すでに論破されたのに未だに幅を利かせてる説というのがあると思う(日本破綻論とか)。
この本で 俎上に載っている山川の『用語集』も幅を利かせてる説をいくつか載せているようだ。
古代ロマン(笑)を信じている人も多いそうだ。
(史記に載っている古代ロマンなんて本当なわけないだろうと今では思えるが、
初めて史記を読んだ十代の時はそうは思わなかった。)
こういった説を一日も早く無くすためには正しいことを言い続けるしかない。
そういう意味で、幾つもの虚像を並び立てて訂正するこの本はとても有用だと思う。
玄人読書人のレビュアーの方々には物足りなかったようだけど、
私のような素人には役に立ったし、
古代ロマンを信じているような人には脱洗脳本としていいんじゃないか。
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古代中国の虚像と実像 (講談社現代新書) 新書 – 2009/10/16
落合 淳思
(著)
教科書ではわからない古代中国の実像とは? 夏王朝と二里頭文化を同一視してはならない! 春秋時代、覇者は何人いたのか。焚書坑儒の真実とは? 新石器時代から赤壁の戦いに至る古代中国の虚像を剥ぐ。(講談社現代新書)
夏王朝は本当にあったのか?
春秋時代、覇者は何人いたのか? 焚書 坑 儒の実体とは? 赤壁の戦いの真相とは? 新石器時代から三国志の時代に至る古 代 中国の世界をとらえなおす一冊。
夏王朝は本当にあったのか?
春秋時代、覇者は何人いたのか? 焚書 坑 儒の実体とは? 赤壁の戦いの真相とは? 新石器時代から三国志の時代に至る古 代 中国の世界をとらえなおす一冊。
- ISBN-104062880180
- ISBN-13978-4062880183
- 出版社講談社
- 発売日2009/10/16
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1 x 17.4 cm
- 本の長さ200ページ
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/10/16)
- 発売日 : 2009/10/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4062880180
- ISBN-13 : 978-4062880183
- 寸法 : 10.6 x 1 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 279,241位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は占卜の話題など知識としては面白いものが多く、新しく解るのが多い。
しかし、著者は占卜のひびが意図的にできるといって実験したまではいいが、その実験の内容が詳しく記載されていないので読者からすれば本当にそうなのか疑問がでる。
当時の環境から牛の種類や体質が変化している場合があるので、そこを考慮しているのかどうかが判断できない。論文では詳しく記載されているのか確かめたいところだ。
ただ、占卜の操作は他の研究者も結構説としてあげられているので、その研究者達の見解も載せないのはいただけないと思う。
酒池肉林に関しては儀式的な何かではないかという説があり、淫蕩に耽ったという可能性は否定できるが、まったくなかったとはいえない。
斉の国が殷側の勢力下にあった事も頷けるが、太公望の建国した斉が殷側だというのは疑問に感じる。
というのも斉国初期にはすでに斉叔姫盤などの青銅器が周から下賜されており、また中期の青銅器には斉国の兵士が辺境の防御を強化しているという内容の物が発掘されている。また斉は諡に十干を使用していたが十干自体は東北にあったようだし、太公望は現地の風習を優先したと文献に記載されてるので、その過程で使用した可能性がある。よって太公望の斉の国が殷側であるという見解も早計に感じる。
共伯和の内容であるがこれは前々からいわれている説で、何人かの研究者がすでに挙げているし、魯の桓公が殺された事件の内容も同じである。
管鮑の交わりに関しては後に桓公が誰かに内容を話した可能性も考えられる。また管仲に関しては仲という名の通り次男坊である可能性があるので、家からの仕送りがない場合も考えられるし、この場合の大夫は当時の立場であり以前が大夫であったと判断することはできない。どれも憶測の域をでない内容である。
