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秒速5センチメートル(1) (アフタヌーンKC) コミック – 2010/11/22
熱狂的な支持を受ける新海誠氏の長編アニメーションを漫画化。漫画家は、これがデビュー作ながらも新人離れした実力で繊細で精緻な描写を誇る清家雪子。物語は東京で幕を開け、種子島を経て、また東京へ還る。少年と少女、淡い想いが幼いながらも本物の確信に育ったとき、二人を襲う別れ。遠く離れ、奇跡の再会があったために、その想いが長くふたりを縛ることになる。その出会いは幸福のためにあったのか、それとも呪縛でしかなかったのか。距離と時間が人間を分かち、また出会わせる。1巻で大きな反響を呼んだ恋物語、完結!
遠野貴樹は小学生のとき転校してきた篠原明里と出会う。二人はすぐ意気投合し淡い想いを育む。その気持ちの名前を知らないまま訪れる突然の別れ。明里は栃木へ、貴樹も中学入学後鹿児島へ転校が決まる。幼い想いは本物の恋へ 変わり、二人はそれを確信する。栃木で再会した二人は、距離の遠さ、未来の遠さに将来の希望を実感できない。中高時代を過ごす種子島での新しい出会いが、貴樹に大切な気持ちを与えてくれることになる。
遠野貴樹は小学生のとき転校してきた篠原明里と出会う。二人はすぐ意気投合し淡い想いを育む。その気持ちの名前を知らないまま訪れる突然の別れ。明里は栃木へ、貴樹も中学入学後鹿児島へ転校が決まる。幼い想いは本物の恋へ 変わり、二人はそれを確信する。栃木で再会した二人は、距離の遠さ、未来の遠さに将来の希望を実感できない。中高時代を過ごす種子島での新しい出会いが、貴樹に大切な気持ちを与えてくれることになる。
- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2010/11/22
- 寸法13 x 1.7 x 18.3 cm
- ISBN-104063107116
- ISBN-13978-4063107111
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2010/11/22)
- 発売日 : 2010/11/22
- 言語 : 日本語
- コミック : 236ページ
- ISBN-10 : 4063107116
- ISBN-13 : 978-4063107111
- 寸法 : 13 x 1.7 x 18.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 129,454位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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1973年長野県生まれ。映画監督・映像作家。ゲーム会社に勤める傍ら、自主制作アニメーション『ほしのこえ』を2002年に発表、数々の賞を受賞。04 年に『雲のむこう、約束の場所』で、毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。07年『秒速5センチメートル』を公開し、ロングラン上映を記録。 『小説・秒速5センチメートル』で小説家としてもデビュー(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『ほしのこえ The voices of a distant star』(ISBN-10:4840131376)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
10代は1巻を読み、 20代は2巻を読んで欲しいと切に願いたい。
恋を思い出に変えられた人、
恋が鎖になってしまう人、
恋の壁を乗り越えられない人、
恋の実がなるのを待つ人、
それぞれが主人公の胸を締め付けるストーリー。
日本人だからこそ解る感情の美しさ、駅のホーム、ヨーグルッペ、ロケットに自分を投影し涙を流す自分。
何故泣けるのか?私と同じだったから。
デートの時も、転勤で地方に行く時も、好きなあの人が住むあの街へ行く時も、私の街へ会いにきた恋人を
別れで泣き崩れた私を、電車は優しく運んでくれた。
そして感性や気持ち、言えなかった言葉は好きだったあの人が住んでた街の駅のホーム、職場の駅へ荷物として置いていった。
無理して忘れようとして、日々の生活、青年から社会人へと、
