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共産党宣言・共産主義の諸原理 (講談社学術文庫 1931) 文庫 – 2008/12/10
世の不均衡・不平等に抗するための不朽の書 人類全体の解放をめざした共産主義思想のエッセンス。二月革命に端を発したプロレタリアートの闘争を支え続けたマニフェストを、斯界の泰斗による全訳注で読む。
- 本の長さ281ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2008/12/10
- ISBN-104062919311
- ISBN-13978-4062919319
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2008/12/10)
- 発売日 : 2008/12/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 281ページ
- ISBN-10 : 4062919311
- ISBN-13 : 978-4062919319
- Amazon 売れ筋ランキング: - 881,852位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年2月23日に日本でレビュー済み
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本書の題名から受ける印象は、政治学であるが、読んでみると経済の理論書というのにふさわしい内容。王侯・貴族・領主などが市民・奴隷・小作人を隷属させる封建主義社会から、引き続いて一般市民(ブルジョア)が商工業者の代表として旧体制にとってかわり、いくつかのヨーロッパの国が資本主義社会に変換したころの1848年に書かれた本(本書が書かれたドイツではまだ転換期)。ここでは工場主である資本家が肉体労働者を(王侯にかわって)搾取する構図となる。この後の歴史の展開として、機械化・交通手段・世界貿易が行きつくところまで発展すれば、資本家と労働者の格差は拡大し、これを是正するには、この二つの階級をはじめとする「階級」がなくなる共産主義社会という形に人類の歴史は必然的に帰結すると理論的に述べていく。巻末の31ページの「解説」では「宣言」がいかに普及していったかが書かれているのだが、最初に「宣言」が書かれた段階では、まだ資本主義の草創期である。(本書収録の各国版の計41ページにわたる)「共産党宣言序文(1872年ドイツ版から1893年イタリア版)」が「宣言」に付せられて公に出版できるようになった時点ですでに、「宣言」の原理の実践的適用は歴史的諸条件に依存し、コミューンによって証明されたように「労働階級は、できあいの国家機関をかんたんに手に入れて、それをかれら自身の目的のために使用することはできない」としている(p113)。それから、さらに、テクノロジーの発展は100年以上続くとは著者の予想を超えたところであろうが、本書の資本主義の行きついた結果の労働者の不満・貧富の差などは、現代のアメリカの労働者のそれによく似ており本書の理論が現代により当てはまっているのは興味深い(結果として2016年秋にトランプが大統領選挙に勝ったことには、マルクスも驚いているだろうが)。「共産党宣言」自体は、本書では丁寧な解説を含めても82ページしかないが、理論書であるので、とりかかりにくい。そこで私は、この入門書として「まんがで読破 共産党宣言(1時間かからずに通読可能)」を読んでから通読したが、興味も理解も助けられる部分が大であった。初学者には漫画版をまず薦めたい。本書にはエンゲルス著の42ページの「共産主義の諸原理」と、付録として「共産主義同盟へのよびかけ」「国際労働者協会暫定規約」「暫定総評議会の代表者たちへの諸指示」がついており、理解を助ける。「諸原理」は質疑応答形式をとっており、たとえば第七問は「プロレタリアは奴隷とどこでちがうのか」で、答えは「奴隷は一度で永久に売られるが、いかに貧しかろうともその生存を保証されている。プロレタリアは、毎日、毎時間、自分を売らなければならず、かれの労働を誰かが必要とするときにのみ、それを買い取られるのであり、なにも生存の保証を持たない」としている。
