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知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書) 新書 – 2010/4/16
購入オプションとあわせ買い
予備知識なしで楽しめるディベート形式の論理哲学入門書!
前著『理性の限界』で論理哲学への斬新なアプローチを展開し話題になった著者が書き下ろす哲学ディベート第二弾。人間の知的営為の基本である「言語」「予測」「思考」の限界と可能性を論じる。思考や伝達の根本である「言語」。しかし、同じ言語が示す内容は誰にとっても同じではなく、言語理解には矛盾や限界がある。また、あらゆる予測の前提となる「帰納法」が論理的に正しいことは、実は証明できない。さらに、無限に思える「思考」にも限界があり、宇宙や神の存在を論理的に説明しきることはできない――。ウィトゲンシュタイン、ヘンペル、ナイト、ファイヤアーベント、カントらを次々と俎上に載せ、哲学者・科学者から女子学生、会社員や運動選手までもが参加して、哲学から経済、宇宙論まで、ときに脱線しながら熱く楽しく語り尽くす。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2010/4/16
- 寸法10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- ISBN-104062880482
- ISBN-13978-4062880480
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商品の説明
著者について
1959年生まれ。國學院大學文学部教授。専門は、論理学・哲学。主要著書に『理性の限界』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『科学哲学のすすめ』(丸善)、『環境と人間』(共著、岩波書店)、『パラドックス!』(共著、日本評論社)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2010/4/16)
- 発売日 : 2010/4/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 4062880482
- ISBN-13 : 978-4062880480
- 寸法 : 10.6 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 101,553位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 105位論理学・現象学
- - 281位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 989位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
著者について
最新刊『天才の光と影:ノーベル賞受賞者23人の狂気』(PHP研究所)を上梓した。本書では、とくに私が独特の「狂気」を感得したノーベル賞受賞者23人を厳選して、彼らの波乱万丈で数奇な人生を辿っている。一般に、ノーベル賞を受賞するほどの研究を成し遂げた「天才」は、すばらしい「人格者」でもあると思われがちだが、実際には必ずしもそうではない。フィリップ・レーナルト(1905年物理学賞)のようにヒトラーの写真を誇らしげに書斎に飾っていた「ナチス崇拝者」もいれば、「妻と愛人と愛人の子ども」と一緒に暮したエルヴィン・シュレーディンガー(1933年物理学賞)のような「一夫多妻主義者」もいる。「光るアライグマ(実はエイリアン)」と会話を交わしたという「薬物中毒」のキャリー・マリス(1933年化学賞)や、「アルコール依存症」で売春街から大学に通ったヴォルフガング・パウリ(1945年物理学賞)、「超越瞑想」に「オカルト傾倒」して周囲を唖然とさせたブライアン・ジョセフソン(1973年物理学賞)のような天才も存在する。どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。読者には、天才と狂気の紙一重の「知のジレンマ」から、通常では得られない「教訓」を読み取っていただけたら幸いである。本書には「狂気」の23人と関連して、44人のノーベル賞受賞者も登場する。「ノーベル化学賞・物理学賞・生理学医学賞の歴代受賞者(1901~2023年)」と600名近くの「人名索引」も添付してあるので、こちらもご活用いただけたらと願っている。
『新書100冊』(光文社新書)は、2019年7月〜2023年7月に刊行された約5000冊の新書の中から、私が責任を持って選び抜いた「新書100冊」を紹介します。また、本書掲載のコラム「『新書大賞』について」では、小集団の偏向審査に基づく「新書大賞」の「廃止」を提言しました(笑)。本書の100冊の書評は、絶対に「その著者だけ」にしか書けない新書、一流の科学者が最先端の研究成果をわかりやすく解説してくれる秀逸な新書、日本の抱える諸問題に本質的に斬り込む斬新な新書ばかりを集めてあります。多種多彩な「知的刺激」が凝縮された100冊の書評をまとめて見ると「壮観」です。本書が何よりも読者の「視野を広げる読書」のお役に立てば幸いです。
