再掲 2008年
動物との係わり、自然との係わりが希薄になる事で人は次第に身体性を失うとともに森や海から刷り込まれていたはずの智慧や畏怖を忘れていくのだろう。キツネ、タヌキあるいは河童や天狗などの物語でない経験や語り継がれた民俗を失うことが何を意味するのか。
科学では捉えられない世界をつかむことが出来ない人間達をつくった時代、1965年を境に日本人はキツネにだまされなくなってしまった。森や海がもはや畏怖する存在でなく科学が自然を管理できるという驕りの中に、人間の魂も動物の魂も森や海には戻っていかない。その様な社会が進む時、豊かさとは、発展とは、果たして人間にどのような未来を開いているのだろうか。市場経済と言う文脈の中に、心も体も疲弊した人々の姿が見えてしょうがない。
内山さんのこれまでの思索があまりに多く詰められていて一度読んだだけでは吸収できないほどである。そんな内山さんも東京生まれで、釣りを通じて上野村に通いだし、そして労働と貨幣、自然と人間との係わりを村民の方々との「時間ではない“とき”」の中での交流や自身の稼ぎでない「仕事」を通して思想思考し本書になったのだろう。
備忘録的キーワード
口語体の情報から文語体の情報伝達(テレビやラジオの普及)
自然との折り合いからの農業が農薬や燃料消費の生産形態へ
進学率の上昇(ムラの文化伝統の減少、伝承民俗の衰退、正解や誤りのない「知」の文化の衰退)
自然(じねん、おのずかりしかり=作為がない)
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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書) 新書 – 2007/11/16
内山 節
(著)
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ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか? 「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか? まったく新しい歴史哲学講義。(講談社現代新書)
ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか? 「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか? まったく新しい歴史哲学講義。
ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか? 「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか? まったく新しい歴史哲学講義。
- ISBN-104062879182
- ISBN-13978-4062879187
- 出版社講談社
- 発売日2007/11/16
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 0.9 x 17.4 cm
- 本の長さ180ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2007/11/16)
- 発売日 : 2007/11/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 180ページ
- ISBN-10 : 4062879182
- ISBN-13 : 978-4062879187
- 寸法 : 10.6 x 0.9 x 17.4 cm
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2019年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「1965年を境に人は狐に騙されなくなった」…そんな事を言ったら、余りにも具体的過ぎて驚く方も多いのではなかろうか。
だが、それでも著者は断言する…「1965年以降、全国一斉に狐に騙された話は発生しなくなった」…と。
それでは一体1965年に何があったのか…それを考えたのが本書である。
さて、1965年と言えばそれ程昔の話ではないので、この時代を良く知っている方は多いだろうし、寧ろそんな最近まで狐に騙された話があったのかと言う事に驚いてしまった。
そこで、本書は改めて1965年と言う時代を繙く事から始まる。
敗戦から立ち直って完全復活した高度成長期、「魂」や「精神」と言う世界と断絶して「科学」に傾倒した時代、ラジオやテレビの発達に依る情報の拡散、進学率の向上と教育の変化…こうした世の中の変化を著者は「1965年の革命」と名付けて分析しているが、これは即ち、日本が本格的に近代化され、大きな成長を遂げた時代という事で間違いないだろう。
ここで一旦考えたい…近代化や成長は果たして悪い事なのか?
答えは否…日本の発展には欠かせない事であり、歓迎すべき変化であった筈である。
だが、その一方で成長の為に捨てられた事、忘れ去られた事があり、著者はその「置き去りにされた事」の中に「狐に騙されなくなった」原因が隠されていると考えているのだ。
尚、ここで恐らく多くの読者は著者が謂わんとしている事は理解するのではないか…即ち「古き良き日本」が置き去りにされたのではないか、と。
実際に、本書の後半は所謂”精神論”に多くの頁を費やしているので自分を見つめ直す良い切掛けになるであろうし、更に本書は踏み込んで「そもそも本当に狐に騙されるという事はあるのか」と言う原点にまで立ち返っている。
著者自身が聞き取り調査をした具体例も紹介しながら、改めて「狐に騙されなくなった」原因を解り易く論述しているが、読み進めると、狐はあくまでも一つの例である事が解り、迷信や俗信全てに共通する現象と捉える事も出来る内容なので、非常に奥が深かった。
狐に騙されなくなった事を寂しいと感じるか、良い事だと考えるか…それを考えるのは読者自身-だが、何れにしても本書を読めば多くを考えさせられるのではなかろうか。
勿論、結果としては「1965年」にこうした画期的な変化があって狐に騙されなくなったと言う明確な答えが提示されている訳では無かったのだが、世の中の変化に想いを馳せる事は間違いないと思うので、一読の価値はあると思う。
だが、それでも著者は断言する…「1965年以降、全国一斉に狐に騙された話は発生しなくなった」…と。
それでは一体1965年に何があったのか…それを考えたのが本書である。
さて、1965年と言えばそれ程昔の話ではないので、この時代を良く知っている方は多いだろうし、寧ろそんな最近まで狐に騙された話があったのかと言う事に驚いてしまった。
そこで、本書は改めて1965年と言う時代を繙く事から始まる。
敗戦から立ち直って完全復活した高度成長期、「魂」や「精神」と言う世界と断絶して「科学」に傾倒した時代、ラジオやテレビの発達に依る情報の拡散、進学率の向上と教育の変化…こうした世の中の変化を著者は「1965年の革命」と名付けて分析しているが、これは即ち、日本が本格的に近代化され、大きな成長を遂げた時代という事で間違いないだろう。
ここで一旦考えたい…近代化や成長は果たして悪い事なのか?
