本書は、桓武天皇から宇多天皇のころまで、つまり平安時代初期を扱った通史シリーズの一冊である(延喜・天暦の治は次巻)。
通史シリーズではあるが、本書は既に平安時代初期の大雑把な歴史が頭に入っている人向けに、その細かい位置づけや普通の通史では扱いが軽いトピックスを深掘りする本である。このことは、参考文献がほぼ論文で、本がほとんど挙げられていないことからも見て取れる。
なので、平安時代初期の歴史を全然知らない人が本書を読んでも全く理解できないと思う。そういう人には別の本(例えばやや古いが目崎徳衛
平安王朝
など)を読むことを勧めたい。
しかし逆に、基本的な通史が頭に入っている人には、一歩進んだアドバンストな話を知ることが出来る好著である。
あえて言えば一章と六章が通史部分である。ただしその記述は、二章で深く扱う「天皇をどう位置付けるか」という問題意識からもっぱら描かれている。
三章が対外関係で、ここは全体の話の伏線になっている。五章が中央の行政機構、七章~九章が律令制の下での徴税・統治システムの破綻を地方の実態から描き出している(徴税が出来なくなっていく中でいかにごまかしを行うか、の具体的な話がわんさか出てきて、いろいろな理屈を考えるものだなと感心してしまう)。タイトル通りで「律令国家の転換(公地公民、班田収授の崩壊と地方分立、土地課税への移行)」の話が本書のかなりの部分を占めている。
四章がやや浮いた章で、天台宗と真言宗をめぐる話が出ている。ここは単独で読んで面白い章である。
本書で著者が展開する枠組をまとめると以下のようになるだろう。
律令制導入の背後にあったのは、唐や新羅に対する軍事防衛・対抗(白村江以来)の必要性であった。しかし、その脅威がなくなり、また唐に承認されたいという願望も消えていくとともに、様々なものが変容していく。中国の君主に並び立とうとしていた天皇は、揺り戻しなどもありながらも、統治権力を(実力選抜される)摂関に譲り渡し、系譜的に受け継がれる清浄な存在へと進んでいく。土地・徴税制度は、中央による管理は諦められ、中央が認めた地方有力者に一任していく方向へと転換される。
もっとも、本書の読みどころは大枠の流れよりは、個々の細かい記述の方だと思うので、そこは各自で読んで味わってほしいところである。
そういうわけで、ある程度詳しい人向きであり、読み手を選ぶ本だが、刺さる人には良い本だと思う。
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日本の歴史 5 単行本 – 2001/3/1
坂上 康俊
(著)
律令国家の転換と日本
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/3/1
- ISBN-104062689057
- ISBN-13978-4062689052
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/3/1)
- 発売日 : 2001/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 368ページ
- ISBN-10 : 4062689057
- ISBN-13 : 978-4062689052
- Amazon 売れ筋ランキング: - 321,208位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,257位日本史一般の本
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当時の律令国家の社会的背景がよく分かる良書です。大学院で密教学を専攻していた私にとっては必読の書であり、修士論文の社会的裏付けにおける論述においてはなくてはならない参考文献です。
2018年12月11日に日本でレビュー済み
面白かった。細部を活写して人物に精彩と表情があり(A)、世相の推移には複眼的立体的な視点を欠かさず(B)、有機的な奥行きが感じられる。
たとえば、「A」のサンプル。
○
P150
「最澄の方は入唐以前からの著名人であったが、空海の方はそれほどではなかったので、帰国当初には朝廷に真言密教が重視されていたわけではない。空海の持ち帰った経典と会得した境地について最も理解できていたのは、最澄であったというのが実情であったらしい(川崎康之)。
このあたりの二人の軌跡は、それぞれの人柄を表して興味深いものがある。最近は自らの教学の至らぬ点を自覚し、真摯と言えば真摯、愚直と言えば愚直な救法者であり続け、あくまでも自分の勉強のスタイルを崩さなかった。これに対し空海のほうは、余裕を持って背後から迫るマラソン走者のごとく、半ば最澄を風よけに使いながら、一番喝采の大きな場面で抜き去ろうとタイミングを測っていたようなものである。その場面とは、弘仁3年(812)末に挙行された高尾山寺での灌頂であり、ここで空海が最澄に灌頂を授けることによって、密教の師としての空海の優位が内外に鮮明になった。」
