普通に面白かったです。
「三大奇書」と言われているけど、他の「ドグラマグラ」「黒死館殺人事件」より全然読みやすいし、
話としても面白かったです。
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新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫) 文庫 – 2004/4/15
中井 英夫
(著)
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昭和二十九年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司(そうじ)・紅司(こうじ)兄弟、従弟の藍司(あいじ)らのいる氷沼(ひぬま)家に、さらなる不幸が襲う。密室状態の風呂場で紅司が死んだのだ。そして叔父の橙二郎(とうじろう)もガスで絶命――殺人、事故?駆け出し歌手・奈々村久生(ななむらひさお)らの推理合戦が始まった。
- 本の長さ424ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2004/4/15
- 寸法10.8 x 1.8 x 14.8 cm
- ISBN-10406273995X
- ISBN-13978-4062739955
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/4/15)
- 発売日 : 2004/4/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 424ページ
- ISBN-10 : 406273995X
- ISBN-13 : 978-4062739955
- 寸法 : 10.8 x 1.8 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 69,396位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 422位ミステリー・サスペンス・ハードボイルド (本)
- - 1,004位講談社文庫
- - 1,714位日本文学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作は、三大奇書の他の2作に比べると30年ほど新しく、 ライトで砕けた文体で非常に読みやすいです。 登場キャラクターも 一人称が「ミー」のおっさん、 安楽椅子探偵を決め込むシャンソン歌手のお嬢、 すぐにおネムになる高校生美少年などなど、 マンガチックで親しみやすいです。 一家を襲う連続殺人事件が進む中、 これらのキャラクターたちが推理合戦を行うなど、 どこか不謹慎で、ふざけたノリで進んでいくところが、 面白いのだけれど、どこか真に迫ってこない。 絵に描いたフィクション感が漂っています。
そのリアリティの欠如を埋めるかのように、当時実際に起きた事件の詳細や、作品内に登場するリアルな場所のリアルなディテールや、関係者しか知らないような歴史的事実(?)などを緻密に埋め込むことにより、軽薄さと凄味が融合していて、ちょっと面白いバランスになっていると思います。
そのリアリティの欠如を埋めるかのように、当時実際に起きた事件の詳細や、作品内に登場するリアルな場所のリアルなディテールや、関係者しか知らないような歴史的事実(?)などを緻密に埋め込むことにより、軽薄さと凄味が融合していて、ちょっと面白いバランスになっていると思います。
2020年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
凄い作品だというのはわかるけど…読むのが疲れる。
○大奇書の中では比較的読みやすいといわれていますが、ドグラマグラとかより読みづらい本は世の中になかなか無いし、あてにならないですね。
○大奇書の中では比較的読みやすいといわれていますが、ドグラマグラとかより読みづらい本は世の中になかなか無いし、あてにならないですね。
2023年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近読んだミステリーの中では一番面白かった。
2021年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読み終わって本を閉じたあともしばらく、熱に浮かされて、目眩さえ伴うような放心状態に陥った。
洞爺丸事件など、本格ミステリーの小説になぜ現実の事件や、実在の事件をこうも関わらせるのか、それはエンターテイメント小説として興を削ぎ、足枷になりはしないだろうかと危惧して読み進めていた。
しかし、最終章の告発ですべてはひっくり返される。『カラマーゾフの兄弟』の『大審問官の章』に匹敵すると言っても言い過ぎではないほどの衝撃だった。
犯人にとって洞爺丸事件など、現実の引き起こした事件はそうであるべき約束を破ったために引き起こされた人間の気狂いじみた怠慢による饗宴場に過ぎないとある。つまり現実の事件=非人間となる。
ここから犯人の倒錯が始まる。現実に耐えられない犯人は、事件を非現実の世界へと引き込み、人間が人間であることを証明する悲劇に昇華することをこころみる。非現実の事件=人間である。
