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海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書) 新書 – 2017/2/15
高田 貫太
(著)
倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も従来は、すでに国が存在することを前提として語られてきました。しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりも複雑だったことが明らかになってきました。交易の主役は「中央」ではなく様々な地方の勢力だったのです。倭一国だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目から見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も、従来は、すでに国が存在するものとして語られてきました。強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたというイメージです。
しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりももっと複雑だったことが明らかになってきました。
日本の古墳からは朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土しています。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえありました。両者の交易は多様で、その中心をになったのは「中央」ではなく、むしろ大小様々な地方の勢力だったのです。
対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは通説よりもかなり遅い六世紀の前半で、北九州の「君主」だった磐井を倒したことによって、ようやくその長いプロセスは完成した、そう著者は考えます。
倭一国の中だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目を使うことによって見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も、従来は、すでに国が存在するものとして語られてきました。強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたというイメージです。
しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりももっと複雑だったことが明らかになってきました。
日本の古墳からは朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土しています。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえありました。両者の交易は多様で、その中心をになったのは「中央」ではなく、むしろ大小様々な地方の勢力だったのです。
対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは通説よりもかなり遅い六世紀の前半で、北九州の「君主」だった磐井を倒したことによって、ようやくその長いプロセスは完成した、そう著者は考えます。
倭一国の中だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目を使うことによって見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/2/15
- 寸法10.6 x 1.4 x 17.4 cm
- ISBN-104062884143
- ISBN-13978-4062884143
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2017/2/15)
- 発売日 : 2017/2/15
- 言語 : 日本語
- 新書 : 304ページ
- ISBN-10 : 4062884143
- ISBN-13 : 978-4062884143
- 寸法 : 10.6 x 1.4 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 226,193位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 526位日本史ノンフィクション
- - 547位東洋史
- - 725位地方別日本史の本
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
武田鉄矢さんがラジオで後漢書の「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀(倭奴國が朝賀してきた)」という記述を引き、
「これは大変な話だ。西暦57年に、中国語を喋ることのできる倭人が、暦も理解できる倭人がいたということではないか。我々が縄文時代と言っている年代ですよ」
と言っていたのを聞いて衝撃を受け、これは改めて倭国のことをしっかり考えなければならんなと思ったところでこの本に出会い、まさにぴったりではないかと手に取ったのですが――。
ちゃんと説明文を読まないといけませんね。
この本は主に日朝関係を中心に話が進んでいます。僕が見逃していただけで、説明文にある通りです。
それと、文献学というよりかは考古学の、古墳の話がメインです。
筆者は韓国に留学経験もあるほどの朝鮮通で、それに、考古学的知識も素晴らしいもので、だから昔の朝鮮半島の話がよく出てくるのですが、韓国の遺構から、韓国のどこの地域で鉄が取れていたとか土師器系土器が多く作られていたという記述に、こっちは倭国の話が知りたいだけなので、湧き上がってくる「知らんがな」を押さえるのにちょっと苦労しました。
