いよいよ親鸞3部作も結末をむかえる。全6冊の長い大河小説の最終巻であるが、
親鸞・善鸞親子の宗教上の行き違いを縦糸に、親鸞と反親鸞派(黒面法師、覚蓮坊)の
熾烈な争いを横糸に、五木寛之の筆は最後まで読者を飽かせない。
最初の巻から親鸞の究極の敵であった黒面法師があっけなく自死する。アレっと
意外だったが実は深い意味が隠されていたことが後でわかる。
親鸞は一愚者として往生する。
・・法然上人は、人は愚者になりて往生す、といわれていた。
いったん智者の世界に身をひたした者が、その垢を洗い流し、
愚にかえることは容易なことではない。(中略)だがー
「大事な経典の言葉が思いだせぬ。書名も、人名も、遠くに
かすんでいるかのようだ。かつては目を閉じていても、ありありと
流れるように目にうかんだ経文が、どうしてもでてこない。人は
これを耄碌したのだというだろう。しかし、それは違うのではないか
と思う。わたしはいま、みずからの計らいではなく、他力の計らいに
よって自然に愚にかえりつつあるのだよ」・・・
まことに静かな大往生である。90歳を超えた親鸞の枯れるような死を見て
私もこのように自然に帰りたいと思った。
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親鸞 完結篇(下) (講談社文庫) 文庫 – 2016/5/14
五木 寛之
(著)
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偉大な師にして父親の親鸞に認めてもらおうと善鸞は東国行きを志願するが、父子の懸隔はかえって広がる。一方で最後の闘いの時も迫っていた。怪僧・覚蓮坊、謎の女借上・竜夫人、若き日に出会ったツブテの弥七、黒面法師らとの、永く深い因業が解き明かされる。そして、九十歳で入滅――。渾身の三部作、完結。
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2016/5/14
- 寸法10.8 x 1.6 x 14.8 cm
- ISBN-104062933527
- ISBN-13978-4062933520
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商品の説明
著者について
五木 寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、04年には仏教伝道文化賞を、09年にはNHK放送文化賞を受賞する。2010年に刊行された本書は第64回毎日出版文化賞を受賞し、ベストセラーとなった。代表作に『戒厳令の夜』、『風の王国』、『風に吹かれて』、『百寺巡礼』(日本版 全十巻)など。小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる活動が注目されている。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2016/5/14)
- 発売日 : 2016/5/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4062933527
- ISBN-13 : 978-4062933520
- 寸法 : 10.8 x 1.6 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 190,729位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1932年、福岡県生まれ。66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門・筑豊編』ほかで吉川英治文学賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 愛について (ISBN-13:978-4591117514)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年3月19日に日本でレビュー済み
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青春編、激動編を思い出しながら、心に残るフレーズを期待しながら読み進めています❗
2018年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一生懸命生きた人間らしい和尚さんです。
最後まで、唱え、念じて世間のお手本となった姿は、
読み応えのある一冊でした。
但し、スタート(幼少)からの流れが重要で、
