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死もまた愉し (講談社文庫 ゆ 1-13) 文庫 – 2001/12/1
結城 昌治
(著)
死と対峙して語る生への“詩と真実”
澄明な心境と感慨にあふれる〈人生最後の志〉。珠玉の句集を併録。
「余生だから、まず1年、目いっぱい新鮮に生きること」――数々の名作を生んだ著者が、死の直前に語った“人生最後の志”澄明な語り口の中から軽妙さが鳴り響く。〈まだ生きてゐるかと蚊にも刺されけり〉これは諦念ではなく、死さえ愉しくしてしまった強(したた)かさだ。遺された珠玉の句集「歳月」「余色」も併録。
澄明な心境と感慨にあふれる〈人生最後の志〉。珠玉の句集を併録。
「余生だから、まず1年、目いっぱい新鮮に生きること」――数々の名作を生んだ著者が、死の直前に語った“人生最後の志”澄明な語り口の中から軽妙さが鳴り響く。〈まだ生きてゐるかと蚊にも刺されけり〉これは諦念ではなく、死さえ愉しくしてしまった強(したた)かさだ。遺された珠玉の句集「歳月」「余色」も併録。
- 本の長さ226ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/12/1
- ISBN-104062732319
- ISBN-13978-4062732314
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商品の説明
著者について
■結城昌治(ゆうきしょうじ)
1927年東京都生まれ。早稲田専門学校卒業。肺結核療養中、俳人石田波郷、作家福永武彦を識る。東京地検に事務官として勤務のかたわら推理小説を執筆。1959年、『寒中水泳』が「EQMM」誌の短篇コンテストに一席入選、文筆生活に入る。以来、才気溢れる作品を多数発表。1964年、『夜の終る時』で日本推理作家協会賞、1970年、『軍旗はためく下に』で直木賞、1985年、『終着駅』で吉川英治文学賞を受賞。主な作品は他に『ひげのある男たち』『ゴメスの名はゴメス』『白昼堂々』『不良少年』『斬に処す』『見知らぬ自分』など。俳人としても知られ、エッセイ集『俳句つれづれ草』などがある。1996年1月24日、死去。
1927年東京都生まれ。早稲田専門学校卒業。肺結核療養中、俳人石田波郷、作家福永武彦を識る。東京地検に事務官として勤務のかたわら推理小説を執筆。1959年、『寒中水泳』が「EQMM」誌の短篇コンテストに一席入選、文筆生活に入る。以来、才気溢れる作品を多数発表。1964年、『夜の終る時』で日本推理作家協会賞、1970年、『軍旗はためく下に』で直木賞、1985年、『終着駅』で吉川英治文学賞を受賞。主な作品は他に『ひげのある男たち』『ゴメスの名はゴメス』『白昼堂々』『不良少年』『斬に処す』『見知らぬ自分』など。俳人としても知られ、エッセイ集『俳句つれづれ草』などがある。1996年1月24日、死去。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/12/1)
- 発売日 : 2001/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 226ページ
- ISBN-10 : 4062732319
- ISBN-13 : 978-4062732314
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,113,875位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 13,494位講談社文庫
- - 16,327位近現代日本のエッセー・随筆
- - 46,673位評論・文学研究 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生きていくうちにしておくことを淡々と語ってくれて逝った。常盤新平の解説もあり、値打ちのある買い物をした。
2000年12月30日に日本でレビュー済み
若い時に当時不治の病と言われた肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった著者のそれからの人生は、常に死と隣り合わせという現実にさらされていた。
そのような境遇にあると、死というものを常に意識すると同時に、死を身近なものとしてさらりと受け入れる気分になるということはあるかも知れない。
死を大袈裟に怖がるものではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになるかもしれない。
中々、そんな心境になれないかも知れないが、96年に亡くなった著者がその半年ほど前に、語り下ろしたその死生観には、大きな感銘を覚える。
人生はそんなに肩肘を張って過ごすものではないし、遊ぶために生き、そして軽い思いで死を迎えることを著者は実践しようとして来たようだ。
理想は現実とは異なるから、著者も理想とはかけ離れた現実の世界に生きたことは確かだが、そういった人生の理想、特に理想の死生観を持って生きた人生は、それはそれで、心地良いものだったのではないだろうか。
「死もまた愉し」と思おうとする著者の気持ちは十分理解できるものの、後半に掲げられた、約30年にわたる著者の句集を読むと、まざまざと常に死を意識して生きていた著者の思いが伝わって来て、果たして本当に「死もまた愉し」といえる心境に著者が達したまま逝ったのかどうかと、考え込んでしまった。
死生観を扱った著作は多いが、それなりに構えた、あるいは超哲学的なものの多い中では、親近感のもてる書である。
そのような境遇にあると、死というものを常に意識すると同時に、死を身近なものとしてさらりと受け入れる気分になるということはあるかも知れない。
死を大袈裟に怖がるものではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになるかもしれない。
中々、そんな心境になれないかも知れないが、96年に亡くなった著者がその半年ほど前に、語り下ろしたその死生観には、大きな感銘を覚える。
人生はそんなに肩肘を張って過ごすものではないし、遊ぶために生き、そして軽い思いで死を迎えることを著者は実践しようとして来たようだ。
理想は現実とは異なるから、著者も理想とはかけ離れた現実の世界に生きたことは確かだが、そういった人生の理想、特に理想の死生観を持って生きた人生は、それはそれで、心地良いものだったのではないだろうか。
「死もまた愉し」と思おうとする著者の気持ちは十分理解できるものの、後半に掲げられた、約30年にわたる著者の句集を読むと、まざまざと常に死を意識して生きていた著者の思いが伝わって来て、果たして本当に「死もまた愉し」といえる心境に著者が達したまま逝ったのかどうかと、考え込んでしまった。
死生観を扱った著作は多いが、それなりに構えた、あるいは超哲学的なものの多い中では、親近感のもてる書である。