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弥勒 (講談社文庫 し 46-3) 文庫 – 2001/10/16
篠田 節子
(著)
想像を絶する政変!渾身の超大作!!
ヒマラヤの小国に潜入した男は革命軍に捕まり、絶望的な窮地に!
ヒマラヤの小国・パスキムは、独自の仏教美術に彩られた美しい王国だ。新聞社社員・永岡英彰は、政変で国交を断絶したパスキムに単身で潜入を試みるが、そこで目にしたものは虐殺された僧侶たちの姿だった。そして永岡も革命軍に捕らわれ、想像を絶する生活が始まった。救いとは何かを問う渾身の超大作。
ヒマラヤの小国に潜入した男は革命軍に捕まり、絶望的な窮地に!
ヒマラヤの小国・パスキムは、独自の仏教美術に彩られた美しい王国だ。新聞社社員・永岡英彰は、政変で国交を断絶したパスキムに単身で潜入を試みるが、そこで目にしたものは虐殺された僧侶たちの姿だった。そして永岡も革命軍に捕らわれ、想像を絶する生活が始まった。救いとは何かを問う渾身の超大作。
- 本の長さ662ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/10/16
- 寸法10.8 x 2.6 x 14.8 cm
- ISBN-104062732785
- ISBN-13978-4062732789
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商品の説明
著者について
■篠田節子(しのだせつこ)
1955年東京都生まれ。東京学芸大学卒業後、八王子市役所勤務を経て、’90年『絹の変容』(第3回小説すばる新人賞作品)でデビュー。その後も『神鳥(イビス)』『アクアリウム』、『聖域』、直木賞候補となった『夏の災厄』『カノン』など、様々な題材をテーマにした独特の作品が、高い評価を得る。’97年『ゴサインタン――神の座――』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞を受賞する。
1955年東京都生まれ。東京学芸大学卒業後、八王子市役所勤務を経て、’90年『絹の変容』(第3回小説すばる新人賞作品)でデビュー。その後も『神鳥(イビス)』『アクアリウム』、『聖域』、直木賞候補となった『夏の災厄』『カノン』など、様々な題材をテーマにした独特の作品が、高い評価を得る。’97年『ゴサインタン――神の座――』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞を受賞する。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/10/16)
- 発売日 : 2001/10/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 662ページ
- ISBN-10 : 4062732785
- ISBN-13 : 978-4062732789
- 寸法 : 10.8 x 2.6 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 837,402位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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東京都生まれ。東京学芸大学卒。1990年『絹の変容』で第三回小説すばる新人賞を受賞。97年『ゴサイタン―神の座―』で第十回山本周五郎賞を、『女たちのジハード』で第百十七回直木賞を受賞。2009年『仮想儀礼』で第二十二回柴田錬三郎賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 スターバト・マーテル (ISBN-13: 978-4334926977)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月19日に日本でレビュー済み
