関東大震災で負傷者の救護、支援に奔走した人々の姿が史料に基づいて冷静に描かれています。
震災について知るのにとても良い内容だと思います

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関東大震災 消防・医療・ボランティアから検証する (講談社学術文庫) 文庫 – 2016/8/11
鈴木 淳
(著)
1923(大正12)年9月1日、11時58分44秒。東京を襲った大地震は10万を超える人命を奪い、近代国家・日本に深い爪痕を残した。しかし、そこでは被害の拡大を阻止すべく奮闘した人々の姿があった。消防、医療、ボランティア、そして情報。今日、注目を集める災害時の人的活動を通して都市型災害の全貌を追い、共有すべき歴史の教訓を読みなおす。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2016/8/11
- ISBN-104062923815
- ISBN-13978-4062923811
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商品の説明
著者について
鈴木 淳
1962年生まれ。東京大学人文社会系研究科・文学部教授。専攻は日本近代史、社会経済史。東京大学文学部国史学科卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。著作に『明治の機械工業』『町火消たちの近代』『新技術の社会誌』『維新の構想と展開』『科学技術政策』などがある。
1962年生まれ。東京大学人文社会系研究科・文学部教授。専攻は日本近代史、社会経済史。東京大学文学部国史学科卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。著作に『明治の機械工業』『町火消たちの近代』『新技術の社会誌』『維新の構想と展開』『科学技術政策』などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2016/8/11)
- 発売日 : 2016/8/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4062923815
- ISBN-13 : 978-4062923811
- Amazon 売れ筋ランキング: - 760,006位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,965位講談社学術文庫
- カスタマーレビュー:
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2018年10月8日に日本でレビュー済み
関東大震災は1923年9月1日に発生し、広範囲に甚大な被害をもたらした。
それに対し、これまでの歴史学の成果のほとんどは震災直後の虐殺事件に集中していたと著者は言う(pp.12-13)。
本書は、膨大に残された公式記録や回想録から当時の防災活動の細部を記述し、今後の災害への教訓を探った本である。
2004年にちくま新書から刊行され、2016年に講談社学術文庫で再刊された。
第一章では震災当時の防災体制と、地震発生直後の対応を概観する。
9月1日土曜日の11時58分に発生した巨大地震は、組織の指揮体制を崩壊させた。
東京府(当時)や警視庁の多くの職員は家族を案じて帰宅し、本格的な活動開始は休み明けの9月3日まで遅れたという。
第ニ章では死者の大半をもたらした火災に対する防火活動がどのように進んだのかを記述する。
被災民の多くが家財道具を持ち出したことが延焼につながり、江戸時代からの大火の教訓が生かされなかったことがわかる。
第三章では死者4万名以上という最大の被害を出すに至った隅田川沿い、本所被服廠跡の火災旋風と医療体制の問題を扱う。
当初の延焼を免れた東京第一衛戌病院には大量の「戦用衛生材料」(医薬品類)が収納されていたが、要員不足のため薬品から発火し焼失した。
被災地域外から、また各種の団体が次々に救護隊を組織する中、被害を過小に見積もった報告ミスなどが被服廠跡への救援を遅らせた。
第四章では震災直後から組織された住民の自発的な救援活動や炊き出しに焦点を当てる。
