本書は、三つのインタビューと二つの論文で構成されている。インタビュアーは岡崎玲子氏。ジジェクは、国際情勢や科学技術に留まらず、大衆文化も含む、あらゆる分野を専門知識によって鋭く斬りつける哲学者である。インタビューは、母国スロヴェニアでの、ジジェクのマンションの自室で行われた。
ジジェクは、とりわけ発言の一部を取り上げられた場合に勘違いの生じる可能性の高い人だ。もっとも、本人はそのことを開き直ってはいる。けれども、彼の真意がどこにあるかを知る上で、本書の三つのインタビューは貴重である。また、日本に対する彼の興味を窺い知ることもできる。
さて、ジジェクは根源的に思考する人である。偽善を嫌うという彼の姿勢こそが、大多数の人々が自明の前提として受け入れている<常識>の本質をえぐる問題提起を生みだしているという岡崎さんの印象に私も同意したい。一言で言えば、彼は「ちゃぶ台返し」の人である。
論文「パリ暴動と関連事項にまつわる、物議を醸す考察」では、その姿勢が十二分に発揮されている。また、そこで扱われている事件についての考察は、時間が経過して事件自体の印象が薄れても、問題を扱う考え方自体は風化しないので、いつ読んでも示唆を与えてくれる。
現代社会には多くの問題があるが、その際に「即座に行動を起こさなければならない」という強迫観念に駆り立てられる。しかし、それに屈してはならないとジジェクは言う。この行動に駆り立てる強迫観念を疑い、抵抗するように呼びかけるのは、これが支配的な資本主義的イデオロギーの一部を構成するようになっているからである。反対に、ジジェクは一歩下がって反省するために、理論が必要だと訴える(そのためには、一にも二にも勉強である)。何が必要かを知ることが大事なのだ。このことから、哲学者の役割とは、解決策の提示ではなく、問題そのものを問い直すことと、我々がこれまで認識していたイデオロギー的枠組みの転換であるという彼の信念がうかがえる。
この暴力とそれを考察するために理論が必要だという主張は、昨年翻訳の出た『暴力』において深められている。また、これは、「暴力の分類と責任論」というインタビューとも密接なつながりのあることを指摘しておきたい。
また、本書では、哲学思想を日常化するという未開拓のジャンルが極められていく過程を見ることができる。だから、ジジェクは難解なラカン理論を援用する際も、読者の理解を助けるために、映画作品による例証を好んで行う。自分の持てるリソースを余すところなく使う姿勢から、評者は「街場の現代思想家」である内田樹先生を想起した。ちなみに、評者は内田先生と鈴木晶先生の『大人は愉しい』でジジェクの名前を知った。
論文「人権の概念とその変遷」でなされていた、聖書の説く「隣人」についての考察がキリスト者の評者にとっては興味深かった。聖書の「隣人」とは、ニューエイジ思想が説くような自身の鏡像または自己実現のための手段でもないし、想像上の同類・代役でもない。そうではなくて、トラウマを与える<もの>としての隣人に聖書は言及しているのだ。
これはレヴィナス派の主要なモティーフだが、レヴィナスが決して論題とすることのできなかった点が面と向かった対人関係では捉えることのできない次元にある、非−人間そのものだという点に、ジジェクの炯眼がある。レヴィナスがどうしてもその次元を論題とすることができなかったのはなぜか。彼が強制収容所の生還者ではなく(彼の親族は強制収容所で殺されたが)、安全な距離を保って惨事を見守っていたことに罪の念を感じる者だからである。レヴィナスに対するジジェクの批判は厳しいが、<非−人間>、人間的な関与の能力を奪われた<他者>を考察することなしに、人権の概念の改鋳はできない。そして、このことは、ジョルジョ・アガンベンの「ホモ・サケル」という観念ともつながっている。「隣人」は、頗る現代的な論件であることを再確認させてくれる論文である。
ハードカバーのジジェクの本に手が届かないという方は、本書から手に取られると良いだろう。彼の肉声が読めるというのが本書の手柄だと思う。
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人権と国家 ―世界の本質をめぐる考察 (集英社新書) 新書 – 2006/11/17
スラヴォイ・ジジェク
(著),
岡崎 玲子
(翻訳)
あの知の巨人が、新書に登場!
