小さな大著と誰かが言っていましたが
まさに新書ボリュームに収まりきらないほど
射程が広く深い歴史的文化史的な考察を繰り広げられた大著だと思います。
このあと作者は次々に「精神史」シリーズを著しておられますが、シリーズ最初の「モスラの精神史」こそはその代表格でしょう。
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モスラの精神史 (講談社現代新書) 新書 – 2007/7/19
小野 俊太郎
(著)
なぜ蛾の姿なのか?
あの歌の意味はなにか?
ゴジラとどこが違うのか?
多くの謎が、いま解き明かされる!
プロローグ──モスラが飛んだ日
第一章 三人の原作者たち
第二章 モスラはなぜ蛾なのか
第三章 主人公はいったい誰か
第四章 インファント島と南方幻想
第五章 モスラ神話と安保条約
第六章 見世物にされた小美人と悪徳興行師
第七章 『モスラ』とインドネシア
第八章 小河内ダムから出現したわけ
第九章 国会議事堂か、東京タワーか
第十章 同盟国を襲うモスラ
第十一章 平和主義と大阪万
あの歌の意味はなにか?
ゴジラとどこが違うのか?
多くの謎が、いま解き明かされる!
プロローグ──モスラが飛んだ日
第一章 三人の原作者たち
第二章 モスラはなぜ蛾なのか
第三章 主人公はいったい誰か
第四章 インファント島と南方幻想
第五章 モスラ神話と安保条約
第六章 見世物にされた小美人と悪徳興行師
第七章 『モスラ』とインドネシア
第八章 小河内ダムから出現したわけ
第九章 国会議事堂か、東京タワーか
第十章 同盟国を襲うモスラ
第十一章 平和主義と大阪万
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2007/7/19
- ISBN-104062879018
- ISBN-13978-4062879019
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2007/7/19)
- 発売日 : 2007/7/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 4062879018
- ISBN-13 : 978-4062879019
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,781位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
熱狂的な往年の怪獣ファンも、サブカルチャーにはちょっとうるさい評論家や学者先生も、本書にはたちどころにノックアウトされてしまうだろう。後世に残る素晴らしい評論の誕生である。
まず、モスラという題材がいい。世界的に有名なのはゴジラだけれど、あれはあくまでも恐竜の変形。モスラこそ日本生まれの日本オリジナル、という作者の思い入れがあったればこそ。
モスラの原作と映画とを比較して行く、という試みもユニークだ。原作は福永武彦ら当時の文壇の大御所たちの共作によるもので、本作ではまずこの点(どうして3者の共作か)からその謎を解き明かす。
その他、モスラが何故蛾だったのか、とか、「モスラの歌」が何故インドネシア語だったのか、などマニアの間ではおなじみの興味深いネタが並ぶ。
私が最もおもしろかったのは、映画「モスラ」が日米共作だったという事実の意味づけと、その政治学的な分析。モスラが日本の同盟国であるアメリカ(映画ではロリシカ共和国)を攻撃するということの意味がわかってドキリとした。
まず、モスラという題材がいい。世界的に有名なのはゴジラだけれど、あれはあくまでも恐竜の変形。モスラこそ日本生まれの日本オリジナル、という作者の思い入れがあったればこそ。
モスラの原作と映画とを比較して行く、という試みもユニークだ。原作は福永武彦ら当時の文壇の大御所たちの共作によるもので、本作ではまずこの点(どうして3者の共作か)からその謎を解き明かす。
その他、モスラが何故蛾だったのか、とか、「モスラの歌」が何故インドネシア語だったのか、などマニアの間ではおなじみの興味深いネタが並ぶ。
私が最もおもしろかったのは、映画「モスラ」が日米共作だったという事実の意味づけと、その政治学的な分析。モスラが日本の同盟国であるアメリカ(映画ではロリシカ共和国)を攻撃するということの意味がわかってドキリとした。