始皇帝の遺言に関しても遺言の書簡を誰かに廃棄させた場合、それが他の者の眼に入る可能性がある。当時の書簡は竹簡などが使用されており、紙のように簡単に持ち運びできないので、宦官の趙高が一人で遺言を廃棄できたとは思えない。誰か人を使って行った可能性が高く、人の眼に触れた可能性を否定する事は出来ない。
孫子の内容に関しても発達したのは戦国であるが貨幣に関してはすでに春秋から見えていたし、孫子兵法の千金や兵車千という発言も言葉の綾で、その前後の文から国力の消費が激しいという事を言いたかっただけであろう。数を鵜呑みにして考えるのはどうかと思われるし、少し中国史を囓った人なら数値が誇張だと解るであろう。
春秋時代は兵車を使っていたが基本的に歩兵戦である。戦術関係の書物を読めば解るが兵車だけで戦うなどありえない。孫子兵法は確かに孫子でない人物が書いた可能性があるが、あくまで可能性でとどまる程度だ。
何よりも気になるのは一番古い孫子である銀雀山漢墓で出土した竹簡でなく、三国時代の曹操が書いた注釈書である魏武帝註孫子を参考にしていることだ。銀雀山漢墓で発掘された物は字句が違うところもあり、曹操が注釈の際に解りやすく変えた可能性もある。
それに水戦に長け陸上戦に劣る呉であるからなおさら陸上戦に長ける孫武を必要としたとも考えられる。河川の移動というのはいわゆる河がないと移動できないため敵にも読まれやすい。ゆえに行軍の経路をいくつも選べる陸上を利用したりするのは変ではないし、水戦と合わせて利用することで虚を突くことが出来る。どうも的外れな意見に見える。
三國志の内容に関してはもう耳にタコができるぐらいいわれている内容である。
曹操の事についても孫子が書いた孫子を注釈するほどだったから遠征に自信があったかもしれないなどの内容は、さすがに著者の想像といえどもお粗末としか思えない。
他にも疑問点が多々あるが、憶測の域をでないものばかりである。
竹書紀年など散逸してしまい、現在ですべての内容が解っていないものや青銅器で内容が記載れてるものが発掘されてない可能性というのは十分にあり、証明できないのに否定するのは早計ではないか。
資料については面白い。けれども著者の考えが偏りがちでどうも古い考えを破壊したいと躍起になっているように感じる。
共伯和などや酒池肉林に関しては他にも挙げている研究者もいるはずなのにあくまで自説であるかのように話している。その研究者達の名前も挙げればそういう鼻持ち鳴らない態度は和らぐのではないか。
そういう態度ではためになる研究も評価されなくなってしまうのではないか。
しかし、著者は占卜のひびが意図的にできるといって実験したまではいいが、その実験の内容が詳しく記載されていないので読者からすれば本当にそうなのか疑問がでる。
当時の環境から牛の種類や体質が変化している場合があるので、そこを考慮しているのかどうかが判断できない。論文では詳しく記載されているのか確かめたいところだ。
ただ、占卜の操作は他の研究者も結構説としてあげられているので、その研究者達の見解も載せないのはいただけないと思う。
酒池肉林に関しては儀式的な何かではないかという説があり、淫蕩に耽ったという可能性は否定できるが、まったくなかったとはいえない。
斉の国が殷側の勢力下にあった事も頷けるが、太公望の建国した斉が殷側だというのは疑問に感じる。
というのも斉国初期にはすでに斉叔姫盤などの青銅器が周から下賜されており、また中期の青銅器には斉国の兵士が辺境の防御を強化しているという内容の物が発掘されている。また斉は諡に十干を使用していたが十干自体は東北にあったようだし、太公望は現地の風習を優先したと文献に記載されてるので、その過程で使用した可能性がある。よって太公望の斉の国が殷側であるという見解も早計に感じる。
共伯和の内容であるがこれは前々からいわれている説で、何人かの研究者がすでに挙げているし、魯の桓公が殺された事件の内容も同じである。
管鮑の交わりに関しては後に桓公が誰かに内容を話した可能性も考えられる。また管仲に関しては仲という名の通り次男坊である可能性があるので、家からの仕送りがない場合も考えられるし、この場合の大夫は当時の立場であり以前が大夫であったと判断することはできない。どれも憶測の域をでない内容である。
始皇帝の遺言に関しても遺言の書簡を誰かに廃棄させた場合、それが他の者の眼に入る可能性がある。当時の書簡は竹簡などが使用されており、紙のように簡単に持ち運びできないので、宦官の趙高が一人で遺言を廃棄できたとは思えない。誰か人を使って行った可能性が高く、人の眼に触れた可能性を否定する事は出来ない。