数年後新しい恋をしてこれが現実なんだ理想なんだと思い、ふと入った古本屋。
気が付くと私はこの本を手に取っていた。そして涙した。
同じ気持ちでいてくれた主人公がいたからだ。
桜は咲くがやがて散る。散った桜を一生懸命拾う人はいない。散る時こそ最も美しいからだ。
だが、思い出は散っても拾うことは出来る。自分が本当に愛し、傷ついても愛したいからだ。
人は愛し、愛されることで大人になれる。忘れてしまった純粋な気持ち、自分に誠実であることを取り戻せるのだ。
好きと言う気持ちは一人では成し得ない。様々な人が自分を愛してくれ、応援してくれ、犠牲になってくれるからこそ昇華するのだ。
辛い時辛いのは自分だけではない。あなたを好きでいてくれる人もまた辛いのだ。
私をまた一歩大人にしてくれた作品である。
置き忘れた荷物を取りに行ける私にしてくた作品である。
どこかで偶然にあの人に会っても恥ずかしくない人間になりたいと私は思います。
余談だが
普段何気なく買っているヨーグルッペにカナエの強い思いが篭っている事を知り
これ以降私は正座してヨーグルッペを飲むようにしている。
本編はここからじゃないかと思う。
恋を思い出に変えられた人、
恋が鎖になってしまう人、
恋の壁を乗り越えられない人、
恋の実がなるのを待つ人、
それぞれが主人公の胸を締め付けるストーリー。
日本人だからこそ解る感情の美しさ、駅のホーム、ヨーグルッペ、ロケットに自分を投影し涙を流す自分。
何故泣けるのか?私と同じだったから。
デートの時も、転勤で地方に行く時も、好きなあの人が住むあの街へ行く時も、私の街へ会いにきた恋人を
別れで泣き崩れた私を、電車は優しく運んでくれた。
そして感性や気持ち、言えなかった言葉は好きだったあの人が住んでた街の駅のホーム、職場の駅へ荷物として置いていった。
無理して忘れようとして、日々の生活、青年から社会人へと、
数年後新しい恋をしてこれが現実なんだ理想なんだと思い、ふと入った古本屋。
気が付くと私はこの本を手に取っていた。そして涙した。
同じ気持ちでいてくれた主人公がいたからだ。
桜は咲くがやがて散る。散った桜を一生懸命拾う人はいない。散る時こそ最も美しいからだ。
だが、思い出は散っても拾うことは出来る。自分が本当に愛し、傷ついても愛したいからだ。
人は愛し、愛されることで大人になれる。忘れてしまった純粋な気持ち、自分に誠実であることを取り戻せるのだ。
好きと言う気持ちは一人では成し得ない。様々な人が自分を愛してくれ、応援してくれ、犠牲になってくれるからこそ昇華するのだ。
辛い時辛いのは自分だけではない。あなたを好きでいてくれる人もまた辛いのだ。
私をまた一歩大人にしてくれた作品である。
置き忘れた荷物を取りに行ける私にしてくた作品である。
どこかで偶然にあの人に会っても恥ずかしくない人間になりたいと私は思います。
余談だが
普段何気なく買っているヨーグルッペにカナエの強い思いが篭っている事を知り
これ以降私は正座してヨーグルッペを飲むようにしている。
本編はここからじゃないかと思う。
2015年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新海誠の「秒速5センチメートル」の漫画版である。
絵は柔らかな繊細さがあり、新海誠の画風に比べるとシャープさには欠けるが、より感情が豊かであり、漫画版としては好適だ。
1巻は「コスモナウト」まで。すべての始まりの「第一話・桜花抄」と、今を語る「第三話・秒速5センチメートル」の間に位置する「第二話・コスモナウト」だが、私は、三話のなかでは「第二話・コスモナウト」を推している。
作品には映画版よりも尺の長い作りであり、小説版に近い。
明里の温和で控えめだが貴樹に対する確固とした恋愛感情と、大人しく理知的であるため自分に住む場所を選択する権限が無いことを理解し受け入れざるを得ないと諦めている本人の性格が、強調こそされてはいないもののはっきりとした輪郭で描かれている。
貴樹に対してはどうだろうか。二人は気づかないうちに、そして伝えないうちにお互い強く惹かれあうようになっていた。二人でいる間は、伝える必要さえないほど自明のものだったのかもしれないし、また止めようも無く押し寄せる好意を明確に伝えられるほど二人は成熟していなかったのも事実だ。ここに悲劇の原点がある。
彼が失ったものの大きさに本当に気づいたのは、岩舟の駅で明里と別れた時だ。そして種子島の5年間は、それを自らに思い知らしめるための時間だった。