答えは否…日本の発展には欠かせない事であり、歓迎すべき変化であった筈である。
だが、その一方で成長の為に捨てられた事、忘れ去られた事があり、著者はその「置き去りにされた事」の中に「狐に騙されなくなった」原因が隠されていると考えているのだ。
尚、ここで恐らく多くの読者は著者が謂わんとしている事は理解するのではないか…即ち「古き良き日本」が置き去りにされたのではないか、と。
実際に、本書の後半は所謂”精神論”に多くの頁を費やしているので自分を見つめ直す良い切掛けになるであろうし、更に本書は踏み込んで「そもそも本当に狐に騙されるという事はあるのか」と言う原点にまで立ち返っている。
著者自身が聞き取り調査をした具体例も紹介しながら、改めて「狐に騙されなくなった」原因を解り易く論述しているが、読み進めると、狐はあくまでも一つの例である事が解り、迷信や俗信全てに共通する現象と捉える事も出来る内容なので、非常に奥が深かった。
狐に騙されなくなった事を寂しいと感じるか、良い事だと考えるか…それを考えるのは読者自身-だが、何れにしても本書を読めば多くを考えさせられるのではなかろうか。
勿論、結果としては「1965年」にこうした画期的な変化があって狐に騙されなくなったと言う明確な答えが提示されている訳では無かったのだが、世の中の変化に想いを馳せる事は間違いないと思うので、一読の価値はあると思う。
2011年9月3日に日本でレビュー済み
どうも社会学よりの本ばかり読んでいたせいか、
タイトルに示された疑問への解答に至る道筋として社会学的な方法論を期待していた自分がいたように思う。
しかし、著者は哲学者である。
当然ながら、本書の内容は極めて哲学的な考察に溢れている。
(1960年代に高度成長がどうたらこうたら、とか、そういう話ももちろん出てくるし、
そうした部分は非常に面白いのだけれど、あくまで本書の核心ではないように感じた。)
その意味では(自分の)期待(は的)はずれ、というか、
正直、哲学的思考に乏しいせいで本書を100%楽しむことができなかったのが残念だ。
著者が本書のなかで試みた考察、そして考察の結果として提示される主張とは、
もしかしたらまったく関係ないかもしれないけれど、本書を読んで重要に感じたのは以下の点である。
歴史とは、「それを歴史として捉える文化圏(あるいは個人)」の歴史であり、
未来(つまり現在)から眺める歴史とはそもそも本質的に大きく異なるものである。
また、たとえ同じ時代を過ごしていたとしても、
立場、つまり歴史を「認識する側」に立たない者にとって、それはまったく的はずれな「認識」であり、
彼ら(「認識する側」に立たない者)はまた別の歴史をもっていたり、あるいはもたなかったりするのである。
このことがタイトルの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」と
果たしてどう関わってくるかは、本書を読んでのお楽しみ。
あ、評価が☆3つなのは、自分の無知さを嫌悪しながら読んだことで「読書的快楽」が半減したのが理由であり、
本書が「少しでも興味をもった人にとって読むべき一冊」であることについては何の異議も唱えるつもりはない。
ので、そこは誤解なきよう。
はぁ、哲学って難しい(自分の頭の悪さが嫌になる)。
タイトルに示された疑問への解答に至る道筋として社会学的な方法論を期待していた自分がいたように思う。
しかし、著者は哲学者である。
当然ながら、本書の内容は極めて哲学的な考察に溢れている。
(1960年代に高度成長がどうたらこうたら、とか、そういう話ももちろん出てくるし、
そうした部分は非常に面白いのだけれど、あくまで本書の核心ではないように感じた。)
その意味では(自分の)期待(は的)はずれ、というか、
正直、哲学的思考に乏しいせいで本書を100%楽しむことができなかったのが残念だ。
著者が本書のなかで試みた考察、そして考察の結果として提示される主張とは、
もしかしたらまったく関係ないかもしれないけれど、本書を読んで重要に感じたのは以下の点である。
歴史とは、「それを歴史として捉える文化圏(あるいは個人)」の歴史であり、
未来(つまり現在)から眺める歴史とはそもそも本質的に大きく異なるものである。
また、たとえ同じ時代を過ごしていたとしても、
立場、つまり歴史を「認識する側」に立たない者にとって、それはまったく的はずれな「認識」であり、
彼ら(「認識する側」に立たない者)はまた別の歴史をもっていたり、あるいはもたなかったりするのである。
このことがタイトルの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」と
果たしてどう関わってくるかは、本書を読んでのお楽しみ。
あ、評価が☆3つなのは、自分の無知さを嫌悪しながら読んだことで「読書的快楽」が半減したのが理由であり、
本書が「少しでも興味をもった人にとって読むべき一冊」であることについては何の異議も唱えるつもりはない。
ので、そこは誤解なきよう。
はぁ、哲学って難しい(自分の頭の悪さが嫌になる)。
2021年11月7日に日本でレビュー済み
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昔話のようですが、私はとても理解できましたし、とても好きな内容でした!
