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タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書) 新書 – 2015/8/20

4.1 5つ星のうち4.1 141個の評価

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終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日本。双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した、新感覚現代史! タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出してみると……タモリとは「日本の戦後」そのものだった! (講談社現代新書)


終戦直後に生まれ古希を迎えた
稀代の司会者の半生と、
敗戦から70年が経過した日本。

双方を重ね合わせることで、
あらためて戦後ニッポンの歩みを
検証・考察した、新感覚現代史!

まったくあたらしいタモリ本!

タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

--------------------

本書はタモリの足跡を通して
戦後ニッポンの歩みを振り返るというものである。

なぜ、タモリを軸としたのか。

それはまず何より、彼が一九四五年八月二二日と
終戦のちょうど一週間後に生まれ、
その半生は戦後史と軌を一にしているからである。

(中略)本書ではもちろんタモリと場所と時間を共有した
著名人もたくさんとりあげるつもりだが、それとあわせて、
(中略)タモリとどこかですれ違っていたはずの
より多くの人たちにも目を向けたい。

そんな有名無名の人たちとタモリとの接点にこそ
時代性とやらは宿っていると思うからだ。

というわけで本書には多くの場所が登場する。

大学、ジャズ喫茶、ボウリング場、酒場、生放送のスタジオetc.……

タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、
そこでの人間関係をひもときながら、
戦後という時代を描き出せたらいいのだが。

まずは彼の幻の故郷ともいうべき
旧満洲を旅してみることにしよう。―「はじめに」より

--------------------

◆本書のおもな内容◆
序 章 偽郷としての満洲
第1章 坂とラジオ、そしてジャズ―祖父母に育てられて
第2章 大学紛争とダンモ研狂騒曲―森田一義から「タモリ」へ
第3章 空白の7年間―ボウリングブームのなかで
第4章 ニッポン最後の居候―タモリ出現
第5章 テレビ「お笑い」革命―芸能人と文化人のあいだで
第6章 “変節”と“不変”―フジテレビの絶頂と『笑っていいとも!』
第7章 「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム―テレビは終わらない
終 章 タモリとニッポンの“老後”

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著者について

近藤 正高
(こんどう・まさたか)1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー誌「クイック・ジャパン」(太田出版)の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジスタニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。現在、ウェブサイト「cakes」にて物故した著名人の足跡とたどるコラム「一故人」を連載中。ブログ:Culture Vulture(http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/)、ツイッター:@donkou

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2015/8/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2015/8/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 352ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062883287
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062883283
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.6 x 1.4 x 17.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 141個の評価

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近藤 正高
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上位レビュー、対象国: 日本

