江戸後期の高度な版画技術による北斎や広重の風景画ほど日本人の郷愁を誘い、日本人が日本人であることを感じさせる芸術はない。
しかし浮世絵研究は、作家の内面探求よりも、その技巧を中心に論じられることが多い。
原信田実氏は著書『謎解き広重「江戸百」』で広重の制作の動機に分け入り大胆な解釈を施した。
一般的に広重の遺作となった『名所江戸百景』(以下「江戸百」)では、
主に4つの技巧に分類されて語られる。
第一が俯瞰(ふかん)図法(ずほう)。
「江戸百」は従来の横長の風景画と異なり、画面が縦に長い「竪絵」と呼ばれたサイズだった。この版形だと風景の空の部分に大きな空白ができるため、広重は主題を大きく引き寄せ、遠景を俯瞰的に描く、かつてない表現の境地を開いた(「深川(ふかがわ)洲崎(すざき)十万(じゅうまん)坪(つぼ)」他)。
第二は自分視点と主題のクローズアップ。
自分視点とは広重が眼前の風景をそのまま描いた視点だ(浅草金(きん)龍(りゅう)山、市中繁栄七夕祭)。この視点で描かれた絵は、広重の息遣いや浮世絵には珍しい様式にとらわれない画家の「我」を感じる。さらに魚眼レンズのように構図が歪む寸前まで主題をぐっと引き寄せる場合もある(水道橋駿河(するが)台(だい)他)。ゴッホが模写して有名な亀戸梅屋鋪(かめいどうめやしき)の臥(が)龍(りゅう)梅(ばい)の引き寄せ方は、後のシュールレアリスムの誕生を予感させるほどだ。さらに西洋の遠近法をマスターした自由人広重は、視点を自由自在に移動し、世界一の大都市江戸の奥行を表現する(猿わか町夜の景他)。
第三は高度なぼかし技術を駆使して描いた夜景。
『東海道五十三次』で広重は温暖な蒲原(かんばら)(静岡県清水市)の地に雪を降らせ、詩情豊かな世界を創作した。「江戸百」ではさらに進化し、実在しない幻想の世界を描いた(王子(おうじ)装束(しょうぞく)ゑ(え)の木大晦日の狐(きつね)火(び))。
そして極め付けが、世界を魅了したヒロシゲブルーだ。広重はベルリンブルーから転じた「ベロ藍(あい)」と呼ばれた化学染料を愛用し、運河が張り巡らせられた水の都江戸を描いた。
浮世絵では、その技巧はすごいという研究はなされてきたが、そのすごい技巧がなぜ必要とされたのか、という議論が希薄だったのだ。
原信田氏が著書で最も強く指摘したのは、広重の「江戸百」の制作動機は安政の大地震による江戸崩壊にあったとするものだ。安政の大地震は、ペリーが黒船で浦賀に来航した翌年の安政元年(1854年)。まず駿河湾から遠州灘一帯を震源とするM8の東海地震が発生し、翌日紀伊半島沖一帯を震源とするM8の南海地震が連続して発生、大津波に襲われた。そして翌年M7の大地震が江戸を襲い甚大な被害を国中にもたらした。
広重が「江戸百」の制作を始めたのは、江戸の大地震から約三ヶ月後のことであった。広重は江戸の復興を願い、剃髪(ていはつ)し法体(ほったい)となり「江戸百」を「一世一代」の作品として取り掛かった。いままで何気なく鑑賞していた広重の「江戸百」が、その制作の動機や時代背景がわかると、描かれた絵が新たな意味を持ち光彩が放たれる。「江戸百」の完成を遂げることなく広重は病に倒れ死去。10年後の1867年大政奉還がなされ、江戸から明治に移る。
「江戸百」年表
1853年 ペリー来航
1854年(安政元年)安政東海地震、安政南海地震、大津波。
安政元年を年号の下に
1855年 安政江戸地震
1856年 広重『名所江戸百景』連作開始 広重還暦 剃髪 江戸大雨大災害
1858年 大火、日本橋から佃島一帯焼失 江戸にコレラ流行 安政の大獄始まる 広重死去
1860年(万延元年)桜田門外の変
万延元年を年号の下に
1868年 五箇条の御誓文
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<ヴィジュアル版> 謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書) 新書 – 2007/4/17
原信田 実
(著)
全120点一挙掲載えどひゃく(=名所江戸百景)を、読み解いた!
広重の有名な『名所江戸百景』、略して『江戸百』。絵葉書などで今でも大人気の、ご存知江戸浮世絵風景画のシリーズ。
だが、実はこれは、単なる名所の紹介ではなく、ある意図を巧妙に隠し入れたジャーナリスティックな連作だったのだ。本書があぶり出すのは、安政の大地震から復興する江戸庶民の喜怒哀楽、そして安政の大獄や明治維新へとつながっていく江戸末期の社会の姿。豊富な資料を基に新説を打ち出した、著者一世一代の作。巻末には本邦初、制作月順の絵索引で全一二〇点を一挙掲載!