「コスモナウト」における貴樹の心理描写は、おそらく映画版以上に精緻である。いくつかの描写に、失ったものの大きさに恐れ慄いたまま身動き出来きず、それを他者に見せようとしない貴樹の臆病な自尊心と自己愛と表裏一体となった深い失望が透けて見える。
この時期の貴樹にとって、「それが明里であったら」が一つの基準であったと思う。通う高校、隣にいる女の子、全てが彼にとって拭い難い違和感と共にあったのではないか。
その場に本当の意味で順応し、いま隣にいる女の子の愛情を受け入れられるほど、当時の彼には精神的な余裕はなかったし、それが「明里への諦め」を明確化する事になる点を恐れた様に思える。
しかし、彼が名実共に完全に立ち直るチャンスは後にも先にも、あの夏の日にしかなかったのではないかと私は思う。
ただ、あの時は失ったものの大きさに恐々として身動き一つ取れなかった貴樹を責めるのは必ずしも公平ではないし、無論のこと大好きな男の子への告白を何年も躊躇う女の子に「貴方の好きな私の知らない誰かより、私の方が絶対に貴方を好き。」と言えなかった花苗に非を鳴らすわけにもいかない。
花苗は貴樹だけを見つめており、貴樹はもはや抽象化してしまった明里という名の虚空だけを見つめていた。
だから私は「秒速5センチメートル」で「コスモナウト」が一際残酷な美しさを放っていると感じる。
本巻をお教え頂いた畏友との酒の席で、本巻にはまだ収録されていないエピソード~貴樹が水野と岩舟を訪れる~があると伺った。小説版には無いエピソードである。本作は小説版にも映画版にも無いシーンがいくつか挿入されておりいずれも作品に深みを与えていたが、これは非常に重要で示唆的な追加だ。
なぜなら、岩舟は確かに彼の半生の原点となった場所ではあるが、貴樹の最も汚い部分などでは無いと思えるからだ。むしろ、最も美しい部分ではないのか。彼がその後何年も苦しまざるをえなかったほどに。
私は貴樹は水野を岩舟ではなく種子島に連れて行くべきだったと思う。そこであのロケットの丘に立ち、「僕はここで自分の臆病な自尊心と、自分の境遇に対する自己愛的な焦燥感のために、自分を心から好きでいてくれた女の子の思いを裏切った。」と言うべきであったと。だからこそ、岩舟を選んだ貴樹を水野は信じきれなかったのかもしれない。
次巻で語られる「第三話・秒速5センチメートル」がどのような結末であるかを私は既に知っている。しかし、恐らくは何も知らなかった場合と何ら変わらない気持ちで読むことが出来るだろう。
読む人の思い出に直接語りかける。「秒速5センチメートル」とは、そんな物語である。
絵は柔らかな繊細さがあり、新海誠の画風に比べるとシャープさには欠けるが、より感情が豊かであり、漫画版としては好適だ。
1巻は「コスモナウト」まで。すべての始まりの「第一話・桜花抄」と、今を語る「第三話・秒速5センチメートル」の間に位置する「第二話・コスモナウト」だが、私は、三話のなかでは「第二話・コスモナウト」を推している。
作品には映画版よりも尺の長い作りであり、小説版に近い。
明里の温和で控えめだが貴樹に対する確固とした恋愛感情と、大人しく理知的であるため自分に住む場所を選択する権限が無いことを理解し受け入れざるを得ないと諦めている本人の性格が、強調こそされてはいないもののはっきりとした輪郭で描かれている。
貴樹に対してはどうだろうか。二人は気づかないうちに、そして伝えないうちにお互い強く惹かれあうようになっていた。二人でいる間は、伝える必要さえないほど自明のものだったのかもしれないし、また止めようも無く押し寄せる好意を明確に伝えられるほど二人は成熟していなかったのも事実だ。ここに悲劇の原点がある。
彼が失ったものの大きさに本当に気づいたのは、岩舟の駅で明里と別れた時だ。そして種子島の5年間は、それを自らに思い知らしめるための時間だった。
「コスモナウト」における貴樹の心理描写は、おそらく映画版以上に精緻である。いくつかの描写に、失ったものの大きさに恐れ慄いたまま身動き出来きず、それを他者に見せようとしない貴樹の臆病な自尊心と自己愛と表裏一体となった深い失望が透けて見える。
この時期の貴樹にとって、「それが明里であったら」が一つの基準であったと思う。通う高校、隣にいる女の子、全てが彼にとって拭い難い違和感と共にあったのではないか。
その場に本当の意味で順応し、いま隣にいる女の子の愛情を受け入れられるほど、当時の彼には精神的な余裕はなかったし、それが「明里への諦め」を明確化する事になる点を恐れた様に思える。
しかし、彼が名実共に完全に立ち直るチャンスは後にも先にも、あの夏の日にしかなかったのではないかと私は思う。