2019年8月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 YouTubeの武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」で「タモリと戦後ニッポン」を視聴し、恩人の赤塚不二夫の告別式で白紙の弔辞「私もあなたの数多くの作品の一つです」に感動し、更に、「ぶらたもり」のTV視聴においてタモリの高低差等の地形・岩石の種類・遺構・地方文化等の幅広い蘊蓄に感心してファンとなり、タモリの生き様に興味を持ったので、確認のために本書を購読した。 本書は、終戦直後に生まれ古希を迎えた希代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日本の双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した新感覚現代史とし、タモリとは「日本の戦後」そのものだった!とアピールした全くあたらしいタモリ本である。 そして、本書は終戦1週間後に生まれたタモリと日本の戦後をインタビューや取材から描き出しているが、インタビューや取材の日時、相手の年齢、紙ベース資料など事実関係の記述は、驚くべき数の参考文献一覧191件でキチンと調べ尽くして裏付けのあるユニークな本でもある。 小生はタモリよりは若干若い団塊の世代なので、本書に書かれている事はすべて団塊の世代の青春記録とも言え、その時々を脳裏に浮かべながら懐かしく読むことができた。 しかし、小生はビートルズ世代でその後のフォークソング、J-POP 等に興味があり、モダンジャズに全く興味なかったので、ジャズからみの本書内容は理解できないこともあった。 本書で気になったことをまとめると、
●小生はサラリーマンだったので「笑っていいとも!」を見る時間はなかったが、毎週月~金曜日昼間の帯時間TV番組「笑っていいとも!」で31年半も拘束され、2泊三日の旅行にも行けないので、列車時刻表と目的地の地図・地形で空想散歩をする。 ⇒ 何事も無駄はなく、これが「ブラタモリ」に繫がるのですね。 
●恩人である赤塚不二夫への弔辞という形で、「赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。」 居候・タモリが家主・赤塚不二夫に初めてお礼を言った瞬間だった。 
⇒ 『赤塚さんならギャグでいこう』と白紙の弔辞を勧進帳のごとく淡々と完璧に読み上げてみせ、哲学的なこれだけの言葉が出てくるのはやっぱりタモリは天才で、情に篤いすごい人ですね。感動した!
●タモリは単なるお笑い芸人を脱皮した文化人であり、祖父母・父母から満州の話を聞いて育ったタモリは、狭い日本列島根性ではなく広大な満州の気候風土で育成された気質を有する満州人脈の赤塚不二夫や森繁久彌などとご縁のある人生であったようですね。
●せんだみつおは、いまのリアクション芸人の元祖であり、萩本欽一は、コント台本を書く作家集団育成、番組に素人を積極的に起用、相手をいじることで笑いをとる手法、「24時間テレビ」の提案、番組公開収録時のカメラ位置改善・ピンマイク採用など、お笑い界のみならずテレビ放送界に革命をもたらし、その発展に大きく貢献したことが理解できた。
 ところで、小生は「占い」に凝っており、「占い」の観点からタモリを見てみると、野末陳平の「姓名判断」によれば、森田一義の一生の運勢は「才女賢女」運であり、女がもてば、実力ナンバーワンと自他ともに許す吉運数で、男女ともに意志強固で、ものごとに挫折することが少なく、見通しがシャープでたしかなため、大きな失敗がありません。性格的にも人に好かれ、人に押されて人の上に立つでしょう。金にも恵まれるが、名にも恵まれます。家庭的にもけっして悪くはありません。 男性の場合は、ある意味で「頭領運」ですが、自由業にすすんでこそ才能が開花します。この運勢には松井秀喜、高倉健、小室哲哉、愛川欽也、島倉千代子、樫山文枝、栗原小巻、浅野ゆう子、中村玉緒その他多数の有名人がいる。 また、タモリの昭和20年8月22日生まれは、西洋占星術の獅子座(7/24~8/23)だが乙女座(8/24~9/23)の影響も受けており、獅子座はボス的な指導者気質に象徴される活動家だが、正直、誠実、責任感大の生真面目な乙女座の影響も受けている。
 以上の占い面からタモリの一生を振り返ってみると、タレントの自由業にすすんで才能が開花し、その分野で「頭領(トップ)」となったことは姓名判断及び西洋占星術通りの人生ですね。 そして、「笑っていいとも!」を31年半も無欠勤で努め上げ、地道な努力でフルーツパーラー無欠勤・ボーリング場支配人に出世し、異性誘惑の多い派手な芸能界で浮いた話がなく愛妻家一筋に過ごしたことなどは、乙女座特有の実直、生真面目な人間性そのものを表していますね。 そして、タモリのトレードマークの黒いサングラス着用は、乙女座特有の照れ隠しもあったかと思われるが、これでよく物体の細部や色彩を判別できたのか不思議ですね。 本書は内容の密度が濃く楽しめるが、各章について小生が賛同・感心・感動した事柄ついてコメントを述べるので、今後の購読者の参考になれば幸いです。