孫子の内容に関しても発達したのは戦国であるが貨幣に関してはすでに春秋から見えていたし、孫子兵法の千金や兵車千という発言も言葉の綾で、その前後の文から国力の消費が激しいという事を言いたかっただけであろう。数を鵜呑みにして考えるのはどうかと思われるし、少し中国史を囓った人なら数値が誇張だと解るであろう。
春秋時代は兵車を使っていたが基本的に歩兵戦である。戦術関係の書物を読めば解るが兵車だけで戦うなどありえない。孫子兵法は確かに孫子でない人物が書いた可能性があるが、あくまで可能性でとどまる程度だ。
何よりも気になるのは一番古い孫子である銀雀山漢墓で出土した竹簡でなく、三国時代の曹操が書いた注釈書である魏武帝註孫子を参考にしていることだ。銀雀山漢墓で発掘された物は字句が違うところもあり、曹操が注釈の際に解りやすく変えた可能性もある。
それに水戦に長け陸上戦に劣る呉であるからなおさら陸上戦に長ける孫武を必要としたとも考えられる。河川の移動というのはいわゆる河がないと移動できないため敵にも読まれやすい。ゆえに行軍の経路をいくつも選べる陸上を利用したりするのは変ではないし、水戦と合わせて利用することで虚を突くことが出来る。どうも的外れな意見に見える。
三國志の内容に関してはもう耳にタコができるぐらいいわれている内容である。
曹操の事についても孫子が書いた孫子を注釈するほどだったから遠征に自信があったかもしれないなどの内容は、さすがに著者の想像といえどもお粗末としか思えない。
他にも疑問点が多々あるが、憶測の域をでないものばかりである。
竹書紀年など散逸してしまい、現在ですべての内容が解っていないものや青銅器で内容が記載れてるものが発掘されてない可能性というのは十分にあり、証明できないのに否定するのは早計ではないか。
資料については面白い。けれども著者の考えが偏りがちでどうも古い考えを破壊したいと躍起になっているように感じる。
共伯和などや酒池肉林に関しては他にも挙げている研究者もいるはずなのにあくまで自説であるかのように話している。その研究者達の名前も挙げればそういう鼻持ち鳴らない態度は和らぐのではないか。
そういう態度ではためになる研究も評価されなくなってしまうのではないか。
2020年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国古代史の入門書を読解した後に読むと、とても面白い。
2011年5月8日に日本でレビュー済み
この著者は、とにかく通説というか、従来語り継がれてきた歴史を
「これはウソです、ありえません」と言うことによって愉悦感を得たいがためだけに
この本を著したのではないか。
そんなことを疑ってしまうぐらい酷い出来。
前編にわたって、『史記』等の資料で語られている内容に
イチャモンをつけているだけといっても過言ではない。
しかもその中身が「○○と△△の密談が後世に伝わるわけがないからこれはウソである」
で、終わり。
ふざけているか、読者を舐め腐っているか、頭が悪いかのどれかとしか思えない。
史学の徒がそんなことを書きなぐって満足しているのはとても子どもじみたことであって、
「これは史実ではないだろうが、ではなぜこういった話がこんな形で資料に残ったか」「本当はどうだったのか」
を考察しなければ誰も納得しないのである。
「これはウソです、ありえません」と言うことによって愉悦感を得たいがためだけに
この本を著したのではないか。
そんなことを疑ってしまうぐらい酷い出来。
前編にわたって、『史記』等の資料で語られている内容に
イチャモンをつけているだけといっても過言ではない。
しかもその中身が「○○と△△の密談が後世に伝わるわけがないからこれはウソである」
で、終わり。
ふざけているか、読者を舐め腐っているか、頭が悪いかのどれかとしか思えない。
史学の徒がそんなことを書きなぐって満足しているのはとても子どもじみたことであって、
「これは史実ではないだろうが、ではなぜこういった話がこんな形で資料に残ったか」「本当はどうだったのか」
を考察しなければ誰も納得しないのである。
2010年2月20日に日本でレビュー済み
「最新研究でわかった中国4000年の歴史」という帯がついていたので、思わず惹かれてしまったが、著者名を見たとたんに、またか、と思ってしまった。
