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やがて哀しき外国語 (講談社文庫 む 6-17) 文庫 – 1997/2/14
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初めてプリンストンを訪れたのは1984年の夏だった。F・スコット・フィッツジェラルドの母校を見ておきたかったからだが、その7年後、今度は大学に滞在することになった。2編の長編小説を書きあげることになったアメリカでの生活を、2年にわたり日本の読者に送り続けた16通のプリンストン便り。
- 本の長さ286ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1997/2/14
- 寸法10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-104062634376
- ISBN-13978-4062634373
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1997/2/14)
- 発売日 : 1997/2/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 286ページ
- ISBN-10 : 4062634376
- ISBN-13 : 978-4062634373
- 寸法 : 10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 30,632位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 96位ロシア・東欧文学研究
- - 422位講談社文庫
- - 561位日本文学研究
- カスタマーレビュー:
著者について
1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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村上春樹が自身の小説で持ち出す音楽的小道具やこのエッセイにも登場する「ツインピークス」「羊たちの沈黙」などもそうだが、団塊ジュニアである自分にはシェアするものが多いと感じる。一方、仕事柄(国外ではあるが)Z世代と接することが多いのだが、ジョンレノンもビートルズも知る者がいないことに気づく。自分の父親世代とは連続性のある文化圏にいたのだろうが、現代はTikTok などが旧来の文化に取って代わり、そうはなっていないのだろう。
ジョンコルトレーンについて知っていても何かいいわけではないし、Z世代からすれば雑音のような音楽に金を払っていた人たちに映るのではないだろうかと思うことがある。80ー90年代というのは日米とも中間層が厚く、日本の田舎でもピアノ教室が雨後の筍のように乱立したが、押しなべて経済的に豊かだった時代なのだろう。
団塊ジュニアの一人として、筆者のように文化を愉しめることは一つのメリットなのでそれは継続するが、全現象を文学的フィルターで観察することはしたくないのと、文学の普遍性を自身のそれともしたくないのである。(自分には貴族のように映る)団塊の世代の一員と分かり合うチャンネルは少なくていい。このエッセイを読んで思ったことでした。
村上春樹さんのエッセイは、以前にも『螢・納屋を焼く』と『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を再読して面白かった記憶です。
本書は、村上春樹さんが、1991年に、ニュージャージー州プリンストン大学の客員研究員として招聘され渡米した時に体験したり、考えさせられたことなどを書いたエッセイです。
村上春樹さんは、プリンストンに2年半滞在し、その後マサチューセッツ州のケンブリッジ(ボストン近接している)に2年滞在してから帰国しています。
プリストン大学村では、飲むビールがバドワイザー、ミケラブ、ミラー、シュリッツなどを飲んでいると怪訝な顔をされてしまいます。
無難にやりすごすならハイネッケンなんだそうです。
村上さんが地元のローカル新聞「トレントン・タイムズ」を読んでいるから変人と思われたようです。
NYタイムズの日曜版だけは取っていたからなんとかコレクトされたようですが。
この大学村で、レーガンがファンで、スティーブン・キングは全部読んでいて、客が来るとケニー・ロジャースのレコードをかけるというような先生がいたら、たぶんまわりの人間からあまり相手にされず大学社会内交際からはみ出し、大学で生き残っていけないだろうとも書いていました。(P44)
「大学村スノビズムの興亡」という章で読んだことですが、学生も教師たちもあたりまえに階級意識が身についていてムカつくというより笑えてしまったのです。
「バークレーからの帰り道」という章で村上さんが西海岸からニューアーク空港に戻ってきたとき酷い天気なのでレンタカーを借りるのをやめてリムジンを利用しました。(タクシーだと料金をボラれることがあるから)
その時リムジンの黒人の運転手とジャズについて会話する内容を興味深く読んでしまいました。
前章の「誰がジャズを殺したか」と重ねて読むとジャズそのものの行く末を語るように思えてしまいました。
評者も80年代だったと記憶していますが、来日したソニー・ロリンズのコンサート(名古屋公演)を聴きに行き、途中で席を立って会場から出てきてしまいました。(インド音楽とのフュージョンのような演奏に我慢できなくなったから)
本書を30年という時差を考えながら読むと頑なにまで変わらないアメリカと、トランプのような大統領が出現したアメリカという国を改めて考えさせられてしまったのです。
もちろん30年後の日本の変容(ジャパン・アズ・ナンバー・?)ぶりも捉えながらですが。
読んだ本なのにほとんど初めて読むような新しい発見もあり楽しく読み終えました。
変化してないわけじゃないと思われるけれども、本質が変わっていないということなのか、私が成長してないだけなのか?