無責任体制の日本をやめよう。利権で美味しい汁を吸っているのは誰だ?
さらには犠牲のシステムをなくす。
素晴らしく、わかりやすく、具体的な本である。高校生や中学生にも読んでもらいたい。もちろん、親に読ませるため。
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犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) 新書 – 2012/1/17
高橋 哲哉
(著)
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経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。
『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし!
3・11が暴いた「戦後」の欺瞞
福島の原発事故は、原発推進政策に潜む「犠牲」のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は、日米安保体制における「犠牲」のありかを示した。もはや誰も「知らなかった」とは言えない。沖縄も福島も、中央政治の大問題となり、「国民的」規模で可視化されたのだから-。経済成長や安全保障といった共同体全体の利益のために、誰かを「犠牲」にするシステムは正当化できるのか?福島第一原発事故で警戒区域となった富岡町などで幼少期を過ごした哲学者による、緊急書き下ろし。
[著者情報]
高橋 哲哉(たかはし てつや)
一九五六年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学。南山大学講師等を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『逆光のロゴス』『記憶のエチカ』『デリダ』『戦後責任論』『歴史/修正主義』『「心」と戦争』『証言のポリティクス』『〈物語〉の廃墟から』『反・哲学入門』『教育と国家』『靖国問題』『国家と犠牲』『状況への発言』など。
『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし!
3・11が暴いた「戦後」の欺瞞
福島の原発事故は、原発推進政策に潜む「犠牲」のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は、日米安保体制における「犠牲」のありかを示した。もはや誰も「知らなかった」とは言えない。沖縄も福島も、中央政治の大問題となり、「国民的」規模で可視化されたのだから-。経済成長や安全保障といった共同体全体の利益のために、誰かを「犠牲」にするシステムは正当化できるのか?福島第一原発事故で警戒区域となった富岡町などで幼少期を過ごした哲学者による、緊急書き下ろし。
[著者情報]
高橋 哲哉(たかはし てつや)
一九五六年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学。南山大学講師等を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『逆光のロゴス』『記憶のエチカ』『デリダ』『戦後責任論』『歴史/修正主義』『「心」と戦争』『証言のポリティクス』『〈物語〉の廃墟から』『反・哲学入門』『教育と国家』『靖国問題』『国家と犠牲』『状況への発言』など。
- ISBN-104087206254
- ISBN-13978-4087206258
- 出版社集英社
- 発売日2012/1/17
- 言語日本語
- 寸法10.8 x 1.1 x 17.6 cm
- 本の長さ224ページ
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2012/1/17)
- 発売日 : 2012/1/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4087206254
- ISBN-13 : 978-4087206258
- 寸法 : 10.8 x 1.1 x 17.6 cm
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本質的な問題提示、丁寧な論理展開、謙虚な眼差し、高橋さんの持ち味は十分感じ取れます。が, 'so what?'というシンプルな疑問を解消するには物足りない。
2016年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オスプレイ墜落事故およびアメリカ軍人による「人的被害が出なかったことに感謝すべき」発言、さらに政府による形ばかりの抗議と早すぎるオスプレイ使用再開許可、また原発廃炉や福島原発事故の賠償費用捻出のためにいわゆる新電力の料金にも上乗せで調整しているというニュースにたまりかねて本書を読み、レヴューいたします。