すでに多数のレビューアーが書かれているとおり、すでに多数の研究者に言いつくされた内容をもう一度、書き直しているだけにすぎない。
「最新研究」の成果、など、本書のどこにあるのであろうか。
著者には、自分は次世代の旗手である、という自負があるのだろうが、まったく彼の文章は読めたものではない。
読了感の悪さは、他に類を見ない。
すでに多数のレビューアーが書かれているとおり、すでに多数の研究者に言いつくされた内容をもう一度、書き直しているだけにすぎない。
「最新研究」の成果、など、本書のどこにあるのであろうか。
著者には、自分は次世代の旗手である、という自負があるのだろうが、まったく彼の文章は読めたものではない。
読了感の悪さは、他に類を見ない。
2010年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「『春秋』は…孔子が作ったものと言われてきたが、実際には、孔子の死後に弟子か孫弟子によって編纂された可能性が高い。」
「『左伝』は…戦国時代の前半期の作」
「『韓非子』は、大部分が…本人の著作とされる。」
これらの記述を挙げれば、本書あるいは著者に対して「?」と思う人もいるだろう。
著者は『春秋』や『左伝』以外の資料をよほど疑っているらしく、たとえば孫子について「『春秋』や『左氏伝』などにはまったく記載されておらず実在の人物かどうかすら不明である」とし、墨子についても「実在すら確かめられておらず」とする。しかし、孔子が魯の大司寇にまでのぼったという、やはり『春秋』『左伝』には見えない「説話」はなぜか無批判に採用する。
著者は、覇者の基準として「大規模な会盟を継続的に主催したかどうか」を挙げ、「春秋時代の覇者を数えると、斉の桓公に晋の十一君をあわせた十二人」とする。しかし晋文公はともかく、襄公以下の十君すべてが「大規模な会盟を継続的に主催した」のだろうか。
また著者は、孟子が「五人の覇者が誰かを明記しておらず」というが、孟子は覇者としてすくなくとも「桓公」「秦繆公」の二つの固有名は挙げている。
本書は楚漢期に関する『史記』の記事について再三「文学や講談から採用したと考えるべきであろう」「創作された伝説がそのまま『史記』に記載されてしまった」などと推定するが、なぜか陸賈や『楚漢春秋』という具体名はいっさい挙げない。『三国志演義』については習鑿之『漢晋春秋』の名をわざわざ挙げているのに。
『論語』泰伯篇の「民可使由之、不可使知之」について著者は、「孔子が一種の愚民化政策を主張したと考える人がいるのだが、それは誤りである。『論語』のなかでは、「可」の文字は義務でなく可能の意味で使われているので、正しくは「民衆は従わせることはできるが、その意味を理解させることはできない」という意味で…孔子の嘆きの言葉である」とする。しかし『論語』には、「父母之年、不可不知也。」(里仁篇)・「仲尼不可毀也。」「言不可不慎也。」(子張篇)などの例もあるのではないか。いずれにせよ、この古い問題について、こうもあっさり断定するのは武断に過ぎよう。
「臥薪嘗胆」の説話について「『史記』などに記されたもの」というが、「嘗胆」はともかく「臥薪」の話は『史記』に見えない。著者の嫌いな平勢隆郎氏と同じ間違いを、しかもその間違いが指摘された以降にわざわざ犯しているのは不可解である。
曹操の父が一億銭で太尉の地位を買ったという『後漢書』の記事について、著者は「賄賂の金額が公表されるはずはない」という。しかし原文「貨賂中官及輸西園銭一億万」をみれば、「一億銭」とは霊帝の売官による、いわば公然の料金だとも解し得よう。正式?な売官によるものなら、その額が公表されても別に不思議はない。
まあ、この手の「ネタ集」的な本に細かい穴がまったく無ければ、そちらのほうが驚くべきであろう。いちいち目くじらを立てる必要もなく、適当に楽しんで読めばいい。多少の知識をもつ読者が眉を濡らしつつ読むならば、相当に面白い本だと思う。
しかし、信じやすい素人に向けた本とするならば問題なしともしないので、あえていくつか毛を吹いてみた。
「『左伝』は…戦国時代の前半期の作」
「『韓非子』は、大部分が…本人の著作とされる。」
これらの記述を挙げれば、本書あるいは著者に対して「?」と思う人もいるだろう。
著者は『春秋』や『左伝』以外の資料をよほど疑っているらしく、たとえば孫子について「『春秋』や『左氏伝』などにはまったく記載されておらず実在の人物かどうかすら不明である」とし、墨子についても「実在すら確かめられておらず」とする。しかし、孔子が魯の大司寇にまでのぼったという、やはり『春秋』『左伝』には見えない「説話」はなぜか無批判に採用する。