あらゆる分野における鋭い批評で世界的に知られ、著作が多数邦訳されている哲学者ジジェク。故郷スロヴェニアで敢行した岡崎玲子によるオリジナル・ロングインタビューと論文で構成する超話題作。
あらゆる分野における鋭い批評で世界的に知られ、著作が多数邦訳されている哲学者ジジェク。故郷スロヴェニアで敢行した岡崎玲子によるオリジナル・ロングインタビューと論文で構成する超話題作。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2006/11/17
- ISBN-104087203670
- ISBN-13978-4087203677
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2006/11/17)
- 発売日 : 2006/11/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4087203670
- ISBN-13 : 978-4087203677
- Amazon 売れ筋ランキング: - 508,100位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 221位その他の西洋思想関連書籍
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- - 996位集英社新書
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年1月14日に日本でレビュー済み
ジジェクの論文、
「パリ暴動と関連事項にまつわる、物議を醸す考察」と
「人権の概念とその変遷」の二本と、
彼の自宅でのインタビューが収録されています。
ジジェクの著書を読むのは初めてなので、
予定調和的に自分が予想する論理展開とかなり異なる
彼の論理展開に驚かされました。
特にインタビューでの発言に。
ただインタビューの中で、自分が表明した意思や論文は
誰かの思考を促すために行ってたことで、
自身のほんとうの考えとは異なる、とあり
どこまで彼の発言を間にうけていいのかも考えさせられました。
繰り返し、彼が述べているように、
人が考えるためのエポックメイキングなのかもしれませんが。。。
「パリ暴動と関連事項にまつわる、物議を醸す考察」と
「人権の概念とその変遷」の二本と、
彼の自宅でのインタビューが収録されています。
ジジェクの著書を読むのは初めてなので、
予定調和的に自分が予想する論理展開とかなり異なる
彼の論理展開に驚かされました。
特にインタビューでの発言に。
ただインタビューの中で、自分が表明した意思や論文は
誰かの思考を促すために行ってたことで、
自身のほんとうの考えとは異なる、とあり
どこまで彼の発言を間にうけていいのかも考えさせられました。
繰り返し、彼が述べているように、
人が考えるためのエポックメイキングなのかもしれませんが。。。
2012年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
インタビューと論文が載ってます。インタビューアの岡崎さんはお若いのにジジェクに怯まず素晴らしいです。
2006年11月19日に日本でレビュー済み
インタビューとフランス暴動など時事論考を併せた新書で読みやすい。
書中であるように、ジジェクは東西冷戦終結後の揺り戻し的な共産主義者の復権で現在の好ポストを手に入れたと吹聴している。執筆に専念でき、研究所など(シンクタンクみたいなもの)への名義貸しだけで収入が得られるということだ。
そもそもこの人はいったん話し出すと饒舌なのであろう。前後の整合性にかける話も散見されるが、非常に重要な視点も多く出されている。
そのひとつが、『厄介なる主体』で詳述されていたデカルト擁護。
二つ目が、アカデミズムおよび運動家にまで拡がっている理論軽視の実用主義への反論。「使える」学問の、実践的な知ヘの社会的要請が、NPOなども含めた社会改善運動の「即時に運動を起こさなければ」という存念と手を携えて、理論を貶めていく傾向に警鐘を鳴らしている。「我々がこうしている間にも飢えて死んでゆく子どもたちが居る」という脅迫をとる彼らのメッセージの欺瞞性がイデオロギー的にセットされており、これは我々が主体的に思考することを妨げているとする。「もっと理論を!」というこの指摘の重要性は省みられるべきだ。