この前の作品も手にしてみてからの方が、
説得力があります。
最後まで、唱え、念じて世間のお手本となった姿は、
読み応えのある一冊でした。
但し、スタート(幼少)からの流れが重要で、
この前の作品も手にしてみてからの方が、
説得力があります。
2016年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者があと書きで語っているようにこれは小説である。
従ってこれで親鸞を分かったつもりになるのは厳に慎むべきと肝に命じている。ただ秀れた小説だけがが持つ読者を感情移入させる何ものかがこの『親鸞』にはある。つまり五木『親鸞』は私の心に宿ったということだ。間違いなく五木寛之の代表作に加えられる小説である。
従ってこれで親鸞を分かったつもりになるのは厳に慎むべきと肝に命じている。ただ秀れた小説だけがが持つ読者を感情移入させる何ものかがこの『親鸞』にはある。つまり五木『親鸞』は私の心に宿ったということだ。間違いなく五木寛之の代表作に加えられる小説である。
2016年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一月程で、シリーズ6巻を読み終えて、非常に満足しました。題材もピカイチでしょうが、書き手の仕掛けも度が過ぎず、すべてがいい感じ。
2016年6月1日に日本でレビュー済み
「親鸞さまは、わたしをからかっておられるのですか」
唯円は親鸞をみつめた。親鸞は首をふった。
「いや、からかってなどはいない。そなたが、わたしのいうことならなんでもしたがう、と自信たっぷりに答えたからたずねている。もう一度きく。わたしがそうせよ、というたら、そなた、人を千人殺せるか」
唯円は力なく首をふった。
「できませぬ」
「それは、そなたが善人だからか。人を千人殺すほどの悪人ではないからか」
唯円は黙っていた。親鸞は言葉をつづけた。
「人ひとりも殺せぬ、というのは、そなたが善き心の持ち主だからではない。人は自分の思うままにふるまうことはできぬのだ。人はみずからの計らいをこえた大きな力によって左右されることがある。こうしようと願ってそうできるとか、ああはしまいと決めて避けられるとかいうものではない。絶対にこれだけはやめようと誓いつつも、そこへはいりこむこともある。だから、善人、悪人などと人を簡単に分けて考えてはならぬ。そなたとて、人を殺すなど決してしまいと思っていても、本当はわからないのだ。いつ人殺しをするかもしれない。それを業のせいである、という。しかし、業とは、世間でいう宿命ではない。結果には必ず原因がある、ということだ。人は決してわが計らうままに生きられない。その願うとおりにならないことを、業をせおっているというのだよ。そなたも、わたしも、大きな業をせおって生きておる。そのおそれと不安のなかにさしてくる光を、他力、という。救われる、というのは、そういうことではないか。わたしは、そう信じているのだ」
唯円はだまって親鸞の言葉をきいていた。あたりの闇が、いっそう深くなった。(49-50p)
この2人の問答が、実質この長編「親鸞」6冊のクライマックスだったのかもしれない。しかし物語はこのあと、善鸞義絶事件、竜大山遵念寺での竜夫人、親鸞と覚蓮坊との対決、そして親鸞の影法師ともいえる黒面法師との最終対決の怒涛の展開を見せるのである。
中学生の時に吉川英治「親鸞」を読んで続けざまに「歎異抄」「出家とその弟子」を読んだ夜から、40年近くが経った。
なぜ人を殺してはいけないなのか。
どうして普通の人が何千人何百万人も殺す戦争が起こるのか。
私は私の方法で、それの答を探してきたが、答は曖昧模糊としているし、それを防ぐために何かをやってきたかもしれないが、一方では何も出来ていないのかもしれない。特に現代の情勢は、それを見事に証明している。
私は黒面法師が遂に真宗に帰依するラストを想像していた。そう思うのは、やはり私の人生経験の浅はかさだったのかもしれないし、そもそも「他力」がわかっていないからなのかもしれない。
この長編は、主な登場人物すべてが(親鸞をのぞいて)「往生」する描写が無く終わっている。まことに不思議な宗教小説と言わねばならない。しかし、それこそが五木寛之の誠実さの現れのように思えるし、これはそもそも著者のいうように碑史小説であって、まさに仏の教えに近づくための方便としての「唱導」のようなものだったのだと思う。
2016年5月30日読了
唯円は親鸞をみつめた。親鸞は首をふった。
「いや、からかってなどはいない。そなたが、わたしのいうことならなんでもしたがう、と自信たっぷりに答えたからたずねている。もう一度きく。わたしがそうせよ、というたら、そなた、人を千人殺せるか」
唯円は力なく首をふった。
「できませぬ」