高橋さんのご著作ははじめて拝読しましたが、本書においてはキーワードにもなっている「犠牲」という観点から、福島原発事故、沖縄基地問題、また靖国問題、深くは日本人のメンタリティなどにも絡めて著述されています。沖縄基地の歴史や福島の事故の経過について基本的な情報もしっかり書かれているのであまり知識のない状態の読者も読みやすい本になっています。内村鑑三やカトリック、プロテスタントなどの宗教者のとらえ方を紹介している点が類書にはない部分で、ユニークだと思いました。元東京都知事石原慎太郎、作家の佐藤優、元福島県知事佐藤栄作久、大学教授野村浩也などの発言、著作への言及が比較的多いです。
その分、全体的にやや哲学的というか人文学的なテイストになっていますし、高橋さんご自身が東京在住であられるとはいえ福島のご出身なので他県民よりも当然当事者意識を高くお持ちなので、本当にフラットで基本的、また科学的学術的な内容を期待して読むと違和感があるかと思います。購入をご検討の方はご一考ください。
目次
第一部 福島
第一章 原発という犠牲のシステム
第二章 犠牲のシステムとしての原発、再論
第三章 原発事故と震災の思想論
第二部 沖縄
第四章 「植民地」としての沖縄
第五章 沖縄に照射される福島
株を保有しているアメリカ関係筋からの圧力なのか官邸からの圧力なのかわかりませんが、マスメディアはオスプレイ「墜落」を「不時着」とわざわざソフトに言い換えてイメージ工作を試みたり、政府と東電の原発賠償責任問題には極力触らない弱腰の姿勢だったり、そもそも原発事故発生には広告会社やマスメディアの責任も小さくないというのに、もともと海外のジャーナリストからは恥ずべきシステムとみられている「記者クラブ」制度にもとづいた日本のジャーナリズムは、格好と名ばかりで実際にはほとんど政府広報機関とはいえ、あれほどの重大事故の後も相も変わらず保身のために職業的使命を放擲したその姿には憤りを禁じえません。
本書でも野村浩也さんの『無意識の植民地主義』から紙幅を割いて引用・言及されていますが、基地問題に関しては沖縄を犠牲にしておいたほうが本土の人間は都合がいいのだ、だから「地理的に仕方ない」「今に始まったことじゃない」「なんだかんだ言っても基地がないと国防上まずい」「沖縄は十分補償金をもらってるじゃないか」と言い訳したり言い抜けしたりのらくらかわしたりしながら極力踏み込んで考えないようにして現状維持しているのだ、という醜い本音をまずは見つめるべきです。はっきり言うと自分たちの醜さが隠れもなく出てしまうから言わないようにしているだけで、自分の地域じゃないところで厄介なものを預かってくれてるのだから、ほとんどの本土人は沖縄基地をそのまま沖縄に置いておきたいのです。オスプレイが自分たちの頭上に落ちてくるわけではなく、沖縄県民の頭上に落ちるぶんには構わないと思っているのです。都合のいい時だけ「癒しの沖縄」と調子のいいことを言って遊びに出かけるくせに、面倒な基地問題はスルーしているのです。
結局裏ではこういうことを考えているから、「土人」発言や「奴隷」発言なんかが出るのではないでしょうか。いやなものは弱者に押し付ければいい、あいつらはずっとそういう役回りじゃないか、押し付けられるあいつらが弱いのが悪いんだ・・都会生まれの俺たちは生まれながら勝ち組なんだ、原発がないとやっていけない田舎とは価値が違うんだ・・特権階級が下々をいじめて何が悪いんだ・・というわけです。福島からの避難者に対するいじめも同質のものでしょう。個人的には反吐の出る考え方ですが人間なんて意識して鍛えなければ弱いものです。
憲法九条と不戦の誓いを守るとのスローガンも、自分や家族を死なせたくないという理由からかもしれませんが、国民自身が「平和憲法」で思考停止せずに、責任感を持って国防を考えることも必要だと思います。沖縄を開放するためにまたいまの植民地状態から抜け出すためにもしアメリカ基地を撤去するなら、日米同盟以外の自衛の手段を別に考えなくてはなりません。しかし被爆国として核武装もいやだということなら、ではどうするのか。原発でできる大量のプルトニウム保有によって「いつでも核兵器を作れるんだぞ」と他国を威嚇することは許容するのか否か。戦争なんて武器商人とその仲間以外は誰もしたくはないものですし、不戦憲法のおかげで他国から信頼を獲得しているメリットはあるとしても、丸腰は非現実的です。非武装絶対平和主義の主張の方もおられますが、わたしが責任者だったらいまのところ選択できません。自衛権は国家の権利ですし、自衛隊は詭弁でごまかしたところで事実上軍隊です。しかし一方で脅威論にあおられて過剰な軍備をするのはよくないでしょう。多くの欺瞞や厳しい現実、利害関係がありますが、国民自身が直視すべきこうした問題から長い間目を背けつづけてきたように思います。
