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1973年のピンボール (講談社文庫) 文庫 – 2004/11/16
村上 春樹
(著)
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僕たちの終章はピンボールで始まった
雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎える
さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。
雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎える
さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。
- ISBN-104062749114
- ISBN-13978-4062749114
- 出版社講談社
- 発売日2004/11/16
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 0.8 x 14.8 cm
- 本の長さ192ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2004/11/16)
- 発売日 : 2004/11/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 192ページ
- ISBN-10 : 4062749114
- ISBN-13 : 978-4062749114
- 寸法 : 10.8 x 0.8 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 7,728位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
イメージ付きのレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に読みやすいので、スーッと読むだけでも楽しめますが、一つ一つの物や出来事に込められた意味を考えながら読み込むと、ラストには強く心を打たれます。本を読む楽しさを教えてくれる作者の初期の傑作だと思います。主人公と鼠の関係性やそれぞれの物語が別々に紡がれる意味を理解するために、前作「風の歌を聴け」を読んでおくことをお勧めします。
2023年11月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説というより文学ですね。
2023年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
比喩描写に迫力がありながら、読みやすい作品。
表現するものの中身は難解だが、心に響く作品
表現するものの中身は難解だが、心に響く作品
2023年12月9日に日本でレビュー済み
講談社文庫で二作目となる本作ですが、「風の歌を聴け」の続編という位置づけ。
但し、前作が「鼠」「僕」の青春小説という建付けでありましたが、今回はより「幻想的」な作りでありました。詳細は是非読んでいただければと。
・・・
前作で、バーでできた友人、ボンボン大学生の「鼠」。
本作でも登場しますが、「僕」とはすれ違いません。ただただ、けだるい日常で、恵まれた環境で、素敵な努力家の女性と戯れ、そして自己嫌悪する、といった状況。もう死語かもしれませんが、「アンニュイ」なんてカタカナで表現しましたがああいう感じでしょうか(フランス語なだけ!)。
その彼が、女との連絡を取らず(すなわち別れて)、ジェイズ・バーにもさよならをして、新たな旅立ちを決意する、という流れに、間接的に「再生」「再起」「回復」のようなワードを感じました。
また、「僕」は「僕」で翻訳の会社を友人と起こし、そこそこ恵まれた給料で働く中、ピンボール(要はパチンコ)にハマり、廃盤となった台を探しに行くという話が後半から本格化します。
ピンボールを女性と見立てて、会話なんか始まりますが、思いを寄せる女性を探し、再会したら、何だか吹っ切れた。次に進もうかな、みたいな。これまた「新生」「再出発」みたいな展開を暗示するような終末でした。
・・・
こうした展開のなか、女性と音楽は村上氏の中では欠かせません。
音楽でいうとクラシックから、ジャズから、そしてビートルズなどのポップからジャンル問わず出てきます。音楽好きにはたまらないことでしょう。
あとは女性ですかね。双子の女性が部屋に住みつき(猫かよ!)、同居するという。ただ、性的な描写はなく、真ん中に入り川の字になり寝るなんていう、第二次性徴前の男の子のようなお話が綴られていました。
その気がないのに交わってしまった、あるいは蠱惑的な状況なのに特段なにも感じなかった、みたいな設定は何だか村上氏らしいです。
・・・
あと本作、再読していて気になったのは冒頭に「直子」の表現が見られたこと。「ノルウェイの森」から村上作品に入った私としては非常に思い入れの深い名前でありました。
この名前、その後本作では全く出てこなかったとは思いますが、真実はどうなのでしょうね。また続作読むことで確認したいと思います。
・・・
ということで村上氏の作品の再読でした。
分かるというより、感じる乃至解釈するといった作品でした。
兎に角古い作品ですが、私くらいおっさんだとまだまだ人生で見た風景でした。風呂なしトイレ共同なんて、電話共同なんて、今の子は想像つくかしら?
