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美術という見世物: 油絵茶屋の時代 (講談社学術文庫 2021) 文庫 – 2010/11/1
木下 直之
(著)
写真油絵、生人形、パノラマ館、石膏細工、西洋目鏡……「よくお目を止めて御覧下さい」
「西欧の近代」と「江戸の伝統」の邂逅……。官による「美術」の指導と民の「見世物」への欲望が交錯した幕末・明治を徹底的に再検証する。
解説:丹尾安典
なぜ仏像は日本美術を代表する彫刻作品になったのか? この問いに答えるために、細工師、油画師、彫刻師たちが活躍した幕末・明治の見世物小屋を訪れるところから始めよう。粋な口上とともに陳列されるは、生人形、西洋目鏡、写真掛軸、写真油絵、戦場パノラマ……。文明の衝突!?が生んだ「奇妙な果実」を検証し、美術周辺の豊饒な世界を再評価する。
美術館関係者は、美術展が見世物だと呼ばれることをひどく嫌うのである。(略)見世物は美術展が生まれ育った家なのである。長じてのち生家をやみくもに忌み嫌い、その貧しさを恥じるのは、実は、近代社会の中で、日本人が美術にどのような地位を与えてきたかに密接にからんでいる。見世物に向けた憎悪の形成は、近代美術の形成と裏表の関係にある。そのあたりの事情を知るために、生家は本当に貧しかったのかどうかを見つめ直すことから、本書を始めようと思う。――<「乍憚口上」より>
※本書の原本は、1993年、平凡社より刊行されました。
「西欧の近代」と「江戸の伝統」の邂逅……。官による「美術」の指導と民の「見世物」への欲望が交錯した幕末・明治を徹底的に再検証する。
解説:丹尾安典
なぜ仏像は日本美術を代表する彫刻作品になったのか? この問いに答えるために、細工師、油画師、彫刻師たちが活躍した幕末・明治の見世物小屋を訪れるところから始めよう。粋な口上とともに陳列されるは、生人形、西洋目鏡、写真掛軸、写真油絵、戦場パノラマ……。文明の衝突!?が生んだ「奇妙な果実」を検証し、美術周辺の豊饒な世界を再評価する。
美術館関係者は、美術展が見世物だと呼ばれることをひどく嫌うのである。(略)見世物は美術展が生まれ育った家なのである。長じてのち生家をやみくもに忌み嫌い、その貧しさを恥じるのは、実は、近代社会の中で、日本人が美術にどのような地位を与えてきたかに密接にからんでいる。見世物に向けた憎悪の形成は、近代美術の形成と裏表の関係にある。そのあたりの事情を知るために、生家は本当に貧しかったのかどうかを見つめ直すことから、本書を始めようと思う。――<「乍憚口上」より>
※本書の原本は、1993年、平凡社より刊行されました。
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2010/11/1
- ISBN-104062920212
- ISBN-13978-4062920216
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2010/11/1)
- 発売日 : 2010/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 344ページ
- ISBN-10 : 4062920212
- ISBN-13 : 978-4062920216
- Amazon 売れ筋ランキング: - 937,912位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2014年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表紙のような内容が数多く載せられていなかったのが悔やまれる。反面、知らなかった世界も味わえた。
2023年2月18日に日本でレビュー済み
本書は、幕末から明治初期のころの、まだ「美術とは何か」が定まっていない時代における、「見世物」として受容された諸々の芸術を再発見する試みである。
今では美術品は展覧会で眺めるものであり、見世物は低俗なものとして蔑まれているが、当初は見世物としてさまざまな美術が展開されていた。
そうした歴史を「恥ずべきもの」として封印してきた近代日本美術の理解に異を唱え、最終的に「美術」の枠から外されたさまざまな作品に光を当ててくれる。
彫刻がまだない時代の石像や油絵の見世物があるかと思えば、手長足長の異邦人造詣やナイヤガラ瀑布などの写真や絵など、外国への好奇心を満たそうとする諸々もある。
また、日清戦争を伝える巨大パノラマなども、いけない場所の情報を伝える側面もある。
さらには胎児模型や人骨をつるした龍など、現在の博物館とも未分化な世界が広がっている。
著者の書き方自体が見世物の口上のようで、本書が一つの見世物小屋をなしている。
以下面白いと思った記述をいくつか記録する。
・彫刻のない当時は、何を作るかよりも何で作られているか(素材)がむしろ興味を持たれ、「石膏像」などと呼ばれた
・大きいという意味では江戸時代にも巨大絵画(北斎の達磨など)はあり珍しいわけではない
・医学の人体模型は生人形師の精度が必要だった(仏師では歯が立たない)
・海外の依頼者が写真を提供し、それに基づいて絵師が顔はその人で下は着物という絵を作る横浜写真が流行した。
・海外から見て富士山(というか日本)は秘境であり、横浜写真には必ず富士山が登場した。逆の位置づけがナイアガラである。
・高橋由一の「鮭図」も、当初は見世物にかかっていた
・外国からの「古い日本」イメージに合わせるために、甲冑がしばしば取り上げられた
・戦争を伝えるパノラマは活動写真にとってかわられた(日露戦争頃)
現物が見れないのが大変残念(そういう展覧会を著者は主宰したらしい)だが、逆に現物をぜひ見てみたくなるような、そういう魅力を伝えてくれる一冊である。