これは当然大学を頂点とした教育に対しても大切な視点を提供する。
大学が象牙の塔に閉じ篭って云々の批判を根底的に跳ね返すものである。ジジェクは閉じ篭れと言っているのだ。実世界の経済的課題に対する実用的知見をもたらさなければならないという大学への要求と大学側のその強迫観念は、「大きな災いを引き起こす」と断言さえしている。そしてさらにジジェクは「知識の次元においては何かを創造するためには、目的を持っていては駄目」だという。
我邦の国公立大学は独立行政法人化された。これは多分に一般国民の「民意」を背景としている。学問の実用主義、成果主義、目的主義とともに、公務員と公共機関のリストラが目指されていることは明白である。しかも大学教員たちのさしたる抵抗もなしにこれがなされたように見える。これに抵抗しなくて何が学問かとも思われるのだ。
本書は、ジジェク自身が書中で述べているように問題含みの表現も多々見られる。
グロバリぜーションに絡んだ国家のヘーゲル的擁護や、ユーゴ空爆に対する支持などがそれだ。これらは特に左派からの反論を巻き起こすであろう。なかんずくジャナーリスト左派からの抵抗が強いと思われるのが後者のNATOに関する議論だ。またフランス暴動での時事論考も問題なしとしない。彼らの暴動をヤコブソンの意味論で説いてファシズムに比している部分などだ。
そしてこれらはおそらく非生産的な左派内の醜態的な論争を呼ぶことになるだろう。
ただ、以上の時事的論説・発言は軽率なものがあったとしても、ジジェクの戦略である。またそのように発言している。
こうした問題を含んでいるにしても、今日の世界大の諸状況に対する視点の多くは得がたいリアリティとアイデアに満ちている。ヒステリックな反論よりは、各人の熟考を促すものとなって欲しい。
書中であるように、ジジェクは東西冷戦終結後の揺り戻し的な共産主義者の復権で現在の好ポストを手に入れたと吹聴している。執筆に専念でき、研究所など(シンクタンクみたいなもの)への名義貸しだけで収入が得られるということだ。
そもそもこの人はいったん話し出すと饒舌なのであろう。前後の整合性にかける話も散見されるが、非常に重要な視点も多く出されている。
そのひとつが、『厄介なる主体』で詳述されていたデカルト擁護。
二つ目が、アカデミズムおよび運動家にまで拡がっている理論軽視の実用主義への反論。「使える」学問の、実践的な知ヘの社会的要請が、NPOなども含めた社会改善運動の「即時に運動を起こさなければ」という存念と手を携えて、理論を貶めていく傾向に警鐘を鳴らしている。「我々がこうしている間にも飢えて死んでゆく子どもたちが居る」という脅迫をとる彼らのメッセージの欺瞞性がイデオロギー的にセットされており、これは我々が主体的に思考することを妨げているとする。「もっと理論を!」というこの指摘の重要性は省みられるべきだ。
これは当然大学を頂点とした教育に対しても大切な視点を提供する。
大学が象牙の塔に閉じ篭って云々の批判を根底的に跳ね返すものである。ジジェクは閉じ篭れと言っているのだ。実世界の経済的課題に対する実用的知見をもたらさなければならないという大学への要求と大学側のその強迫観念は、「大きな災いを引き起こす」と断言さえしている。そしてさらにジジェクは「知識の次元においては何かを創造するためには、目的を持っていては駄目」だという。
我邦の国公立大学は独立行政法人化された。これは多分に一般国民の「民意」を背景としている。学問の実用主義、成果主義、目的主義とともに、公務員と公共機関のリストラが目指されていることは明白である。しかも大学教員たちのさしたる抵抗もなしにこれがなされたように見える。これに抵抗しなくて何が学問かとも思われるのだ。
本書は、ジジェク自身が書中で述べているように問題含みの表現も多々見られる。
グロバリぜーションに絡んだ国家のヘーゲル的擁護や、ユーゴ空爆に対する支持などがそれだ。これらは特に左派からの反論を巻き起こすであろう。なかんずくジャナーリスト左派からの抵抗が強いと思われるのが後者のNATOに関する議論だ。またフランス暴動での時事論考も問題なしとしない。彼らの暴動をヤコブソンの意味論で説いてファシズムに比している部分などだ。