【目次 ポイント&コメント】
<序章> “偽郷”としての満州
●一家は1938(昭和13年)頃まで満州に住み、祖父・真は筑前黒田藩の家老を務めた名門の出身で南満州鉄道・熊岳城駅の駅長、父は大連高等商業学校卒業後、南満州鉄道の経理課に勤務していた。神道を信仰していた祖母・マツの「神のお告げ;満州の地はいまに火の柱が立つ」により、一家は戦火が及ぶ前にいち早く日本に帰国。祖父は引き揚げ時に全財産を処分し、帰国後は福岡に借家を七軒と山林を買い、福岡の中州検番で芸者の手配以外は一切仕事せずに86歳で亡くなった。 ●タモリの父親は祖母の年の離れた末弟、母親は祖父の妹の子供で、祖父母は二人を養子にもらい受け、のちに結婚させたのである。タモリの「一義」は祖父の命名で、日露戦争で満州軍参謀を務め、のちに陸軍大臣や総理大臣を歴任した田中義一にあやかったが、姓名判断で「義一」では頭でっかちな人間になると言われたので「一義」とひっくり返した。タモリ曰く「僕は苗字も名前も逆になっているんです。逆人生」。 ●映画監督山田洋次のように、満州で実際に育った日本人には、満州体験を通じて物事を相対化する見方を養われた人が多い。反対に、タモリは家族から満州の話をいつも聞かされることで、日本の風土や生活を相対化する習慣(醒めた視線や言動)が植え付けられた。
 <コメント>; 祖母が信仰した「神のお告げ」で、悲惨な敗戦後の満州引き揚げでなく太平洋戦争前に引き揚げたことは森田一族に幸運をもたらし、タモリの人生も姓名判断「頭領運」通りであり、その神の導きだったかもしれないね。 一攫千金の夢を抱いて満州・蒙古開拓移民したやる気満々の人達の子供が日本に引き揚げ、幼少期に体験した異文化を生かして戦後日本の経済・文化などの再建に尽力した歴史の一端が本書内容ですね。
<第一章> 坂とラジオ、そしてジャズ ー 祖父母に育てられて
●両親離婚により祖父母に育てられたタモリは、祖父から麻雀とゴルフ、祖母から料理を教えられた。自らの意志で幼稚園に入らなかったタモリは、毎日玄関に立ち、行きかう人を見ていた。後年ブラタモリで発揮された坂道好きと人物・地形・事象などへの鋭い観察眼はこの原体験がある。 ●米中韓のラジオを受信できた福岡の環境と牧師の説教などで外国語の壁が取り除かれ、「四か国語麻雀」などのデタラメ外国語の素地が形成されていった。 ●タモリに言わせると博多は「年中遊んでいる街」で、生まれは福岡だが遊び好きの博多っ子の気質を祖父経由でタモリに引き継いていることは間違いない。 ●祖父母は邦楽を好み、父親はフラメンコ、姉はクラッシック専門だったが、タモリはモダンジャズに心酔し、早稲田大学に入学した彼は迷わずモダンジャズ研究会に入り、そこでの体験がその後の彼の人生を決定づけ、森田一義をタモリへと変えた。
 <コメント>; タモリを生んだ森田家は筑前黒田藩の家老を代々務めた名門であることに驚いたが、タモリをつくったのは祖父の麻雀指導による地頭の良さ・頭の回転の良さ・抜群の記憶力、祖母の料理指導、遊び好きの博多っ子の気質、さらに、米中韓のラジオ受信・駐留米軍基地のある福岡の環境(土地柄)から外国語の壁がなかったことだと思われる。しかし、タモリの「音楽が好きなのは意味がないから」の考え方には小生は理解できない。
<第二章> 大学紛争とダンモ研狂騒曲 ― 森田一義から「タモリ」へ
●たまたま前の席に吉永小百合が座り、彼女が食べ残したトーストを持って帰ろうかと迷っている内に食堂のおばさんが片ずけてしまったと、タモリはたびたび照れながら語っている。 ●早大入学後、早くも怪人ぶりを見せつけている。モダンジャズ研での演奏旅行中、列車内で中国人になりすまし何時間もデタラメ中国語を話し続け、腹が減ると「ベンタオ、ベンタオ」。 ●モダンジャズ研でトランペットを1年くらい継続してもレギューラーになれず、司会とマネージャー兼務となる。その司会でバカバカしい話やモノマネで結構ウケて、「イパネマの娘」をデタラメ外国語で歌うとか、のちに芸能界にデビューするきっかけとなるデタラメ外国語のネタはすでに完成していた。
 <コメント> ; 当時の誰もが憧れた映画女優吉永小百合のトースト逸話は、乙女座の影響を受けた純朴なタモリの微笑ましい逸話ですね。 ダンモ研での数々の「伝説」の検証が実に緻密であり、この様々な「伝説」がその後のタモリの人生を決定づけたようですね。
<第三章> 空白の7年間 ― ボウリングブームのなかで
