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落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書 1947) 新書 – 2008/6/17
堀井 憲一郎
(著)
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恋愛こそすべてという圧力、名前に対する過剰な思い入れ、死んだらおしまいと言えないムード…… どこか息苦しくないか? 落語のなかに生きる人々の姿から、近代人のおかしさを撃つ!
- 本の長さ261ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2008/6/17
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- ISBN-104062879476
- ISBN-13978-4062879477
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2008/6/17)
- 発売日 : 2008/6/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 261ページ
- ISBN-10 : 4062879476
- ISBN-13 : 978-4062879477
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 461,223位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 543位落語・寄席・演芸 (本)
- - 1,929位講談社現代新書
- - 2,436位演劇 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とてもおもしろく読ませてもらったし参考になった。友達にも薦めた
2013年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紹介された、
スミスの本棚では高得点です。
落語の国から今日和☆彡
スミスの本棚では高得点です。
落語の国から今日和☆彡
2013年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自己啓発の本ではないところがよい・・と思って読んでましたがだんだん興味がなくなりました。
2016年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
落語に関する話題は、情報としては価値がある、とても。どんな話を、だれが、どんなふうに演じていたのか、というような話は、読んでいて、ふむふむ、なるほど、と思ってしまう。が、落語から見えてくる江戸の時代の暮らしぶりと、現代の暮らしぶりを比べてみて、筆者が何を言いたいのかが、わからない。斜に構えて、「まあ、いいけど」を連発するのがかっこいいとでも思っているのだろうか。
2009年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私、これは落語の薀蓄本だと思い込んでて、ま、それも間違いじゃないんですけど、まえがきを読んだらノッケから「落語を通して(中略)江戸の暮らしを想像して、そこに身を置いて、いろいろ考えてみたわけだ」、「江戸の空気の中にいると、いまの生活の妙な部分が見えてくる」(p3‐4)とあって、ああ、そういう本か、と……
ただ、実際に読み進めると、講談社のPR誌『本』連載時のタイトル「落語の向こうのニッポン」の方が似つかわしい印象はある。
あとがきに「知っている人にとってはすごくあたりまえのことを、懸命に説明しつづけたばかりだなあ、という気分である。内角をえぐってから外角に投げるとバッターは打ちにくいんだよ、と説明してるような心持ちだ。小学四年生の甥っ子ならきらきらと聞いてくれるだろうが、野村克也と古田敦也も一緒に聞いてそうで、ちょっとひやっとするなあ」(p211)とあるけど、私は小学四年生並みだから「きらきらと」読みましたよ。
しかし野村や古田が聞いてても「ほうっ」と言って感心する部分も、私はあるんじゃないかと思うがな。
ただ、実際に読み進めると、講談社のPR誌『本』連載時のタイトル「落語の向こうのニッポン」の方が似つかわしい印象はある。
あとがきに「知っている人にとってはすごくあたりまえのことを、懸命に説明しつづけたばかりだなあ、という気分である。内角をえぐってから外角に投げるとバッターは打ちにくいんだよ、と説明してるような心持ちだ。小学四年生の甥っ子ならきらきらと聞いてくれるだろうが、野村克也と古田敦也も一緒に聞いてそうで、ちょっとひやっとするなあ」(p211)とあるけど、私は小学四年生並みだから「きらきらと」読みましたよ。
しかし野村や古田が聞いてても「ほうっ」と言って感心する部分も、私はあるんじゃないかと思うがな。
2008年7月6日に日本でレビュー済み
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落語で描かれている近代以前の世界を噺家風に解説しながら、現代人の暮らし方のヘンさを指摘していく本です(だから変えるべきだ、とは著者はあまり強くは言いませんが)。多種多様な落語の筋書きやセリフや、現代の落語家の見識を紹介しつつ講釈が行われますので、落語好きにはむろん非常に楽しいですが、けれど初心者でもまあ、そこそこ楽しめるのではないでしょうか。世界観から入る落語入門、って感じで、です。
総じて言えば、「死」から遠ざかり自分の「個性」をやたらと大事にする現代人の感性の相対化、というスタンスが一貫してあるんじゃないかと思いました。誰もが生きることに精一杯だった時代、死んだ人のことはどんどん忘れていかないと、生きていくのが大変でした。かつては、正月にみな同時に一つづつ年をとり、個人の誕生日なんてどうでもよかったのです。名前は個人のものではなく、共同体における当人の役割を指し示すものだし、その共同体を上手く経営していくためには、時に誰かが「いけにえ」にならないといけませんでした。結婚は個人の意思でするのではなく、世間でまともに暮らすためにとりあえずする必要があったし、恋愛は金と暇があるごくごく一部の人間のみが趣味で行うものでした。左利きだからといって、左利き用の刀など用意されていません。とにかく、大勢のルールには盲目的に従うのがスジだった。それはそれは厳しい生活だったでしょうが、「個性的」に生き「恋愛」してなきゃ豊かな人生を送っていないように思われがちな現代も、これはこれで厳しいものです。