2023年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『共産党宣言』の冒頭は周知のように、「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義の幽霊が」という有名な一節で始まる。ここでボクが「幽霊」と訳したのはドイツ語のGespenstという語だが、この語は常に「幽霊」と訳されてきたわけではない。岩波文庫では「幽霊」だが、大月書店国民文庫と光文社古典新訳文庫では「妖怪」、そして水田訳では「幻影」と訳されている。Gespenstをどのように訳すべきか、マルクスのテキストをよく読めばわかることだ。ここでマルクスが共産主義をGespenstと呼んだのは、ヨーロッパに「共産主義」なるものが出没しているが、それは正体不明だ。何かがいるようだが、正体不明なのでGespenstと呼んでいるのだ。そうだとすれば「幽霊」と訳すのが正しいのではないか。「妖怪」だと、吸血鬼や、河童、鬼などと同様に、姿を見たり手で触れることができそうではないか。冒頭でマルクスにとって共産主義は正体不明の「幽霊」でなくてはならなかった。共産主義が正体不明の幽霊とされているからこそ、「幽霊」についてのおとぎ話に共産主義者の「宣言」を対置すべきだ、と著作を展開するためである。それでは「幻影」はどうだろうか。「妖怪」よりはいいのかもしれないが、意味が良く分からない。「死者の再現ではない」(68頁)のだから「幽霊」ではなく「幻影」としたというのだが、「幽霊」でいいのではないだろうか。一つは語学的な理由から。ドイツ語では語と語の結びつきが密接であり、動詞はしばしば特定の名詞と結びついている。『宣言』の一行目はGespenstがumgehen「出没する」という表現だが、DudenのStilwörterbuch「文体辞典」を引くと、Im Schloß gehen Gespenster um.「その城には幽霊が出る」という例文が掲載されている。城に出没するのは「幽霊」であって「幻影」ではないだろう。ドイツ語においてumgehenするのは「幽霊」なのだ。
もう一つは内容上の理由から。マルクスは次のように述べている。「政権についている敵から共産主義的だとののしられなかった野党がどこにいるだろうか。自分より進歩的な反対派に」、「共産主義」という「非難」を「なげかえさなかっただろうか」と。共産主義はいたるところに現れる神出鬼没の幽霊のようにイメージされている。この神出鬼没という動的なイメージが「幻影」には欠けているように思われる。
冒頭の一ページを読んだだけで、これだけ考えさせられた。いろいろと問題提起してくれそうな翻訳だ。原テクストをドイツ語で読める人にはスリリングな翻訳かもしれない。さっそくもう一ページ読んでみよう。
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史であった。ギルド仲間と職人」
「ギルド仲間」? さっぱり分かりません。ここで「ギルド仲間」というイミフな訳を与えられているのはZunftbürgerという語だが、このあまり一般的でない語には1888年の英語版でエンゲルスが注を加えており、これはguild-master「ギルドの親方」だと説明している。せっかくエンゲルスが説明してくれたのだから、これを生かすべきでしょう。
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史であった。ギルドの親方と職人」。ホラ、一読して理解できるでしょう。(今日はここまで。他に気になる訳が見つかれば加筆します。)
水田氏の翻訳には訳語の選択に違和感を覚えるが、それだけでなく、研究不足を思わせる点も少なくない。例えば、『共産党宣言』のポーランド語版への序文に伏せられた訳注によると「ヴィーン会議のポーランド」とは「ヴィーン会議によって分割されたポーランド」のことだという。そうかな。確かにポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの三か国によって分割され、独立を失っていたが、ポーランド分割が行われたのは1772年、1793年、1795年であり、1815年のウィーン会議がポーランドを分割したわけではない。ウィーン会議が行ったことはナポレオンによって建国されたワルシャワ公国をポーランド王国に改組し、ロシアに併合したことである。会議王国とは、このポーランドを指す。ポーランドの歴史をほんの少し知っていれば、あるいはローザ・ルクセンブルクのようなポーランドのマルクス主義者の著作に親しんでいれば、間違えることはなかっただろう。水田氏が受験の世界史レベルの基礎知識を欠いていたとしても、水田氏は受験生ではないのだから許してやらなくてはならない。問題は『共産党宣言』の翻訳者が持っているべき知識を欠いているということである。エンゲルスによる問答式の著作『共産主義の諸原理』には問いだけしかなく、答えが欠けている部分がある。エンゲルスは「そのまま」とだけ書いているのだが、水田氏によると、これが意味するところは不明だという。(169頁)意味不明としたことの言い訳のつもりだったのだろうか。水田氏は続けている。「『共産主義者同盟の』の綱領草案としてすでに流布していたものに同意したのだという解釈もあるが、その草案が発見されていないのにこう断定するわけにはいかない。」ここで水田氏が揶揄している解釈は、東独版マルクス・エンゲルス著作集Marx, Engels, Werke, Bd.4.の脚注のことだろう。