まったくたまたま読んだ。はじめは夫婦や男女の話かと読んでいたが、それどころではない。文学としての深さは私にはわからないが、まるでフィクション(と思いたい)のような悲惨残酷な諸々できごとは、過去のカンボジアポルポト政権、ソ連のスターリン時代、毛沢東の大躍進政策、文化大革命、そして現在もウイグルで行なわれている現実なのではなかろうか。
2023年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
商品の消毒作業をして頂いた点、取り出し易く商品が傷まないビニール掛けをして頂いた点が良かったです。
2022年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宗教とは?と問いかけられる作品。インチキ宗教とスピリチュアルに騙されている人こそ読んで欲しい。
2013年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
極限に置かれた人間の生き様。これでもかときつい描写が続き食傷気味になるが、最後にほっとする。
教育の行き届かないところでは政治も宗教も紙一重で、狂気を生むさまが生々しい。
これを作り上げた作者は凄い。
教育の行き届かないところでは政治も宗教も紙一重で、狂気を生むさまが生々しい。
これを作り上げた作者は凄い。
2016年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読み終ったとき、なぜか心が高ぶり涙が溢れ出るのを止められなかった。
そして、くどくどと言葉を 弄する気が失せてしまった。
圧倒的、この言葉に尽きる。
そして、くどくどと言葉を 弄する気が失せてしまった。
圧倒的、この言葉に尽きる。
2021年1月9日に日本でレビュー済み
「読書クラブ 本好きですか?」の読書仲間・中谷隆志氏に薦められた『弥勒』(篠田節子著、集英社文庫)を手にしました。
日本のT新聞の事業部員の永岡英彰は、失われようとしている仏像美術保護のため、ヒマラヤの小王国・パスキムに潜入したが、パスキム解放戦線が起こした政変に巻き込まれてしまいます。
「唖然としたまま永岡は堂を出て、堂の裏手にある僧院に続く石畳の庭を歩いていく。そうするうちに、においは一段とひどくなってきた。全身の毛が逆立つのを覚えながら、永岡はゆっくりと僧院に近づいていった。扉は開け放たれていた。永岡は小さく呻き声を上げた。町中では一つもなかったものが、ここにあった。床の上に、ねじれ、積み重なり、無数の死体が、転がっていた。足が震えた。一刻も早く、この町を出ろ、とでも言うように、全身がわなないている。それと相反するように震える足が、屍の方に近づいていく。片腕を建物の外に出し、伸びかけた坊主頭を仰け反らせ、舌をだらりと口から出して絶命している死体は、腐り、褐色に変わっている。腐り落ち、空洞になった目が虚空を睨んでいる。その体を覆った小豆色の衣。その下にも死体。その向こうにも死体。床を埋め尽くして死体がある。どれも舌を出し小豆色の僧衣を身につけた死体の山だ。・・・死体はすべて同じ方法で殺されていた。地面に引き倒し、衣の胸の部分を開き、上腹の皮膚をナイフで切り裂き、そこから手を入れ、肺に穴を開ける。そのとき苦しんで舌を出すので、末期の水をその舌にかけてやる。チベットなどで家畜を屠るときの作法の一つだ。銀の水差しはそのとき使うもので、ここの僧院の修行僧たちは、家畜と同じ殺され方をしていた。しかし家畜と異なり、皮を剥がれ干し肉にはされなかったために、彼らは蠅にたかられ、ただ腐っていく。・・・いつの間にか、マトゥラという尼僧院の中庭に迷い込んでいた。・・・『朗らかで明るかった四百人の尼僧たちが、お腹に穴を開けられ、そこから手を入れられ、内臓を破られて殺されました。それが一番簡単で、楽な死に方だと、(パキシム解放戦線の最高幹部、ラクパ・)ゲルツェンたちは信じているのです。それを慈悲と信じているのです』」。
「(ゲルツェンは)今まで、だれも想像もしなかったような、精神の改革を目指している。これは革命でもクーデターでもなく、宗教改革だ。宗教を否定したものが行なおうとしている宗教改革。僧侶を殺し、もし売ればその代金で大量の武器を買えるはずの貴重な宗教美術を谷に投げ落とし、既存の宗教をすべて否定し、親子や家族の絆を断ち切り、兄弟という言葉でくくられた水平的平等を達成しようとしている」。
