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仏教誕生 (講談社学術文庫) 文庫 – 2012/3/13

4.2 5つ星のうち4.2 17個の評価

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釈尊、その思想の本質
説かれたものは「慈悲」と「救済」だったのか? 生成の場面に光を当て、仏教の根源にせまる

古代インドに生まれ、今もアジアの人々の暮らしに根づく仏教。インドの宗教的・思想的土壌にあって他派の思想との対立と融合を経るなかで、どんな革新性をもって仏教は生まれたのか。その生成の場面に光を当て、比較思想研究の手法によって「経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマティスト」釈尊の思想の本質に迫る。インド思想史研究の意欲作。

紀元前五世紀ごろから紀元後の一千年紀にわたって、思想史上、仏教はほとんどつねに主導的な役割を果たした。仏教は、今日のヒンドゥー教思想の骨格の重要部分を構成している。しかし、その仏教も、孤高にして超絶という態のものではけっしてなく、他派の思想との対立と融合のなかで生成発展していったのである。――本書「はしがき」より

※本書の原本は、1995年、筑摩書房より刊行されました。

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2012/3/13)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2012/3/13
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 224ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062921022
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062921022
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.8 x 0.9 x 14.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 17個の評価

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宮元 啓一
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年6月24日に日本でレビュー済み
何冊か、仏教の入門書を読んだが(特に初期仏教)、この本が一番分かり易かった。初期仏教の紹介だけではなく、釈尊が生きていた時代にどのような宗教、思想があったのかが相対的に説明されている。最後にある「さらに知りたい人のために」で紹介されている他の教科書一覧も参考になった。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年12月4日に日本でレビュー済み
 第1章「仏教前夜」、第2章「釈尊の生涯」、第3章「最初期の仏教の考え方」という構成で、コンパクトに初期(原始)仏教の成立と背景となった当時の思想状況を解説している。
 著者は自分の立場を「上座部仏教、つまり南伝系」と明確にする。そして日本仏教はすべて大乗系であり、それは「方便の肥大化」にすぎず、釈尊の教えの核心を伝えずして、瞑想を過大に評価する神秘主義に陥っていると厳しく批判する。特に密教に対しては、手段を目的化していると激しく非難している。

 著者によれば釈尊の教えの核心は「生のニヒリズム=生存欲を絶つこと」であり、現実への対応としては、それに裏打ちされたプラグマチズムと経験論であるとする。著者の論理は明確かつ断定的でわかりやすい。それだけに綻びもまたわかりやすい。

 「仏教=生のニヒリズム」とする見方は一部西欧哲学者たちの見解でもあり、それなりの妥当性を持つが、100%その通りとは言えない。釈尊の境地がそれならば仏教は“自殺宗教”になってしまう。悟りを開いた釈尊がすみやかに入滅せず、そのあと40年以上説法を続けた事実が説明できない。
 著者もこの矛盾は感じるらしく、「ニヒリスト釈尊には微妙な問題がつきまとう」と認める。さらに「(釈尊の)心境がどのように変化していったのか、それを知る直接の手がかりは仏典からは得られない」と、矛盾解消の努力を放棄している。

 では、生存することを選んだ釈尊は何を説いたのか。「まったく意味を持たない世界を、いわば幻術師が幻を繰り出すように、あたかも意味があるごとくに創出した」。釈尊は本音を隠し、嘘を語って解脱後の45年を生きたーー これでは「釈尊を信じるな」と言うに等しい。とても受け入れられないし、仏教の発展を説明できるとも思えない。

 以上のような問題を抱えているが、見方を変えると歴史ミステリとして面白く読むことができるのが本書である。というのは、本書全体を通して著者は潔く手持ちのすべての材料を公開しているからだ。素材をすべて提供した上で、釈尊の解脱した境地はどのようなものか、悟りとは何かと問いかけ、上座部的回答を出している。
 私はその見解が間違っていると思うが、釈尊の解脱の謎を考えるヒントを本書から十分に得ることができた。その意味で、破綻している本と簡単に否定できないところがあり、興味深いと評価もできる書だと考える。
27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年4月18日に日本でレビュー済み
日本では大乗仏教しか流入しておらず、その大乗仏教が最大の論的とした「外道」一派の思想研究を専門とした著者の論述は非常に興味あるものとなっている。