「それは、そなたが善人だからか。人を千人殺すほどの悪人ではないからか」
唯円は黙っていた。親鸞は言葉をつづけた。
「人ひとりも殺せぬ、というのは、そなたが善き心の持ち主だからではない。人は自分の思うままにふるまうことはできぬのだ。人はみずからの計らいをこえた大きな力によって左右されることがある。こうしようと願ってそうできるとか、ああはしまいと決めて避けられるとかいうものではない。絶対にこれだけはやめようと誓いつつも、そこへはいりこむこともある。だから、善人、悪人などと人を簡単に分けて考えてはならぬ。そなたとて、人を殺すなど決してしまいと思っていても、本当はわからないのだ。いつ人殺しをするかもしれない。それを業のせいである、という。しかし、業とは、世間でいう宿命ではない。結果には必ず原因がある、ということだ。人は決してわが計らうままに生きられない。その願うとおりにならないことを、業をせおっているというのだよ。そなたも、わたしも、大きな業をせおって生きておる。そのおそれと不安のなかにさしてくる光を、他力、という。救われる、というのは、そういうことではないか。わたしは、そう信じているのだ」
唯円はだまって親鸞の言葉をきいていた。あたりの闇が、いっそう深くなった。(49-50p)
この2人の問答が、実質この長編「親鸞」6冊のクライマックスだったのかもしれない。しかし物語はこのあと、善鸞義絶事件、竜大山遵念寺での竜夫人、親鸞と覚蓮坊との対決、そして親鸞の影法師ともいえる黒面法師との最終対決の怒涛の展開を見せるのである。
中学生の時に吉川英治「親鸞」を読んで続けざまに「歎異抄」「出家とその弟子」を読んだ夜から、40年近くが経った。
なぜ人を殺してはいけないなのか。
どうして普通の人が何千人何百万人も殺す戦争が起こるのか。
私は私の方法で、それの答を探してきたが、答は曖昧模糊としているし、それを防ぐために何かをやってきたかもしれないが、一方では何も出来ていないのかもしれない。特に現代の情勢は、それを見事に証明している。
私は黒面法師が遂に真宗に帰依するラストを想像していた。そう思うのは、やはり私の人生経験の浅はかさだったのかもしれないし、そもそも「他力」がわかっていないからなのかもしれない。
この長編は、主な登場人物すべてが(親鸞をのぞいて)「往生」する描写が無く終わっている。まことに不思議な宗教小説と言わねばならない。しかし、それこそが五木寛之の誠実さの現れのように思えるし、これはそもそも著者のいうように碑史小説であって、まさに仏の教えに近づくための方便としての「唱導」のようなものだったのだと思う。
2016年5月30日読了
2018年5月8日に日本でレビュー済み
本書は、2014年11月に講談社から刊行された単行本を、
2016年5月の文庫化にともない一部加筆したものです。
五木氏は全6巻で、貧しい人々を救おうとする親鸞と、親鸞を敵視する高僧との思想的な対立を通し、
専修念仏とは何かに迫ろうとしているそうです。
また、宗門からは「フィクションは多々あるが、親鸞思想の根本を踏み外してはいない」との評価を受けているそうです。
この巻は、親鸞の長子・善鸞が、関東からの誘いを受け、関東に下る話から始まり、親鸞の死で幕を閉じます。
話は、実在した人物が登場するものの、架空の人物を交えたフィクションで、
伝奇小説のため史実とは異なる五木氏独自の世界が広がっていますが、
親鸞の念仏に関する考えは、いろんな人との会話の中で噛み砕いて語られています
2016年5月の文庫化にともない一部加筆したものです。
五木氏は全6巻で、貧しい人々を救おうとする親鸞と、親鸞を敵視する高僧との思想的な対立を通し、
専修念仏とは何かに迫ろうとしているそうです。
また、宗門からは「フィクションは多々あるが、親鸞思想の根本を踏み外してはいない」との評価を受けているそうです。
この巻は、親鸞の長子・善鸞が、関東からの誘いを受け、関東に下る話から始まり、親鸞の死で幕を閉じます。
話は、実在した人物が登場するものの、架空の人物を交えたフィクションで、
伝奇小説のため史実とは異なる五木氏独自の世界が広がっていますが、
親鸞の念仏に関する考えは、いろんな人との会話の中で噛み砕いて語られています
2020年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本屋でなかなか見つからず、手に入って嬉しかったです。ただ、Amazonの梱包材付きの封筒に、裸のままの本が4冊無造作に入っている状態で届きました。輪ゴムで止めるでもなくビニールで包まれてもいなく、袋を振ると本が上下左右に動く状態です。幸い表紙もページも折り目はついていなくて無事でしたが、余り気持ちの良いものではありませんでした。