2007年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画「モスラ」を通じて、裏にある社会的背景、原作者達の思想的背景を論じたもの。本書のような本が出る事は、怪獣の中で「モスラ」を一番愛している私には慶賀の至りなのだが、著者は背景の分析に目が行く余り、肝心の映画そのものに目が行っていないのではないか。
「モスラ」の原型を蛾にした理由は、本書にある通り変態を繰り返す生物からの選択であろうが、それを養蚕と結び付けるのは牽強付会に過ぎる。善玉、悪玉の双方を演じるゴジラ・ラドンとは異なり、「モスラ」は一貫して正義の味方であり平和の象徴である。だからこそ、絵柄が美しく戦闘能力のない儚い蛾にしたと考える方が自然である。また、映画の主人公に関して論じているが、映画を観た人なら明らかな通り、それは二人の小妖精(ザ・ピーナッツ)に他ならない。島の名前がインファント(=infant=小人)なのは、当然、小妖精の島だからである。「モスラ」の歌がインドネシア語なのは、ファンにとっては常識だが、"雰囲気作り"以上の意図は感じられない。更に、著者は小妖精を「ゴジラ」の母として捉えて妙な三角関係を想定しているが、"島神"を奉る"巫女"的存在と解する方が自然である。南方幻想にも触れているが、それを原作者の戦争体験や戦後の日米関係と絡めて論じており、これも虚しい。日本人には昔から南方への憧憬があり、今でも「南の楽園」とは言うが、「北の楽園」とは言わない。また、「モスラ」が繭を作る場所に関して、原案を国会議事堂として安保問題を取り上げているがウンザリである。他の箇所の記述と言い、著者の反米思想が露骨に出ている。高い東京タワーの方が視覚的効果も高いという風に素直に捉えるべきであろう。一事が万事、シンプルな事を無理に複雑化しているのである。著者が封切り時の映画「モスラ」を観ていないのが致命的だと思う。
全体として著者の衒学趣味が鼻につく上に、肝心な点の分析が杜撰かつ偏向性が強い。「美しい花がある。花の美しさというものはない」とは小林秀雄の至言である。極度の分析指向は、対象の美を損なう。何より著者に、映画「モスラ」を純粋に楽しむという一観衆としての視点が欠けているのが痛い。小学生の頃、映画「モスラ」をワクワクして観た身としては、何故この映画の面白さを素直に伝える姿勢を持てなかったのか残念極まりない。
「モスラ」の原型を蛾にした理由は、本書にある通り変態を繰り返す生物からの選択であろうが、それを養蚕と結び付けるのは牽強付会に過ぎる。善玉、悪玉の双方を演じるゴジラ・ラドンとは異なり、「モスラ」は一貫して正義の味方であり平和の象徴である。だからこそ、絵柄が美しく戦闘能力のない儚い蛾にしたと考える方が自然である。また、映画の主人公に関して論じているが、映画を観た人なら明らかな通り、それは二人の小妖精(ザ・ピーナッツ)に他ならない。島の名前がインファント(=infant=小人)なのは、当然、小妖精の島だからである。「モスラ」の歌がインドネシア語なのは、ファンにとっては常識だが、"雰囲気作り"以上の意図は感じられない。更に、著者は小妖精を「ゴジラ」の母として捉えて妙な三角関係を想定しているが、"島神"を奉る"巫女"的存在と解する方が自然である。南方幻想にも触れているが、それを原作者の戦争体験や戦後の日米関係と絡めて論じており、これも虚しい。日本人には昔から南方への憧憬があり、今でも「南の楽園」とは言うが、「北の楽園」とは言わない。また、「モスラ」が繭を作る場所に関して、原案を国会議事堂として安保問題を取り上げているがウンザリである。他の箇所の記述と言い、著者の反米思想が露骨に出ている。高い東京タワーの方が視覚的効果も高いという風に素直に捉えるべきであろう。一事が万事、シンプルな事を無理に複雑化しているのである。著者が封切り時の映画「モスラ」を観ていないのが致命的だと思う。
全体として著者の衒学趣味が鼻につく上に、肝心な点の分析が杜撰かつ偏向性が強い。「美しい花がある。花の美しさというものはない」とは小林秀雄の至言である。極度の分析指向は、対象の美を損なう。何より著者に、映画「モスラ」を純粋に楽しむという一観衆としての視点が欠けているのが痛い。小学生の頃、映画「モスラ」をワクワクして観た身としては、何故この映画の面白さを素直に伝える姿勢を持てなかったのか残念極まりない。
2007年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少し牽強付会と言えなくもない箇所はあるが、同じ怪獣娯楽映画でもゴジラに比べてほとんど論じられてこなかったモスラについて、その製作者たちの来歴を細かく調べ、モスラを鎮めるために鐘が鳴らされる理由などディテールの象徴的な意味を探る。また時代状況から、観客がこの作品を受容する心理を明らかにしようとした労作。
