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国家・宗教・日本人 (講談社文庫 し 1-25) 文庫 – 1999/6/1
なぜオウムなのか、憲法、日本語「この国」の問題を語りつくした対談集
宗教と日本人、「昭和」は何を誤ったか……、迷走する現代の状況をいかに克服して未来へつなげるのか!?ユニークな“司馬史観”で“日本人”を問い続けた偉大な作家と、ユーモア溢れる理論派で当代きっての読書家が、日本の諸問題をわかりやすく語りつくした対談集。心に問いかける「日本」への熱いメッセージ!
- 本の長さ168ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1999/6/1
- ISBN-10406264598X
- ISBN-13978-4062645980
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商品の説明
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語科卒。産経新聞社勤務中から歴史小説の執筆を始め、’56年『ペルシャの幻術師』で講談倶楽部賞を受賞する。その後、直木賞、菊池寛賞、吉川英治文学賞、読売文学賞、大仏次郎賞などに輝く。’93年文化勲章を受章したが、’96年72歳で他界した。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』など“”司馬史観と呼ばれる著書多数がある。
【井上ひさし】
1934年山形県生まれ。上智大学仏語科卒。劇作家、小説家。在学中から戯曲を書き活躍。’64年に脚本を執筆し始めたTV「ひょっこりひょうたん島」が大ヒットする。’72年『手鎖心中』で直木賞受賞。その後、日本SF大賞、読売文学賞、吉川英治文学賞などに輝く。『東京セブンローズ』『四千万歩の男』などの著書が多数ある一方で、こまつ座座付き作者としても活躍する。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1999/6/1)
- 発売日 : 1999/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 168ページ
- ISBN-10 : 406264598X
- ISBN-13 : 978-4062645980
- Amazon 売れ筋ランキング: - 853,884位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 777位日本論
- - 11,120位講談社文庫
- - 13,075位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
昭和9年(1934)、山形県生まれ。上智大学外国語学部フランス語科卒。浅草フランス座文芸部兼進行係などを経て、戯曲「日本人のへそ」、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」などを手がける。47年「手鎖心中」で直木賞受賞、54年「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞、翌年読売文学賞戯曲賞を受賞。56年「吉里吉里人」で日本SF大賞、翌年読売文学賞小説賞を受賞。平成11年、菊池寛賞受賞。平成16年、文化功労者。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 ボローニャ紀行 (文春文庫) (ISBN-13:978-4167111281 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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そそられます。「日本人の器量について」という
テーマは、若者に向けられたメッセージのようです。
挙げられる例は、オウム真理教など少々古いのですが、
10年ほど前の日本を思い出してみると、司馬さんと井上さんの
メッセージが伝わるのではないでしょうか。
お互いのコメントを生かしきれていない面があり、
どちらか一方が話した後(内容はとても良いのですが)に、
「そうですね」で終えられてしまう点が少し残念です。
もう少し、話に深みが欲しいですね。
本書は、1999年に刊行された文庫版なのだが、初出は雑誌『現代』に、1995年6月から翌1996年1月に掲載されたものである。
「宗教と日本人」の章では、オウム真理教のサリン事件のあとでもあり、日本という国が、あまりにも宗教に無知な社会になっていることに言及していてた。
「『昭和』は何を誤ったか」の章では、司馬さんの持論である明治憲法のもとで統帥権が鬼っ子のように生まれ、それが参謀本部の暴走を招いた。それを「鬼胎」と表現したことを、井上ひさしさんが語っていた。
その「鬼胎」が、昭和10年の天皇機関説を攻撃し、美濃部達吉が著した『憲法撮要』を発禁処分にしたことから無謀な英米戦争へとひた走ることになったことなど両氏が語っている。
「良い日本語、悪い日本語」の章では、「言葉における政治家の責任」について井上ひさしさんが、言葉にまったく「肉感性」がないと語っていたのだが、今や国会中継をTVで視聴していても「肉感性」などとは程遠く「誠実性」も感じない空疎な言葉しか聴くことが出来なくなってしまった、と感じているのは評者だけだろうか。
最終章「日本人の器量を問う」で、井上ひさしさんが「停滞を何とか克服しながら、みんなして、美しき停滞から成熟へ、この国を持っていかなければいけませんね。」と最終ページで述べていたのを読み、両氏の対談からはや18年過ぎた今、空しい気分に落ち込みながら本書を読み終えたのです。
学問に携わる身としては、実態にそぐわず感覚だけで話している箇所が気にかかるが、
そもそも、そのような視点で読むような本ではない。「こういう考え方もあるのか」という新鮮
な発見を楽しむ本。