だから、どちらかというと、「朝鮮から見た倭国」というタイトルが正確な気がします。もっと言うなら、「朝鮮半島から見た古墳」でしょうか。
よって、上の後漢書の話も一切出てきませんでした(汗)
全体読んで、どうもぼんやりとした感想しか湧かないのはどうしてかというと、
考古学的話って、提唱者のイマジネーションにどこまで共感、信頼できるかが重要じゃないですか
「倭国は金官国と繋がりを広げるために港を整備した」「韓国で発見された倭式の墓は倭国からの交渉人のものだ」とか、「ほんまかいな」が湧き上がってきます。
日朝、色々な古墳の紹介があるのですが、こちらが汲み取れる最低限の情報は、「倭国(朝鮮)との間でネットワークが広がっていた証拠なんだな」というのが精一杯です。
文献的情報がたまーにあって、(日本書紀によれば)「雄略23年 倭で産まれたとされる末多が、『筑紫国軍士500人』の護衛を受けて百済へ帰り、東城王として即位したとされる」という記述におおっとなったのですが、それの言及も言葉少なく、「百済の対倭交渉はさまざまな対外交渉の一環に過ぎなかった」で済まされます。
これこそまさに「海の向こうから見た倭国」って感じの話なんですが、史料が少ないんでしょうねぇ
とりあえず、本当に色んな所に古墳ってあるんだなということが分かります。
「これは大変な話だ。西暦57年に、中国語を喋ることのできる倭人が、暦も理解できる倭人がいたということではないか。我々が縄文時代と言っている年代ですよ」
と言っていたのを聞いて衝撃を受け、これは改めて倭国のことをしっかり考えなければならんなと思ったところでこの本に出会い、まさにぴったりではないかと手に取ったのですが――。
ちゃんと説明文を読まないといけませんね。
この本は主に日朝関係を中心に話が進んでいます。僕が見逃していただけで、説明文にある通りです。
それと、文献学というよりかは考古学の、古墳の話がメインです。
筆者は韓国に留学経験もあるほどの朝鮮通で、それに、考古学的知識も素晴らしいもので、だから昔の朝鮮半島の話がよく出てくるのですが、韓国の遺構から、韓国のどこの地域で鉄が取れていたとか土師器系土器が多く作られていたという記述に、こっちは倭国の話が知りたいだけなので、湧き上がってくる「知らんがな」を押さえるのにちょっと苦労しました。
だから、どちらかというと、「朝鮮から見た倭国」というタイトルが正確な気がします。もっと言うなら、「朝鮮半島から見た古墳」でしょうか。
よって、上の後漢書の話も一切出てきませんでした(汗)
全体読んで、どうもぼんやりとした感想しか湧かないのはどうしてかというと、
考古学的話って、提唱者のイマジネーションにどこまで共感、信頼できるかが重要じゃないですか
「倭国は金官国と繋がりを広げるために港を整備した」「韓国で発見された倭式の墓は倭国からの交渉人のものだ」とか、「ほんまかいな」が湧き上がってきます。
日朝、色々な古墳の紹介があるのですが、こちらが汲み取れる最低限の情報は、「倭国(朝鮮)との間でネットワークが広がっていた証拠なんだな」というのが精一杯です。
文献的情報がたまーにあって、(日本書紀によれば)「雄略23年 倭で産まれたとされる末多が、『筑紫国軍士500人』の護衛を受けて百済へ帰り、東城王として即位したとされる」という記述におおっとなったのですが、それの言及も言葉少なく、「百済の対倭交渉はさまざまな対外交渉の一環に過ぎなかった」で済まされます。
これこそまさに「海の向こうから見た倭国」って感じの話なんですが、史料が少ないんでしょうねぇ
とりあえず、本当に色んな所に古墳ってあるんだなということが分かります。
2022年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
弥生時代後期から6世紀前半までの日本列島と朝鮮半島との交流を通して、古代日本倭の姿を考察する本。手がかりとなるのは列島・半島双方の古墳に見られる墓制で、古墳が築かれた場所・古墳の形態・副葬品などが、どこの国や地方の特色があるかを踏まえて考えていく。
そこで明らかになるものの1つは、倭国内の地方が半島と独自の交流を持っていたという興味深い話。3世紀中頃に成立した「前方後円墳体制」によって各地方は倭王権の支配下に入ったが、その支配は十分なものでなく、北九州や瀬戸内などの地方の有力者による倭王権から独立した半島との交流を見て取ることができる。
もちろんこのような状況は倭王権にとって好ましいものではなく、地方独自の交流を制限し集約していく。考古学的な成果はその過程を裏付ける。また、こういった状況下で起きたものとして、吉備氏の乱や磐井の乱を捉える。交流史の観点からも、当時の集権化の流れを辿ることができるようだ。
半島にも近い流れがあるようで、地方の自律的な交流は次第に新羅と百済に吸収されていく。加耶は、新羅と百済が力をつける前、高句麗の南下によって半島南部が脅かされているころまでに存在し得た勢力として捉えることができるだろうか。
地方勢力の独自な動きに注目するのでプレイヤーが多く、またそれらがそれぞれの利害関係をもとに入り組んだ交流をするさまを描くため、複雑な事柄を対象としている。しかし、著者もそれを自覚してわかりやすく記しており、理解がしやすい良書だと思う。
そこで明らかになるものの1つは、倭国内の地方が半島と独自の交流を持っていたという興味深い話。3世紀中頃に成立した「前方後円墳体制」によって各地方は倭王権の支配下に入ったが、その支配は十分なものでなく、北九州や瀬戸内などの地方の有力者による倭王権から独立した半島との交流を見て取ることができる。
もちろんこのような状況は倭王権にとって好ましいものではなく、地方独自の交流を制限し集約していく。考古学的な成果はその過程を裏付ける。また、こういった状況下で起きたものとして、吉備氏の乱や磐井の乱を捉える。交流史の観点からも、当時の集権化の流れを辿ることができるようだ。
