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自由をつくる 自在に生きる (集英社新書) 新書 – 2009/11/17
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歳をとっても遅くはない、若くても早過ぎない、
混迷の時代を生き抜くために。
自由とは何だろうか。それは、単に義務がない状態のことではない。何でもしてよいと放り出された状況のことでもない。
自分の思いどおりになること──これが「自由」なのだ。当たり前に思えるかもしれないが、このことの深い意味を知る人は少ない。しかし、これに気づくことが、よりよい人生を生きるポイントなのである。
真の意味での自由を知り、自在に生きる。その秘訣について、人気作家がわかりやすく論じる。
[著者情報]
森 博嗣(もり ひろし)
一九五七年生まれ。作家。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をする傍ら、一九九六年に『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後、次々と作品を発表し、人気作家としての不動の地位を築く。「スカイ・クロラ」シリーズ、S&Mシリーズ、Gシリーズをはじめ、『臨機応答・変問自在』『墜ちていく僕たち』『ゾラ・一撃・さようなら』『工作少年の日々』など、著書多数。
- ISBN-104087205207
- ISBN-13978-4087205206
- 出版社集英社
- 発売日2009/11/17
- 言語日本語
- 本の長さ192ページ
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商品の説明
著者について
一九五七年生まれ。作家。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をする傍ら、一九九六年に『すべてがFになる』で第一回メフィスト賞を受賞し、作家デビュー。以後、次々と作品を発表し、人気作家としての不動の地位を築く。「スカイ・クロラ」シリーズ、S&Mシリーズ、Gシリーズをはじめ、『臨機応答・変問自在』『墜ちていく僕たち』『ゾラ・一撃・さようなら』『工作少年の日々』など、著書多数。
登録情報
- 出版社 : 集英社 (2009/11/17)
- 発売日 : 2009/11/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4087205207
- ISBN-13 : 978-4087205206
- Amazon 売れ筋ランキング: - 189,658位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 405位集英社新書
- カスタマーレビュー:
著者について
1957年愛知県生まれ。工学博士。
某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。
ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)、『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書)など新書の著作も多数ある。
ホームページ「森博嗣の浮遊工作室」(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/)
●これから出る本→予定表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/timetable.html)
●作者による作品の紹介(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/myst_index.html)
●出版された本の一覧→出版年表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/nenpyo.html)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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生きていく上で、人々は何かに支配されて自由を奪われている。それをまず自覚することで、自由への開ける。
自分がいったい何に支配されて、何に自由を奪われているのかを考えさせてくれる本。
少しずつでも、自由を目指して歩んでいきたいと思う。
境、マスコミ、常識からの「支配」を考えることがまず大切。「支配」とは、それが自分にとって適切なものか
思索の対象ともしなかった、刷り込まれた見方である。
「支配」に気づくためには、「想像」が重要だと結ぶが、モノの見方を刷り込まれたひとが「想像」を羽ばた
かせ、前進のきっかっけを掴むのは難しいとおもう。「刷り込み」が「想像」を抑制するからだ。
何かおかしいのではという違和感が「刷り込み」に気づく端緒となろう。本書にはそのヒントがある。
知らず知らずのうちに人は何かに支配されていて、その支配から自由になるべきだ、ということ。
確かにそうだ。
一般的にはこうだ。普通に考えてこれはおかしい。こういうときは通常こうするべきだ。こういう意見は世間には通らない。
そういう制約を私たちは「常識」や「良識」「慣習」と呼んで自然に受け入れ、それにとらわれて生きることを余儀なくされている。
全ての人は本来自由で、そんなものに従う理由はない。
一旦それらと距離を置いて、生きたいように生きよう。
その通りだと思う。
誰もが常識や慣習を超えて、思うように生きたい。自分に制約を設けずに、自分の人生を進んでいきたい。
でも自由な判断が許される現代日本で、多くの人は常識や良識に従って生きることを選んでいる。
