はベン図などの意味に無関心であったのだが、数学基礎論から説き起こすべき論理に触れてみると、コンピュータ科学者である月本教授にとっては、論理的であるということは、あまりにも自明的すぎることなのではなかろうか。本書の肝は、まさしく日本語が現代論理学がその基底に置く集合論(=空間、容器モデル)に最もかなった言語であることの具体的な検証ではなかろうか。
2021年6月15日に日本でレビュー済み
一部だけしか読んでいませんがかなり気になる部分が多かったです。
論理学についての解説から、日本語は命題論理であると結論づけられていますが、その三段論法からは確かにそういう結論になります。とは言え、それは日本語の文章を命題化して三段論法に当てはめるので言わば当然なのですが。
そもそも命題論理の場合は命題の意味は問わないので命題自体が仮に間違ってもよく、命題同士の関係性で結論が妥当かどうかを判断するものです。
結局日本が論理的かどうかとは直接関係ないように思います。文章の前後から意味が分かるから論理的であるという意見も一理ありますが、実は問題はそこにあります。
前後の文章などから意味が推し量れるということは逆に言うと当該文章だけだといかようにも意味が推し量れてしまう、それで文章と成り立ってしまう表現方法がとれてしまうのが日本語の持つ言わば柔軟性であり非論理的だと言われるところだと思います。
あたかも日本語が劣っていて日本人が非論理的な民族だと言われているように筆者は感じられているのかもしれませんが、日本語自体がかりに非論理的だとしてもそれ自体言語として劣っているという論理にはなりません。
むしろほかの言語にはみられない多様性、柔軟性のある言語と言えるのかもしれません。
いずれにしても非論理的であるという意見に対しての反論があまり論理的ではないようです(全部読んでませんけど(笑))
論理学についての解説から、日本語は命題論理であると結論づけられていますが、その三段論法からは確かにそういう結論になります。とは言え、それは日本語の文章を命題化して三段論法に当てはめるので言わば当然なのですが。
そもそも命題論理の場合は命題の意味は問わないので命題自体が仮に間違ってもよく、命題同士の関係性で結論が妥当かどうかを判断するものです。
結局日本が論理的かどうかとは直接関係ないように思います。文章の前後から意味が分かるから論理的であるという意見も一理ありますが、実は問題はそこにあります。
前後の文章などから意味が推し量れるということは逆に言うと当該文章だけだといかようにも意味が推し量れてしまう、それで文章と成り立ってしまう表現方法がとれてしまうのが日本語の持つ言わば柔軟性であり非論理的だと言われるところだと思います。
あたかも日本語が劣っていて日本人が非論理的な民族だと言われているように筆者は感じられているのかもしれませんが、日本語自体がかりに非論理的だとしてもそれ自体言語として劣っているという論理にはなりません。
むしろほかの言語にはみられない多様性、柔軟性のある言語と言えるのかもしれません。
いずれにしても非論理的であるという意見に対しての反論があまり論理的ではないようです(全部読んでませんけど(笑))
2009年10月6日に日本でレビュー済み
日本語は非論理的であるとよく言われている。「小説の神様」と言われた志賀直哉まで終戦直後には「日本語廃止論」まで唱えてひどいことを言った。
本書はその反証の試みであり、「学校文法」が「自虐的言語観」の原因となっているとか、小学校英語教育は弊害だとかを唱える教育批判の書でもある。
著者の主張は次の3つからなっている。
(1)英語の「主体の論理」と違って、日本語は「空間(容器)の論理」である。
(2)日本語の論理の基本は形式論理である。想像可能性と記号操作可能性を備えており、従って日本語は論理的である。
(3)日本人は母音を左脳で聞き、英国人は右脳で聞く。このことが言語の論理構造の違いとなっている。だから脳機能が未定着な小学生段階での英語教育は有害である。
なかなか刺激的な日本語論で、その主張には共感するところが多く、とても面白い。しかし、著者の論理そのものには納得できないことが多い。素人には記号論理学や数理学的なアプローチが煙ったいということがあるが、やっぱりどこかヘンなのだ。