「カターから来た女と、この村の男の一人が呼ばれ、並んで立たされた。次に呼び上げられた女と男が、彼らの後ろに行く。カターの女と、村の男や兵士とのカップルが、つぎつぎにできて、並んでいく。まさかと思った。冗談でも余興でもなく、これは集団結婚式らしかった。以前の家庭を解体させ、新たなカップルを支配者が作る、強制結婚だ。それも町の女と村の男という組み合わせの」。
「『ゲルツェンたちは急ぎ過ぎて、すべてを壊していくわ。私たちが村に入り、一つ一つ改善していこうとしたことを、彼は根こそぎ壊して新たなものを作り上げようとしている。けれど、人の心はそんなに簡単に変われない。何十年もかかるのよ』」。
「最初は因習と迷信に縛られた村人、次にはカターから来た医者たち、さらにカターから来た知識階級の人々が、彼ら(パキシム解放戦線)の敵になった。一つ一つ排除していった挙げ句、今度は幹部同士が殺し合いを演じている」。
「永岡は(ゲルツェンに向かって)叫んだ。『ここが理想郷か。無計画で不自然な人口流入によってみんな飢えている。森は丸坊主にされ、農業の伝統は崩され、土地は痩せ、耕地は流され・・・』。『やめろ』。低い声でゲルツェンは遮った。かまわず永岡は続けた。・・・『人の魂は腐らなかったが、子供の魂は兇器に変わった。大人を殴り、殺すことなどなんとも思ってはいない。自分の両親を売って処刑させる。あんたの教えた正義のためだ』」。
「そうした信仰が力を持っていた時代が、パスキムの人々にとって幸福だったのか否かは、だれにもわからない。人々にとって一律に幸福な世界などありえないし、この国にはそれを可能にする全能の神もいない。かわりにあらゆる神を否定しつつ、自ら神になろうとした男がいた。自らの理想の下に、地上の神の国を出現させようとした憂鬱な顔の無神論者がいた。しかし、善悪、貴賤、陰陽、災いと救済といったすべてのものを呑み込んだ、この国の神々、諸仏、妖怪、鬼魔の群れは、不完全な生きものである一人の人間がパンテオンの頂上に居座ることを許さなかった」。
「『私は地獄のような場所に連れていかれ、最愛の伴侶を亡くし、二人の人間を殺し、その他にも誤りから、多くの人と多くの生きものを死なせました。どうか私をお許しください。どうかこの先、国境を無事に越え、保護されるまでの間、私をお守りください。必要な水や食物をお与えください』。(永岡は)そこまで言って、笑いが浮かんできた。なんというわかりやすく、目先のことだけしか考えない祈りなのだろう」。
「俺は人を騙し、人の肉を食い、人を殺した。これは罪なのか、罪は許されるのか、それとも罪も許しも救済も、何も存在しないのか」。永岡の一年に及ぶ異常体験の全てが、この思いに凝縮しています。
行き過ぎた理想主義に対する頂門の一針とすべき作品です。
日本のT新聞の事業部員の永岡英彰は、失われようとしている仏像美術保護のため、ヒマラヤの小王国・パスキムに潜入したが、パスキム解放戦線が起こした政変に巻き込まれてしまいます。
「唖然としたまま永岡は堂を出て、堂の裏手にある僧院に続く石畳の庭を歩いていく。そうするうちに、においは一段とひどくなってきた。全身の毛が逆立つのを覚えながら、永岡はゆっくりと僧院に近づいていった。扉は開け放たれていた。永岡は小さく呻き声を上げた。町中では一つもなかったものが、ここにあった。床の上に、ねじれ、積み重なり、無数の死体が、転がっていた。足が震えた。一刻も早く、この町を出ろ、とでも言うように、全身がわなないている。それと相反するように震える足が、屍の方に近づいていく。片腕を建物の外に出し、伸びかけた坊主頭を仰け反らせ、舌をだらりと口から出して絶命している死体は、腐り、褐色に変わっている。腐り落ち、空洞になった目が虚空を睨んでいる。その体を覆った小豆色の衣。その下にも死体。その向こうにも死体。床を埋め尽くして死体がある。どれも舌を出し小豆色の僧衣を身につけた死体の山だ。・・・死体はすべて同じ方法で殺されていた。地面に引き倒し、衣の胸の部分を開き、上腹の皮膚をナイフで切り裂き、そこから手を入れ、肺に穴を開ける。そのとき苦しんで舌を出すので、末期の水をその舌にかけてやる。チベットなどで家畜を屠るときの作法の一つだ。銀の水差しはそのとき使うもので、ここの僧院の修行僧たちは、家畜と同じ殺され方をしていた。しかし家畜と異なり、皮を剥がれ干し肉にはされなかったために、彼らは蠅にたかられ、ただ腐っていく。・・・いつの間にか、マトゥラという尼僧院の中庭に迷い込んでいた。・・・『朗らかで明るかった四百人の尼僧たちが、お腹に穴を開けられ、そこから手を入れられ、内臓を破られて殺されました。それが一番簡単で、楽な死に方だと、(パキシム解放戦線の最高幹部、ラクパ・)ゲルツェンたちは信じているのです。それを慈悲と信じているのです』」。