Werkeの脚注によれば、「そのまま」とは「共産主義者同盟の未だ発見されていない暫定的な綱領草案において定式化されているままにすべき」という意味だという。確かに未だに発見されていない綱領草案にエンゲルスが同意したと主張するのは無責任であり、綱領草案が発見されない限り、水田氏がWerkeの解釈に異議を唱えるのも当然だ。ボクは共産主義者同盟の歴史やその研究史に詳しいわけではないので、綱領草案がいつ発見されたのか知らないのだが、1970年刊の『共産主義者同盟資料集』Bund der Kommunisten. Dokumente und Materialienには「共産主義信仰告白草案」Entwurf des Kommunistischen Glaubensbekenntnissesという文書が掲載されており、この文書はエンゲルスの「共産主義の諸原理」とそっくりなのだ。例えば、こんな具合
「第三問 ではプロレタリアートは、いつもいたのではないのか
「そうだ。貧乏な労働する階級は、いつもいた。また、労働する階級はたいてい貧乏だった。しかしいまいったような状態でくらしていた、そういう貧乏人、そういう労働者は、すなわちプロレタリアートは、いつもいたのではない。競争がいつも自由で制御できないものであったのではないのと、まさに同じである。」(水田訳「共産主義の諸原理」)
「信仰告白草案」にもよく似た問答がある。
「第8問 それではプロレタリアートはいつもいたわけではないのか」
「そうだ。貧しい労働者階級はいつもいたし、労働する者たちは貧しい者だった。しかしプロレタリアートがいつもいたわけではない。競争がいつも自由だったわけではないのと同じだ。」
「信仰個条草案」と「共産主義の諸原理」の類似は明らかだ。しかも水田訳が初めて出版されたのは1972年だというから、水田氏が翻訳を行っていた頃、「信仰個条草案」はすでに発見され、出版もされていたのだ。水田氏のすべきことは1959年刊のWerkeを揶揄することではなく、エンゲルスと「信仰個条草案」の関係を調べることだったのではないか。(2023/07/19加筆)
もう一つは内容上の理由から。マルクスは次のように述べている。「政権についている敵から共産主義的だとののしられなかった野党がどこにいるだろうか。自分より進歩的な反対派に」、「共産主義」という「非難」を「なげかえさなかっただろうか」と。共産主義はいたるところに現れる神出鬼没の幽霊のようにイメージされている。この神出鬼没という動的なイメージが「幻影」には欠けているように思われる。
冒頭の一ページを読んだだけで、これだけ考えさせられた。いろいろと問題提起してくれそうな翻訳だ。原テクストをドイツ語で読める人にはスリリングな翻訳かもしれない。さっそくもう一ページ読んでみよう。
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史であった。ギルド仲間と職人」
「ギルド仲間」? さっぱり分かりません。ここで「ギルド仲間」というイミフな訳を与えられているのはZunftbürgerという語だが、このあまり一般的でない語には1888年の英語版でエンゲルスが注を加えており、これはguild-master「ギルドの親方」だと説明している。せっかくエンゲルスが説明してくれたのだから、これを生かすべきでしょう。
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史であった。ギルドの親方と職人」。ホラ、一読して理解できるでしょう。(今日はここまで。他に気になる訳が見つかれば加筆します。)
水田氏の翻訳には訳語の選択に違和感を覚えるが、それだけでなく、研究不足を思わせる点も少なくない。例えば、『共産党宣言』のポーランド語版への序文に伏せられた訳注によると「ヴィーン会議のポーランド」とは「ヴィーン会議によって分割されたポーランド」のことだという。そうかな。確かにポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの三か国によって分割され、独立を失っていたが、ポーランド分割が行われたのは1772年、1793年、1795年であり、1815年のウィーン会議がポーランドを分割したわけではない。ウィーン会議が行ったことはナポレオンによって建国されたワルシャワ公国をポーランド王国に改組し、ロシアに併合したことである。会議王国とは、このポーランドを指す。ポーランドの歴史をほんの少し知っていれば、あるいはローザ・ルクセンブルクのようなポーランドのマルクス主義者の著作に親しんでいれば、間違えることはなかっただろう。水田氏が受験の世界史レベルの基礎知識を欠いていたとしても、水田氏は受験生ではないのだから許してやらなくてはならない。問題は『共産党宣言』の翻訳者が持っているべき知識を欠いているということである。エンゲルスによる問答式の著作『共産主義の諸原理』には問いだけしかなく、答えが欠けている部分がある。