本書でも繰り返し書かれているように実際には「犠牲」という言葉でひとくくりにはしづらいのですがーそれでも「不運な」沖縄や福島のひとびとを毎日毎日犠牲に、生贄にして、のうのうと「幸運な」人生を謳歌している自分たちの醜さから目を背けず、問題の根本的な解決のため努力していかなくてはならないのだと思います。
高橋さんのご著作ははじめて拝読しましたが、本書においてはキーワードにもなっている「犠牲」という観点から、福島原発事故、沖縄基地問題、また靖国問題、深くは日本人のメンタリティなどにも絡めて著述されています。沖縄基地の歴史や福島の事故の経過について基本的な情報もしっかり書かれているのであまり知識のない状態の読者も読みやすい本になっています。内村鑑三やカトリック、プロテスタントなどの宗教者のとらえ方を紹介している点が類書にはない部分で、ユニークだと思いました。元東京都知事石原慎太郎、作家の佐藤優、元福島県知事佐藤栄作久、大学教授野村浩也などの発言、著作への言及が比較的多いです。
その分、全体的にやや哲学的というか人文学的なテイストになっていますし、高橋さんご自身が東京在住であられるとはいえ福島のご出身なので他県民よりも当然当事者意識を高くお持ちなので、本当にフラットで基本的、また科学的学術的な内容を期待して読むと違和感があるかと思います。購入をご検討の方はご一考ください。
目次
第一部 福島
第一章 原発という犠牲のシステム
第二章 犠牲のシステムとしての原発、再論
第三章 原発事故と震災の思想論
第二部 沖縄
第四章 「植民地」としての沖縄
第五章 沖縄に照射される福島
株を保有しているアメリカ関係筋からの圧力なのか官邸からの圧力なのかわかりませんが、マスメディアはオスプレイ「墜落」を「不時着」とわざわざソフトに言い換えてイメージ工作を試みたり、政府と東電の原発賠償責任問題には極力触らない弱腰の姿勢だったり、そもそも原発事故発生には広告会社やマスメディアの責任も小さくないというのに、もともと海外のジャーナリストからは恥ずべきシステムとみられている「記者クラブ」制度にもとづいた日本のジャーナリズムは、格好と名ばかりで実際にはほとんど政府広報機関とはいえ、あれほどの重大事故の後も相も変わらず保身のために職業的使命を放擲したその姿には憤りを禁じえません。
本書でも野村浩也さんの『無意識の植民地主義』から紙幅を割いて引用・言及されていますが、基地問題に関しては沖縄を犠牲にしておいたほうが本土の人間は都合がいいのだ、だから「地理的に仕方ない」「今に始まったことじゃない」「なんだかんだ言っても基地がないと国防上まずい」「沖縄は十分補償金をもらってるじゃないか」と言い訳したり言い抜けしたりのらくらかわしたりしながら極力踏み込んで考えないようにして現状維持しているのだ、という醜い本音をまずは見つめるべきです。はっきり言うと自分たちの醜さが隠れもなく出てしまうから言わないようにしているだけで、自分の地域じゃないところで厄介なものを預かってくれてるのだから、ほとんどの本土人は沖縄基地をそのまま沖縄に置いておきたいのです。オスプレイが自分たちの頭上に落ちてくるわけではなく、沖縄県民の頭上に落ちるぶんには構わないと思っているのです。都合のいい時だけ「癒しの沖縄」と調子のいいことを言って遊びに出かけるくせに、面倒な基地問題はスルーしているのです。
結局裏ではこういうことを考えているから、「土人」発言や「奴隷」発言なんかが出るのではないでしょうか。いやなものは弱者に押し付ければいい、あいつらはずっとそういう役回りじゃないか、押し付けられるあいつらが弱いのが悪いんだ・・都会生まれの俺たちは生まれながら勝ち組なんだ、原発がないとやっていけない田舎とは価値が違うんだ・・特権階級が下々をいじめて何が悪いんだ・・というわけです。福島からの避難者に対するいじめも同質のものでしょう。個人的には反吐の出る考え方ですが人間なんて意識して鍛えなければ弱いものです。
憲法九条と不戦の誓いを守るとのスローガンも、自分や家族を死なせたくないという理由からかもしれませんが、国民自身が「平和憲法」で思考停止せずに、責任感を持って国防を考えることも必要だと思います。沖縄を開放するためにまたいまの植民地状態から抜け出すためにもしアメリカ基地を撤去するなら、日米同盟以外の自衛の手段を別に考えなくてはなりません。しかし被爆国として核武装もいやだということなら、ではどうするのか。原発でできる大量のプルトニウム保有によって「いつでも核兵器を作れるんだぞ」と他国を威嚇することは許容するのか否か。戦争なんて武器商人とその仲間以外は誰もしたくはないものですし、不戦憲法のおかげで他国から信頼を獲得しているメリットはあるとしても、丸腰は非現実的です。非武装絶対平和主義の主張の方もおられますが、わたしが責任者だったらいまのところ選択できません。自衛権は国家の権利ですし、自衛隊は詭弁でごまかしたところで事実上軍隊です。しかし一方で脅威論にあおられて過剰な軍備をするのはよくないでしょう。多くの欺瞞や厳しい現実、利害関係がありますが、国民自身が直視すべきこうした問題から長い間目を背けつづけてきたように思います。