「(ゲルツェンは)今まで、だれも想像もしなかったような、精神の改革を目指している。これは革命でもクーデターでもなく、宗教改革だ。宗教を否定したものが行なおうとしている宗教改革。僧侶を殺し、もし売ればその代金で大量の武器を買えるはずの貴重な宗教美術を谷に投げ落とし、既存の宗教をすべて否定し、親子や家族の絆を断ち切り、兄弟という言葉でくくられた水平的平等を達成しようとしている」。
「カターから来た女と、この村の男の一人が呼ばれ、並んで立たされた。次に呼び上げられた女と男が、彼らの後ろに行く。カターの女と、村の男や兵士とのカップルが、つぎつぎにできて、並んでいく。まさかと思った。冗談でも余興でもなく、これは集団結婚式らしかった。以前の家庭を解体させ、新たなカップルを支配者が作る、強制結婚だ。それも町の女と村の男という組み合わせの」。
「『ゲルツェンたちは急ぎ過ぎて、すべてを壊していくわ。私たちが村に入り、一つ一つ改善していこうとしたことを、彼は根こそぎ壊して新たなものを作り上げようとしている。けれど、人の心はそんなに簡単に変われない。何十年もかかるのよ』」。
「最初は因習と迷信に縛られた村人、次にはカターから来た医者たち、さらにカターから来た知識階級の人々が、彼ら(パキシム解放戦線)の敵になった。一つ一つ排除していった挙げ句、今度は幹部同士が殺し合いを演じている」。
「永岡は(ゲルツェンに向かって)叫んだ。『ここが理想郷か。無計画で不自然な人口流入によってみんな飢えている。森は丸坊主にされ、農業の伝統は崩され、土地は痩せ、耕地は流され・・・』。『やめろ』。低い声でゲルツェンは遮った。かまわず永岡は続けた。・・・『人の魂は腐らなかったが、子供の魂は兇器に変わった。大人を殴り、殺すことなどなんとも思ってはいない。自分の両親を売って処刑させる。あんたの教えた正義のためだ』」。
「そうした信仰が力を持っていた時代が、パスキムの人々にとって幸福だったのか否かは、だれにもわからない。人々にとって一律に幸福な世界などありえないし、この国にはそれを可能にする全能の神もいない。かわりにあらゆる神を否定しつつ、自ら神になろうとした男がいた。自らの理想の下に、地上の神の国を出現させようとした憂鬱な顔の無神論者がいた。しかし、善悪、貴賤、陰陽、災いと救済といったすべてのものを呑み込んだ、この国の神々、諸仏、妖怪、鬼魔の群れは、不完全な生きものである一人の人間がパンテオンの頂上に居座ることを許さなかった」。
「『私は地獄のような場所に連れていかれ、最愛の伴侶を亡くし、二人の人間を殺し、その他にも誤りから、多くの人と多くの生きものを死なせました。どうか私をお許しください。どうかこの先、国境を無事に越え、保護されるまでの間、私をお守りください。必要な水や食物をお与えください』。(永岡は)そこまで言って、笑いが浮かんできた。なんというわかりやすく、目先のことだけしか考えない祈りなのだろう」。
「俺は人を騙し、人の肉を食い、人を殺した。これは罪なのか、罪は許されるのか、それとも罪も許しも救済も、何も存在しないのか」。永岡の一年に及ぶ異常体験の全てが、この思いに凝縮しています。
行き過ぎた理想主義に対する頂門の一針とすべき作品です。
2013年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書いてある内容も、使われている文言も、特別難解なものはないのに、何故か読み終えるのにエネルギーを使った。
2018年1月16日に日本でレビュー済み
祈り
永岡は日本に帰ることを選ばず地獄のようなパスキム国内に再び入国することを選んだ。日本に戻れば安全で清潔で不自由のない生活が保障されているというのに。
なぜパスキムへ?
そんなことがいったいあり得るだろうか?