[著者情報]
原信田実(はらしだ みのる)
一九四七年、東京都中央区生まれ。浮世絵研究家、翻訳家。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。国際浮世絵学会会員。二〇〇七年一月没。訳書に『考える看護』『看護とヘルスケアの社会学』(医学書院)、『アンセル・アダムズ写真集成』『広重名所江戸百景』(共訳)(岩波書店)など。共著に『川崎病は、いまーー聞き書き 川崎富作』(木魂社)。
広重の有名な『名所江戸百景』、略して『江戸百』。絵葉書などで今でも大人気の、ご存知江戸浮世絵風景画のシリーズ。
だが、実はこれは、単なる名所の紹介ではなく、ある意図を巧妙に隠し入れたジャーナリスティックな連作だったのだ。本書があぶり出すのは、安政の大地震から復興する江戸庶民の喜怒哀楽、そして安政の大獄や明治維新へとつながっていく江戸末期の社会の姿。豊富な資料を基に新説を打ち出した、著者一世一代の作。巻末には本邦初、制作月順の絵索引で全一二〇点を一挙掲載!
[著者情報]
原信田実(はらしだ みのる)
一九四七年、東京都中央区生まれ。浮世絵研究家、翻訳家。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。国際浮世絵学会会員。二〇〇七年一月没。訳書に『考える看護』『看護とヘルスケアの社会学』(医学書院)、『アンセル・アダムズ写真集成』『広重名所江戸百景』(共訳)(岩波書店)など。共著に『川崎病は、いまーー聞き書き 川崎富作』(木魂社)。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2007/4/17
- ISBN-104087203891
- ISBN-13978-4087203899
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2007/4/17)
- 発売日 : 2007/4/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4087203891
- ISBN-13 : 978-4087203899
- Amazon 売れ筋ランキング: - 465,925位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2015年1月20日に日本でレビュー済み
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2013年6月11日に日本でレビュー済み
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巻末に小さくてもカラーで写真が載せてあるのは嬉しいが、ペダンティックで知識偏重な硬めの文章ははっきりいって読みにくい。
それなら本文を短めにまとめて、全図を載せて欲しかった。
それでも、著者の膨大な知識と観察眼は素晴らしく、江戸百ファンには必携の書であろう。
それなら本文を短めにまとめて、全図を載せて欲しかった。
それでも、著者の膨大な知識と観察眼は素晴らしく、江戸百ファンには必携の書であろう。
2019年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書名の「江戸百」とは、広重の「名所江戸百景」をいう。
この省略形の「江戸百」から、作者の独りよがりを感じるか
もしれないが。
内容は、このシリーズの絵が描かれた時代背景を説明し、そ
の影響を受けたことを謎解き風に説明していく。時代背景とし
て、黒船来航・安政江戸地震・「安政見聞誌」発禁事件などを
取り上げている。こういう見方もあったのかと、新しい視点が
紹介されている。説得力のある解説も多いが、これはどうかな
という解説もある。評価が分かれるところであろう。
謎その3「玉川堤の花」について、「桜の名所でっち上げ事
件」を紹介している。この絵は、「新宿」の人が実現しようと
して、策士策しに溺れ、実現しなかった「桜堤」を広重が想
像で描いたという(67頁以下)。「五百羅漢さざゐ堂」も、安
政の地震で壊れたままであり、「広重のイメージのなかのそれ
であった」という(195頁)。
「謎その25 ねこは誰?『浅草田圃酉の町詣』」では、「中
央の白猫が遊女の飼い猫ではなく、京町の猫すなわち遊女その
ものである」(142頁)とは、斬新な指摘である。
謎その19の小見出しの「あたしは誰?『真乳山山谷堀夜景』」
の問いに対し、広重の贔屓の芸者であるとの説もあるなかで、
「シンボルとしての芸者」(126頁)と期待外れの答えになっ
ている。
謎その22「廓中東雲」について、「心中事件を、客との別
れがたさに読み換え、場所も本所の仮宅から新吉原に変えて、
しっとりとした名所絵に仕立てた」(137頁)と見立てる。
さらに、謎その23「よし原日本堤」では、「趣向を変えて、
見返り柳の図像によって、事件から受け取った未練をイメー
ジに仕立てている」(137頁)という。ここまでいえるのか
と疑問を持つ。
95頁で、「大川端は、狭い意味では、絵の右側に見える一
帯、すなわち本所側の川沿いに用いた」というが、その根拠
を知りたかった。
107頁で、「水道橋駿河台」に触れている。著者の関心外
