自分は、高校で世界史を割と勉強したり『千一夜物語』とかサアディーという詩人の『薔薇園』というイスラム圏の作品を読んだりしたおかげなのか、イスラム文化に対しては恐らく一般の方より親しみを感じている人間かと思います。「カリフ」とか「アッバース朝」、「ホメイニ師」、「ファーティマ」などと聞くと学生時代を思い出し懐かしい気持ちになります。
私個人は仏教徒ですがコーランも聖書も持っていますし、各宗教の美術芸術が好きなので、ある程度の知識があります。どんな宗教にも言えることですし、自明のことではありますが-キリスト教徒は善人で仏教徒は悪人というような単純なレッテルが現実に適合する訳はなく、どんな宗教の信者にも信仰の篤い人と浅い人、賢人と愚人がいて、結局は個人個人の信心の深度や人間性の違いに帰結すると痛感します。
本書では、一月のイスラム国によるテロも踏まえつつ、イスラム社会に深く同苦する形で現在の中東事情と、この状況に至るまでの背景が口語調の易しい文章で解説されていて、非常に勉強になりました。先頃のテロ事件に関して、連日のテレビ報道は「報道ステーション」など一部を除いて欧米の目線からのものが多く、中東の混乱の元凶に深く突っ込んだものや歴史的には欧米帝国主義・冷戦代理戦争の被害者でもあるイスラム社会に同情的なものが少ない気がしますので、本書のイスラム寄りの論調にはほっとするものがありました。
イスラム教と一口に言っても、シーア派スンナ派その他の宗派があり、その中でも世俗化の激しい国家と純イスラム国家を志向する国家があり、ひとつの国家の支配階級内でも後ろ盾や価値観が一枚岩でなかったり、支配階級と民衆が対立していたりで、イスラム教中東各国の事情は複雑であり、また、余りに世俗化し一握りの支配者が富を独占するサウジアラビアのような国に対しては、いわばルターの宗教改革的なイスラム教内部の自浄作用的な動きもあるそうです。タリバンというと、リビアのカダフィ大佐の如く欧米型報道のバイアスで悪役のイメージを抱きがちですが、義理人情に厚く、一度世話になった相手を決して裏切らないという一面があるとのことです。タリバンも残酷な所業をするのは確かでしょうが、イラク戦争時に大量破壊兵器もないのに攻撃を強行したり杜撰な空爆やショック・ドクトリン的なご都合主義の統治を押し付けるアメリカと比べれば可愛いものかもしれません。正直、世界史を齧ったものとしては、わたしがイラクやシリアの国民なら「これまでお前たち欧米がイスラム社会にやってきたことに比べればこの位大したことはないだろう」という気持ちになるのではないかと想像するほどです。
メアリ・シェリーの小説『フランケンシュタイン』の悲劇の主人公である<怪物>(私と友人は彼を「ヨシュア」と命名して勝手にその名前で呼んでいますが)は、優しく感じやすい心と明敏な頭脳を持った存在ですが、死体から生み出されたというその出自と醜い容貌のために創造主である博士に捨てられてしまいます。母はなく、博士に懇請するも共に歩む妻をも得ることができなかった孤独な彼は他の人間と共存しようとそれでも努力しますが、幾度も拒絶・疎外され、自分の存在意義と居場所が見つけられずに彷徨い、絶望の果てに殺人を犯してしまいます。最後には生みの親の博士までも手にかけます。疎外が怪物を造るのです。
イスラム社会の方たちが、彼と同じ類の疎外感と絶望に駆られ、自分たちの苦しみの創造主である欧米社会に復讐したくなったとしても、ある意味で悲劇であり、もっともな感情ではないでしょうか。テロという暴力を手段にすることは許されません。しかし、欧米に翻弄されてきたイスラム社会の歴史背景を知らずに、世界は全て欧米のルールで回っているように考え、謝罪も対話のための努力もなく高みから彼らを裁くかのような態度を取り続けても、関係は泥沼に陥るだけだと思います。現に、賢明なパリ市民の多くはムスリムに対する感情的な扇動には乗っておられません。
本書にも書かれていますが、日本は幸いなことに欧米のようにはイスラム社会との間に深刻な負の遺産を持っていません。アメリカの棍棒外交に付き合ってイスラム社会を敵に回すことのないよう、絶妙な距離を保つべきだと思います。集団的自衛権行使が実質的にはハードルの高いものにされているにしても、相手側から見れば「アメリカの同盟国」ということになるかもしれません。
ともあれ、恐怖でヒステリックになることなく-その不安に付け込みたい輩の思う壺です-テレビだけではなく(良質な報道をされているメディアも当然ありますが)本書のように問題を深く考察している専門家の書籍などを読んで異文化異宗教に対する正しい理解を深め、同じ人間同士であるという当たり前の意識をしっかり持つことが大事だと改めて思います。
先日、パリ在住のムスリムの方が「わたしはムスリムですが、テロリストではありません。わたしを信じてくださる方はハグしてください」と街頭で訴えて、パリ市民の方たちがそれに応える映像をネットニュースで拝見し、深く感動しました。憎しみや恨みを乗り越えて共存しようとされるその尊い努力と勇気に敬意を表します。