そのあり得ないことを、あり得ることとして描いた。
パスキムにいく前、永岡はビジネスの取引相手に妻を暗黙のうちに「貸す」ことも厭わないような乾き切った人間関係の中で生きていた。
パスキムに入国した後、永岡は政変直後の過酷な状況に巻き込まれて行くのだが、そのなかで日本にいた時にはわからなかった自分を見出して行く。
暴力と飢餓の渦巻く状況の中で怯えながらも人に対して見せる彼の優しさ。スパイだと思われる少年を逃して命を救った。
強制結婚させられた相手であるサンモを始めは拒むが、しだいに心を通わせ愛しさを覚えるようになる。そんな自分の気持ちに戸惑い、「サンモと東京で暮らすことは考えられない」と思っていた永岡だが、やがて愛情が深まっていく。初めて愛した女がかけがいのない存在になっていく心の変化が、細やかな心打つ文で描かれている。二人が最後の時を持つ場面は、深い叙情と悲しみに満ちて美しい。
永岡をそもそもパスキムに導いたのは、きらびやかで高度なパスキム文化だった。彼はパスキム文化の粋とも言える弥勒像を手に入れたが、サンモこそ彼の本当の「弥勒」だったのだろう。
永岡がスパイの少年救ったことで何人もの人が無惨に殺された。
永岡は生きるために人の肉を食った。
彼はサンモの遺体を守るために人の命を奪い、自らの命の危険もかえりみなかった。
宗教禁止の厳しい統制下、亡くなった家族のために祈る心優しい人びとがいた。
永岡は最後に弥勒像を放ち、遊行僧が遺していった段ボールの仏がんを背負うことを選ぶ。これは日本を選ばずパスキムを選ぶことと同じなのではないか。
段ボールの仏がんを背負った永岡は祈りそのものの姿だ。
声にならぬ声で、人間の恐ろしさを叫び、同時にその果てに知った人間のもう一つの姿を訴えているようだ。
祈りは永岡の改心そのものだし、パスキムを生まれ変わらせる力ともなるだろう。
その祈りが、声が、この本から聞こえてくるようだ。
永岡は日本に帰ることを選ばず地獄のようなパスキム国内に再び入国することを選んだ。日本に戻れば安全で清潔で不自由のない生活が保障されているというのに。
なぜパスキムへ?
そんなことがいったいあり得るだろうか?
そのあり得ないことを、あり得ることとして描いた。
パスキムにいく前、永岡はビジネスの取引相手に妻を暗黙のうちに「貸す」ことも厭わないような乾き切った人間関係の中で生きていた。
パスキムに入国した後、永岡は政変直後の過酷な状況に巻き込まれて行くのだが、そのなかで日本にいた時にはわからなかった自分を見出して行く。
暴力と飢餓の渦巻く状況の中で怯えながらも人に対して見せる彼の優しさ。スパイだと思われる少年を逃して命を救った。
強制結婚させられた相手であるサンモを始めは拒むが、しだいに心を通わせ愛しさを覚えるようになる。そんな自分の気持ちに戸惑い、「サンモと東京で暮らすことは考えられない」と思っていた永岡だが、やがて愛情が深まっていく。初めて愛した女がかけがいのない存在になっていく心の変化が、細やかな心打つ文で描かれている。二人が最後の時を持つ場面は、深い叙情と悲しみに満ちて美しい。
永岡をそもそもパスキムに導いたのは、きらびやかで高度なパスキム文化だった。彼はパスキム文化の粋とも言える弥勒像を手に入れたが、サンモこそ彼の本当の「弥勒」だったのだろう。
永岡がスパイの少年救ったことで何人もの人が無惨に殺された。
永岡は生きるために人の肉を食った。
彼はサンモの遺体を守るために人の命を奪い、自らの命の危険もかえりみなかった。
宗教禁止の厳しい統制下、亡くなった家族のために祈る心優しい人びとがいた。
永岡は最後に弥勒像を放ち、遊行僧が遺していった段ボールの仏がんを背負うことを選ぶ。これは日本を選ばずパスキムを選ぶことと同じなのではないか。
段ボールの仏がんを背負った永岡は祈りそのものの姿だ。
声にならぬ声で、人間の恐ろしさを叫び、同時にその果てに知った人間のもう一つの姿を訴えているようだ。
祈りは永岡の改心そのものだし、パスキムを生まれ変わらせる力ともなるだろう。
その祈りが、声が、この本から聞こえてくるようだ。