エンゲルスは「そのまま」とだけ書いているのだが、水田氏によると、これが意味するところは不明だという。(169頁)意味不明としたことの言い訳のつもりだったのだろうか。水田氏は続けている。「『共産主義者同盟の』の綱領草案としてすでに流布していたものに同意したのだという解釈もあるが、その草案が発見されていないのにこう断定するわけにはいかない。」ここで水田氏が揶揄している解釈は、東独版マルクス・エンゲルス著作集Marx, Engels, Werke, Bd.4.の脚注のことだろう。Werkeの脚注によれば、「そのまま」とは「共産主義者同盟の未だ発見されていない暫定的な綱領草案において定式化されているままにすべき」という意味だという。確かに未だに発見されていない綱領草案にエンゲルスが同意したと主張するのは無責任であり、綱領草案が発見されない限り、水田氏がWerkeの解釈に異議を唱えるのも当然だ。ボクは共産主義者同盟の歴史やその研究史に詳しいわけではないので、綱領草案がいつ発見されたのか知らないのだが、1970年刊の『共産主義者同盟資料集』Bund der Kommunisten. Dokumente und Materialienには「共産主義信仰告白草案」Entwurf des Kommunistischen Glaubensbekenntnissesという文書が掲載されており、この文書はエンゲルスの「共産主義の諸原理」とそっくりなのだ。例えば、こんな具合
「第三問 ではプロレタリアートは、いつもいたのではないのか
「そうだ。貧乏な労働する階級は、いつもいた。また、労働する階級はたいてい貧乏だった。しかしいまいったような状態でくらしていた、そういう貧乏人、そういう労働者は、すなわちプロレタリアートは、いつもいたのではない。競争がいつも自由で制御できないものであったのではないのと、まさに同じである。」(水田訳「共産主義の諸原理」)
「信仰告白草案」にもよく似た問答がある。
「第8問 それではプロレタリアートはいつもいたわけではないのか」
「そうだ。貧しい労働者階級はいつもいたし、労働する者たちは貧しい者だった。しかしプロレタリアートがいつもいたわけではない。競争がいつも自由だったわけではないのと同じだ。」
「信仰個条草案」と「共産主義の諸原理」の類似は明らかだ。しかも水田訳が初めて出版されたのは1972年だというから、水田氏が翻訳を行っていた頃、「信仰個条草案」はすでに発見され、出版もされていたのだ。水田氏のすべきことは1959年刊のWerkeを揶揄することではなく、エンゲルスと「信仰個条草案」の関係を調べることだったのではないか。(2023/07/19加筆)
2012年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、もともと一九七二年に講談社文庫として出版されていた原本を、学術文庫からリサイクルしたものである。岩波、青木、角川、国民、新日本の各文庫を参照しながら(P.268)、「全体を見直して読みやすくするように努めた」のだそうだ(P.267)。裏表紙でも、「社会思想史の泰斗による平易な訳に丁寧な解説」と宣伝されている。
しかし、翻訳は恐ろしく晦渋を極め、社会科学系専門書の典型的に読みづらい翻訳に仕上がっている。また、明らかに文庫としては不必要な訳註や編注が、読むリズムを妨げる。はっきり言って、何の訳にも立たないし、それが役に立つ読者層は、文庫ではなく大月書店の『マル=エン全集』を買うだろう。
で、お値段960円(税別)。併録されている「共産主義の諸原理」の翻訳は比較的読みやすいから、ここに金を払うという買い方は、ギリギリ成立するかもしれない。
素人衆には、北口裕康訳の『高校生でも読める「共産党宣言」』(PARCO出版)が唯一、かつ最適の翻訳だろうと思う。
しかし、翻訳は恐ろしく晦渋を極め、社会科学系専門書の典型的に読みづらい翻訳に仕上がっている。また、明らかに文庫としては不必要な訳註や編注が、読むリズムを妨げる。はっきり言って、何の訳にも立たないし、それが役に立つ読者層は、文庫ではなく大月書店の『マル=エン全集』を買うだろう。
で、お値段960円(税別)。併録されている「共産主義の諸原理」の翻訳は比較的読みやすいから、ここに金を払うという買い方は、ギリギリ成立するかもしれない。
素人衆には、北口裕康訳の『高校生でも読める「共産党宣言」』(PARCO出版)が唯一、かつ最適の翻訳だろうと思う。
2018年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
翻訳がちょっと違うと思いましたが、面白そうな本だと思います。
2008年12月29日に日本でレビュー済み
社会思想の素晴らしい研究者による、この翻訳は、本来翻訳で読むまでもない本書を手に取らせた。鉛色の切迫した印象が濃厚な原書より、幾分柔らかな印象は本来のメッセージを却ってよりよく伝えてくれるかもしれない。