しかし、犯人が非現実な、人間的悲劇を求めた意味ある高尚な事件を起こそうとも、狂った現実のありうべからぬ偶然が非現実にことごとく追いついて陳腐なものへと格下げしてしまう。非現実な事件は現実に取り込まれ、事件を起こして人間になったはずの犯人もいつのまにか非人間の烙印を押されてしまっているのだ。
そして現実の事件とはどれほど悲惨なものでも外部のものにとってはただのお楽しみの材料に過ぎない。これが虚無の正体である。
その虚無から脱しようとして起こした事件も、本人の意図には関係なく、外部から見れば単なる格好の虚無への供物のひとつ、つまるところ現実のお楽しみの亜種のひとつにすぎない。
探偵という装置はその最たるものではないか。非現実の悲劇、偶然を、味気ない現実に引っ張り込んで、辻褄を合わせ、鑑賞物に変容させることにより、喜劇へと引き下ろすことがその役割であるのだから。
そして、さらにその探偵たちに輪をかけて、陰惨な事件を楽しんでいるのはまさにわれわれ読者に他ならないことを突きつけられ、普段、現実に起こる陰惨な事件をエンターテイメントとして少なからずも享受してしまっている、われわれこそが虚無を作り出している真犯人であるのだと、茫然、愕然とし、目眩を覚える。
洞爺丸事件など、本格ミステリーの小説になぜ現実の事件や、実在の事件をこうも関わらせるのか、それはエンターテイメント小説として興を削ぎ、足枷になりはしないだろうかと危惧して読み進めていた。
しかし、最終章の告発ですべてはひっくり返される。『カラマーゾフの兄弟』の『大審問官の章』に匹敵すると言っても言い過ぎではないほどの衝撃だった。
犯人にとって洞爺丸事件など、現実の引き起こした事件はそうであるべき約束を破ったために引き起こされた人間の気狂いじみた怠慢による饗宴場に過ぎないとある。つまり現実の事件=非人間となる。
ここから犯人の倒錯が始まる。現実に耐えられない犯人は、事件を非現実の世界へと引き込み、人間が人間であることを証明する悲劇に昇華することをこころみる。非現実の事件=人間である。
しかし、犯人が非現実な、人間的悲劇を求めた意味ある高尚な事件を起こそうとも、狂った現実のありうべからぬ偶然が非現実にことごとく追いついて陳腐なものへと格下げしてしまう。非現実な事件は現実に取り込まれ、事件を起こして人間になったはずの犯人もいつのまにか非人間の烙印を押されてしまっているのだ。
そして現実の事件とはどれほど悲惨なものでも外部のものにとってはただのお楽しみの材料に過ぎない。これが虚無の正体である。
その虚無から脱しようとして起こした事件も、本人の意図には関係なく、外部から見れば単なる格好の虚無への供物のひとつ、つまるところ現実のお楽しみの亜種のひとつにすぎない。
探偵という装置はその最たるものではないか。非現実の悲劇、偶然を、味気ない現実に引っ張り込んで、辻褄を合わせ、鑑賞物に変容させることにより、喜劇へと引き下ろすことがその役割であるのだから。
そして、さらにその探偵たちに輪をかけて、陰惨な事件を楽しんでいるのはまさにわれわれ読者に他ならないことを突きつけられ、普段、現実に起こる陰惨な事件をエンターテイメントとして少なからずも享受してしまっている、われわれこそが虚無を作り出している真犯人であるのだと、茫然、愕然とし、目眩を覚える。
2022年2月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本三大奇書の1つだけあって、奇妙な感覚のする推理小説。登場人物も推理オタクばかりで、呪われた家系の家に集まっていると、颯爽、事件が起こり…
続きが読みたいです。
続きが読みたいです。
2011年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度読んだことだろうか。
最初が三一書房版、講談社現代推理小説大系版、講談社文庫版、そして覆刻版を所有している。
講談社文庫版は、あまり繰り返し読んだために、何度か買い換えたものである。
今までのところ、本作を超えるミステリには出会っていない。
多分、これからも出会うことはないだろう。
孤高の傑作である。
本新装版は分冊であるが、できれば全一冊の厚さを堪能してほしい。
そして、その官能的なまでの文章に酔ってほしい。
ストーリーに関しては述べない。
氷沼一家をめぐる事件だとだけ言っておこう。
いくらでも語ることはできるが。中井英夫、いや塔晶夫の悪魔的なまでのストーリーテラーぶりを堪能するのには、百万語を費やしても足りないくらいだ。
そして、本作には都市としての東京の存在が大きい。
著者はアンチミステリとして本書を書いたようだし、一般的にもそのように認識されている。
しかし、第一級品の本格ミステリである。
昭和の息吹が、痛いくらいに感じられる。
「三丁目の夕日」なんかめじゃない。
これこそが、昭和を代表する文学である。
はたして、もう一人の昭和を代表する文学者である三島由紀夫の本作に対する評価は、非常に高い。
実は本作は、三島作品と非常に良く似た雰囲気をもっている。
具体的には指摘しないが、同じ空気を感じるのだ。
それは、まさしく虚無感というものかもしれない。
そう、「春の雪」から始まる豊饒の海四部作は、本作と同じにおいがする。
しかし、けっして読みにくいわけではない。
いや、むしろスラスラ読める。
