この本はエッセイといった内容に近く、哲学界の重鎮と言われる著者とは裏腹に、堅苦しさも全くない。
中身は「記憶について」とか「死について」、「理性について」という風に、数ページ単位で、著者の見解を綴っていく形になっている。
この中で個人的に面白かったのは「笑いについて」だ。
あまり笑いについて能書きを垂れるのも野暮なのだが、ここで面白いのは坂口安吾の引用文だ。
「正しい道化は人間の存在自体がはらんでいる不合理や矛盾の肯定から始まる。(…)合理の世界が散々持て余した不合理を、もはや精根つきはてたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑い飛ばしてしまおうというわけである。」
これを踏まえた後に、よく笑う人間は、不合理を知っているからペシミスト(悲観主義)だ!という主張を言うために、木田は次のようなエピソードを話し始めた。
「同じ研究室に、あまり笑うこともなく、年中不平不満ばかり並べている同僚がいた。だが、その同僚のことを聞いていると、自分ほどの人間はもっといい下宿に住めていいはずだとか、自分ほどの人間には当然どこかの大学から声がかかってきていいはずだとか、自分ほどの男には美しい恋人が現れてきていいはずだといった話ばかり、勝手にしてくれと言いたくなる。つまり自分に関しては恐ろしく楽天的なのである。自分に関してこれほどオプティミスティック(楽観主義)な見方ができるからこそ、あたりに対してペシミスティックになるという仕組みがよくわかった。」
まぁ、総じてやや哲学的なエッセイですな。結構楽しく読めました。
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新人生論ノート (集英社新書) 新書 – 2005/2/17
木田 元
(著)
あなたの人生を深めるためにハイデガー哲学の第一人者がやさしく語った、故郷、記憶、運命、笑い、死、性格……
戦後六十年にわたって、ハイデガーをはじめとする西欧の哲学や思想に向き合ってきた、哲学者木田元。本書は、著者が培ってきた思想のエッセンスをわかりやすく開陳した、ユーモアと機智に富んだ一冊である。 故郷、記憶、運命、笑い、人生行路の諸段階、死、理性、性格、読書、自然、戦争体験、遊び、そして時間─。人生にまつわる十三のテーマは、現代日本屈指の哲学者の目にどう映ったのか。古今東西の古典から、時にはテレビドラマや流行歌の一節までを交えて軽やかに語った、味わい深い人生の書。
[著者情報]
木田 元 (きだ げん)
一九二八年生まれ。東北大学文学部哲学科卒業。中央大学名誉教授。フッサール、メルロ=ポンティ、ハイデガー等を中心に、独仏の現代思想に関する幅広い研究と翻訳を続ける。著書に『現象学』『メルロ=ポンティの思想』『ハイデガーの思想』『反哲学史』『ハイデガー「存在と時間」の構築』『偶然性と運命』『マッハとニーチェー世紀転換期思想史』『闇屋になりそこねた哲学者』ほか多数。
戦後六十年にわたって、ハイデガーをはじめとする西欧の哲学や思想に向き合ってきた、哲学者木田元。本書は、著者が培ってきた思想のエッセンスをわかりやすく開陳した、ユーモアと機智に富んだ一冊である。 故郷、記憶、運命、笑い、人生行路の諸段階、死、理性、性格、読書、自然、戦争体験、遊び、そして時間─。人生にまつわる十三のテーマは、現代日本屈指の哲学者の目にどう映ったのか。古今東西の古典から、時にはテレビドラマや流行歌の一節までを交えて軽やかに語った、味わい深い人生の書。
[著者情報]
木田 元 (きだ げん)
一九二八年生まれ。東北大学文学部哲学科卒業。中央大学名誉教授。フッサール、メルロ=ポンティ、ハイデガー等を中心に、独仏の現代思想に関する幅広い研究と翻訳を続ける。著書に『現象学』『メルロ=ポンティの思想』『ハイデガーの思想』『反哲学史』『ハイデガー「存在と時間」の構築』『偶然性と運命』『マッハとニーチェー世紀転換期思想史』『闇屋になりそこねた哲学者』ほか多数。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2005/2/17
- ISBN-104087202801
- ISBN-13978-4087202809
