ちょっとBLが混じってますが、
騙されたと思って、毛嫌いせずに読むことをおすすめします。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥1,056¥1,056 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥1,056¥1,056 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥1¥1 税込
配送料 ¥280 6月16日-18日にお届け
発送元: ネットオフ 販売者: ネットオフ
¥1¥1 税込
配送料 ¥280 6月16日-18日にお届け
発送元: ネットオフ
販売者: ネットオフ
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
李歐 (講談社文庫 た 66-1) ペーパーバック – 1999/2/8
高村 薫
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,056","priceAmount":1056.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,056","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"%2B8n33E%2FWpCPZuDObFtBnAO7%2B5JzE5HIFA68uypDsNzDpHYG9nPqljkyKRfSa%2Fb7z9CIugXGVpeZ2z872yPvR5Ro9CdT7JPqiakwUONdTCM78lEOoChdoyKOXusPPW0HE","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥1","priceAmount":1.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"%2B8n33E%2FWpCPZuDObFtBnAO7%2B5JzE5HIFNKoxQm3Dy4TohU%2BI1Cw9he39AK1rU%2BXORzHe1dO%2Bc%2Bl4Yqjih%2B%2B72%2BB79%2Bgd%2FB%2Fs66nbPnCtiO8xYC1VeqqnRszArxyN4w7Wx1ItcyhOZIVxXEzQOy1r5l%2BcWH7vkEAyrljg63%2FTh%2Bo1d8RgZ8X%2FQQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
李歐よ君は大陸の覇者になれぼくは君の夢を見るから――
惚れたって言えよ――。美貌の殺し屋は言った。その名は李歐。平凡なアルバイト学生だった吉田一彰は、その日、運命に出会った。ともに22歳。しかし、2人が見た大陸の夢は遠く厳しく、15年の月日が2つの魂をひきさいた。
『わが手に拳銃を』を下敷にしてあらたに書き下ろす美しく壮大な青春の物語。
とめどなく広がっていく夢想のどこかに、その夜は壮大な気分と絶望の両方が根を下ろしているのを感じながら、一彰は普段は滅多にしないのに、久々に声に出して李歐の名を呼んでみた。それは、たっぷり震えてかすれ、まるで初めて恋人の名を呼んだみたいだと、自分でも可笑しかった。――本文より
惚れたって言えよ――。美貌の殺し屋は言った。その名は李歐。平凡なアルバイト学生だった吉田一彰は、その日、運命に出会った。ともに22歳。しかし、2人が見た大陸の夢は遠く厳しく、15年の月日が2つの魂をひきさいた。
『わが手に拳銃を』を下敷にしてあらたに書き下ろす美しく壮大な青春の物語。
とめどなく広がっていく夢想のどこかに、その夜は壮大な気分と絶望の両方が根を下ろしているのを感じながら、一彰は普段は滅多にしないのに、久々に声に出して李歐の名を呼んでみた。それは、たっぷり震えてかすれ、まるで初めて恋人の名を呼んだみたいだと、自分でも可笑しかった。――本文より
- 本の長さ522ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1999/2/8
- 寸法10.8 x 2 x 14.8 cm
- ISBN-104062630117
- ISBN-13978-4062630115
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 李歐 (講談社文庫 た 66-1)
¥1,056¥1,056
最短で6月14日 金曜日のお届け予定です
残り14点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
1953年、大阪に生まれる。国際基督教大学を卒業。商社勤務をへて、1990年『黄金を抱いて翔べ』で第3回日本推理サスペンス大賞を受賞。’93年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、『マークスの山』で直木賞を受賞。’98年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。他に『神の火』『地を這う虫』『照柿』などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1999/2/8)
- 発売日 : 1999/2/8
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 522ページ
- ISBN-10 : 4062630117
- ISBN-13 : 978-4062630115