本書でも繰り返し書かれているように実際には「犠牲」という言葉でひとくくりにはしづらいのですがーそれでも「不運な」沖縄や福島のひとびとを毎日毎日犠牲に、生贄にして、のうのうと「幸運な」人生を謳歌している自分たちの醜さから目を背けず、問題の根本的な解決のため努力していかなくてはならないのだと思います。
2017年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他人を犠牲にしながらそれを感じることを自分の中で放棄することが行われている。
たとえば、福島事故がの今日も、原子力村の学者たちが意気軒昂に声高に原発の安全神話を語っている。
東芝というもっとも積極的な事業主体が瀕死の重体にある今日、学者・官僚・政治家など、周辺の応援団の方の元気ぶりが目立つ。
原発地元の福島の惨状に思いを及ぼすことがないのであろうか。
東日本大震災に際して発せられた天譴論について、内村鑑三や永井隆の犠牲論を詳細に検討しているところが参考になった。
今までも、内村の天譴論を読んでいたが、その背景にある「国家主義」の指摘に納得がいった。
戦前の知識人は数からいってもエリートであるし、社会が伝統的氏族集団を基礎にしたリーダーやエスタブリッシュメントを受け入れていた。
D.リースマン『孤独な群衆』の末尾に指摘されている異議申し立て集団の存在が現代の在り方であり、権力を持たなくてもひとしなみの権力機構に巻き込まれない市民の在り方が現代の視点であるべきだ。
鳩山由紀夫首相が沖縄の犠牲を正面から取り上げたことを描いているのに共鳴した(p.186)。
市民社会が、多数決で少数者・周辺のの人々を犠牲にしている姿を鋭く描き出している。
たとえば、福島事故がの今日も、原子力村の学者たちが意気軒昂に声高に原発の安全神話を語っている。
東芝というもっとも積極的な事業主体が瀕死の重体にある今日、学者・官僚・政治家など、周辺の応援団の方の元気ぶりが目立つ。
原発地元の福島の惨状に思いを及ぼすことがないのであろうか。
東日本大震災に際して発せられた天譴論について、内村鑑三や永井隆の犠牲論を詳細に検討しているところが参考になった。
今までも、内村の天譴論を読んでいたが、その背景にある「国家主義」の指摘に納得がいった。
戦前の知識人は数からいってもエリートであるし、社会が伝統的氏族集団を基礎にしたリーダーやエスタブリッシュメントを受け入れていた。
D.リースマン『孤独な群衆』の末尾に指摘されている異議申し立て集団の存在が現代の在り方であり、権力を持たなくてもひとしなみの権力機構に巻き込まれない市民の在り方が現代の視点であるべきだ。
鳩山由紀夫首相が沖縄の犠牲を正面から取り上げたことを描いているのに共鳴した(p.186)。
市民社会が、多数決で少数者・周辺のの人々を犠牲にしている姿を鋭く描き出している。
2012年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
高橋氏は、米軍基地に、本土の沖縄に対する植民地主義を見るのと同様、原発に、都市の地方に対する植民地主義を見ようとするが、違和感を覚えた。両者には共通する部分もあるが、違う点も少なくないのではないかと感じるからだ。
米軍基地は大部分が沖縄にあるが、原発は「地方」とはいえ全国各地にある。大事故が起きれば都市部も被害を受ける。しかも、いま都市に住んでいても自分の故郷に原発があるケースも少なくなく、いつ福島と同様の事態を迎えてもおかしくない。米軍基地の場合、犠牲を強いられる者は固定的だが、原発の場合、曖昧だ。都市に住む自分は不自由なく電力を享受する側なのに、故郷の原発が事故を起こせば、故郷を汚染される被害者になる。
こうも言える。沖縄は基地固定化の歴史的経緯から言って一方的な犠牲者と言っていいと思われるが、原発はどうか。福島はいま悲惨な被害に見舞われているけれども、沖縄の人々のごとく「一方的な犠牲者」と言っていいのだろうか。原発は、雇用問題や過疎問題などが難しい背景があったにしても、地域住民の多数が誘致に賛成したからこそ建ったのではなかったか。その点を見ずに、沖縄の米軍基地問題と同類の問題だと解釈してしまっては展望を見いだせないだろう。
米軍基地は大部分が沖縄にあるが、原発は「地方」とはいえ全国各地にある。大事故が起きれば都市部も被害を受ける。しかも、いま都市に住んでいても自分の故郷に原発があるケースも少なくなく、いつ福島と同様の事態を迎えてもおかしくない。米軍基地の場合、犠牲を強いられる者は固定的だが、原発の場合、曖昧だ。都市に住む自分は不自由なく電力を享受する側なのに、故郷の原発が事故を起こせば、故郷を汚染される被害者になる。
こうも言える。沖縄は基地固定化の歴史的経緯から言って一方的な犠牲者と言っていいと思われるが、原発はどうか。福島はいま悲惨な被害に見舞われているけれども、沖縄の人々のごとく「一方的な犠牲者」と言っていいのだろうか。原発は、雇用問題や過疎問題などが難しい背景があったにしても、地域住民の多数が誘致に賛成したからこそ建ったのではなかったか。その点を見ずに、沖縄の米軍基地問題と同類の問題だと解釈してしまっては展望を見いだせないだろう。