●早稲田大学を除籍になって福岡に強制送還され、朝日生命の保健外交員になったが、保険の仕事は性に合わず、26歳の時に2歳年上の同僚と結婚し、ヘッドハンティングされて大分県日田市のボーリング場に転職した。休日も率先して出勤し支配人に出世した。その後、福岡・中州でフルーツパーラー店を任されたが、生保のおばちゃんたちの人気者になり、無欠勤を継続して社長が休んでくれと言っているのもかかわらず正月も店を開けたという。 タモリがかって入り浸っていた場所には、彼がそこを離れるのと前後して急速に斜陽化を迎える、所謂、東北地方の座敷わらしという子供の妖怪が現れた家は繁栄するが、それがいなくなると途端に没役する言い伝えがあるが、タモリ¬=座敷わらしのイメージがある。 彼は「場の芸人」とも評されたように、どこに行けば一番面白いのかを嗅ぎ取る能力を自然と身に着けていたのだろう。
 <コメント> ; 地道な努力によるフルーツパーラー無欠勤・ボーリング場支配人出世は、西洋占星術「乙女座」特有の実直、生真面目な人間性そのものを表していますね。 タモリ¬=座敷わらし説は、彼の姓名判断「頭領運」+西洋占星術「獅子座」が誘導した結果ですね。
<第四章> ニッポン最後の居候 ― タモリ出現
●朝までインチキ外国語の応酬をして伝説的に上京し、赤塚不二夫宅で伝説的な居候をすることになった……という内容ながら、数々の「伝説」の検証が実に緻密。なぜタモリは山下トリオと偶然出会ったのかを山下本人に、福岡時代に何をしていたのかよく知る人に取材している。 ●1975年8月の最終土曜日のNET(現・テレビ朝日)番組「マンガ大行進!赤塚不二夫ショー」に、タモリが生放送、リハーサルなしのぶっつけ本番で出演したが、真骨頂であるアドリブを発揮し、その紙芝居口演にスタッフ一同すっかり聴き惚れた。更に、四か国語麻雀などのネタを披露してスタジオは爆笑の渦に包まれ、黒柳徹子が赤塚に連絡して「徹子の部屋」に出演依頼した。正に、これが衝撃のテレビ初出演で、タモリが世に出る切っ掛けとなった。 ●赤塚への弔辞という形で、「赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。」 居候・タモリが家主・赤塚不二夫に初めてお礼を言った瞬間だった。 ●タモリの初期の芸は、デタラメ外国語、ハナモゲラ語など他人の芸を一緒に遊ぶうちに自分のものにしてしまうことが多かった。 ●番組内で和田アキ子に張り扇で叩かれたり、ザ・デストロイヤーに技をかけられたりした役どころのせんだみつおは、いまのリアクション芸人の元祖であり、ビートたけしの「コマネチ」のギャグ、タケちゃんマンの発する「ナハッナハッナハッ」のセリフはせんだがやっていたものである。 せんだみつおが司会した「ぎんざNOW!」は「銀座テレサ」に観客を入れての公開生放送で出演者に素人をメインに据えた点でも「笑っていいとも!」を先取りしている。
 <コメント> ; せんだみつおは、いまのリアクション芸人の元祖で、気の利いたギャグやセリフを発していたのは知っていたが、タモリは、せんだみつおの「ぎんざNOW!」を参考に「笑っていいとも!」で自分の芸に進化させたようですね。 つまり、タモリの代表的な芸のデタラメ外国語・ハナモゲラ語や「笑っていいとも!」はパクリで、オリジナル芸は「四か国語麻雀」とイグアナ芸のようですね。 ところで、本書に記載はないが、YouTubeを見るとこの弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」であり、タモリによると、「紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。『赤塚さんならギャグでいこう』と白紙の紙を読む勧進帳でやることにした」そうだ。 白紙の弔辞を勧進帳のごとく淡々と完璧に読み上げてみせ、哲学的なこれだけの言葉が出てくるってやっぱりタモリって天才で、情に篤いすごい人ですね。これは赤塚不二夫へのタモリの胸打つ真心の最大限の感謝・敬意と二人だけの特別な会話だったんだろうな。感動した! ただの面白い素人だった森田一義という男を面白がって日の当たる場所に持って行った先見の明と男気がすごい赤塚不二夫にとって、タモリというエンターテイナーは確かに最高傑作の一つですね。 
本書に記載ないが、その弔辞の全文を載せるので参考にして下さい。
【弔辞 全文】
 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。
合掌。                             平成20年8月7日  森田一義 
<第五章> テレビ界「お笑い」革命 ― 芸能人と文化人のあいだで