- 寸法 : 10.8 x 2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 70,774位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1953(昭和28)年、大阪市生れ。
1990(平成2)年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。同年『マークスの山』で直木賞を受賞する。1998年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞を受賞。2006年『新リア王』で親鸞賞を受賞。2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞を受賞する。他の著作に『神の火』『照柿』『晴子情歌』などがある。
カスタマーレビュー
星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
89グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この小説は著者が1992年に書いた『我が手に拳銃を』の改作だという。高村薫氏は著作を単行本で出版した後、文庫に収録される際にも大幅な書き換えを行うといわれるが、標題まで変えてしまうのは珍しいと思われる。何を意図して改作したのかと興味が掻き立てられるが、前作が入手しがたく比較できないのが残念だ。
物語は構造的に前段と後段に分かれる。前編の主人公は吉田一彰である。後段に入ると一彰は語り手または聞き手の地位に退き、代わって李歐が躍り出てくる。交代は隠微に行われ判りにくいが、本書のタイトルからも、真の主役は李歐である。その「後段」では守山耕三、笹倉文治という戦争体験世代が加わって、物語が歴史の深みを帯びてくるのも特徴である。
吉田一彰は判りやすい。彼は自分の生を生きていない。冷酷な父と美人で浮気な母、大阪で出会う韓国や中国籍の怪しげな青年たち。6歳の少年にとってそこは「芝居小屋」で、自分も出演者の一人であるような気分。そこから生じる演技者たる自分への「不実感」と憎悪。そこから生じる「破壊願望」。
意味不能な人間たちに対し、鉄塊とそこから創り出される拳銃は彼にとって唯一実在が感じられる無機質だ。工作機械や拳銃の詳細を描写する著者の知識と表現力は圧巻だが、一彰にとってこれらの器物は、いくら構造が複雑でも、手順に従えば組立・分解・修復が可能であり、勿論破壊することも可能で、特に拳銃は、確実な制御のもとで確実に人命を奪うことが出来、実際に行わずとも、一彰の破壊願望を充足する。
大事なことは、李歐に出会うまで一彰は自分探しの旅をしていたということだ。その李歐に対する意識の目覚めが、凄惨な殺人であったのは衝撃的だが、彼たるや、一彰と同じく我々もその正体がつかめない。一彰のリアルに対して空想的すぎるのである。あるときは殺し屋、自己紹介ではギャング、またあるときは共産ゲリラの指導者で麻薬の密売人。シカゴでは相場師。ロンドンでは投資家。香港では、スイスでは……と世界を股に掛ける。いい加減にして欲しくもなる。大阪の町工場で、数百万円の手形が落ちる落ちないで苦労している一彰とは雲泥の差である。
だから李歐に関してはこう言っていいだろう。彼は一彰の理想の分身であると。当然李歐と出会った後の一彰は変身する。李歐をあがめる一彰の気持ちとそれに応ずる彼との関係はホモセクシャルとホモソーシャルの混在として表現される。リアリズム小説風に読んでここに嫌悪感を抱く書評は数多いが、本書のスタイルは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(邦訳1972年)に代表される、マジックリアリズムというべきであろう。
ついでに言うと、高村氏は『海燕』1993年10月号で、「わたしは今に至るまで、ミステリーを書いているつもりはない。わたしは小説を書いているのであって、それがたまたま恋愛小説とか純文学とか私小説とかでなかっただけ」と述べているそうだ。氏をミステリー作家と規定し、その範疇で読んでいる読者が肩すかしを食わされるのも当然だろう。
ではこの本は何をいおうとしているのか。わたしの考えは二つ。一つは中国と中国人への賛美。現在の共産主義?中国と金権主義中国人のことではない。引用される唐詩が語るような、4千年の歴史に育まれた本質的な中国と中国人像。それを具象化するように、金儲けに徹したはずの李歐が最後に目論むのは、黒竜江省の広大な原野の開拓だ。この部分は李歐にとことん惚れ込んだもう一人の人物、笹倉の発言が適切に語る。実際、李歐と対等に付き合うことが出来る日本人は、一彰でなく、この老獪な人物である。
「諸行無常にならないのが中国人です……利害なんか小さい話で、[わたしと]なにが合うたと言うて、多分世界観です」「なるほど、この東北の大地に立ちますと、今日明日やない、百年千年先の大地のために種をまく、というような発想でも、あながち生まれてこないとも言えません……」一彰が最後に会得したのもこの世界観だ。
その他、多出される桜は、日中間の長い友好的な歴史を象徴する。作者にとってこういうことが判ってもらえるなら、小説としての「座りの善し悪し」はたいした問題ではないのだろうと思う。
もう一つ、これは日本人へのメッセージ。文庫版が1999年に出たこととも関係しているが、この頃からにわかに「内向き」になった日本の若者に、世界を駆け回る李歐を見せて、狭量な自国第一主義からの脱出を促していると思うのである。
物語は構造的に前段と後段に分かれる。前編の主人公は吉田一彰である。後段に入ると一彰は語り手または聞き手の地位に退き、代わって李歐が躍り出てくる。交代は隠微に行われ判りにくいが、本書のタイトルからも、真の主役は李歐である。その「後段」では守山耕三、笹倉文治という戦争体験世代が加わって、物語が歴史の深みを帯びてくるのも特徴である。