半島にも近い流れがあるようで、地方の自律的な交流は次第に新羅と百済に吸収されていく。加耶は、新羅と百済が力をつける前、高句麗の南下によって半島南部が脅かされているころまでに存在し得た勢力として捉えることができるだろうか。
地方勢力の独自な動きに注目するのでプレイヤーが多く、またそれらがそれぞれの利害関係をもとに入り組んだ交流をするさまを描くため、複雑な事柄を対象としている。しかし、著者もそれを自覚してわかりやすく記しており、理解がしやすい良書だと思う。
2017年4月29日に日本でレビュー済み
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グローバル経済は人間を不幸にすると左右両翼の政治家や知識人は叫ぶ。しかし経済に古代の昔から国境はなかった。現在、政治的に何かと対立の目立つ日本と韓国も例外ではない。
本書によれば、弥生時代から朝鮮半島南部と九州北部の海辺の村に住む人々の間には、互いに往来し交易するような日常的なつながりがあった。そのネットワークは日本列島の河川や陸路を通じ、西日本の内陸や東日本まで広がっていた。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)
海村の人びとは優れた航海技術をもっていて…〔朝鮮〕半島南部の海村と西日本の海村の間には、互いに行き来し交易するような日常的なつながりがあった。その交易は、単なる物々交換ではなくて中国銭貨が用いられた可能性もある…。(507)
北部九州の人びとだけではなくて西日本各地の人びとも、海村のネットワークを利用して〔朝鮮〕半島とつながるようになった。…日本列島の河川や陸路とむすびつき、交易の範囲は西日本の内陸はむろんのこと、東日本へも広がっていった。(513)
倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。…先進文化にかかわるモノ、人、情報をさかんに受け入れて、それにもとづいてさまざまな生産活動や土地開発をおこなった。(2947)
各地の首長層が、みずからの活動を表現し誇示するために、そして倭王権や他の地域社会、ひいては朝鮮半島とのつながりをしめすために、共通のモニュメントや仕組みが必要だった。それが前方後円墳だった。(2949)
遅くとも六世紀中ごろまでには、日本列島各地の地域社会は、それまでつちかってきた朝鮮半島へとつづくルートや多様なコネクションを、積極的であれ消極的であれ、倭王権へ譲りわたした。(2410)
本書によれば、弥生時代から朝鮮半島南部と九州北部の海辺の村に住む人々の間には、互いに往来し交易するような日常的なつながりがあった。そのネットワークは日本列島の河川や陸路を通じ、西日本の内陸や東日本まで広がっていた。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)
海村の人びとは優れた航海技術をもっていて…〔朝鮮〕半島南部の海村と西日本の海村の間には、互いに行き来し交易するような日常的なつながりがあった。その交易は、単なる物々交換ではなくて中国銭貨が用いられた可能性もある…。(507)
北部九州の人びとだけではなくて西日本各地の人びとも、海村のネットワークを利用して〔朝鮮〕半島とつながるようになった。…日本列島の河川や陸路とむすびつき、交易の範囲は西日本の内陸はむろんのこと、東日本へも広がっていった。(513)
倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。…先進文化にかかわるモノ、人、情報をさかんに受け入れて、それにもとづいてさまざまな生産活動や土地開発をおこなった。(2947)
各地の首長層が、みずからの活動を表現し誇示するために、そして倭王権や他の地域社会、ひいては朝鮮半島とのつながりをしめすために、共通のモニュメントや仕組みが必要だった。それが前方後円墳だった。(2949)
遅くとも六世紀中ごろまでには、日本列島各地の地域社会は、それまでつちかってきた朝鮮半島へとつづくルートや多様なコネクションを、積極的であれ消極的であれ、倭王権へ譲りわたした。(2410)
2020年1月20日に日本でレビュー済み
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倭王権の過大評価。磐井の乱で6万の軍勢が、妨害されて、朝鮮半島に渡れなかった。その後に物部あらかいが征伐に来るが、1年2ヶ月を要している。一地方氏族なのにである。で、肝心の金官国は新羅の滅ぼされてしまった。どうみたって、大した実力はない。その後、北九州は倭王権の勢力下になったといわれても、説得力がない。
2019年2月24日に日本でレビュー済み
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古墳やそこからの出土品などから古代の倭国をひも解く。
それを日本だけでなく朝鮮の古墳、出土品なども取り上げ倭国との関連性を分析する。
まあいかに結びつきが深かったかだ。
朝鮮の記述が新鮮だ。
それを日本だけでなく朝鮮の古墳、出土品なども取り上げ倭国との関連性を分析する。
まあいかに結びつきが深かったかだ。
朝鮮の記述が新鮮だ。
2017年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
どなたか書いておられましたが、概略をよく読むべきでした。
タイトルは間違いです。
古代朝鮮の話が中心で、倭国の話と中々繋がらない。
タイトルを見て購入を検討している人はレビューをよく読んでからにした方が良いと思います。
タイトルは間違いです。
古代朝鮮の話が中心で、倭国の話と中々繋がらない。
タイトルを見て購入を検討している人はレビューをよく読んでからにした方が良いと思います。