なのだろうが。絵の描かれている遠景は、駿河台ではなく、
飯田町ではないのか(「尾張屋板切絵図:増補改正飯田町
駿河台小川町絵図」参照)。なぜ題名は、「駿河台」なの
か。
巻末に、年表があり、制作月順の全「絵索引」もある。
いずれも、資料として役立つ。
掲載されている絵はすべて、カラーである。
この省略形の「江戸百」から、作者の独りよがりを感じるか
もしれないが。
内容は、このシリーズの絵が描かれた時代背景を説明し、そ
の影響を受けたことを謎解き風に説明していく。時代背景とし
て、黒船来航・安政江戸地震・「安政見聞誌」発禁事件などを
取り上げている。こういう見方もあったのかと、新しい視点が
紹介されている。説得力のある解説も多いが、これはどうかな
という解説もある。評価が分かれるところであろう。
謎その3「玉川堤の花」について、「桜の名所でっち上げ事
件」を紹介している。この絵は、「新宿」の人が実現しようと
して、策士策しに溺れ、実現しなかった「桜堤」を広重が想
像で描いたという(67頁以下)。「五百羅漢さざゐ堂」も、安
政の地震で壊れたままであり、「広重のイメージのなかのそれ
であった」という(195頁)。
「謎その25 ねこは誰?『浅草田圃酉の町詣』」では、「中
央の白猫が遊女の飼い猫ではなく、京町の猫すなわち遊女その
ものである」(142頁)とは、斬新な指摘である。
謎その19の小見出しの「あたしは誰?『真乳山山谷堀夜景』」
の問いに対し、広重の贔屓の芸者であるとの説もあるなかで、
「シンボルとしての芸者」(126頁)と期待外れの答えになっ
ている。
謎その22「廓中東雲」について、「心中事件を、客との別
れがたさに読み換え、場所も本所の仮宅から新吉原に変えて、
しっとりとした名所絵に仕立てた」(137頁)と見立てる。
さらに、謎その23「よし原日本堤」では、「趣向を変えて、
見返り柳の図像によって、事件から受け取った未練をイメー
ジに仕立てている」(137頁)という。ここまでいえるのか
と疑問を持つ。
95頁で、「大川端は、狭い意味では、絵の右側に見える一
帯、すなわち本所側の川沿いに用いた」というが、その根拠
を知りたかった。
107頁で、「水道橋駿河台」に触れている。著者の関心外
なのだろうが。絵の描かれている遠景は、駿河台ではなく、
飯田町ではないのか(「尾張屋板切絵図:増補改正飯田町
駿河台小川町絵図」参照)。なぜ題名は、「駿河台」なの
か。
巻末に、年表があり、制作月順の全「絵索引」もある。
いずれも、資料として役立つ。
掲載されている絵はすべて、カラーである。
2014年8月4日に日本でレビュー済み
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古地図にはまり、昔の風景はどうだったのだろうと、写真変わりに浮世絵を参考にするようにりました。この本は内容も興味深く、同時にカラーで美しい浮世絵を楽しむことができるのでタイムスリップさせていただきました。あっという間に読み終わり、他の作品も謎解きしてほしくなりました。
2010年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
先日、江戸東京博物館に行き、そこで「名所江戸百景」の存在を知った。ぜひ一冊にまとまった本で見たくていろいろと検索し、自分に手が届く範囲の値段で詳しく見られそうなこの本を購入した。
かなりの浮世絵が1ページの大きさで載っているし、他のものも小さいながら載っていて満足。謎解きの方はあまり興味はないままの購入だったが、安政東海地震や安政江戸地震後の幕府の対応や庶民の様子、江戸時代の出版の検閲制度や風俗・習慣などが勉強になった。
かなりの浮世絵が1ページの大きさで載っているし、他のものも小さいながら載っていて満足。謎解きの方はあまり興味はないままの購入だったが、安政東海地震や安政江戸地震後の幕府の対応や庶民の様子、江戸時代の出版の検閲制度や風俗・習慣などが勉強になった。
2014年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3分の1ほど読んだ段階での感想。読みやすい文章、判りやすい展開の仕方とはいえない。「謎解き」のテーマに対して、広重がどう絡んでくるのか、冒頭から示して欲しかった。絵解き風に広重の「江戸百」をダイレクトに紹介・解説してもいいのでは・・。
2020年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
絵に隠されている謎解きが役立った。
2018年3月10日に日本でレビュー済み
広重の「名所江戸百景」(江戸百)を、季節や場所の順ではなくて、刊行された順に絵を並べ、また、その時々の事件や出来事と対象させると、この浮世絵シリーズが単なる名所案内ではないのではないかということが見えてくる。それを読み解いて、このシリーズに隠されている、広重と刊行元の意図を明らかにするための著者たちの研究(神奈川大学21世紀COEプログラム)の成果をもとに書かれている。この本の中で、この浮世絵シリーズが売り出された当時、権力者は何を隠そうとしていたのか、その裏返しとして、これを買った江戸の人々が、その時々に売り出された絵をどのように楽しんだのかを推理している。おもしろかった。、