吉田一彰は判りやすい。彼は自分の生を生きていない。冷酷な父と美人で浮気な母、大阪で出会う韓国や中国籍の怪しげな青年たち。6歳の少年にとってそこは「芝居小屋」で、自分も出演者の一人であるような気分。そこから生じる演技者たる自分への「不実感」と憎悪。そこから生じる「破壊願望」。
意味不能な人間たちに対し、鉄塊とそこから創り出される拳銃は彼にとって唯一実在が感じられる無機質だ。工作機械や拳銃の詳細を描写する著者の知識と表現力は圧巻だが、一彰にとってこれらの器物は、いくら構造が複雑でも、手順に従えば組立・分解・修復が可能であり、勿論破壊することも可能で、特に拳銃は、確実な制御のもとで確実に人命を奪うことが出来、実際に行わずとも、一彰の破壊願望を充足する。
大事なことは、李歐に出会うまで一彰は自分探しの旅をしていたということだ。その李歐に対する意識の目覚めが、凄惨な殺人であったのは衝撃的だが、彼たるや、一彰と同じく我々もその正体がつかめない。一彰のリアルに対して空想的すぎるのである。あるときは殺し屋、自己紹介ではギャング、またあるときは共産ゲリラの指導者で麻薬の密売人。シカゴでは相場師。ロンドンでは投資家。香港では、スイスでは……と世界を股に掛ける。いい加減にして欲しくもなる。大阪の町工場で、数百万円の手形が落ちる落ちないで苦労している一彰とは雲泥の差である。
だから李歐に関してはこう言っていいだろう。彼は一彰の理想の分身であると。当然李歐と出会った後の一彰は変身する。李歐をあがめる一彰の気持ちとそれに応ずる彼との関係はホモセクシャルとホモソーシャルの混在として表現される。リアリズム小説風に読んでここに嫌悪感を抱く書評は数多いが、本書のスタイルは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(邦訳1972年)に代表される、マジックリアリズムというべきであろう。
ついでに言うと、高村氏は『海燕』1993年10月号で、「わたしは今に至るまで、ミステリーを書いているつもりはない。わたしは小説を書いているのであって、それがたまたま恋愛小説とか純文学とか私小説とかでなかっただけ」と述べているそうだ。氏をミステリー作家と規定し、その範疇で読んでいる読者が肩すかしを食わされるのも当然だろう。
ではこの本は何をいおうとしているのか。わたしの考えは二つ。一つは中国と中国人への賛美。現在の共産主義?中国と金権主義中国人のことではない。引用される唐詩が語るような、4千年の歴史に育まれた本質的な中国と中国人像。それを具象化するように、金儲けに徹したはずの李歐が最後に目論むのは、黒竜江省の広大な原野の開拓だ。この部分は李歐にとことん惚れ込んだもう一人の人物、笹倉の発言が適切に語る。実際、李歐と対等に付き合うことが出来る日本人は、一彰でなく、この老獪な人物である。
「諸行無常にならないのが中国人です……利害なんか小さい話で、[わたしと]なにが合うたと言うて、多分世界観です」「なるほど、この東北の大地に立ちますと、今日明日やない、百年千年先の大地のために種をまく、というような発想でも、あながち生まれてこないとも言えません……」一彰が最後に会得したのもこの世界観だ。
その他、多出される桜は、日中間の長い友好的な歴史を象徴する。作者にとってこういうことが判ってもらえるなら、小説としての「座りの善し悪し」はたいした問題ではないのだろうと思う。
もう一つ、これは日本人へのメッセージ。文庫版が1999年に出たこととも関係しているが、この頃からにわかに「内向き」になった日本の若者に、世界を駆け回る李歐を見せて、狭量な自国第一主義からの脱出を促していると思うのである。
2023年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初版とはかなり違うため驚きました。彼女のご自分の作品に対する余りにも真摯で自分に厳しい姿勢に打たれました。
2020年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
李歐が主人公ですが、紙面の多くを割いている吉田一彰が人間的な魅力が全くなく、
はっきり言って嫌な奴なのでそこの点だけで読むのが苦痛でした
それがゆえに李歐の存在がなおいっそう際立つのでしょうが...
はっきり言って嫌な奴なのでそこの点だけで読むのが苦痛でした
それがゆえに李歐の存在がなおいっそう際立つのでしょうが...
2021年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者は丁寧に主人公の生い立ちを説明する。なぜ彼がそうなったか、彼が自覚しようとしないに関わらず。出会いと別れ、起こったことと起こらなかったこと、愛と憎しみを丁寧に描く。読み手は作者と一緒に、大阪の下町、昭和の日本から現在まで、それも相当ヤバイことから、決して経験できないことどもを味わうことができる。スリリングな快感である。
2020年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一気に読んだ。コミック的ではあるが、マークスの山を思い出させる好著。
2021年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大阪市のリアルな地名が出て来て楽しく、地図を見ながら読み進めていました。主人公の人柄に惚れた。
2009年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
心が凍り付くような残忍性を持ちながら、最後には理想を達成してしまう李歐さま、かっこよすぎて、ありえないでしょうと思いながらも
彼に惚れてしまった主人公と同じ気持ちになりながら、一気に読んでしまいました。
彼に惚れてしまった主人公と同じ気持ちになりながら、一気に読んでしまいました。