著者は、覇者の基準として「大規模な会盟を継続的に主催したかどうか」を挙げ、「春秋時代の覇者を数えると、斉の桓公に晋の十一君をあわせた十二人」とする。しかし晋文公はともかく、襄公以下の十君すべてが「大規模な会盟を継続的に主催した」のだろうか。
また著者は、孟子が「五人の覇者が誰かを明記しておらず」というが、孟子は覇者としてすくなくとも「桓公」「秦繆公」の二つの固有名は挙げている。
本書は楚漢期に関する『史記』の記事について再三「文学や講談から採用したと考えるべきであろう」「創作された伝説がそのまま『史記』に記載されてしまった」などと推定するが、なぜか陸賈や『楚漢春秋』という具体名はいっさい挙げない。『三国志演義』については習鑿之『漢晋春秋』の名をわざわざ挙げているのに。
『論語』泰伯篇の「民可使由之、不可使知之」について著者は、「孔子が一種の愚民化政策を主張したと考える人がいるのだが、それは誤りである。『論語』のなかでは、「可」の文字は義務でなく可能の意味で使われているので、正しくは「民衆は従わせることはできるが、その意味を理解させることはできない」という意味で…孔子の嘆きの言葉である」とする。しかし『論語』には、「父母之年、不可不知也。」(里仁篇)・「仲尼不可毀也。」「言不可不慎也。」(子張篇)などの例もあるのではないか。いずれにせよ、この古い問題について、こうもあっさり断定するのは武断に過ぎよう。
「臥薪嘗胆」の説話について「『史記』などに記されたもの」というが、「嘗胆」はともかく「臥薪」の話は『史記』に見えない。著者の嫌いな平勢隆郎氏と同じ間違いを、しかもその間違いが指摘された以降にわざわざ犯しているのは不可解である。
曹操の父が一億銭で太尉の地位を買ったという『後漢書』の記事について、著者は「賄賂の金額が公表されるはずはない」という。しかし原文「貨賂中官及輸西園銭一億万」をみれば、「一億銭」とは霊帝の売官による、いわば公然の料金だとも解し得よう。正式?な売官によるものなら、その額が公表されても別に不思議はない。
まあ、この手の「ネタ集」的な本に細かい穴がまったく無ければ、そちらのほうが驚くべきであろう。いちいち目くじらを立てる必要もなく、適当に楽しんで読めばいい。多少の知識をもつ読者が眉を濡らしつつ読むならば、相当に面白い本だと思う。
しかし、信じやすい素人に向けた本とするならば問題なしともしないので、あえていくつか毛を吹いてみた。
2010年3月17日に日本でレビュー済み
タイトルに偽りありとまでは言わないけど、虚像であることを指摘するだけで
実像はほとんど指摘されてないので。
「はじめに」でも、“こういう人は読まないでください”なんて色々挙げてる
んですが、じゃあ、誰に読ませたくて書いたのか、さっぱりわかりません。
内容も、前半の第5章あたりまでは一種の推理小説を読むような爽快感もあっ
て面白かったんですが、そこから後の方は、「ありえない」「あるわけない」
ばっかりで、だんだん読むのが面倒になってきました。
まぁ、確かに厳密な学問としては、わからないことはわからないとするのが
正しい態度なのでしょうがないんですけど、「じゃあ実際はどうだったんだよ」
という疑問に一切答えてくれないので、すっきりしません。
もうちょっと、対象とする年代を絞って、否定だけでない深い考察を書いてくれ
た方が良かったように思います。
…三国志まで入れなきゃいけなかったのは、いわゆる“大人の事情”なんですかね。
実像はほとんど指摘されてないので。
「はじめに」でも、“こういう人は読まないでください”なんて色々挙げてる
んですが、じゃあ、誰に読ませたくて書いたのか、さっぱりわかりません。
内容も、前半の第5章あたりまでは一種の推理小説を読むような爽快感もあっ
て面白かったんですが、そこから後の方は、「ありえない」「あるわけない」
ばっかりで、だんだん読むのが面倒になってきました。
まぁ、確かに厳密な学問としては、わからないことはわからないとするのが
正しい態度なのでしょうがないんですけど、「じゃあ実際はどうだったんだよ」
という疑問に一切答えてくれないので、すっきりしません。
もうちょっと、対象とする年代を絞って、否定だけでない深い考察を書いてくれ
た方が良かったように思います。
…三国志まで入れなきゃいけなかったのは、いわゆる“大人の事情”なんですかね。