震災前から東京では大火や水害が相次ぎ、警察や消防のほか在郷軍人会や青年団の存在感が高まっていた。被災民に対して、今で言うボランティア的な救援活動が活発化していた。
同時に著者は、マスコミや警察、軍隊によって流布された流言と、自警団などによる朝鮮人虐殺にも一節を割いている。前者が住民の自発的な活動の光の側面ならば、後者は影の部分であろう。
しかしそれでも、著者は、住民の自主的な団結と防災活動に期待しているようである。そのため、防災教育の普及とそれぞれの技能の向上を訴える。
上記のように章立ては防災活動の各領域に焦点を当てたものになっているが記述は時系列に配慮しており、ドキュメンタリーのように読みやすい。
なるほど本書に書かれた事柄はどこを切っても教訓の塊であるが、一抹の無常さを覚えることも確かである。関東大震災は「明暦の大火と安政大地震の組み合わせとして想像可能であった」(p.206)と著者は言う。
そう言うなら東日本大震災は、阪神大震災と明治三陸大津波とチェルノブイリの組み合わせとして想像可能であったろう。
皆、知識として知らなかったわけではない。
しかし…
震災後、消防や治安維持に失敗により威信を失った警察に替わり、軍隊の権威が高まる。
そのことが、後のファッショ体制の遠因になったと著者は「あとがき」で示唆する。いまの私たちに無関係な話かどうかは、それぞれの立場があるだろう。
何だか皮肉みたいなことを書いたが過去に学び各々の防災意識と技能を高めようという本書の姿勢には全く賛成である。
それに対し、これまでの歴史学の成果のほとんどは震災直後の虐殺事件に集中していたと著者は言う(pp.12-13)。
本書は、膨大に残された公式記録や回想録から当時の防災活動の細部を記述し、今後の災害への教訓を探った本である。
2004年にちくま新書から刊行され、2016年に講談社学術文庫で再刊された。
第一章では震災当時の防災体制と、地震発生直後の対応を概観する。
9月1日土曜日の11時58分に発生した巨大地震は、組織の指揮体制を崩壊させた。
東京府(当時)や警視庁の多くの職員は家族を案じて帰宅し、本格的な活動開始は休み明けの9月3日まで遅れたという。
第ニ章では死者の大半をもたらした火災に対する防火活動がどのように進んだのかを記述する。
被災民の多くが家財道具を持ち出したことが延焼につながり、江戸時代からの大火の教訓が生かされなかったことがわかる。
第三章では死者4万名以上という最大の被害を出すに至った隅田川沿い、本所被服廠跡の火災旋風と医療体制の問題を扱う。
当初の延焼を免れた東京第一衛戌病院には大量の「戦用衛生材料」(医薬品類)が収納されていたが、要員不足のため薬品から発火し焼失した。
被災地域外から、また各種の団体が次々に救護隊を組織する中、被害を過小に見積もった報告ミスなどが被服廠跡への救援を遅らせた。
第四章では震災直後から組織された住民の自発的な救援活動や炊き出しに焦点を当てる。
震災前から東京では大火や水害が相次ぎ、警察や消防のほか在郷軍人会や青年団の存在感が高まっていた。被災民に対して、今で言うボランティア的な救援活動が活発化していた。
同時に著者は、マスコミや警察、軍隊によって流布された流言と、自警団などによる朝鮮人虐殺にも一節を割いている。前者が住民の自発的な活動の光の側面ならば、後者は影の部分であろう。
しかしそれでも、著者は、住民の自主的な団結と防災活動に期待しているようである。そのため、防災教育の普及とそれぞれの技能の向上を訴える。
上記のように章立ては防災活動の各領域に焦点を当てたものになっているが記述は時系列に配慮しており、ドキュメンタリーのように読みやすい。
なるほど本書に書かれた事柄はどこを切っても教訓の塊であるが、一抹の無常さを覚えることも確かである。関東大震災は「明暦の大火と安政大地震の組み合わせとして想像可能であった」(p.206)と著者は言う。
そう言うなら東日本大震災は、阪神大震災と明治三陸大津波とチェルノブイリの組み合わせとして想像可能であったろう。
皆、知識として知らなかったわけではない。
しかし…
震災後、消防や治安維持に失敗により威信を失った警察に替わり、軍隊の権威が高まる。
そのことが、後のファッショ体制の遠因になったと著者は「あとがき」で示唆する。いまの私たちに無関係な話かどうかは、それぞれの立場があるだろう。
何だか皮肉みたいなことを書いたが過去に学び各々の防災意識と技能を高めようという本書の姿勢には全く賛成である。