2018年11月5日に日本でレビュー済み
図書館本
高橋氏(1956-)はフクシマ県生まれで現在東大教授、専攻は哲学。
東大の人文社会系の方に原発震災に関する学者としての反省を述べられている方は何人かいると思いますが、果たしていわゆる理系の学者で科学者の社会的責任に関する論考をされた方がいるのだろうか?
本書は日本人として日本という国土に住む責任、あるいは地球上に日本人が存在するための責任に関して「犠牲」というテキストを通して思考、考察しています。本書では触れられていませんが、青森なども軍事基地、核廃棄物捨て場として見れば犠牲のシステムそのものではないでしょうか。
備忘録的メモ
犠牲のシステムとは
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている」
軍国主義も原発主義も不敗神話や安全神話をつくり一切の異論を排除し大本営発表によって欺き、破綻。
軍国主義とはすなわちヤスクニという犠牲のシステムであり、原発主義はすなわち原発という犠牲のシステム。
植民地主義、奴隷制度、
責任の所在 原子力ムラ、政治家、官僚、司法(佐藤栄佐久元知事(プルサーマル非承認)の国策捜査)、学者・専門家、
犠牲のシステムと天罰論 石原都知事、大阪府議会議長、
天譴論 内村鑑三の「天災と天罰および天恵」
浦上壊滅(長崎原爆)は聖地浦上(キリスト教)が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれた?(永井隆、長崎の鐘)
天罰論が天恵論になるのはなぜか 罪悪の償い、非戦主義者の戦死(内村鑑三)、犠牲の論理 天罰は天恵のための天罰であり、天恵は天罰あっての典型である。(天恵、天罰がお互いに求めあう関係の成立) 神の善意の声が天罰
天罰論の問題点 1.生存者が一方的に罰の犠牲を死者に集中させて語る 2.天恵論との決定不可能性 3.天罰を特定の災害に限ることの問題。
「日本」イデオロギーの表出 (震災後のメディアによる、日本頑張れ、日本は強い、日本は一つ、日本人の誇り等のスローガン) ナショナリズムというより日本ナルシズム、日本フェテイシズムの方が適切
佐藤優氏の一時的翼賛体制の確立(震災後の国民一体としての復興)に対して高橋氏は否定的であるが、沖縄に関する論考では佐藤氏の主張は引用されない(佐藤氏の母は沖縄出身であり沖縄戦での経験を佐藤優氏は深く思慮し沖縄問題に積極的に発言しているが)。
沖縄の犠牲
近衛文麿の上奏を天皇が退けた。
天皇の沖縄軍事占領へのメッセージ(シーボルト覚書)
沖縄を米国に犠牲として差し出すことによって、日本の国益そして天皇制にとっての利益を得ようと考えられる可能性
サンフランシスコ条約(1952年4月28日)沖縄では屈辱の日
0.6%の土地に在日米軍専用施設面積の74%が存在する。沖縄の人口は日本の1%
民主主義と植民地主義は決して矛盾しない。植民地主義はその内部に民主主義を含んでいる。現代の植民地主義は民主的植民地主義なのである。
多数決原理としての民主主義は、むしろ差別を正当化する。
高橋氏は「戦争絶滅請合い法案」あるいは「戦争絶滅受合法案」を紹介している。
要するに戦争するなら、まず責任者が最前線に出て戦えと。
そんな勇気と哲学をお持ちな政治家なり国家元首が日本に居ないのが残念である。
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として招集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。
一、 国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。
二、 国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、 総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
四、 国民によって選出されたる立法府の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、 キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては招集後軍医の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし」
高橋氏(1956-)はフクシマ県生まれで現在東大教授、専攻は哲学。
東大の人文社会系の方に原発震災に関する学者としての反省を述べられている方は何人かいると思いますが、果たしていわゆる理系の学者で科学者の社会的責任に関する論考をされた方がいるのだろうか?