社会運動のパンフレットとしての本書は、「理論」ではなく、「闘争の武器」であるから片言を捕らえて文句を言うことはむしろ不当で、そのモチーフを汲み取ることが先決だと思うが、余りに有名で、余りに影響力が大きかった本書には、非社会主義・非共産主義思想からの批判は枚挙に暇が無いと思う。
だが、圧縮された本書には、唯物史観の祖述と、歴史的帰結としての資本主義の本質、その凶悪さ、そして滅ぶべき段階が、はっきりと述べられ、確かに、マルクス・エンゲルスの思想のエッセンスと呼ぶに相応しいと思う。今日とても、なお、彼らの資本主義批判は、その本質を衝いていると思うし、繰り返し考えさせられる。何よりも強力な「史観」を提供してくれる。
過酷な労働者の存在が、歴史的に(資本主義的に)固有な存在であり、構造的な問題であることは、現在でも妥当するとはおもう。
中間階層の分析は実に鋭く、革命まがいの行動は結局は自身の階層の保守である点で反動である、との指摘は、社会革命の可能性がこの階層にないことを良く示している。
一方、しかし、「資本論第1巻」の読後にも感じた、相通じる「極端さ」「狭窄さ」がなくもない。主張や分析はいちいち尤もにも思えるが、しかし、人間社会とはやっぱり彼らの主張に尽きるものではない「幅」があると思う。様々な改革で、本書の述べる状態が恒久的でないことは判明しているし、管理権の威力を無視した、共産主義の優位性についての主張はあまりにナイーヴで危なっかしい。家族性の廃止を殊更に主張する点も、明らかに病的な傾斜としか言いようがない。
「現代社会思想」の宣言の書でもある本書の意義は不滅だと思うが、彼らの思想に則った現実の社会主義国が、ほぼ全敗したのも、マルクス・エンゲルスの思想の正しい実践をしなかったからではなく、むしろその必然的な帰結だったと思う。
社会運動のパンフレットとしての本書は、「理論」ではなく、「闘争の武器」であるから片言を捕らえて文句を言うことはむしろ不当で、そのモチーフを汲み取ることが先決だと思うが、余りに有名で、余りに影響力が大きかった本書には、非社会主義・非共産主義思想からの批判は枚挙に暇が無いと思う。
だが、圧縮された本書には、唯物史観の祖述と、歴史的帰結としての資本主義の本質、その凶悪さ、そして滅ぶべき段階が、はっきりと述べられ、確かに、マルクス・エンゲルスの思想のエッセンスと呼ぶに相応しいと思う。今日とても、なお、彼らの資本主義批判は、その本質を衝いていると思うし、繰り返し考えさせられる。何よりも強力な「史観」を提供してくれる。
過酷な労働者の存在が、歴史的に(資本主義的に)固有な存在であり、構造的な問題であることは、現在でも妥当するとはおもう。
中間階層の分析は実に鋭く、革命まがいの行動は結局は自身の階層の保守である点で反動である、との指摘は、社会革命の可能性がこの階層にないことを良く示している。
一方、しかし、「資本論第1巻」の読後にも感じた、相通じる「極端さ」「狭窄さ」がなくもない。主張や分析はいちいち尤もにも思えるが、しかし、人間社会とはやっぱり彼らの主張に尽きるものではない「幅」があると思う。様々な改革で、本書の述べる状態が恒久的でないことは判明しているし、管理権の威力を無視した、共産主義の優位性についての主張はあまりにナイーヴで危なっかしい。家族性の廃止を殊更に主張する点も、明らかに病的な傾斜としか言いようがない。
「現代社会思想」の宣言の書でもある本書の意義は不滅だと思うが、彼らの思想に則った現実の社会主義国が、ほぼ全敗したのも、マルクス・エンゲルスの思想の正しい実践をしなかったからではなく、むしろその必然的な帰結だったと思う。
2020年7月20日に日本でレビュー済み
あまりにも有名な、マルクス、エンゲルによる共産党宣言。
”ヨーロッパには幻影が出没している”(ちょっと変な訳だが・・・)や”これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である”など、読者の心をわしづかみにしてしまいそうな言葉が次々に登場する。
単に共産主義の政策や共産主義者の活動を述べるだけでなく、それらが明確な歴史的な解釈に基づいて述べられているのが、この政治宣言の特徴であるだろう。現在の世界の状況の中においても決して古さを感じさせない。
これを超える政治宣言はいまだ書かれていないのではないか。
”ヨーロッパには幻影が出没している”(ちょっと変な訳だが・・・)や”これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である”など、読者の心をわしづかみにしてしまいそうな言葉が次々に登場する。
単に共産主義の政策や共産主義者の活動を述べるだけでなく、それらが明確な歴史的な解釈に基づいて述べられているのが、この政治宣言の特徴であるだろう。現在の世界の状況の中においても決して古さを感じさせない。
これを超える政治宣言はいまだ書かれていないのではないか。