ただ、あの時は失ったものの大きさに恐々として身動き一つ取れなかった貴樹を責めるのは必ずしも公平ではないし、無論のこと大好きな男の子への告白を何年も躊躇う女の子に「貴方の好きな私の知らない誰かより、私の方が絶対に貴方を好き。」と言えなかった花苗に非を鳴らすわけにもいかない。
花苗は貴樹だけを見つめており、貴樹はもはや抽象化してしまった明里という名の虚空だけを見つめていた。
だから私は「秒速5センチメートル」で「コスモナウト」が一際残酷な美しさを放っていると感じる。
本巻をお教え頂いた畏友との酒の席で、本巻にはまだ収録されていないエピソード~貴樹が水野と岩舟を訪れる~があると伺った。小説版には無いエピソードである。本作は小説版にも映画版にも無いシーンがいくつか挿入されておりいずれも作品に深みを与えていたが、これは非常に重要で示唆的な追加だ。
なぜなら、岩舟は確かに彼の半生の原点となった場所ではあるが、貴樹の最も汚い部分などでは無いと思えるからだ。むしろ、最も美しい部分ではないのか。彼がその後何年も苦しまざるをえなかったほどに。
私は貴樹は水野を岩舟ではなく種子島に連れて行くべきだったと思う。そこであのロケットの丘に立ち、「僕はここで自分の臆病な自尊心と、自分の境遇に対する自己愛的な焦燥感のために、自分を心から好きでいてくれた女の子の思いを裏切った。」と言うべきであったと。だからこそ、岩舟を選んだ貴樹を水野は信じきれなかったのかもしれない。
次巻で語られる「第三話・秒速5センチメートル」がどのような結末であるかを私は既に知っている。しかし、恐らくは何も知らなかった場合と何ら変わらない気持ちで読むことが出来るだろう。
読む人の思い出に直接語りかける。「秒速5センチメートル」とは、そんな物語である。
2019年4月5日に日本でレビュー済み
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小説版とアニメーション版を観てから購入しました。前半の甘酸っぱくてドキドキする部分(男性目線)が納められているので、原作を既に読み終えた男性の方にはオススメ出来ると思います。
2018年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今更、知らない人もいるかもしれませんが、あえて、書きます。個人的には、この作品は、初恋に縛られてしまった男の話です。これさえ理解して観れば、意識してない行動で女性を泣かせる理由がわかると思います。例えが悪いかもしれませんが、ある意味、シャァと似てるのではないかと思う(遠野くんは復讐はしません。これのコメントに対しては、異論もあるでしょう)
2017年1月20日に日本でレビュー済み
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アニメ版は視聴した後に猛烈な喪失感を味わうことで鬱アニメとして有名ですが、漫画版はアニメ版では語られなかったエピソードや後日談により、アニメ版で疑問だった部分が見事に説明されています。
それも二次作品のように取ってつけたような内容ではなく、バラバラだったパズルが全て埋め合わさるかのように辻褄合った説明がされます。
ストーリーに筋が通っており、とてもスッキリとするのですが、筋の通った漫画版はもはや考察や妄想の余地を許すこともなく、ミステリアスさは失われて、主人公への感情移入もできなくなってしまいます。
全てが解き明かされたストーリーは平凡そのものであり、全てが説明された後アニメを見ると、単に映像が綺麗なだけの作品になってしまいます。
まず、アニメを見て後味の悪さを味わい尽くしすだけ味わったあとで、事後療法としてぜひ読んでほしい作品です。
それも二次作品のように取ってつけたような内容ではなく、バラバラだったパズルが全て埋め合わさるかのように辻褄合った説明がされます。
ストーリーに筋が通っており、とてもスッキリとするのですが、筋の通った漫画版はもはや考察や妄想の余地を許すこともなく、ミステリアスさは失われて、主人公への感情移入もできなくなってしまいます。
全てが解き明かされたストーリーは平凡そのものであり、全てが説明された後アニメを見ると、単に映像が綺麗なだけの作品になってしまいます。
まず、アニメを見て後味の悪さを味わい尽くしすだけ味わったあとで、事後療法としてぜひ読んでほしい作品です。
2017年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
DVDと同時購入ですがコミックスもよかったです。雰囲気がいいですね。