釈尊が創始した初期仏教は、道徳論に近いもので、難解では無かったとするのである。

因果応報の法則に基づいて生類は輪廻しつつ生きていると言う考えの下では、生類が自ら積んだ善悪の所産である。
この教えを代表するものとしては七仏通戒偈で、漢訳では次の通りである。
諸悪莫作 諸の悪を作すことなかれ
衆善奉行 衆くの善を奉行せよ
自浄其意 自ら其の意を浄めよ
是諸仏教 是れ諸の仏の教えなり
成道を得た釈尊その人には善悪は全く存在しない。ただ、釈尊は、窮極の目標に達していない人に向かっては、善をなし悪を止める様に勧めたのである。

仏教を広めるべく、大衆化路線が執られ、釈尊を超人的な仏として崇拝、祈念することによって、その無限の慈悲のお蔭で救われると言う救済思想を生みだしたとし、空海が持ち込んだ密教思想も初期仏教からの変質が激しいとするのである。

しかし、絶対的救済神を奉ずるヒンドゥー教の刺激を受け、西暦紀元前後に興った大乗仏教は、民衆化の名の下に超越的な仏、無辺の慈悲による菩薩救済と言うテーマを打ち出し、禅定と言う名の瞑想も極めて神秘主義的となり、心作用が停止する三昧体験を窮極の目標たる解脱であるとした。
密教に至っては手段が目的とされ、悟りとは三昧体験だと言う瞑想と智慧との区別が全く出来ていない根本的な誤解に貫かれた解釈だと言わざるを得ない。

又、苦行修行による覚り開眼も、禅宗の祖とされる道元をも、釈尊への誤解ではないかと具申するのです。

釈尊は説法を始めてから死に至るまで、苦楽中道の生き方を貫いた。既に釈尊は窮極の目的を達成していたのであるから、この生き方が修行であったとは言えない。
我が国の道元禅師は、「釈尊は生涯に亘って修行生活を送った、覚り(証)は修行(修)の中のみに現れる」と解釈しているが、これは彼独自の美しい誤解である。

結局は、祈祷仏教と葬式仏教に陥ってしまった我が国の仏教は、変革する余地があるのではないかと提言するのです。

わが国で、智慧の生まれ無い処に僅かに生き残ったのが祈祷仏教と葬式仏教だけと言うのも、当然の成り行きだったのであろう。
アジアに仏教と名のつく宗教が数ある中で、日本仏教ほど生のニヒリズムに縁遠い仏教は無かったのである。

既存仏教に飽き足らず数多くの新興宗教が興りつつある現在、著者の提言は仏教界のプロテスタント運動なのか知れないと思われてなりません。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年11月27日に日本でレビュー済み
本書では釈迦のニヒリスト的側面が強調されているため、日本の伝統的釈迦像を抱く人からは抵抗があるのだと思うのですが、釈迦が善を勧めた事、慈悲も説いたこともちゃんと理由とともに説明されています。まあ、そちらのウェイトがやや小さいように思いますが。(ところで、いったん生を無価値だと認めて、そこから意図的に価値を創出する人はニヒリストと呼べるのでしょうか?)

著者の描く釈迦像をそのまま受け入れるかどうかは別として、私の釈迦像を作る上で、本書は大いに参考になりました。

以下のことにも納得がいきました。
・釈迦が理論体系の確立に興味がなかったこと
・戒律へのスタンス
・理想の生活がホームレスであったこと
・ジャイナ教等外道に初期仏教思想のヒントが見られること
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年11月26日に日本でレビュー済み
本書は比較思想研究の立場から仏教の生成を書いたもの(p.007)である。
<第1章 仏教前夜>では、六師外道と釈尊の目指す目標は同じであり、釈尊が六師外道と異なるのは弟子教育の方法論であることを強調する。従って、道徳的訓練も仏教の目標ではなく、道徳を超えて修行の目標(=善悪を超えた解脱の境地 p.062〜063)を目指した四沙門果の修行段階に進むための資質改善(=心を清澄な状態にすること)の手段だと述べる。