なぜ、著者が「不自由」「支配」と呼ぶものに、多くの人が従っているのだろう?法律も罰則もないのに、従っている。
著者にはそれが哀れで滑稽に見える。自ら不自由を選んでいるのだから。
でもその選択も、自由なのだ。
本書を読んで感銘を受けた読者も、一時的に本書に「支配」されたに過ぎないし、
自由について真剣に考えるほど、自由選択で不自由を選ぶ、というジレンマを乗り越えることが困難だと気づく。
読者は本書で自由を獲得できるわけではない。本書の難しさはそこにあるだろう。
内なる自分の声に耳をすまし自分で考え自分で決める。それは聞く限りステキなことだけれど、とても大変なことだ。
誰かに決めてもらう、世間のルールに従う、過去の慣習を守る。たいていの人にとって、そのほうが楽なんだ。
そして、大変なことよりも楽なことを選ぶのは、一つの自由だ。
支配から脱却する自由もあれば、支配されることを選ぶという自由もある。
著者はそのことを知った上で、あえて本書を書いている。
どっちの自由を選ぶのも、あなたの自由だ。
エッセイは力が入りすぎていないで、尚且つ真っ当で(私の云う真っ当
とは世間の常識を思考で引っ繰り返しているという意味だ)、読みやすい
上に、為になるし、共感出来る。
森博嗣という人は思考能力のある人だな、と想う。小説を殆ど読まずに
作家になったらしいが、それはものを考える人だからと考えるのが一番
説得力がある。本を読むとき、思考停止して頭の先っぽでドライブ感を
感じながら酩酊しつつ読む・・・というのはひとつの読書好きのパターン
だろうが、それだと自分では書けないだろう。この料理は何故旨いのか、
と言ったことを考えつつ、自分でこの素材の組み合わせはどうかと
思考≒試行しながら作品を創っていくのが創り手としての必要条件
だろうからだ。
何に支配されているかよく考えろという意見は個人的に役に立った。
徹底した思考が少なくとも頭の中の自由を齎すのだろうし、それに
伴って現実でも自由になってゆくのだろう。
個人的に十代の頃、3年程引きこもっていた事があった。世間からは
生活のことはどうするんだとかコイツは馬鹿過ぎる・・・等と散々叩かれた
のだが、実際私がその通り惨めだったかというと、好きな時間に起き、
好きな時間に食えるだけでもワクワクしたし、集中して映画を見たり
読書をしたり等、本当にトランスするような目眩めく非日常の世界だった。
今は嫌々、社会の片隅を生きているが、著者の暮らしが愉しいのは想像が
付くし、私もそんな風に生きられるように頑張りたいな…と想った。
この本に限らず著者のエッセイは、冷静な思考能力を伴ったモノなので
大変参考になり、一読をお薦めする。
日々着実に積み重ねていくことが大切というのはとても響きました。
確かに主張通り、例えば100年前の日本と今の日本では今の方が「自由」な筈ですが、
少なくとも筆者からみた人々(と私)は自由をあまり感じていません。
この本の趣旨からして、劇的に生き方を変えるものや、ビジネスが思い通りいくような
内容は全く書かれていません。結論の無い構成です。
しかし、少なくとも自由を追い求める余り逆に自分を縛り付けていないか「考えること」の
きっかけにはなると思います。
誰かに答えを貰うのが日本風(時に常識・宗教に答えを貰う)と私は感じていますが、
考えることを止めたら人間の本質としてそれまでではないか、とも思います。
答えが自分に不利益をもたらすと誰かのせいにできますが、自分で選んだ選択の責任は
自分にありますし、考えること自体が時にエネルギーを必要とします。
それでも一生考え続けることが「自由」の対価と思います。
そして万人に当てはまらないにしても、筆者の主張する「自由」を追求する利得は十分あると感じました。
この本は別に「完全なる自由」を推奨している訳ではありません。
完全に常識など無視しろとも主張していません。
誰か、何かの束縛を受け(ることで責任回避と安心感を得る)る人生もまた自由な訳です。
ただ、そうではない選択肢もあるということを提案していると感じました。
しかし、時には行きすぎた先入観に囚われ、他者や社会全般からの同調圧力を感じる事があります。
こういった我々が無意識に「仕方ない」「そういうものだ」としていた部分に、ドライな著者が独自の視点からの「もう少し幅広く視野を持ってもいいんじゃないの?」という内容だと思います。
森博嗣さんがただの理想主義者ではないのは、自身が公務員という身分であったことや、二人のお子様を育て上げるという「不自由」も知っているからでしょうか。
決して「もっと自由になれ!」的に煽る内容ではなくて、淡々と自由についての定義や自身の考えを、時折、雑談を交えて書かれております。
とても読みやすくタメになる本でした。
もうひとつ、そうだよなと思ったのは「人気のあるものが、必ずしも社会が求めているものではない、むしろその逆であることの方が多い」という指摘だ。大学院に進学するときあえて比較的人気のない建築材料の講座を選んだところ、研究者が不足していてチャンスが広がったという話である。人の行く裏に道あり花の山。
いちばん、うーんそうそう、と思ったのは、「思考の自由」の部分。著者曰く、「書いたり、話したりしながら考えると、思考が論理的になる利点はあるけれど、逆にそれは、思考が一列になっただけで、明らかにパワーダウンしていることに注意したほうが良い。思考が伝達手段に制約され、不自由になっている証拠といえる」。たしかにそうだ。「整然と並べることで、一列にすることで、失われる情報がある」というのはそのとおりだと思う。読書とは、著者が自らの思考を一列にしたものを辿る作業だ。ショウペンハウエル的にいえば「砂に残った歩行者の足跡」の上を歩くだけにすぎず、それは自由に思考していることにはならない。自分は、自由とは、「自分でコントロールできること」と「負荷がかからないこと」と考えるが、読みたい本を読んでいる状態というのは半分自由(読まされていないために負荷がかからない)で半分不自由(思考的にコントロールされている)ということになろう。読み終わってからそういうことをある程度自由に考えた。