その他、江戸時代の金銭感覚や、「歩く」ことの意味、相撲の見世物性やイカサマすれすれの見世物の魅力、そして月の文化の素晴らしさや酒の飲み方の今昔など、色々と勉強になって、よかったです。落語で「勉強」するというのは、何か違うような気もしますが。
総じて言えば、「死」から遠ざかり自分の「個性」をやたらと大事にする現代人の感性の相対化、というスタンスが一貫してあるんじゃないかと思いました。誰もが生きることに精一杯だった時代、死んだ人のことはどんどん忘れていかないと、生きていくのが大変でした。かつては、正月にみな同時に一つづつ年をとり、個人の誕生日なんてどうでもよかったのです。名前は個人のものではなく、共同体における当人の役割を指し示すものだし、その共同体を上手く経営していくためには、時に誰かが「いけにえ」にならないといけませんでした。結婚は個人の意思でするのではなく、世間でまともに暮らすためにとりあえずする必要があったし、恋愛は金と暇があるごくごく一部の人間のみが趣味で行うものでした。左利きだからといって、左利き用の刀など用意されていません。とにかく、大勢のルールには盲目的に従うのがスジだった。それはそれは厳しい生活だったでしょうが、「個性的」に生き「恋愛」してなきゃ豊かな人生を送っていないように思われがちな現代も、これはこれで厳しいものです。
その他、江戸時代の金銭感覚や、「歩く」ことの意味、相撲の見世物性やイカサマすれすれの見世物の魅力、そして月の文化の素晴らしさや酒の飲み方の今昔など、色々と勉強になって、よかったです。落語で「勉強」するというのは、何か違うような気もしますが。
2014年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
例えば数え年についてこう述べる。今は個人の誕生日から年を数える、昔は新年を迎えて年をとる数え年。社会全体で年をとる。昔は社会で共同体である意識が強く今の社会は個人とか個性に囚われてる~~と。
何言ってんだまったく。
旧石器時代の人間たちが集団生活をしてきた時から個性は求められていたってのに。ものをつくり、絵を書き、踊り、祈る。そういったものは個性ある人々が発展させてきた。江戸時代だって当然個性は求められてた。落語に出てくる彫師や商売人の人たちだって個性なくしては活躍などしない。何かと現代批判に繋げたり、批判家気取りで落語について語ってるのが腹ただしい。なにより批評が的を得ていない。
もう一つ許せないのは、「落語はCDやDVDで聞くな」とのたまわっていること。「いくら名人の芸でもCDやDVDじゃライブの迫力や雰囲気がなくなってしまう。だからCDやDVDなんかじゃダメだ」と筆者は述べている。
あのね、そんなことは言われなくてもわかってんの。そりゃライブで聞きたいさ。でも別にDVDで見てもいいじゃない。志ん朝や枝雀や文楽、小さんを過去の人、として忘れてしまうにはあまりに勿体無い。
僕が落語を聞いたのは志ん朝さんの映像がきっかけです。
何言ってんだまったく。
旧石器時代の人間たちが集団生活をしてきた時から個性は求められていたってのに。ものをつくり、絵を書き、踊り、祈る。そういったものは個性ある人々が発展させてきた。江戸時代だって当然個性は求められてた。落語に出てくる彫師や商売人の人たちだって個性なくしては活躍などしない。何かと現代批判に繋げたり、批判家気取りで落語について語ってるのが腹ただしい。なにより批評が的を得ていない。
もう一つ許せないのは、「落語はCDやDVDで聞くな」とのたまわっていること。「いくら名人の芸でもCDやDVDじゃライブの迫力や雰囲気がなくなってしまう。だからCDやDVDなんかじゃダメだ」と筆者は述べている。
あのね、そんなことは言われなくてもわかってんの。そりゃライブで聞きたいさ。でも別にDVDで見てもいいじゃない。志ん朝や枝雀や文楽、小さんを過去の人、として忘れてしまうにはあまりに勿体無い。
僕が落語を聞いたのは志ん朝さんの映像がきっかけです。
2008年10月6日に日本でレビュー済み
落語をテキストに江戸時代の生活と、それを支える思想を明らかにしていくことで、現代社会を相対化しようという試み。
「現代社会で大事にされている“個性”は、恋愛経験によってしか保証されていないのかもしれない」(p165)という指摘などは鋭い。
しかし前近代から近代を見て、病んでると批判するいうノリは、もはやありふれたものであり新味は感じられず。
「江戸時代の気分から見ると、いま、ふつうだとおもってることの多くが、実に特殊な、現代人だけにしか通用しない常識にのっとってることがわかってくる。」(あとがき)と言われても、そりゃそうでしょうねえとしか言えない。それはいつの時代だって同じことでは?
江戸時代は正しい、江戸時代に戻れ、とまで言い切るならそれはそれで面白いが、そんなことは言えるはずもなく、「ちょっと江戸の気分になってみると、少し楽になるかも」ということで、腰の引けた結論しか出ず。
細かいギャグもあまり笑えなかった。
「現代社会で大事にされている“個性”は、恋愛経験によってしか保証されていないのかもしれない」(p165)という指摘などは鋭い。
しかし前近代から近代を見て、病んでると批判するいうノリは、もはやありふれたものであり新味は感じられず。
「江戸時代の気分から見ると、いま、ふつうだとおもってることの多くが、実に特殊な、現代人だけにしか通用しない常識にのっとってることがわかってくる。」(あとがき)と言われても、そりゃそうでしょうねえとしか言えない。それはいつの時代だって同じことでは?
江戸時代は正しい、江戸時代に戻れ、とまで言い切るならそれはそれで面白いが、そんなことは言えるはずもなく、「ちょっと江戸の気分になってみると、少し楽になるかも」ということで、腰の引けた結論しか出ず。
細かいギャグもあまり笑えなかった。