「B」について、最終章から、ただし【】で引用者が強調。
○
P332~
9世紀末には、…略…共同体成員から首長へ、そして首長から大王へというミツギモノの系譜を引く人頭税が消え、土地所有者に小作料を支払うという意味での地代が、同時に国家の租税であるという時代がやってきた。この変化は不可逆的なものであり、【これをとらえて古代から中世への移行ということも十分に可能】のように思う。もっとも、ここにきて初めて国家が受領という官僚を通じて個々の田土経営者クラスである負名を把握することになったことも重要であり、【この点を強調すれば、10世紀こそ中央集権的古代国家の完成期であるということもできる】が。
【その一方で、つぎのように言うこともできる】。日本が律令法を継受する以前、日本(倭)の国制はウジの制度を基本にしていた。…略… 9世紀の初期に天皇が中国の君主に近づこうとした様相は本書でも述べたが、その一方で父方・母方の系譜が天皇をささえるものとして重視されてくことも指摘した。系譜的に正統である、ということと、統治能力があるということとは、本来別次元のものである。ところが日本では、統治の実際を摂政や関白に委ねるという方式を採用することで、この間の矛盾を解消させてしまう。…略…10世紀以降の歴史をこのような観点から見ていったとき、【それはある意味で律令制以前の国制への回帰と評価することが可能である】。
…略…
【荘園公領制を日本中世の土地制度というならば、9世紀は、これから多くの紆余曲折を含みつつ展開する古代の終わりの始まった時期ということが出来る。】
しかしまた、【公領を国造の支配領域ないし屯倉の、そして荘園をかつての豪族所有の田荘や部民のアナロジーとして捉えることもできると】すれば、7世紀から8世紀へかけての異常な状態をくぐり抜け、かつて展開しつつあった中央有力者による全国系列化が、再展開の兆しを見せてきたのが9世紀であるということにもなろう。【もっともそうなると、日本中世は古代であるということになりかねない】。
説得力のある本書の論述の結論として、「日本は何者」かを次のように総括している。
P335
「では最後に、9世紀には日本の古典的国制が成立したと言えるかどうかという問題について。これは古典という言葉が何を含意するかということを考慮しなければ議論がすれちがってしまう。ヨーロッパの歴史において古典古代といえば、ルネサンス以降に規範とされ、あるいは憧憬の対象となったギリシア・ローマの文化を生み出した時代をさす。そこでは人間に対する省察に基づいて、彫刻・絵画・演劇などの芸術が生まれたが、やはりギリシア哲学やローマ法を抜きにして古典古代を云々することはできないだろう。…略…
同様なことは中国古代、春秋戦国の諸子百家についても言えるのであって、中国の知識人すなわち政治家は、皇帝以下官僚まで、この時代から漢代にかけて成立した古典を踏まえて統治に当たるべきものであった。…略…
こう考えたとき、仮に9世紀のそれも末期に、その後の日本人の美意識の原型とでもいうべきものが形づくられたとしても、それはあまりにも情緒的な面に偏っていると言わざるをえないだろう。…略…
9世紀を古典的国制の形成期とみることは無理であろうと思うし、また、およそ日本には「古典的国制」という概念そのものがなじまないのではないかとすら思われてくる。だから悪いとか、良いというのではない。ただ、経験を踏まえて原理を追求し、その原理から今度は演繹的に理想的な国制や社会の規範を公然と語るという姿勢でなく、試行錯誤を重ねながら、その時々の眼前の課題を片づけていくという姿勢、青写真を用意してそれに合わせるように現実を変えていこうというやり方と訣別した対処の在り方で良しとする姿勢が明確に打ち出されたのが9世紀という時代であり、これはその後の日本国家の政治の体質になっていったと言えよう。」
たとえば、「A」のサンプル。
○
P150
「最澄の方は入唐以前からの著名人であったが、空海の方はそれほどではなかったので、帰国当初には朝廷に真言密教が重視されていたわけではない。空海の持ち帰った経典と会得した境地について最も理解できていたのは、最澄であったというのが実情であったらしい(川崎康之)。
このあたりの二人の軌跡は、それぞれの人柄を表して興味深いものがある。最近は自らの教学の至らぬ点を自覚し、真摯と言えば真摯、愚直と言えば愚直な救法者であり続け、あくまでも自分の勉強のスタイルを崩さなかった。これに対し空海のほうは、余裕を持って背後から迫るマラソン走者のごとく、半ば最澄を風よけに使いながら、一番喝采の大きな場面で抜き去ろうとタイミングを測っていたようなものである。その場面とは、弘仁3年(812)末に挙行された高尾山寺での灌頂であり、ここで空海が最澄に灌頂を授けることによって、密教の師としての空海の優位が内外に鮮明になった。」