解説によると、著者はいくつかの見世物作品を、靖国神社遊就館という美術関係者はまるで注目してなかった施設から掘り起こしており、その執念と眼力には恐れ入る。
語られない近代日本芸術史の一面として、なかなか面白い本だと思う。
今では美術品は展覧会で眺めるものであり、見世物は低俗なものとして蔑まれているが、当初は見世物としてさまざまな美術が展開されていた。
そうした歴史を「恥ずべきもの」として封印してきた近代日本美術の理解に異を唱え、最終的に「美術」の枠から外されたさまざまな作品に光を当ててくれる。
彫刻がまだない時代の石像や油絵の見世物があるかと思えば、手長足長の異邦人造詣やナイヤガラ瀑布などの写真や絵など、外国への好奇心を満たそうとする諸々もある。
また、日清戦争を伝える巨大パノラマなども、いけない場所の情報を伝える側面もある。
さらには胎児模型や人骨をつるした龍など、現在の博物館とも未分化な世界が広がっている。
著者の書き方自体が見世物の口上のようで、本書が一つの見世物小屋をなしている。
以下面白いと思った記述をいくつか記録する。
・彫刻のない当時は、何を作るかよりも何で作られているか(素材)がむしろ興味を持たれ、「石膏像」などと呼ばれた
・大きいという意味では江戸時代にも巨大絵画(北斎の達磨など)はあり珍しいわけではない
・医学の人体模型は生人形師の精度が必要だった(仏師では歯が立たない)
・海外の依頼者が写真を提供し、それに基づいて絵師が顔はその人で下は着物という絵を作る横浜写真が流行した。
・海外から見て富士山(というか日本)は秘境であり、横浜写真には必ず富士山が登場した。逆の位置づけがナイアガラである。
・高橋由一の「鮭図」も、当初は見世物にかかっていた
・外国からの「古い日本」イメージに合わせるために、甲冑がしばしば取り上げられた
・戦争を伝えるパノラマは活動写真にとってかわられた(日露戦争頃)
現物が見れないのが大変残念(そういう展覧会を著者は主宰したらしい)だが、逆に現物をぜひ見てみたくなるような、そういう魅力を伝えてくれる一冊である。
解説によると、著者はいくつかの見世物作品を、靖国神社遊就館という美術関係者はまるで注目してなかった施設から掘り起こしており、その執念と眼力には恐れ入る。
語られない近代日本芸術史の一面として、なかなか面白い本だと思う。
2009年4月22日に日本でレビュー済み
価値観も言語も違う江戸と明治以降を成功裡にブリッジしている。著者は、見世物から美術へ
の変容(見る側における意識、実際の姿の双方が同時進行する)を見事に描き出す。認識にま
で影響を及ぼした歴史の転換を記述するのは曼陀羅を文字化するような原理的な困難を伴うと
いえ、方法としては非常な注意が求められるが、それを論点とする著者のスタンスは実に確か
である。挙例による牽強付会も、仮説に基づく牽強付会も見られず、仮説と検証のバランスが
うまく保たれているのは出色。著者にしたら当然ながら、現在の自ら(ここでは少なくとも明
治以降)の言語・価値観で、別時代(延いては別地域にも当てはまるといえる)に踏み入るこ
との危険性を改めて確認させられる。
結果、全編を通した著者の筆致を通じて、筆者は一つの語り(騙りであったとしても)として
実に楽しく、一気に読み通せた。図らずも、見世物における口上の重要性を知らされた気すら
する。見事に描き出された姿を通じて江戸の豊饒を知ると同時に、明治期における近代の受容
のありようが現在の状況に対する批判的検討の礎になる(同時に、伝統日本の限界も見えてく
る)と知ることを、本書の成果がもたらす副産物と云ってしまうとしたらあまりにもったいな
い話だろう。
(私は平凡社版で読んだ)
の変容(見る側における意識、実際の姿の双方が同時進行する)を見事に描き出す。認識にま
で影響を及ぼした歴史の転換を記述するのは曼陀羅を文字化するような原理的な困難を伴うと
いえ、方法としては非常な注意が求められるが、それを論点とする著者のスタンスは実に確か
である。挙例による牽強付会も、仮説に基づく牽強付会も見られず、仮説と検証のバランスが
うまく保たれているのは出色。著者にしたら当然ながら、現在の自ら(ここでは少なくとも明
治以降)の言語・価値観で、別時代(延いては別地域にも当てはまるといえる)に踏み入るこ
との危険性を改めて確認させられる。
結果、全編を通した著者の筆致を通じて、筆者は一つの語り(騙りであったとしても)として
実に楽しく、一気に読み通せた。図らずも、見世物における口上の重要性を知らされた気すら
する。見事に描き出された姿を通じて江戸の豊饒を知ると同時に、明治期における近代の受容
のありようが現在の状況に対する批判的検討の礎になる(同時に、伝統日本の限界も見えてく
る)と知ることを、本書の成果がもたらす副産物と云ってしまうとしたらあまりにもったいな
い話だろう。
(私は平凡社版で読んだ)
2004年8月3日に日本でレビュー済み
かつて兵庫県立近代美術館学芸員として「日本美術の19世紀」という衝撃的な展覧会を開いた著者が、その内容の一部をさらに詳しく論じた書物。生人形、見世物としての油絵など、幕末明治期の美術の周辺に置かれてきた造形表現を広く探り、日本近代美術史の再考を迫った。著者は、もちろん移植された制度としての〈美術〉に自覚的だが、制度自体の沿革をたどろうとするのではない。あくまでも具体的な資料そのものから眼を離さず、大量の物と文献とを注意深く公平に検討することを通じて、この制度の呪縛から軽やかに逃れ出ている点がすぐれる。江戸時代までと明治以降との連続性を常に意識し、いわゆる古美術に対する判断にも偏見がない。そこに浮かび上がるのは、美術行政・美術教育・美術展覧会の外側で、そして美術史学の外側で作られ続けていた幕末明治の造形の多様でエネルギッシュな姿にほかならない。平凡社の叢書が初版だが、ちくま学芸文庫で復刊されたのは、より広い読者を得るために喜ばしいことだった。