<第2章 釈尊の生涯>では、“禅定(瞑想)が智慧とは原理的に無関係であること(p.100)”および“苦行でも智慧は獲得できないこと(p.104)”を述べ、釈尊が成就した智慧の獲得には発見・発明というべき独創的な修行方法があることを指摘する。

<第3章 最初期の仏教の考え方>では、大乗仏教が“慈悲=方便の肥大化が目標に変え(p.164)”、“戒・定・慧の戒・定という慧に至る手段を目標に変えた(p.189)”ことが述べられる。そして、釈尊が解脱に至る「智慧獲得の瞑想」として「四念処法」が紹介される。

***

上記レビューを掲載後、現在(2013年3月)までの私の経典分析に依れば、ウパニシャッドの教義に精通した天才的なバラモン教徒が仏教に転向し、両者の思想を融合させて生み出したものが大乗仏教だと結論できる。大乗仏教の問題点は、瞑想(四禅八定や止観)などの実践方法をバラモン教由来のものにしたため、凡夫を四沙門果の聖者に変身させる釈尊独創の実践方法(八正道や四念処法)が完全に失われてしまったことである。

パーリ仏典『律蔵』の「大品」(仏伝)に有名な話がある。ブッダ釈尊の説法を一度聞いただけで、長者の息子ヤサは第一段階の聖者(預流)になる。その後、ヤサの父親もブッダ釈尊の説法を聞いて預流になるが、一緒に聞いていたヤサは最終(第四)段階の聖者(阿羅漢)になる。これは、修行もせずに完全な「智慧」を凡夫が獲得する「奇跡」である。(この「奇跡」という表現はイエスの『奇跡講座』で用いられる内容と対応することを強調している。)もちろん、それが出来ない凡夫は「四念処法」の修行を実践する。身念処(身体の制御)・受念処(感情の制御)・心念処(心の制御)・法念処(意識の制御)によって、「十結(十煩悩)」を断滅するのである。

以下に、今まで解説されたことがない「十結」の正確な説明を記す。
身見(昨日の私も今日の私も明日の私も根本は変わらない実体と思う欲界の痴)と疑惑(釈尊が説く四聖諦などの基本的な教法を信じられない欲界の痴)と戒取(伝統的な習慣儀礼は続けたいと拘る欲界の痴)の三結(これらは全て欲界の痴)を断滅すれば、第一段階の聖者である預流(シュダオン)になる。その上で、欲貪(性欲・食欲などの欲界の貪ぼり)と瞋恚(欲貪を邪魔されて異常に怒り狂うこと)が他人に直接向かわないほどに弱まれば、第二段階の聖者である一来(シダゴン)になる。そして、五下分結(身見・疑惑・戒取・欲貪・瞋恚)を完全に断滅すれば、第三段階の聖者である不還(アナゴン)になる。この不還の聖者は欲界の三毒煩悩である貪・瞋・痴を断滅しているので、二度と人間には生まれない。だから不還というのである。
さらに、不還の聖者が、色貪(名誉獲得前などの色界の貪り)と無色貪(名誉獲得後などの無色界の貪り)と我慢(他者を見下す驕り)と掉挙(自己満足の達成感)と無明(主体・客体の二元性に執着する色界と無色界の痴)という五上分結を完全に断滅すれば、最終段階の聖者(第一段階のブッダ)である阿羅漢になる。ここで、色貪と我慢と無明は色界の貪・瞋・痴であり、無色貪と掉悔と無明は無色界の貪・瞋・痴である。

なお、色界とは物質世界(私の外にある客体)に関わる(私という主体の)感情・想念・判断・意識から欲が消滅した世界で、色界の究極は「光(色彩)」である。無色界とは物質世界(私の外にある客体)ではなく、(私という客体に対する私という主体の)感情・想念・判断・意識が機能する精神世界であり、無色界の究極は「私」である。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年6月14日に日本でレビュー済み
本著は読みやく得るものが多い。ただ氏はこの後にいくつかの原始仏教に関する著書を書いているが、その中での主張と、本著における主張とかあまり一貫性があるとは言い難い。氏の意見を伺いたいところである。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年9月23日に日本でレビュー済み
非常に読みやすく、内容も理解しやすい。
ブッダが何か特別な存在と思っている人には
人間としてのブッダを感じ取ってほしい。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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