モスラのありとあらゆる要素に分析のメスを入れているが、ポイントは、当時の日本人にとっての「南方」のイメージ(戦時中幾度も南方の地名をニュースで聞いた人、実際に南方に従軍していた人が多くいた時代である。今の私たちの想起するリゾートの南方とは違う)とインドネシアとの関係。
そして日本人や作者(中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という純文学の三人であることも重要)にとっての「蛾」。養蚕業が廃れた現在と当時では、蛾の持つ意味が違う。
細かい部分では、出演している役者が当時、他のどの作品に出演していたか調べ、当時映画をみた日本人がもつ印象を細かく再現しようとしている。
終章で、モスラ的主題が宮崎駿に受け継がれていると説くのであれば、宮崎のインタビューがほしかった。
今となってはモスラという怪獣の存在以外は忘却されたが、作者は強気の解釈を重ね、モスラを生み出した製作者の思いと、それを受け止める時代の空気を正確に再現しようとしている。
知的興奮に満ちた一冊。
モスラのありとあらゆる要素に分析のメスを入れているが、ポイントは、当時の日本人にとっての「南方」のイメージ(戦時中幾度も南方の地名をニュースで聞いた人、実際に南方に従軍していた人が多くいた時代である。今の私たちの想起するリゾートの南方とは違う)とインドネシアとの関係。
そして日本人や作者(中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という純文学の三人であることも重要)にとっての「蛾」。養蚕業が廃れた現在と当時では、蛾の持つ意味が違う。
細かい部分では、出演している役者が当時、他のどの作品に出演していたか調べ、当時映画をみた日本人がもつ印象を細かく再現しようとしている。
終章で、モスラ的主題が宮崎駿に受け継がれていると説くのであれば、宮崎のインタビューがほしかった。
今となってはモスラという怪獣の存在以外は忘却されたが、作者は強気の解釈を重ね、モスラを生み出した製作者の思いと、それを受け止める時代の空気を正確に再現しようとしている。
知的興奮に満ちた一冊。
2011年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かなり突っ込んで持論を展開しているのでそれなりに面白かったのですが、何も風の谷のナウシカまで持っていかなくても良かったんじゃないのでしょうか。少し深入り、深読み、考えすぎ、根を詰めすぎて論旨崩壊を招いているような気がしました。映画自体をもっと楽しく観られれば良いなぁと思って購入しましたが、却って邪魔になりそうです。
2013年1月18日に日本でレビュー済み
著者には「大魔神の精神史」という類書があるのだが、本書はモスラに特化したものである。
なぜモスラか、というのは非常に簡単である。
東宝怪獣のなかで、モスラは非常に特別な、というか特殊な存在なのである。
単独作品があり、しかも当初から善玉というか悪役としては一度も描かれていない怪獣が、モスラである。
そのイメージは小美人を演じたザ・ピーナッツとも重なっている。
繊細で、美しく、そして儚い存在の怪獣というのは、他の東宝怪獣には存在しない。
まあ、キング・コングというのがいるが、あれは東宝オリジナルではない。
さて、このモスラやゴジラには、原爆と放射能(放射線)のイメージが非常に強い。
それは本書の中でもくりかえし強調されている。
つまりモスラは戦後の影をひきずった存在であり、福永武彦を始めとした3人の原作者たちがイメージしたものは、本書でも述べられているように平和のシンボルとしての存在だったのだろう。
今、昭和モスラの第一作を改めて見直すと、「ゴジラ」と比べて非常に明るい、しかし込められたデーゼの思いことに気づく。
そして、本書では、その原作と映画化された第一作との間の相違点、その相違が生じた理由等を、非常に丹念に解析している。
それによって、原作者たちが本作に込めた思いと、制作者たちが意図したこととが、浮き彫りにされてくる。
このあたりが、本書では非常に興味深い。
小泉博、フランキー堺といったキャラの明るい役者を配し、ザ・ピーナッツという華麗なショウビズを配して、かなりコミカライズした作風が意図されている。