ただ、若者のけだるさ、お酒の魅惑、こうしたものは時代に関わらず、ですかね。
但し、前作が「鼠」「僕」の青春小説という建付けでありましたが、今回はより「幻想的」な作りでありました。詳細は是非読んでいただければと。
・・・
前作で、バーでできた友人、ボンボン大学生の「鼠」。
本作でも登場しますが、「僕」とはすれ違いません。ただただ、けだるい日常で、恵まれた環境で、素敵な努力家の女性と戯れ、そして自己嫌悪する、といった状況。もう死語かもしれませんが、「アンニュイ」なんてカタカナで表現しましたがああいう感じでしょうか(フランス語なだけ!)。
その彼が、女との連絡を取らず(すなわち別れて)、ジェイズ・バーにもさよならをして、新たな旅立ちを決意する、という流れに、間接的に「再生」「再起」「回復」のようなワードを感じました。
また、「僕」は「僕」で翻訳の会社を友人と起こし、そこそこ恵まれた給料で働く中、ピンボール(要はパチンコ)にハマり、廃盤となった台を探しに行くという話が後半から本格化します。
ピンボールを女性と見立てて、会話なんか始まりますが、思いを寄せる女性を探し、再会したら、何だか吹っ切れた。次に進もうかな、みたいな。これまた「新生」「再出発」みたいな展開を暗示するような終末でした。
・・・
こうした展開のなか、女性と音楽は村上氏の中では欠かせません。
音楽でいうとクラシックから、ジャズから、そしてビートルズなどのポップからジャンル問わず出てきます。音楽好きにはたまらないことでしょう。
あとは女性ですかね。双子の女性が部屋に住みつき(猫かよ!)、同居するという。ただ、性的な描写はなく、真ん中に入り川の字になり寝るなんていう、第二次性徴前の男の子のようなお話が綴られていました。
その気がないのに交わってしまった、あるいは蠱惑的な状況なのに特段なにも感じなかった、みたいな設定は何だか村上氏らしいです。
・・・
あと本作、再読していて気になったのは冒頭に「直子」の表現が見られたこと。「ノルウェイの森」から村上作品に入った私としては非常に思い入れの深い名前でありました。
この名前、その後本作では全く出てこなかったとは思いますが、真実はどうなのでしょうね。また続作読むことで確認したいと思います。
・・・
ということで村上氏の作品の再読でした。
分かるというより、感じる乃至解釈するといった作品でした。
兎に角古い作品ですが、私くらいおっさんだとまだまだ人生で見た風景でした。風呂なしトイレ共同なんて、電話共同なんて、今の子は想像つくかしら?
ただ、若者のけだるさ、お酒の魅惑、こうしたものは時代に関わらず、ですかね。
2016年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の方々の本作レビューをひと通り読んで、まだ書かれてなさそうなネタバレを。
双子がビートルズのアルバム「ラバーソウル」を主人公に内緒で買ってきて、レコードにかけて流した時になぜ主人公は黙ってしまったのか・・・本作ではその明確な理由は書かれてないが、この伏線は作品を越えて回収される。
ビートルズの楽曲「ノルウェイの森」は「ラバーソウル」に収録されているからだ(現在は複数のアルバムに収録されているだろうが、当時は初出と思われる)。
小説「ノルウェイの森」の中で、ヒロインの直子が大好きだった楽曲。
(同アルバム収録の「インマイライフ」を聴いても、歌詞的に直子を思い出しそうだけど。)
出版された順番は違うけど、物語内の時系列は1968-69「ノルウェイの森」→1970夏「風の歌を聴け」(処女作)→1973秋「1973年のピンボール」なので、本作の前に「ノルウェイの森」を読んでいると、ピンボールに込められた想いや嵌った理由がだいぶ理解できると思う(本書にも、喪失した恋人として直子が出てくるので、小説同士に何らかの繋がりがあると見ていい。若干矛盾が生じる箇所もあるが、そこはパラレルワールドってことで笑)。
あと幾つか思うところを書くと、個人的には本作自体が「ピンボールというゲーム機器本体」に見立てられてるのでは、と思った。
~虚無的に感じられる部分は「死んだ時間を提供するだけのピンボール(=今の生き方)をいいかげんやめたい、でもやめられない、変わりたい、変われない」という日々の堕落と呪術性(中毒・依存)を表す~
↑煙草・酒・ゲーム・パチンコ・スロット・スマホなど何でもいいけど、何かに嵌り過ぎてダメ人間になった経験がある人はこの感覚がわかると思う。
~配電盤を捨ててみたり養鶏場の冷凍倉庫に行ったり(主人公)、ジェイに町を出ることをなかなか告げられず何度もバーに通ったり(鼠)~
↑人間は本当にやめたい何かを卒業する時、時間を無駄にして決意と挫折を繰り返したり、誰にも秘密の個人的葬式儀式を何度も繰り返した果てに、ある日ようやくやめることができるものだと思う。
『依存した何かを喪失した恋人に見立てる自己正当化(=擬人化)、堕落と中毒の繰り返しの果ての卒業・旅立ち』・・・これらも人間の持つ普遍性であり、これが本作のテーマ(=寓意・アレゴリー)の1つではないかと思った。人類普遍のと言った大きなものではなく、地べたに這いつくばるような個人のちっぽけな日常的テーマではあるけど。
それを読者に感じさせるためには、読み進めるのが退屈と思われたとしても、変わらないダラダラとした虚無の日々や何度も行う卒業的儀式の描写は必要だし、その果てにようやくピンボールを卒業できる(本作を読了する)というカタルシスを味わえる構成になってるんだと思う。
大体、作者が読者に対して「ハヴ・ア・ナイス・ゲーム」とか「もしあなたが(本作=ピンボールを通して)自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう」とか皮肉的なこと言っちゃってるし。他にも「リプレイ、リプレイ、リプレイ」とか、「繰り返しだ」というフレーズも多いし。だから虚無の日々や葬式的儀式が何度もリプレイされているのだろう。
本作自体をピンボール機器に見立てる(=読者に虚無と中毒を体感させた果てに卒業させる)という実験的試みがわかりづらくて人によっては退屈なのが、本作が初期3作の間に挟まっていまいち人気がないと言われることもある理由ではないだろうか。あるいは現実逃避したくて読書しようと本書を手にしたのに、現実の自分と同じ様に何かに依存して、虚無の日々を送る主人公達をまざまざと見せつけられたら、この作品を読むのは苦痛に感じ、好きになれないかもしれない。
あと、「主人公と鼠」は直喩やメタファー・キーワード的単語を入れ換えても文脈が通じるものが多いので、2人1役と思って問題ないと思う。それを狙ってわざと共通する言葉を使ってると思うし、直接的絡みはないけど、2人は無意識下で今もつながってるという設定かと。たとえば、鼠が「いったいどれだけの水を飲めば足りるのか」と思ったら、主人公が双子に「バケツ一杯分もの水を飲まされ」ますよね(私も3.11の時は被災者じゃないのになぜか異様に水が飲みたくなった)。
そして、何かの中毒になってる人間は誰かの助けなしには脱出しづらいもの・・・救いの存在の象徴として双子が現れ、癒され、卒業儀式を行うことを啓示され、まだ引きずる時もあるだろうけど一応は卒業できたから双子は去っていったんだと思う。だから本作ラストで、トラウマでもある「ラバーソウル(ノルウェイの森)」を聴くことができたのだと思う(小説「ノルウェイの森」の冒頭では、1986年37歳になっても飛行機内で流れた「ノルウェイの森」に心を乱されるから、完全にトラウマを無くすことは不可能みたいだが)。
双子がビートルズのアルバム「ラバーソウル」を主人公に内緒で買ってきて、レコードにかけて流した時になぜ主人公は黙ってしまったのか・・・本作ではその明確な理由は書かれてないが、この伏線は作品を越えて回収される。
ビートルズの楽曲「ノルウェイの森」は「ラバーソウル」に収録されているからだ(現在は複数のアルバムに収録されているだろうが、当時は初出と思われる)。
小説「ノルウェイの森」の中で、ヒロインの直子が大好きだった楽曲。
(同アルバム収録の「インマイライフ」を聴いても、歌詞的に直子を思い出しそうだけど。)
出版された順番は違うけど、物語内の時系列は1968-69「ノルウェイの森」→1970夏「風の歌を聴け」(処女作)→1973秋「1973年のピンボール」なので、本作の前に「ノルウェイの森」を読んでいると、ピンボールに込められた想いや嵌った理由がだいぶ理解できると思う(本書にも、喪失した恋人として直子が出てくるので、小説同士に何らかの繋がりがあると見ていい。若干矛盾が生じる箇所もあるが、そこはパラレルワールドってことで笑)。
あと幾つか思うところを書くと、個人的には本作自体が「ピンボールというゲーム機器本体」に見立てられてるのでは、と思った。
~虚無的に感じられる部分は「死んだ時間を提供するだけのピンボール(=今の生き方)をいいかげんやめたい、でもやめられない、変わりたい、変われない」という日々の堕落と呪術性(中毒・依存)を表す~
↑煙草・酒・ゲーム・パチンコ・スロット・スマホなど何でもいいけど、何かに嵌り過ぎてダメ人間になった経験がある人はこの感覚がわかると思う。
~配電盤を捨ててみたり養鶏場の冷凍倉庫に行ったり(主人公)、ジェイに町を出ることをなかなか告げられず何度もバーに通ったり(鼠)~
↑人間は本当にやめたい何かを卒業する時、時間を無駄にして決意と挫折を繰り返したり、誰にも秘密の個人的葬式儀式を何度も繰り返した果てに、ある日ようやくやめることができるものだと思う。
『依存した何かを喪失した恋人に見立てる自己正当化(=擬人化)、堕落と中毒の繰り返しの果ての卒業・旅立ち』・・・これらも人間の持つ普遍性であり、これが本作のテーマ(=寓意・アレゴリー)の1つではないかと思った。人類普遍のと言った大きなものではなく、地べたに這いつくばるような個人のちっぽけな日常的テーマではあるけど。
それを読者に感じさせるためには、読み進めるのが退屈と思われたとしても、変わらないダラダラとした虚無の日々や何度も行う卒業的儀式の描写は必要だし、その果てにようやくピンボールを卒業できる(本作を読了する)というカタルシスを味わえる構成になってるんだと思う。
大体、作者が読者に対して「ハヴ・ア・ナイス・ゲーム」とか「もしあなたが(本作=ピンボールを通して)自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう」とか皮肉的なこと言っちゃってるし。他にも「リプレイ、リプレイ、リプレイ」とか、「繰り返しだ」というフレーズも多いし。だから虚無の日々や葬式的儀式が何度もリプレイされているのだろう。
本作自体をピンボール機器に見立てる(=読者に虚無と中毒を体感させた果てに卒業させる)という実験的試みがわかりづらくて人によっては退屈なのが、本作が初期3作の間に挟まっていまいち人気がないと言われることもある理由ではないだろうか。あるいは現実逃避したくて読書しようと本書を手にしたのに、現実の自分と同じ様に何かに依存して、虚無の日々を送る主人公達をまざまざと見せつけられたら、この作品を読むのは苦痛に感じ、好きになれないかもしれない。
あと、「主人公と鼠」は直喩やメタファー・キーワード的単語を入れ換えても文脈が通じるものが多いので、2人1役と思って問題ないと思う。それを狙ってわざと共通する言葉を使ってると思うし、直接的絡みはないけど、2人は無意識下で今もつながってるという設定かと。たとえば、鼠が「いったいどれだけの水を飲めば足りるのか」と思ったら、主人公が双子に「バケツ一杯分もの水を飲まされ」ますよね(私も3.11の時は被災者じゃないのになぜか異様に水が飲みたくなった)。
そして、何かの中毒になってる人間は誰かの助けなしには脱出しづらいもの・・・救いの存在の象徴として双子が現れ、癒され、卒業儀式を行うことを啓示され、まだ引きずる時もあるだろうけど一応は卒業できたから双子は去っていったんだと思う。だから本作ラストで、トラウマでもある「ラバーソウル(ノルウェイの森)」を聴くことができたのだと思う(小説「ノルウェイの森」の冒頭では、1986年37歳になっても飛行機内で流れた「ノルウェイの森」に心を乱されるから、完全にトラウマを無くすことは不可能みたいだが)。
2023年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
二度と戻って来ない、あのほろ苦い青春時代。そこには大切な人との出会いがあったが、失ってしまったものは、自分の記憶の中でしか存在せず、永遠に消え去ってしまう。そうした喪失感と自分を表現できない不器用さを見事に描いた小説だ。「風の歌を聴け」より評価が低いようだが、終盤はこの小説の方に心が揺さぶられる。学生時代に去って行った女学生の残していったグラスに、スヌーピーとウッドストックが楽しそうに遊んでいる漫画が描かれ、その上の「幸せとは暖かい仲間」と書かれた文字、の表現は絶品だ。鼠の彼女との別れ、主人公とピーンボールの再開と別れ、また双子の兄弟との別れ、読み終えた後に余韻を残す何とも言えないもの悲しさ等、読者の心を動かす傑作小説であることには違いない。ただ、鼠の行動には理解しがたいものがある。自己不全感や虚無感等は、あたかも境界性パーソナリティ障害か、うつ病を感じさせるもので、了解は難しかったのが実感だ。
2019年10月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
10代の頃リアルタイムで読み、何回か読み返しているので、今、本作について書くのはレビューなどではなく、ただの思いになってしまうけれど。
改めて、2つの物語の重なり合い、探し物系サスペンス風展開、裏/表・陰/陽などのスタイルはここから始まったんだなあと思う。
「僕」の全て諦めてしまったかのような(、そして爺臭い)明るさと、鼠の何かに縋りつくような(、そして夢見るような)暗さ。
どちらがどちらというわけでもなく、どちらもどちらということでもなく。
抜け出そうとして抜け出せない/抜け出したくない、そんなあの頃の感覚をふたつに分けてからひとつに混ぜようと思ったら、こういう形で表すしかなかったのかな。
養鶏場のシーンは何度読んでもドキドキする。
リアルタイムで本を読むということはあまりしないので、時代と自分ということを考えてしまう数少ない作品。
改めて、2つの物語の重なり合い、探し物系サスペンス風展開、裏/表・陰/陽などのスタイルはここから始まったんだなあと思う。
「僕」の全て諦めてしまったかのような(、そして爺臭い)明るさと、鼠の何かに縋りつくような(、そして夢見るような)暗さ。
どちらがどちらというわけでもなく、どちらもどちらということでもなく。
抜け出そうとして抜け出せない/抜け出したくない、そんなあの頃の感覚をふたつに分けてからひとつに混ぜようと思ったら、こういう形で表すしかなかったのかな。
養鶏場のシーンは何度読んでもドキドキする。
リアルタイムで本を読むということはあまりしないので、時代と自分ということを考えてしまう数少ない作品。
2019年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初期3部作は本当にすばらしいと思う。
批評家たちは、デタッチメントを強調するけど、そしてそれはかつてのバブル期の消費される時代へのアンチテーゼなのだろうけど、そんな小難しいことを抜きにしても、単純に物語として面白い。
何も入っていないような気がして、しかし見えないように大切なものが詰まっている、そんな感じがする。
しかし、村上春樹文学の普遍性(脱・土着性)はどのように生み出されるのだろうか、いつも不思議だ。
批評家たちは、デタッチメントを強調するけど、そしてそれはかつてのバブル期の消費される時代へのアンチテーゼなのだろうけど、そんな小難しいことを抜きにしても、単純に物語として面白い。
何も入っていないような気がして、しかし見えないように大切なものが詰まっている、そんな感じがする。
しかし、村上春樹文学の普遍性(脱・土着性)はどのように生み出されるのだろうか、いつも不思議だ。