●サングラスをかけた理由は、タモリの素顔では迫力がないからと高平哲郎自身が自分のレイバンのサングラスをかけさせた。また、NHK番組出演時にもタモリのサングラス出演にクレームが多かったが、永六輔が、サングラスによって相手に視線を見せないことこそ、タモリの強みだと弁護した。 ●萩本欽一は、コント台本を書く作家集団育成(パジャマ党)、素人を積極的に番組に起用、相手をいじることで笑いをとる手法は明石家さんまや島田紳助の「ひな壇番組」にも脈々と受け継がれている。更に、番組の公開収録では客席の前に置かれていたTVカメラを客席の後に持っていき望遠レンズ付きカメラ導入、ピンマイクを番組に摂り入れるなどテレビに革命をもたらした。そして、テレビ欄の8時の線と9時の線を取る「24時間テレビ」を提案し、例えば「24時間テレビ 愛は地球を救う」の放送を開始した。 
●「私は喋る力を持っているが、科学的な知識はない。科学者は知識は持っているが喋る力は乏しい。子供たちに科学の知識を与えようとするなら、科学者の知識と私の話術を組み合わせればいいと思う」を、NHK科学番組担当者が聞いて決まったようだが、これはタモリが「インテリ化した芸能人」を自他ともに認めたことで実現した仕事である。
 <コメント> ; タモリの素顔では迫力がないからサングラスをかけたとは意外な理由だが、素顔を見たいね。 萩本欽一はお笑い界のみならずテレビ放送界に革命をもたらし、その発展に大きく貢献したことが理解できた。 元々タモリは、ラジオ組立や無線通信などの工学技術に興味があり、且つ早稲田大学哲学科入学しており、並みのお笑い芸人ではなく科学技術・文化人的素養が高いので、NHK科学番組などと意外にも合った芸風ですね。
<第六章> “変節”と“不変” ― フジテレビの絶頂と「笑っていいとも」
●旧知の仲であるテナーサックス奏者の中村誠一に何を頼んでも快く口癖の「いいとも!」と受けてくれるのをタモリが面白がり、自分でもコンサートツアーで使ってみたら大ウケだったために番組名に採用した。 ●「笑っていいとも!」では、全く添え物と用意された「テレフォンショッキング」コーナーが名物となる。 坂本龍一がゲスト出演時に日本航空の赤い鶴のマークについて「あれは世界に広げよう、友達の輪という意味なんだね」と言いながら、自ら両腕を使って輪をつくってみせた。これから毎日、タモリと観客のあいだでは「輪!」というフレーズとポーズが約束のようにやりとりされる。 ●鹿内春雄のフジテレビ副社長就任を機に実施された組織と編成の大規模な改革により、「笑っていいとも!」などが生まれ、この改革は奏功して「楽しくなければテレビじゃない」のフレーズで躍進し、年間平均視聴率トップという三冠王を12年間に渡って継続し、絶頂期を築いた。
 <コメント> ; 鹿内春雄氏と横澤氏のテレビ業界への貢献は大きいが、鹿内春雄氏の早逝はフジテレビのみならず、テレビ業界全体にとっても大きな損失でしたね。
<第七章> 「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム ー テレビは終わらない
●「反省をしない。計画を立てない。終わったものは仕方ないので気にしない。力まない。強いて『笑っていいとも!』の長寿の秘密をいえばこれだね」
 <コメント> ; 長寿の秘訣は「反省しない」「やる気も出さない」というタモリの考え方は理解できない。この番組名や「輪!」のフレーズとポーズなどのように、様々な出演者・周囲の協力とサポートの賜物ではないかな。
<終章> タモリとニッポンの“老後”
●自分のまわりでもっとも怖い才能の明石家さんまや笑福亭鶴瓶と競って前面に出ようとは決してせず、一歩引いて適度にいじったりしながら相手の見せ場をつくり、笑いを取らせる。後期にいたっては、番組の進行さえもほかのレギュラー出演者に任せ、自分を自由な立場に置いて最終的にウケを取っている感がある。これは森繁久彌の人心掌握術に学んでいる。タモリと森繁久彌とは共通点が多く、タモリは「場の芸人」としての森繁久彌に憬れているようだ。 
●「ブラタモリ」では、行く先々で目にする地形や遺構などを淡々と観察し、自分が面白いと思えるものを見つけ出しているだけだ。タモリの観察眼は面白みのないものを面白くするための武器であり、戦後ニッポンの思想史上にタモリの名を刻むとするなら、その観察眼と過剰な意味付けを拒む姿勢であろう。
 <コメント> ; 祖父母・父母から満州の話を聞いて育ったタモリは、満州人脈の赤塚不二夫や森繁久彌などとご縁のある人生であったようで、船が好きなタモリは1級小型船舶操縦士免許取得したが、満州の広大な原野を海に見立てたのではないだろうか。
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2023年11月16日に日本でレビュー済み
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自分の居場所(公の場所では差し障り)
どこに行けば一番面白いのか探しだす