本書は日本人として日本という国土に住む責任、あるいは地球上に日本人が存在するための責任に関して「犠牲」というテキストを通して思考、考察しています。本書では触れられていませんが、青森なども軍事基地、核廃棄物捨て場として見れば犠牲のシステムそのものではないでしょうか。
備忘録的メモ
犠牲のシステムとは
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている」
軍国主義も原発主義も不敗神話や安全神話をつくり一切の異論を排除し大本営発表によって欺き、破綻。
軍国主義とはすなわちヤスクニという犠牲のシステムであり、原発主義はすなわち原発という犠牲のシステム。
植民地主義、奴隷制度、
責任の所在 原子力ムラ、政治家、官僚、司法(佐藤栄佐久元知事(プルサーマル非承認)の国策捜査)、学者・専門家、
犠牲のシステムと天罰論 石原都知事、大阪府議会議長、
天譴論 内村鑑三の「天災と天罰および天恵」
浦上壊滅(長崎原爆)は聖地浦上(キリスト教)が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれた?(永井隆、長崎の鐘)
天罰論が天恵論になるのはなぜか 罪悪の償い、非戦主義者の戦死(内村鑑三)、犠牲の論理 天罰は天恵のための天罰であり、天恵は天罰あっての典型である。(天恵、天罰がお互いに求めあう関係の成立) 神の善意の声が天罰
天罰論の問題点 1.生存者が一方的に罰の犠牲を死者に集中させて語る 2.天恵論との決定不可能性 3.天罰を特定の災害に限ることの問題。
「日本」イデオロギーの表出 (震災後のメディアによる、日本頑張れ、日本は強い、日本は一つ、日本人の誇り等のスローガン) ナショナリズムというより日本ナルシズム、日本フェテイシズムの方が適切
佐藤優氏の一時的翼賛体制の確立(震災後の国民一体としての復興)に対して高橋氏は否定的であるが、沖縄に関する論考では佐藤氏の主張は引用されない(佐藤氏の母は沖縄出身であり沖縄戦での経験を佐藤優氏は深く思慮し沖縄問題に積極的に発言しているが)。
沖縄の犠牲
近衛文麿の上奏を天皇が退けた。
天皇の沖縄軍事占領へのメッセージ(シーボルト覚書)
沖縄を米国に犠牲として差し出すことによって、日本の国益そして天皇制にとっての利益を得ようと考えられる可能性
サンフランシスコ条約(1952年4月28日)沖縄では屈辱の日
0.6%の土地に在日米軍専用施設面積の74%が存在する。沖縄の人口は日本の1%
民主主義と植民地主義は決して矛盾しない。植民地主義はその内部に民主主義を含んでいる。現代の植民地主義は民主的植民地主義なのである。
多数決原理としての民主主義は、むしろ差別を正当化する。
高橋氏は「戦争絶滅請合い法案」あるいは「戦争絶滅受合法案」を紹介している。
要するに戦争するなら、まず責任者が最前線に出て戦えと。
そんな勇気と哲学をお持ちな政治家なり国家元首が日本に居ないのが残念である。
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として招集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。
一、 国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。
二、 国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、 総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
四、 国民によって選出されたる立法府の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、 キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては招集後軍医の検査を受けしむべし。
以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし」