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天皇と摂政・関白 (天皇の歴史) 単行本 – 2011/2/15

4.5 5つ星のうち4.5 13個の評価

■藤原北家はいかにして権力を握ったか? その時、天皇家は?
「天皇の歴史」03巻では、9世紀半ばの文徳天皇から11世紀半ばの後冷泉天皇まで16人の天皇の時代を取り上げます。藤原良房・基経の摂政・関白就任から、道長と頼通の栄華へと続く藤原北家の全盛時代です。この「摂関政治」は、「藤原氏が天皇の意向を無視して行った恣意的・専制的な政治」と捉えられがちですが、これは「天皇親政」を至上とする戦前の歴史観の影響にほかなりません。本巻では、天皇と摂関を従来のように対立的に捉えるのではなく、天皇と摂関が総体としてどのような王権を形づくっていたのか、そのなかで「天皇のみがなしえたこと」とは何かを見ていきます。
■錯綜する姻戚関係のなかで、皇統が並立するメリットとは?
「皇位継承のルール」が確立していなかったこの時代、藤原氏は「天皇の母方の祖父」すなわち「外戚」の地位を得るために、娘たちを次々と天皇家に入内させました。現代の目から見れば「ここまでやるか!?」というほどの外戚戦略の結果、家系図は複雑になり、皇統は並立します。度重なる謀略と政争の元凶ともいえるこうした危うい状況は、しかし、貴族たちにとっても、天皇家にとっても、実は大きなメリットがあったのです。
■幼帝の誕生と「神器」の継承。現代に連なる「天皇のあり方」。
失脚した菅原道真の怨霊、平将門・藤原純友の乱など、決して「平安」とは言えない醍醐・村上帝の時代は、なぜ後世「延喜・天暦の治」と称されるのでしょうか。また、繁栄を極めたかに見える藤原頼通以後、なぜ摂関政治は衰えるのでしょうか。天皇が「生身の権力者」から「制度」へと変貌し、後の「院政」へと道を開く、約200年間を通観します。

商品の説明

著者について

佐々木 恵介
(ささき けいすけ)は1956年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、聖心女子大学教授。専攻は日本古代史。主な著書に『受領と地方社会』(山川出版社)、主な論文に「9-10世紀の日本ー平安京」(『岩波講座日本通史5 古代4』岩波書店、共著)、「古代における任官結果の伝達について」(笹山晴生編『日本律令制の展開』吉川弘文館)などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2011/2/15)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2011/2/15
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 390ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062807335
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062807333
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 13個の評価

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佐々木 恵介
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「天皇の歴史」シリーズ第3巻目の本書は前2巻に比べて格段に読みやすい印象だ。

それは前2巻に比べややページ数が少ないということによるのではない。章立てにも明らかなように、著者は、天皇とはどういう存在であったのかという、シリーズのテーマに出来るだけ応えようとしている(当然のことだと思うが、これがなかなか難しいようだ)。読者としてはその誠意が嬉しい。

とくに「即位儀礼と神器」や「仏と神と天皇」といった項目を興味深く読むことができた。ページ数にまだ余裕があるようだから、もっと詳しくてもよかったように思う。

本巻に見られるような項目をシリーズ各巻共通に論じてもらえば、シリーズ全体で、おのずと各時代の天皇像が明らかになるのではと思うことだった。もう遅い? 今からでも遅くはない??
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年11月28日に日本でレビュー済み
本書は、平安期(平安京遷都~摂関政治終焉まで。院政期は入らない)の天皇を描いた、天皇の通史シリーズの一冊である。
最初の三章で通史を描き、続く四つの章で、王権を巡る人間の関係、政務、神仏、財政の観点から天皇を見ていく。

平安期の天皇の位置づけの変遷という問題設定に正面から取り組んでおり、その点好感が持てる。
ただし後半部分は天皇の儀式や制度などかなり細かいところにまで突っ込んでおり、「天皇と摂政・関白の関係はどのようなものなのか」ぐらいの好奇心で読み始めるといささかきつい面もある。天皇と摂関の関係を知りたい人は
皇位継承と藤原氏: 摂政・関白はなぜ必要だったのか の方が、読みやすく簡潔にこの問題を扱っているので、こちらを読むといいだろう。
本書はもっと多様な天皇の側面を知りたい人向けという印象を持った。その意味で難易度はやや高めの本である。

以下印象に残った記述
・蔵人頭は天皇の代替わりで交代する、天皇の個人的関係で結ばれた存在
・承和の変以降、公卿ポストは藤原北家と嵯峨源氏などごく少数の貴族だけで占められ、官職の貴族化が進んだ
・一方で仁明天皇は学芸に秀で、この点はのちの天皇にも強い影響を持った
・文徳天皇時代の太政大臣良房は、王権代行ではなくあくまでも筆頭太政官として政務にのぞんでいた。
・陽成廃位と光孝天皇即位は、日本書紀の再解釈などまでして正統化を試みた。当時の人々には武烈天皇の悪行と継体天皇即位のような新たな皇統の出現を感じさせるものだっただろう
・早く皇太子を立てて皇太子と官人が結びつくことは、現天皇を廃する動機を与える危険なものでもある(承和の変はその現実化)
・宇多天皇のときの昇殿制は、(蔵人頭や検非違使と同じで)律令制と異なる天皇個人との関係による秩序の形成を示す
・朱雀天皇のときは忠平政権と言える様相だったが、母藤原穏子も大きな力を持ち、摂関期の国母にも大きな影響を与えた
・大将軍任命が将門純友の乱以降木曽義仲任命までなくなるのは、天皇を血の穢れから遠ざける意図があっただろう
・文人学者による「延喜・天暦の治」の神聖視は、天皇・摂関家への縁故のない文人学者にとっては、この時代の年労を基準とする叙位・任官のほうが好ましかったからという面がある
・安和の変では自分の娘をキサキに入れようとしたことが源高明失脚の原因となったため、以降キサキ候補が極めて限られた家柄・門流に限定され多様性に乏しくなるようになった
・皇統並立は、外戚を作りたい側としては、結婚相手が複数いて子供を設ける可能性が上げられること、自身の皇統確保のために早めの譲位に応じやすいことなど、望ましい状況だった。
・一条が道長を関白・内覧に命じなかった(実際は内覧相当の職務をしていたが)のは、一条自身が政治を行うという姿勢を見せたかったためだろうとしている
・摂関期に太上天皇が影響を及ぼすのは、それが父子関係などになっている必要がある。また院政確立には、太上天皇が天皇を動かすシステムが必要だった
・以前の立后はすでにいる皇子の権威を高めるものなのに対し、摂関期の立后はこれから生まれる皇子を皇位継承者とするためのもの
・皇位交代は譲位宣命とレガリア移動で確立しており(譲国儀整備)、即位儀で高御座につくことは群臣からの支持獲得の面が強い
・剣と璽も、天皇であるものが権威を高めるための象徴だったが、次第に剣や璽を持つものが天皇ということになった。
・剣と比べると、鏡の神聖化は遅い(神鏡の不思議な現象の顕在化で次第に神秘化された)
・天皇の人事権(公卿の挙状はしばしば無視される)は強化され、それは摂関の権限増大につながる
・十世紀に入り、本来天皇が出るべき饗宴に、天皇が出ないことが増えた
・天皇は、神祇祭祀の頂点という位置づけから、特定神社に頼る状況へと変化した。また日本全体についてのものではなく天皇個人の祈願が行われるようになった。
・元天皇の死も穢れの原因となる。在位中の天皇については「天皇は不死」ということにされて穢れの問題は回避された
・祇園祭は怨霊の慰撫
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年2月2日に日本でレビュー済み
 他のレビューアーの意見に全2巻に比べて読みやすいと
あるが、この意見は支持できる。特に第1巻は、史料に対する
著者の独断が多く、それは戦後歴史学会の独断かも知れないが、
私のように学会の一般的なお約束に縛られない一読者からすると
憤りを禁じ得ないものがある。たとえば、私にとって欠史八代などは
論外である。欠史八代とは、事績を記載した文字資料が乏しい
八代というだけであって、それをもって実在しない天皇である
とかいうのは許せない。
 しかし、この巻はそういう嫌な点はあまり感じられない。引っ
かからずに読めるのは良い。

 ところで、第3巻だけの問題ではないが、歴代の天皇を、
「清和は・・・」、「陽成は・・・」と記載するのは何なのか。
第3巻は他の巻に比べて、比較的「清和天皇は・・・」、「陽成
天皇は・・・」と書かれている箇所が多いが、それでも時々
「天皇」を省いて書く書き方がみられる。諡号はあくまで「・・天皇」
であるのに、歴史学者はそれを「清和」、「陽成」と表現するようだ。
学問的に客観的にあるということと、歴代の天皇をそのように
お呼びするということは別問題であると考える私によって、
そのような学者連中の態度には憤慨させられる。

 そもそも、このようにシリーズ仕立てにするなら、そうした
基本的な用語の使用方法は、かりに「天皇」を省くなら省くで
統一すべきものではないのだろうか。何のために編集委員がいる
のか。

 学者というと聞こえは良いが、学者は根本的には評論家に過ぎない。
対象を愛するよりは、対象を材料としていじくる者達である。
そんな思いをこのシリーズを読んでいると感じる次第である。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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