汚いものが見れないやつらに
本当のきれいさがわかるはずがない

YMOと並んで日本人の欧米コンプレックス克服を象徴する人物

同業識者からの人望が厚いハズです…
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2020年6月2日に日本でレビュー済み
Wikipedia等ではタモリのテレビデビューを『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』であったとしているが何かの間違い。当時のNET(現在のテレビ朝日)にこのような番組はない。そもそも冠番組をもつほど当時の漫画家のステータスは高くない。
法等のデビューはタモリ自身も証言しているように『川崎敬三のアフタヌーンショー』である。
赤塚不二夫の友人長谷邦夫はその著書に「司会の高島忠夫がタモリを高く評価した」と書いているが、これも間違い。高島が同局の『土曜ショー』の司会だったことからくる勘違いだろう。司会は後年ザ・ぼんちの「そーなんですよ、川崎さん」で有名な俳優の川崎敬三。ただしその川崎はタモリを高く評価しなかった。
実はタモリの出演は2日間に渡っている。1日目は番組冒頭で「赤塚さんが面白い新人(怪人?だったかも)を連れてきた」と紹介はしたものの、前のコーナーが押して出番がなくなり仕切り直しとなった。翌日の放送でタモリが披露したネタは「北京放送」と「四カ国語麻雀」。
「スタジオは爆笑の渦に包まれた」というのも嘘。スタジオはシーンと静まりかえり、時折「クスクス」程度の乾いた笑いが漏れた程度で、司会の川崎が「すみません。今のネタのどこが面白いんですか?」と真顔で尋ねたくらいだった。芸人にとってこれは屈辱だろう。
これがなぜ「華々しいデビュー」にすり替えられたのか?
察するに、散々だったテレビデビューをタモリの周囲が気遣って美化したのか、後年「やらせリンチ事件」で打ち切りとなった番組でデビューしたと言いたくなかったのか、そのどちらかだろう。
タモリが茶の間に浸透するようになったのは、『アフタヌーンショー』の一年後、和田アキ子の『うわさのチャンネル』に出るようになってからだった。
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2015年11月8日に日本でレビュー済み
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タモリは70歳。終戦後1週間目に生まれている。
ということは、タモリの歴史をたどることは、戦後日本をたどることになる……
というのがこの本のコンセプトである。
ただ、それだけに終わらず、タモリがなぜ「芸人」として
ある意味で頂点を極めるまでになったのか……人物史でもある。
タモリデビューの以前から、かなり突っ込んだ取材もなされており、
ただの「タモリ本」ではない。

いきなり「満州」との関係から始まる。
タモリ自身は日本で生まれているのだが、戦前に満州から帰ってきた両親に、
満州の大らかさに比べて日本のいかにセコいことか……を聞かされて育った。
タモリの原点は、だから「大陸」にあるともいえる。