現代の若者たちでも、抵抗なくスピーディーに読めるであろう。
しかし、そのペダントリィをきちんと理解するためには、ある程度以上の教養が必要なのもまた確かなことであり、そういう意味では読む人を選ぶ作品かもしれない。
このペダントリィは小栗のものとは違い、けっして難解ではない。
もし、この作品に狂気乱舞できる若者がいたら、実に嬉しいかぎりである。
君は一生の宝物を手にしたのだ。
さて、この作品は誰に感情移入して読むかで、かなり評価が分かれるであろう。
できれば「彼」に感情移入して、もう一度読み直してほしい。
本作の評価が多分ガラリと変わるのではないかと思う。
そのとき、目眩く中井ワールドの入り口が見え、ドップリと深みにはまるのである。
何度読んでも、いつも新しい発見がある。
本作こそ、無人島に持って行く一冊にふさわしいものである。
最初が三一書房版、講談社現代推理小説大系版、講談社文庫版、そして覆刻版を所有している。
講談社文庫版は、あまり繰り返し読んだために、何度か買い換えたものである。
今までのところ、本作を超えるミステリには出会っていない。
多分、これからも出会うことはないだろう。
孤高の傑作である。
本新装版は分冊であるが、できれば全一冊の厚さを堪能してほしい。
そして、その官能的なまでの文章に酔ってほしい。
ストーリーに関しては述べない。
氷沼一家をめぐる事件だとだけ言っておこう。
いくらでも語ることはできるが。中井英夫、いや塔晶夫の悪魔的なまでのストーリーテラーぶりを堪能するのには、百万語を費やしても足りないくらいだ。
そして、本作には都市としての東京の存在が大きい。
著者はアンチミステリとして本書を書いたようだし、一般的にもそのように認識されている。
しかし、第一級品の本格ミステリである。
昭和の息吹が、痛いくらいに感じられる。
「三丁目の夕日」なんかめじゃない。
これこそが、昭和を代表する文学である。
はたして、もう一人の昭和を代表する文学者である三島由紀夫の本作に対する評価は、非常に高い。
実は本作は、三島作品と非常に良く似た雰囲気をもっている。
具体的には指摘しないが、同じ空気を感じるのだ。
それは、まさしく虚無感というものかもしれない。
そう、「春の雪」から始まる豊饒の海四部作は、本作と同じにおいがする。
しかし、けっして読みにくいわけではない。
いや、むしろスラスラ読める。
現代の若者たちでも、抵抗なくスピーディーに読めるであろう。
しかし、そのペダントリィをきちんと理解するためには、ある程度以上の教養が必要なのもまた確かなことであり、そういう意味では読む人を選ぶ作品かもしれない。
このペダントリィは小栗のものとは違い、けっして難解ではない。
もし、この作品に狂気乱舞できる若者がいたら、実に嬉しいかぎりである。
君は一生の宝物を手にしたのだ。
さて、この作品は誰に感情移入して読むかで、かなり評価が分かれるであろう。
できれば「彼」に感情移入して、もう一度読み直してほしい。
本作の評価が多分ガラリと変わるのではないかと思う。
そのとき、目眩く中井ワールドの入り口が見え、ドップリと深みにはまるのである。
何度読んでも、いつも新しい発見がある。
本作こそ、無人島に持って行く一冊にふさわしいものである。
2015年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
言葉遣いも現代っぽくて、読みやすい。
もっとお耽美路線まっしぐらなのかと、恐る恐るページをくったが、その辺助かった(笑)。
でも当時の年代の人々には、”異様な日本語”に映った気もするので、
それをもって”奇書”の異名がついたのかと思ったほど。
それから・・・
ルールタビーユを更に劣化させたような、奈々村久生という探偵気取りの阿呆推理には、だいぶ辟易させられます。
「これは、本邦バカミステリーの元祖でもあるのではなかろうか?」と何度思ったことか。
(私は「黄色い部屋の秘密」が嫌いです)
上巻は、一冊まるまる使って、”結局何もわかってない”ということなので
「それに耐えられた人だけが、下巻を手にする事が出来ます」という感じ。
なんかdisってるみたいですが、そういった事でもないのです。
凄い勢いで読めたので、それはたぶん「面白かった」ということなのでしょう。
でも何というか、雲を掴むような手応えしかないのです。
その辺が”アンチミステリ”と言われる所以なのかも知れません。
もっとお耽美路線まっしぐらなのかと、恐る恐るページをくったが、その辺助かった(笑)。
でも当時の年代の人々には、”異様な日本語”に映った気もするので、
それをもって”奇書”の異名がついたのかと思ったほど。
それから・・・
ルールタビーユを更に劣化させたような、奈々村久生という探偵気取りの阿呆推理には、だいぶ辟易させられます。
「これは、本邦バカミステリーの元祖でもあるのではなかろうか?」と何度思ったことか。
(私は「黄色い部屋の秘密」が嫌いです)
上巻は、一冊まるまる使って、”結局何もわかってない”ということなので
「それに耐えられた人だけが、下巻を手にする事が出来ます」という感じ。
なんかdisってるみたいですが、そういった事でもないのです。
凄い勢いで読めたので、それはたぶん「面白かった」ということなのでしょう。
でも何というか、雲を掴むような手応えしかないのです。
その辺が”アンチミステリ”と言われる所以なのかも知れません。