そしてこれらはおそらく非生産的な左派内の醜態的な論争を呼ぶことになるだろう。
ただ、以上の時事的論説・発言は軽率なものがあったとしても、ジジェクの戦略である。またそのように発言している。
こうした問題を含んでいるにしても、今日の世界大の諸状況に対する視点の多くは得がたいリアリティとアイデアに満ちている。ヒステリックな反論よりは、各人の熟考を促すものとなって欲しい。
2007年7月21日に日本でレビュー済み
ジジェクのような還元論主義的思弁家ラカニアンに世界の本質を語る資格も能力もない。
2006年12月9日に日本でレビュー済み
その若さで、あのスラヴォイ・ジジェクと渡り合う訳者の岡崎氏には感嘆を禁じえない。
正直、対話になっているのかというと、ジジェクが一方的にしゃべっているだけではあるが、やはりそれも著者の「話を引き出す姿勢」がもたらしているものだろう。
ジジェクの論については、訳者自身も全面的に賛同しているわけではない、というが、実際読む人ごとに評価はことなるだろう。
私は、賛成6割反対4割、といったところ。
ただ、内容云々以前の問題として、訳文のこなれてなさ(特にインタビュー部分)が気になってしょうがない。
ジジェク自身の表現にも問題があるのだろうが、それをうまく汲み取ってこその翻訳であるはず。
途中で読むのが苦痛になってきてしまった。
正直、対話になっているのかというと、ジジェクが一方的にしゃべっているだけではあるが、やはりそれも著者の「話を引き出す姿勢」がもたらしているものだろう。
ジジェクの論については、訳者自身も全面的に賛同しているわけではない、というが、実際読む人ごとに評価はことなるだろう。
私は、賛成6割反対4割、といったところ。
ただ、内容云々以前の問題として、訳文のこなれてなさ(特にインタビュー部分)が気になってしょうがない。
ジジェク自身の表現にも問題があるのだろうが、それをうまく汲み取ってこその翻訳であるはず。
途中で読むのが苦痛になってきてしまった。
2006年12月16日に日本でレビュー済み
かつてアメリカの偉大な文学『白鯨』の中で、エイハブ船長は自らの悪の分身ともいえる巨大な鯨モービイ・ディックを執拗に追い続けた。そして今日アメリカは自らが育てたイラクというオブセッション(強迫観念)にとりつかれている。フロイトが『モーセと一神教』で述べたように、あらゆる国家・共同体は、かつて「抑圧したものの回帰」に絶えず恐怖を感じている。
私は、今日のグローバル資本主義の下で、国民国家が揺らぎ、近代以前の「抑圧されたものの回帰」が起こり始めてきているように思う。その根底の無意識ではあらゆる葛藤・矛盾・闘争が渦巻いている。国家はそれを何とか押し止めよう・抑圧しようと強権支配・管理システムを整えようとしている。中国やロシアではかつての「帝国」(王朝)が地面から再びせり上がってきている。
そして私たち自身は自らの無意識(エス)の「死の欲動」(攻撃性)を制御できなくなりつつある。ジジェクをはじめとするポストモダンのイデオローグはこの状況を鋭く認識している。そして今行動よりも理論が必要とされていると強調する。この本書『人権と国家』は、日本の一市民として異論も含めてこの問題を考えさせる多くの刺激的な毒を盛られた一冊である。
私は、今日のグローバル資本主義の下で、国民国家が揺らぎ、近代以前の「抑圧されたものの回帰」が起こり始めてきているように思う。その根底の無意識ではあらゆる葛藤・矛盾・闘争が渦巻いている。国家はそれを何とか押し止めよう・抑圧しようと強権支配・管理システムを整えようとしている。中国やロシアではかつての「帝国」(王朝)が地面から再びせり上がってきている。
そして私たち自身は自らの無意識(エス)の「死の欲動」(攻撃性)を制御できなくなりつつある。ジジェクをはじめとするポストモダンのイデオローグはこの状況を鋭く認識している。そして今行動よりも理論が必要とされていると強調する。この本書『人権と国家』は、日本の一市民として異論も含めてこの問題を考えさせる多くの刺激的な毒を盛られた一冊である。