あの覚めた視点、日本を冷やかすような視線は、そこから生まれているのかもしれない。
タモリをめぐるエピソードは多いが、この本ではそれらを
ほとんど検証しているように思える。
だからこそ説得力と面白さがあるのだろう。一気に読んだ。

今のタモリは「笑っていいとも」から解放され、存分に動いている。
「ブラタモリ」などは、最高である。
タモリの博学と、独特の視点が、この番組にはある。

正直私は、デビューした頃のタモリをあまり好きではなかった。
いわゆる「毒舌」は、ときに人を大きく傷つけることもあるからだ。
ビートたけしの毒舌は、剽軽さのようなものがあったが、タモリは覚めているだけに、
ぐさりとくる。しかし今ではその毒も消え、軽妙なユーモアになって心地よい。

戦後文化史を「なるほど!」という視点から切った快著である。
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2021年4月9日に日本でレビュー済み
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タモリの名を知らない人はいません。デビュー?から此の方、彼の表皮的な言動・所作を観、知り、それらをベースに、大衆に迎合される、いや、され易い記述・内容であろうと看破したままで、本の内容を読破とは言わずとも、読み通しもせず、”ああタモリのことね。わかっているよ”と、看過した人も多いのではと勝手に想像しているところです。著者の経歴さえ知りませんでしたが、想像するに、タモリを有り体に纏め上げようという気迫のようなものさえ感じとれました。当該書を手に、また、読み進むにつれ、記述の証となる出典さも克明に記述されていて、講談社現代新書としての名に相応しい内容ということと、タモリの人となりを思い知らされ、改めて自嘲気味な自分を恥じているところです。
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2016年8月25日に日本でレビュー済み
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 タモリファン以外で、タモリの芸風を評価するか否か。昔のタモリに比べて今は変わったね。そもそもタモリの芸風て何?
などと、漠然と思っている方は、この本を読めば、ある程度の答えが見えてくる。
 それをあぶり出すために、戦後の世相や、そのときに常識とされた感覚、マジョリティー勢力思想があって、その風潮に対するタモリのスタンスを戦後史として盛り込み、その当時の受けていた芸人 タレント 放送 プロダクションの証言や検証。のなかでの、タモリはどうしていたかを時代を追って、考察している本です。
 祖父の生い立ち〜学生〜サラリーマン〜上京ブレーク前〜笑っていいとも〜終了〜現在 に大分類されている。したがって、満州の話から学生運動 高度成長 福岡地方史 バブル崩壊 高齢化社会の風潮とタモリを対比させるため、単なるタモリ本とは、一線を画す。
 それぞれの文化人・作家・ミュージシャンとの交流は\、有名だが、萩本欽一 森繁久彌 植草甚一等 関係は薄いが影響を受けたと思われる一太刀との章も興味深かった。
 引用文献部分があまりに多く批評対象にもなっているが、私には、よくもここまで関連記事を探し出し練って構成している感の方が大きい。
やはり、笑っていいともの部分が一番多いのであるが、もっとタモリバックボーンが知りたいという方には、面白い一冊。

 
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2019年10月22日に日本でレビュー済み
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1次、2次資料ばかりで構成された書籍で中公新書の歴史ものみたいなアプローチで手堅くスタンスが客観的で遠く、ストーリーテーラーとしては適しているかと思いました。エピソードは細かいですが、多くの参考文献に支えられていて為になりました。余り突っ込んだ記載は無く表面的ですが、タモリさんの生立ちから現在までの描写していて通史となっています。

タモリさんという特異点、ただ面白いだけではなく「場の芸人」ならではの特有の裁量で、何でも長期化、シリーズ化してしまう才能の持ち主です。ある意味一種の老荘思想に近くビジョナリーカンパニーシリーズにも当て嵌まってしまう秘訣があり、ビジネス書としても読んでも有意義でした。
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2023年9月14日に日本でレビュー済み
タイトルが悪い。本を開くとオモロエピソードいっぱいなのだが何でこんなお堅いエセ文化史本のような題名にしたのだろうか。

私なら「タモリさんの都市伝説検証してみた。〰️森田一義戦後史アワー〰️」
にするけど。そんな楽しい本です。
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