『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)は、『哲学ディベート』(NHKブックス)の続編に相当します。舞台は同じ大学の研究室で、教授と5人の学生がセミナーで話している光景……。とくに本書が焦点を当てているのは、実際に誰もが遭遇する可能性のある多彩な「人生の選択」です。第1章「出生前診断と反出生主義」、第2章「英語教育と英語公用語論」、第3章「美容整形とルッキズム」、第4章「自動運転とAI倫理」、第5章「異種移植とロボット化」について、各章が現実的問題と哲学的問題の2つのセクションに分けられて「哲学ディベート」が進行します。章末には「一緒に考えてみよう」という課題もあります。NHK文化センター講座【哲学ディベートを楽しもう!】でもリアルな「哲学ディベート」を楽しむことができますから、ぜひご参加ください。
『20世紀論争史』(光文社新書)は、20世紀に生じた多種多彩な論争について、「教授」と「助手」がコーヒーを飲みながら研究室で対話する形式で進行します。人類史上、過去と比べて20世紀の思想が大きく変遷したのは、コンピュータや遺伝子操作などの科学技術が飛躍的に発展した結果、そもそも人間とは何か、知性とは何か、存在とは何か……といった、従来は哲学の対象とされてきた問題が「科学哲学」の対象になった点にあります。本書の目的は、もはや「科学を視野に入れない哲学」も「哲学を視野に入れない科学」も成立しないという観点から、改めて20世紀を代表する「知の巨人」たちが繰り広げた原点の論争を振り返り、「科学と哲学の融合」のイメージを味わっていただくことにあります。全30章・456ページという新書は、これまでに私が上梓してきた中でも最も分厚い作品ですが、どなたにもわかりやすくスムーズに読んでいただけるように、ユーモラスで知的な対話を心掛けたつもりです。
『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)は、20世紀を代表する天才のなかでも、ひときわ光彩を放っているジョン・フォン・ノイマンの生涯と思想、つまり「人生哲学」に焦点を当てました。ノイマンは、わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学に関する150編の論文を発表しました。天才だけが集まるプリンストン高等研究所の教授陣のなかでも、さらに桁違いの超人的な能力を発揮したノイマンは、「人間のフリをした悪魔」と呼ばれました。「コンピュータの父」として知られる一方で、原子爆弾を開発する「マンハッタン計画」の科学者集団の中心的指導者でもあり、「ゲーム理論」と「天気予報」の生みの親でもあります。どのページにも驚愕の事実があると思います。
『自己分析論』(光文社新書)は、これまでに私が大学生や卒業生から相談を受けてきた「自己分析」について、「就職活動・人間関係・人生哲学」の3つの視点からアプローチしたのが特徴。「自己分析」についてのノウハウ本やワークブックは世に溢れていますが、本書のように3つの異なる分野に深く踏み込んで読者をサポートする書籍は、他に類を見ないものと自負しています。「就活生は必読!」であり、「転職」が頭に浮かんだり「いかに生きるべきか」悩んでいる読者にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。
『反オカルト論』(光文社新書)は、『週刊新潮』の連載に加筆修正を行った内容。帯に「STAP事件は現代のオカルト!」とあるようにSTAP事件を徹底的に総括しました。フォックス事件の真相やコナン・ドイルがスピリチュアリズムに騙された理由、さらに霊感セミナーや江戸しぐさなど「現代も生き続ける〝トンデモ〟を科学的思考でめった斬り」にしたつもりです。
★自己紹介(たかはし・しょういちろう)
情報文化研究所所長・國學院大學教授。青山学院大学・お茶の水女子大学・上智大学・多摩大学・東京医療保健大学・東京女子大学・東京大学・日本大学・放送大学・山梨医科大学・立教大学でも兼任講師を歴任。ミシガン大学大学院哲学研究科修了後、テンプル大学専任講師、城西国際大学助教授を経て現職。
朝日カルチャーセンター・NHK文化センター・中日文化センター・ヒューマンアカデミーでも講座を担当。
専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)、『天才の光と影』(PHP研究所)など多数。
監修書は『記号論理学』『数理論理学』『不完全性定理』(以上、丸善)、『パラドックス大図鑑』『論理的思考』『科学大百科』(以上、ニュートンプレス)、『認知バイアス事典』『認知バイアス事典 行動経済学・統計学・情報学 編』(以上、フォレスト出版)など多数。
趣味はJazz+Wine+将棋四段。Japan Skeptics 副会長。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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言語
・近代哲学の祖ともいえるヴィトゲンシュタインの思想には前期と後期があり、全く異なっている。なお、ヴィトゲンシュタインは矢野茂樹氏の研究対象でもある。
前期の思想「論理哲学論考」
・世界は論理的(揺るぎない秩序のもとに)できている。
・言語は世界の写像である。
・したがって、論理的に真・偽が決定できるか、事実か否か経験的に実証できる言語のみが、有意味(語りうること)であり、それ以外は無意味(語り得ぬもの)である。
これがあの有名なフレーズ「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては、沈黙しなければならない」となる。よって、科学議論は有意味だが、哲学議論は無意味となる(^^;)
ex.語りうること:日本の首都は東京である。
語りえぬこと:神は存在する。