「B」について、最終章から、ただし【】で引用者が強調。
○
P332~
9世紀末には、…略…共同体成員から首長へ、そして首長から大王へというミツギモノの系譜を引く人頭税が消え、土地所有者に小作料を支払うという意味での地代が、同時に国家の租税であるという時代がやってきた。この変化は不可逆的なものであり、【これをとらえて古代から中世への移行ということも十分に可能】のように思う。もっとも、ここにきて初めて国家が受領という官僚を通じて個々の田土経営者クラスである負名を把握することになったことも重要であり、【この点を強調すれば、10世紀こそ中央集権的古代国家の完成期であるということもできる】が。
【その一方で、つぎのように言うこともできる】。日本が律令法を継受する以前、日本(倭)の国制はウジの制度を基本にしていた。…略… 9世紀の初期に天皇が中国の君主に近づこうとした様相は本書でも述べたが、その一方で父方・母方の系譜が天皇をささえるものとして重視されてくことも指摘した。系譜的に正統である、ということと、統治能力があるということとは、本来別次元のものである。ところが日本では、統治の実際を摂政や関白に委ねるという方式を採用することで、この間の矛盾を解消させてしまう。…略…10世紀以降の歴史をこのような観点から見ていったとき、【それはある意味で律令制以前の国制への回帰と評価することが可能である】。
…略…
【荘園公領制を日本中世の土地制度というならば、9世紀は、これから多くの紆余曲折を含みつつ展開する古代の終わりの始まった時期ということが出来る。】
しかしまた、【公領を国造の支配領域ないし屯倉の、そして荘園をかつての豪族所有の田荘や部民のアナロジーとして捉えることもできると】すれば、7世紀から8世紀へかけての異常な状態をくぐり抜け、かつて展開しつつあった中央有力者による全国系列化が、再展開の兆しを見せてきたのが9世紀であるということにもなろう。【もっともそうなると、日本中世は古代であるということになりかねない】。
説得力のある本書の論述の結論として、「日本は何者」かを次のように総括している。
P335
「では最後に、9世紀には日本の古典的国制が成立したと言えるかどうかという問題について。これは古典という言葉が何を含意するかということを考慮しなければ議論がすれちがってしまう。ヨーロッパの歴史において古典古代といえば、ルネサンス以降に規範とされ、あるいは憧憬の対象となったギリシア・ローマの文化を生み出した時代をさす。そこでは人間に対する省察に基づいて、彫刻・絵画・演劇などの芸術が生まれたが、やはりギリシア哲学やローマ法を抜きにして古典古代を云々することはできないだろう。…略…
同様なことは中国古代、春秋戦国の諸子百家についても言えるのであって、中国の知識人すなわち政治家は、皇帝以下官僚まで、この時代から漢代にかけて成立した古典を踏まえて統治に当たるべきものであった。…略…
こう考えたとき、仮に9世紀のそれも末期に、その後の日本人の美意識の原型とでもいうべきものが形づくられたとしても、それはあまりにも情緒的な面に偏っていると言わざるをえないだろう。…略…
9世紀を古典的国制の形成期とみることは無理であろうと思うし、また、およそ日本には「古典的国制」という概念そのものがなじまないのではないかとすら思われてくる。だから悪いとか、良いというのではない。ただ、経験を踏まえて原理を追求し、その原理から今度は演繹的に理想的な国制や社会の規範を公然と語るという姿勢でなく、試行錯誤を重ねながら、その時々の眼前の課題を片づけていくという姿勢、青写真を用意してそれに合わせるように現実を変えていこうというやり方と訣別した対処の在り方で良しとする姿勢が明確に打ち出されたのが9世紀という時代であり、これはその後の日本国家の政治の体質になっていったと言えよう。」
2013年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度読んでも発見があり、読み応えがある。お勧めです。全巻買いました。
2021年7月15日に日本でレビュー済み
どの章の興味深く読めましたが、特に第4章求法の人々で最澄と空海の記述は二大密教天台・真言とのイメージを持っていたのが認識を新たにしました
その他の記述も平易で読みやすく、一気に読めました
その他の記述も平易で読みやすく、一気に読めました
2015年10月18日に日本でレビュー済み
平安遷都から摂関制度、律令税制の論理や律令制度下の官僚機構などを精密に考察されています。
建築物の平面図や建築群の配置図、気温変化のグラフなど、系図や制度図以外にも割と豊富な図表が掲載されていて参考になると感じました。
個人的には、天皇制に対する考察を興味深く読むことができました。