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2005/2/17)
- 発売日 : 2005/2/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4087202801
- ISBN-13 : 978-4087202809
- Amazon 売れ筋ランキング: - 256,602位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 243位死生観
- - 517位集英社新書
- - 559位哲学・思想の論文・評論・講演集
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トップレビュー
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2006年5月14日に日本でレビュー済み
大学時代に三木清の人生論ノートにはまって
何度か読み返したことがあり
たまたま書店でぶらぶらしているときに目にとまりました。
いろいろとどれも面白いのですが、
「笑いについて」
が特に好きです。
自分は哲学者でも何でもないですが、
なぜ人が笑うのか?「そりゃあ面白いから」
などと答える程度の人間で、今まで考えたことも
なかったのですが、
ここに書かれている笑いについての考察をよむと
おもわず、「ホー」と納得してしまいました。
そのほか、今まで手に取ろうと思いもしなかったような
哲学書もこの本でいろいろと紹介されているくだりをよむと
思わず紐解いてみたくなりますよ。
何度か読み返したことがあり
たまたま書店でぶらぶらしているときに目にとまりました。
いろいろとどれも面白いのですが、
「笑いについて」
が特に好きです。
自分は哲学者でも何でもないですが、
なぜ人が笑うのか?「そりゃあ面白いから」
などと答える程度の人間で、今まで考えたことも
なかったのですが、
ここに書かれている笑いについての考察をよむと
おもわず、「ホー」と納得してしまいました。
そのほか、今まで手に取ろうと思いもしなかったような
哲学書もこの本でいろいろと紹介されているくだりをよむと
思わず紐解いてみたくなりますよ。
2008年2月27日に日本でレビュー済み
死にそうな目にあうと、あるいは死の直前に
過去の記憶が一瞬のうちに走馬灯のように
よみがえる・・・という「迷信?」
はベルグソンが発信源だそうだ。
木田氏は
いくら偉大な哲学者が言っていることでも
「おかしなことはおかしいとおもうべきであろう。」
と述べる。
この人の発言は信頼してもよいと感じたました。
過去の記憶が一瞬のうちに走馬灯のように
よみがえる・・・という「迷信?」
はベルグソンが発信源だそうだ。
木田氏は
いくら偉大な哲学者が言っていることでも
「おかしなことはおかしいとおもうべきであろう。」
と述べる。
この人の発言は信頼してもよいと感じたました。
2009年4月19日に日本でレビュー済み
故郷、記憶、運命、笑いについて、自分の体験と交えながら、彼の研究がどのように展開してきたかについて述べている。
あまりにもの正直さに苦笑するところもあるが、哲学哲学していなくて、分野外の人には入りやすい本だと思う。
あまりにもの正直さに苦笑するところもあるが、哲学哲学していなくて、分野外の人には入りやすい本だと思う。
2005年4月4日に日本でレビュー済み
著者がいなければ、ハイデガーは現代日本での読者を相当数失っていたと思われる。本書は、ハイデガーを中心に幅広い研究・翻訳を世に出し続ける木田氏の人生論ノートである。
哲学者というイメージから想像される高踏的・衒学的なところは木田氏の文章にはなく、自らの人生を踏まえて、俗物的なところ・悟りすませないところを隠しもしない。各章のテーマである故郷・記憶・運命・笑い・人生行路の諸段階・死・理性・性格・読書・自然・戦争体験・遊び・時間といったトピックスに興味を持った人なら、読んで損はしないと思われる。エリートでもなんでもない庶民が共感できる哲学者は、日本広しと言えどもなかなかいない。