本作に出演した多くの人々は、すでに鬼籍に入っている。
本書を読みながら、昭和モスラ第一作を鑑賞すると、改めて戦後60年以上が過ぎていることに気づく。
本書の最後のほうで岡本太郎作の太陽の塔が登場するが、万国博覧会からでもすでに40年以上が経過しているんだ。
昭和はずいぶん遠くになってしまったな。
なぜモスラか、というのは非常に簡単である。
東宝怪獣のなかで、モスラは非常に特別な、というか特殊な存在なのである。
単独作品があり、しかも当初から善玉というか悪役としては一度も描かれていない怪獣が、モスラである。
そのイメージは小美人を演じたザ・ピーナッツとも重なっている。
繊細で、美しく、そして儚い存在の怪獣というのは、他の東宝怪獣には存在しない。
まあ、キング・コングというのがいるが、あれは東宝オリジナルではない。
さて、このモスラやゴジラには、原爆と放射能(放射線)のイメージが非常に強い。
それは本書の中でもくりかえし強調されている。
つまりモスラは戦後の影をひきずった存在であり、福永武彦を始めとした3人の原作者たちがイメージしたものは、本書でも述べられているように平和のシンボルとしての存在だったのだろう。
今、昭和モスラの第一作を改めて見直すと、「ゴジラ」と比べて非常に明るい、しかし込められたデーゼの思いことに気づく。
そして、本書では、その原作と映画化された第一作との間の相違点、その相違が生じた理由等を、非常に丹念に解析している。
それによって、原作者たちが本作に込めた思いと、制作者たちが意図したこととが、浮き彫りにされてくる。
このあたりが、本書では非常に興味深い。
小泉博、フランキー堺といったキャラの明るい役者を配し、ザ・ピーナッツという華麗なショウビズを配して、かなりコミカライズした作風が意図されている。
本作に出演した多くの人々は、すでに鬼籍に入っている。
本書を読みながら、昭和モスラ第一作を鑑賞すると、改めて戦後60年以上が過ぎていることに気づく。
本書の最後のほうで岡本太郎作の太陽の塔が登場するが、万国博覧会からでもすでに40年以上が経過しているんだ。
昭和はずいぶん遠くになってしまったな。
2009年9月19日に日本でレビュー済み
小学生の頃、学校から映画を見に行く行事がありました。
モスラなどの怪獣ものを見に行くことがありました。
なぜ学校から映画を見に行くのか分かりませんでした。
楽しいので、深くは考えることなく、また見に来たいと思いました。
モスラの裏に、すごい文化的背景、精神的な土台があることを知りました。
自分も映画作りに関わりたいと思いました。
名作の裏には、大きな思いがあるのだと。
モスラなどの怪獣ものを見に行くことがありました。
なぜ学校から映画を見に行くのか分かりませんでした。
楽しいので、深くは考えることなく、また見に来たいと思いました。
モスラの裏に、すごい文化的背景、精神的な土台があることを知りました。
自分も映画作りに関わりたいと思いました。
名作の裏には、大きな思いがあるのだと。
2016年10月23日に日本でレビュー済み
著者は文芸評論家で、映画に関する著作も多く、ゴジラやスターウォーズについての本もある。
本書は、『モスラ』を、原作として書かれた小説、シナリオ、実作と比較しつつ、当時の時代背景とともに読み解こうと試みたもの。
原作執筆を中村真一郎、福永武彦、堀田善衛が務めていたことなど、知られざる側面が次々と紹介され、『モスラ』が単なる怪獣映画でないことを教えられる。小妖精たちの歌を解析したり、安保闘争と結び付けたり、小河内ダムに出現してから東京タワーに至るルートを分析したり。
刺激に満ちた本だ。
ただ、牽強付会な箇所が目立ち、また脇道にそれすぎ。ちょっと納得のいかないような指摘が多く、全体としての印象はきわめて悪い。
書く方は知的ゲームのノリで楽しいのかも知れないが、信頼度はゼロに近い。
本書は、『モスラ』を、原作として書かれた小説、シナリオ、実作と比較しつつ、当時の時代背景とともに読み解こうと試みたもの。
原作執筆を中村真一郎、福永武彦、堀田善衛が務めていたことなど、知られざる側面が次々と紹介され、『モスラ』が単なる怪獣映画でないことを教えられる。小妖精たちの歌を解析したり、安保闘争と結び付けたり、小河内ダムに出現してから東京タワーに至るルートを分析したり。
刺激に満ちた本だ。
ただ、牽強付会な箇所が目立ち、また脇道にそれすぎ。ちょっと納得のいかないような指摘が多く、全体としての印象はきわめて悪い。
書く方は知的ゲームのノリで楽しいのかも知れないが、信頼度はゼロに近い。