神話の時代から続く「神=天皇」という、いわば宗教的象徴だった天皇像から「人間」としての天皇への移行、「皇太子制」の成熟がこの時代に進められたこと、皇太子制とともに皇后、皇太后、太上天皇の位置づけなどがこの時期に整備されたそうです。
古来、皇位継承のために多数の犠牲が払われたことを考えると、現在に至る皇位継承制度が、この時期に確定されていったことは注目されていいと思います。
本書は、おもに桓武天皇期を中心とした記述で構成されているように感じますが、
政治史・制度史としての充実度にくらべると、文化史の分野が手薄な印象も受けました。
この時代が、多様な政治の動きにくらべると、文化の動きがあまり見られないことも当然あると思いますが、最澄と空海に関する章が一つだけある程度で、仏教史だけでももう少し記述することはあったのではないか、と私は感じました。
とはいえ、最澄と空海という、平安仏教の2大始祖に関する記述は充実していると思います。
どちらかといえば最澄と天台宗の記述が目につきますが、大乗戒壇の建立など、最澄の事跡はきっちりと紹介されています。
最初は分厚いページ数にちょっと引きましたが、全体的に読みやすい記述をされていることもあって、歴史好きな読者なら割と苦痛なく読破できるように思います。
建築物の平面図や建築群の配置図、気温変化のグラフなど、系図や制度図以外にも割と豊富な図表が掲載されていて参考になると感じました。
個人的には、天皇制に対する考察を興味深く読むことができました。
神話の時代から続く「神=天皇」という、いわば宗教的象徴だった天皇像から「人間」としての天皇への移行、「皇太子制」の成熟がこの時代に進められたこと、皇太子制とともに皇后、皇太后、太上天皇の位置づけなどがこの時期に整備されたそうです。
古来、皇位継承のために多数の犠牲が払われたことを考えると、現在に至る皇位継承制度が、この時期に確定されていったことは注目されていいと思います。
本書は、おもに桓武天皇期を中心とした記述で構成されているように感じますが、
政治史・制度史としての充実度にくらべると、文化史の分野が手薄な印象も受けました。
この時代が、多様な政治の動きにくらべると、文化の動きがあまり見られないことも当然あると思いますが、最澄と空海に関する章が一つだけある程度で、仏教史だけでももう少し記述することはあったのではないか、と私は感じました。
とはいえ、最澄と空海という、平安仏教の2大始祖に関する記述は充実していると思います。
どちらかといえば最澄と天台宗の記述が目につきますが、大乗戒壇の建立など、最澄の事跡はきっちりと紹介されています。
最初は分厚いページ数にちょっと引きましたが、全体的に読みやすい記述をされていることもあって、歴史好きな読者なら割と苦痛なく読破できるように思います。
2020年6月11日に日本でレビュー済み
講談社の日本の歴史シリーズの文庫版。
これほど充実した日本の歴史シリーズが、安価な文庫で読めるのは、とにかく素晴らしいことだ。
第5巻は、初期平安時代。平安京に都が移された8世紀の終わりから、摂関政治が確立していく10世紀の初めまでをカバーしている。
筆者はまえがきにおいて、自虐的に一般の人にとってこの時期はわかりにくく親しみにくいのではと述べている。
しかしながら平安京への遷都、最澄と空海による国家仏教の成立、そして藤原氏に権力が集中していく激しい権力闘争など、魅力的なテーマに満ちている。
これほど充実した日本の歴史シリーズが、安価な文庫で読めるのは、とにかく素晴らしいことだ。
第5巻は、初期平安時代。平安京に都が移された8世紀の終わりから、摂関政治が確立していく10世紀の初めまでをカバーしている。
筆者はまえがきにおいて、自虐的に一般の人にとってこの時期はわかりにくく親しみにくいのではと述べている。
しかしながら平安京への遷都、最澄と空海による国家仏教の成立、そして藤原氏に権力が集中していく激しい権力闘争など、魅力的なテーマに満ちている。
2019年8月15日に日本でレビュー済み
歴代の天皇や権力者の思惑を愚弄しているとも言える推察に終始していて、読むに苦しかった。そもそも歴史に名を残すような大人物のスケールの大きな考えは、到底凡人には図り切れず、卑俗な権勢や金銭欲のみを行動原理にすると、どうしてもその論には矛盾が生じる。例えば平安期の著名な歌人は、紀貫之・在原業平など藤原氏の名が見られない。これは、宇多天皇が政治や文化の主導権を藤原氏から取り戻そうとしての計らいであると著者は推察する。果たして和歌とは後代からも評価されるものであるから、本当に宇多天皇はそんなことを意図していたのであろうか?文学とはもっと凛々しく奥ゆかしく美しいものだと思う。邪推はやめてほしい。律令国家の実態は不明な点が殆どだという。だから言いたい放題なのだろうが、私が見る現在の地位ある人々の誠実な苦悩から推測するに、古代の日本でも陰謀や欲望ばかりが時代を主導していくとは、考えたくない。