・論理哲学論考は論理実証主義の拠り所となり論理ですべてを説明しようという気運がウィーンで花開きかけた。しかし「ゲーデルの不完全性定理」の発展形である「ゲーデル・タルスキーの不完全性定理」が発表され、そこで、真理性をその対象言語内では定義できないことが証明されてしまい衰退する。
後期の思想「言語ゲーム」
・「言語の意味とは、その使用である」つまり、ある「言語」を理解することは、どのようなルールに基づいてそれを「使用」すればよいのか習得することと同じである。そしてそのルールは社会集団の「生活形式」から形成される。
・これに対し、
「規則は、有限個の事例によって提示されるため、そこから読み取られる規則も、一意的に定まるとは限らない。つまり、規則は常に、意図したものとは異なる規則に解釈される可能性がある。したがって、規則は、それに従う行動を決定できない」ソール・クリプト
これをヴィトゲンシュタインのパラドックスという。
・また、そのルールは社会集団の生活形式から形成されるので、異なる社会集団・生活形式間では、「指示の不確定性(指示したものが何であるか分かり合えない可能性)」、「翻訳の不確実性」を排除できない(クワイン)。
今の世界情勢を見ればまさにその通りか?(- -;)
予測
・個別例を多数観測し、そこから一般論を導き将来を予測するのが、帰納的予測。予測と合致する個別例が多くなればなるほど帰納的予測精度は上がるとふつう考えられている。
ex.太陽は明日ものぼるだろう。
しかし、
ヘンペルのパラドックス
・「カラスはすべて黒い」とその対偶である「すべての黒くないものはカラスではない」は論理的に同じである。
なので「カラスはすべて黒い」の証明に「すべての黒くないものはカラスではない」を使用できる。
したがって、世の中にある黒くないものすべてを検証し、そこにカラスが混じっていなければ、カラスを一匹も調べずに「カラスはすべて黒い」が証明できてしまう。
さらに、検証した「黒くないものすべて」の中に「黄色いバナナ」があったとしよう。これは「すべての黒くないものはカラスではない」の個別合致例だ。
そして、この「黄色いバナナ」は同時に白くもないので、「すべての白くないものはカラスではない」の個別合致例でもある。
ということは、対偶をもとに戻しても論理的には同じなので、「黄色いバナナ」は「カラスはすべて黒い」と「カラスはすべて白い」というお互いに矛盾した2つの命題の両者の帰納的証明の合致例にもなる。
要するに、帰納法的予測において、個別合致例が多いほど精度があがるという考え方自体が問題を含んでいる。
思想
省略(^^;)
今回は『言語』『予測』『思考』の限界はどこにあるのか?が、この1冊の
本にまとめられています。
第1弾と同じように、ディベート形式で各限界値が語られているので、
感情移入がしやすく、とても読みやすい仕上がりになっていました。
特に印象に残っているのは、予測の不確実性です。
企業家が不確実なことに挑戦するために、株式市場はその不確実性が
内在した状態で予測を立てなければならない。(つまり、予測も不確実
なものになる。)それを元に立てられる国家単位の経済指標も不確実な
ものになると言うこと。
やはり予測には限界があるものだと思いました。
また、宇宙は設計されたものか?偶然作られたものか?(それをどこまで
知ることが出来るか?)など、考えのちがう方向から本の中で討議がされ
ていて、どこまで分かっているのか/分からないのか・考えが及ぶのかが、
よく分かりました。
読みやすく、どこまで予測や考えが及ぶのかが分かります。
ぜひ一度読んでみてください!
では。
理性の限界のほうがわかりやすかったように思う。
科学をするものには、哲学が必要だとのこと。
また、神を否定も肯定もしない態度は好感が持てました。
著者の言わんとすることは、おぼろげながら伝わるのですが、
如何せん、私に知識がないものですから、何とも歯がゆい。
結局、私には伝わりましたことを報告いたします。
今日お化けがでないから、明日もでないと主張するおとなと、あしたは出るかもしれないという恐怖とわかってもらえない辛さで泣いた自分。
学者の間でも見解が分かれるほど、深い話だったとは。
作者の意図とは違うかもしれないけれど
自分と多くの人の考え方の傾向の違いを理解するのに役立った。
大学時代にやっていたので、読みやすくて、懐かしい感じがします。
大体こんな流れでしたね。
理系タイプの人なので、デビッドソン等には触れられません。
そんな所も好みです。
ただ、ディスカッション形式の書き方はあまり好きにはなれません。登場人物が妙に細かいし、学生はなぜかいつも女学生です。
食べ物話なんかが入るところは余計な気がします。
ケンブジリッジ・クインテットでも気取ってるのでしょうか?
「ソーカル事件」のことは知りませんでした。
同時代的に追いかけてみたかった気がします。
当時はそれどころではありませんでした。
アロウの選好の推移率が成り立たない話は、そのまま多数決原理、民主主義の根幹を揺るがすわけではありません。そう言った方がインパクトはありますけどね。
これだけの話題が脱線しながら進んでいくので、普通は新書一冊ではまとまらないと思うのですが、仮想ディベート形式で進んでいくので、意外とあっさり読めてしまいます。(脱線が行き過ぎそうになると"司会者"が「その話はまた別の機会に伺います」と軌道修正するところが良いですね) 前書では話を脱線させてばかりいた"カント主義者"が本書ではあまり出てこないなぁと途中思っていたら…最後に意外な展開に。(ここは読んでからのお楽しみ)
こうして「知性の限界」を色々と語りうる「知性の自由」があるんだなと気付かされ、愉快でした。(" 科学哲学者 柏木達彦 "シリーズ(冨田 恭彦)と同様に楽しめました)