そもそも論理的でない言語なんてあるのだろうか。どうしても、不等号とか和集合を表現できない言語があるのだろうか。数式や論理式、記号を使わなければ、複雑な論理操作がしにくいというのはどの国のどの言葉でも同じだ。かといって言葉で考えることが不可能というわけではない。
「日本人の左脳」論は、音楽感性の違いとしてよく言われてきた。とはいえ、だからといって小学校英語教育が有害かといえば、やや論理の飛躍があるように思う。それなら帰国子女はみんな日本語がヘンなのか?むしろ、脳の可塑性が低下する10代以降の英語教育のほうが有害もしくは非効率だと言えないか。
この本は、けっこう論理的でない。
本書はその反証の試みであり、「学校文法」が「自虐的言語観」の原因となっているとか、小学校英語教育は弊害だとかを唱える教育批判の書でもある。
著者の主張は次の3つからなっている。
(1)英語の「主体の論理」と違って、日本語は「空間(容器)の論理」である。
(2)日本語の論理の基本は形式論理である。想像可能性と記号操作可能性を備えており、従って日本語は論理的である。
(3)日本人は母音を左脳で聞き、英国人は右脳で聞く。このことが言語の論理構造の違いとなっている。だから脳機能が未定着な小学生段階での英語教育は有害である。
なかなか刺激的な日本語論で、その主張には共感するところが多く、とても面白い。しかし、著者の論理そのものには納得できないことが多い。素人には記号論理学や数理学的なアプローチが煙ったいということがあるが、やっぱりどこかヘンなのだ。
そもそも論理的でない言語なんてあるのだろうか。どうしても、不等号とか和集合を表現できない言語があるのだろうか。数式や論理式、記号を使わなければ、複雑な論理操作がしにくいというのはどの国のどの言葉でも同じだ。かといって言葉で考えることが不可能というわけではない。
「日本人の左脳」論は、音楽感性の違いとしてよく言われてきた。とはいえ、だからといって小学校英語教育が有害かといえば、やや論理の飛躍があるように思う。それなら帰国子女はみんな日本語がヘンなのか?むしろ、脳の可塑性が低下する10代以降の英語教育のほうが有害もしくは非効率だと言えないか。
この本は、けっこう論理的でない。
2009年7月21日に日本でレビュー済み
月本氏の独自の日本語論。
「日本語は論理的でない」とする俗説を切り捨て、その論理性を明らかにし、また独自の脳科学の成果に基づいて、英語教育や国語教育にも提言を行っている。一つ一つの主張、全体の主張は検討に値するし、納得できる点も多い。
しかし、やや本書のサイズでは詰め込みすぎ・端折りすぎではないだろうか。中盤以降の日本語の論理性の主張、脳科学の実験の成果、学校文法、小学校英語教育の議論はやや忙しく、つながりや展開が急である。もう少し余裕をもって論じたほうがなおいっそうよかったのではないだろうか。
「日本語は論理的でない」とする俗説を切り捨て、その論理性を明らかにし、また独自の脳科学の成果に基づいて、英語教育や国語教育にも提言を行っている。一つ一つの主張、全体の主張は検討に値するし、納得できる点も多い。
しかし、やや本書のサイズでは詰め込みすぎ・端折りすぎではないだろうか。中盤以降の日本語の論理性の主張、脳科学の実験の成果、学校文法、小学校英語教育の議論はやや忙しく、つながりや展開が急である。もう少し余裕をもって論じたほうがなおいっそうよかったのではないだろうか。
2010年1月31日に日本でレビュー済み
日本語は論理的、という主張の根幹は、1.日本語は「容器の比喩」が中心(「論文には内容がない」の「論文」は容器に見立てられている)、2.形式論理のうちの文の接続関係はベン図という集合を表わす円=容器で表わされる、3.したがって、日本語は、論理的である形式論理と同じ論理・同じ比喩に則っているのだから論理的だ、というもの。確かに「容器の比喩」とベン図、似ているといえば似ている。しかし、「だから日本語は論理的」と言われると、首を傾げざるをえない。形式論理というのは確かに論理的なのだろう。だが、形式論理をもってくるなら、そもそも各民族語が論理的であるとか論理的でないとかいうことは、形式論理に照らし合わせて決めるべきものなのか、そこからきちんと議論すべきではないだろうか。というように、議論の進め方の根幹に腑に落ちないところもあるのだが、いろいろと刺激的な論点も出されていて、言語(とくに言語教育)に興味のある方に一読を薦める。