平易で穏やかな文体の中で、この人は教師としてはなかなか厳しい人物なのだろうな、とうかがわせるくだりもあって、そこがかえって興味深い。「性格について」の章にもあるように、他人の押し付ける性格などにわずらわされず、自分の関心を大切にして生きていきたいものである。
哲学者というイメージから想像される高踏的・衒学的なところは木田氏の文章にはなく、自らの人生を踏まえて、俗物的なところ・悟りすませないところを隠しもしない。各章のテーマである故郷・記憶・運命・笑い・人生行路の諸段階・死・理性・性格・読書・自然・戦争体験・遊び・時間といったトピックスに興味を持った人なら、読んで損はしないと思われる。エリートでもなんでもない庶民が共感できる哲学者は、日本広しと言えどもなかなかいない。
平易で穏やかな文体の中で、この人は教師としてはなかなか厳しい人物なのだろうな、とうかがわせるくだりもあって、そこがかえって興味深い。「性格について」の章にもあるように、他人の押し付ける性格などにわずらわされず、自分の関心を大切にして生きていきたいものである。
2005年3月26日に日本でレビュー済み
ハイデッガーの研究者としか知らなかった著者の面白い横顔がうかがえ
る。軽いエッセイの体裁をとっているが、端々に哲学のテーマがほと
ばしり出ている。中途半端な哲学入門書よりもお勧めである。しかし、
この著者の翻訳でハイデッガー「存在と時間」をじっくり読みたくなってきた。
る。軽いエッセイの体裁をとっているが、端々に哲学のテーマがほと
ばしり出ている。中途半端な哲学入門書よりもお勧めである。しかし、
この著者の翻訳でハイデッガー「存在と時間」をじっくり読みたくなってきた。
2021年11月10日に日本でレビュー済み
木田元は戦後の混乱期、海軍兵学校を卒業してもいく場がなく、父も大陸から引き上げて来ず、闇屋で危険な綱渡りをしながら生きてきたのは有名な話だ。本書のなかで、戦後のその時期によく笑っていたと木田は述懐する。
第四章「笑いについて」の中で、ベルクソンの「社会的矯正としての笑い」や、スタンダールの「優越感にもとづく笑い」を挙げた後、戦後のあの時期の笑いを最もぴったりと言い表しているのが、それらのどれでもなく、坂口安吾の言う笑いだと木田は語る。
「道化は昨日は笑ってはいない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない」そう安吾が言うように、「その場での超越」を笑いがもたらしていたと。
戦後のあのころ、私は笑いころげることによって、どこに逃げ出せるわけではないが、悲惨な現実にとりこまれて窒息するのをまぬがれようと、必死になって「その場での超越」を試みていたような気がするのだ。(p.66)
闇屋になったり、ホームレスに近い暮らしをして、「いざとなれば自分がどんなことを考え、どの程度のことまでできるか見きわめがついたので、いまさら気どってみてもはじまらない」(p.70)という、自分自身に対するペシミズムが根にあって、それだからこそ、あの時期笑わずにはいられなかったし、現在も周囲に対してオプティミストでいられると木田は言う。
第四章「笑いについて」の中で、ベルクソンの「社会的矯正としての笑い」や、スタンダールの「優越感にもとづく笑い」を挙げた後、戦後のあの時期の笑いを最もぴったりと言い表しているのが、それらのどれでもなく、坂口安吾の言う笑いだと木田は語る。
「道化は昨日は笑ってはいない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない」そう安吾が言うように、「その場での超越」を笑いがもたらしていたと。
戦後のあのころ、私は笑いころげることによって、どこに逃げ出せるわけではないが、悲惨な現実にとりこまれて窒息するのをまぬがれようと、必死になって「その場での超越」を試みていたような気がするのだ。(p.66)
闇屋になったり、ホームレスに近い暮らしをして、「いざとなれば自分がどんなことを考え、どの程度のことまでできるか見きわめがついたので、いまさら気どってみてもはじまらない」(p.70)という、自分自身に対するペシミズムが根にあって、それだからこそ、あの時期笑わずにはいられなかったし、現在も周囲に対してオプティミストでいられると木田は言う。