2021年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
"一体なぜ。本書はこの問いからはじまる。なぜ一九六五年をもってキツネにだまされたという物語が発生しなくなってしまうのか。一九六五年に、日本の社会の何が変わったのか。私は次第にこの謎を解いてみたいと思うようになった。"2007年発刊の本書は、シンプルな問いを切り口に哲学者が歴史とは?近代化とは?を丁寧に考察した知的刺激に溢れる一冊。
個人的には、タイトルに興味をひかれて。著者の本は初めて手にとりました。
さて、そんな本書は表題通り、群馬県と東京の二拠点を往復しながら暮らす著者が釣り人として北海道から九州までを旅をし、宿の人や近所の人から山のように聞いた【キツネにだまされた】という話が、なぜか1965年(昭和40年)頃を境に共通して発生しなくなっている『事実』を切り口に確かに始まるものの、本書はその【答えを明確に提示するのではなく】むしろ、その問いを繰り返したことをきっかけにさらに向き合う事になった【自然と人間の歴史、里の歴史、民衆の精神史】をとおして『歴史とは何か』をあえて【抽象的、哲学的に考察していく】内容になっているのですが。
まず、多くの方がそうではないか?と思うのですが、てっきり民俗学や妖怪話的な展開をしていくと思っていたので。良い意味で予想を裏切られる内容で、読み進める途中からはむしろ山村で著者と対峙しながら【着地の見えない禅問答を聞いている】ような心地よさがあって、あらためて私たち日本人の社会や価値観が『近代化(西洋化)』で、どのくらい変わってきたのか。を考えてみたくなりました。(キツネに騙されない西洋人に『むしろ驚く明治日本人』のくだりは面白かった)
また、そんな本書なので【わかりやすい答え】を読書に求める方には一方であまり向かない本かもしれませんが。それでも支配者層や勝者が民衆を【効率よく支配するのに便利な】教科書に載っている『見える歴史』つまり、新しくなればなるほど右肩上がりに『進歩している』そんな価値観に肌感覚的に違和感を覚えている人はぜひ本書を手にとって『見えない歴史』【知性では語りえない領域】について想いを馳せていただきたいと思いました。
明治まで日本には存在しなかった言葉である『社会』とは、あるいは歴史について。または近代化で失われた自然観について。じっくり考察したい方にオススメ。
個人的には、タイトルに興味をひかれて。著者の本は初めて手にとりました。
さて、そんな本書は表題通り、群馬県と東京の二拠点を往復しながら暮らす著者が釣り人として北海道から九州までを旅をし、宿の人や近所の人から山のように聞いた【キツネにだまされた】という話が、なぜか1965年(昭和40年)頃を境に共通して発生しなくなっている『事実』を切り口に確かに始まるものの、本書はその【答えを明確に提示するのではなく】むしろ、その問いを繰り返したことをきっかけにさらに向き合う事になった【自然と人間の歴史、里の歴史、民衆の精神史】をとおして『歴史とは何か』をあえて【抽象的、哲学的に考察していく】内容になっているのですが。
まず、多くの方がそうではないか?と思うのですが、てっきり民俗学や妖怪話的な展開をしていくと思っていたので。良い意味で予想を裏切られる内容で、読み進める途中からはむしろ山村で著者と対峙しながら【着地の見えない禅問答を聞いている】ような心地よさがあって、あらためて私たち日本人の社会や価値観が『近代化(西洋化)』で、どのくらい変わってきたのか。を考えてみたくなりました。(キツネに騙されない西洋人に『むしろ驚く明治日本人』のくだりは面白かった)
また、そんな本書なので【わかりやすい答え】を読書に求める方には一方であまり向かない本かもしれませんが。それでも支配者層や勝者が民衆を【効率よく支配するのに便利な】教科書に載っている『見える歴史』つまり、新しくなればなるほど右肩上がりに『進歩している』そんな価値観に肌感覚的に違和感を覚えている人はぜひ本書を手にとって『見えない歴史』【知性では語りえない領域】について想いを馳せていただきたいと思いました。
明治まで日本には存在しなかった言葉である『社会』とは、あるいは歴史について。または近代化で失われた自然観について。じっくり考察したい方にオススメ。