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イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北 (集英社新書) 新書 – 2015/1/16
内藤 正典
(著)
対話なき武力行使で解決はない!
間違いだらけの中東政策
内田樹氏推薦
「イスラムをめぐる政治状況を 精密なロジックと平明な文体で腑分けしてくれる一冊。 多くを教えられた。」
混迷を極める中東に突如現れたイスラム国。捕虜の殺害や少数民族への迫害が欧米経由で厳しい批判と共に報じられているが、その過激な行動の裏にある歴史と論理は何か?
また、本書はイスラムそのものに対するメディアの偏見と、第一次世界大戦時に確立された欧米による中東秩序の限界を指摘。そして、集団的自衛権の行使容認で中東に自衛隊が派遣される可能性が高まる中、日本が今後イスラム世界と衝突することなく、共存するために何が必要なのかを示す。
[著者情報]
内藤正典(ないとう まさのり)
一九五六年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラムの怒り』『イスラム-癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。
間違いだらけの中東政策
内田樹氏推薦
「イスラムをめぐる政治状況を 精密なロジックと平明な文体で腑分けしてくれる一冊。 多くを教えられた。」
混迷を極める中東に突如現れたイスラム国。捕虜の殺害や少数民族への迫害が欧米経由で厳しい批判と共に報じられているが、その過激な行動の裏にある歴史と論理は何か?
また、本書はイスラムそのものに対するメディアの偏見と、第一次世界大戦時に確立された欧米による中東秩序の限界を指摘。そして、集団的自衛権の行使容認で中東に自衛隊が派遣される可能性が高まる中、日本が今後イスラム世界と衝突することなく、共存するために何が必要なのかを示す。
[著者情報]
内藤正典(ないとう まさのり)
一九五六年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラムの怒り』『イスラム-癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2015/1/16
- 寸法18.2 x 11.3 x 1.7 cm
- ISBN-104087207706
- ISBN-13978-4087207705
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商品の説明
著者について
内藤正典(ないとう・まさのり)
1956東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。
著書に『イスラムの怒り』『イスラム―癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、『イスラーム戦争の時代』(NHKブックス)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。
1956東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。
著書に『イスラムの怒り』『イスラム―癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、『イスラーム戦争の時代』(NHKブックス)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。
登録情報
- 出版社 : 集英社 (2015/1/16)
- 発売日 : 2015/1/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4087207706
- ISBN-13 : 978-4087207705
- 寸法 : 18.2 x 11.3 x 1.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 405,124位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 42位中近東の地理・地域研究
- - 814位集英社新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年11月24日に日本でレビュー済み
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2022年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
米国の世界戦略で最も稚拙なのは中東政策。それに無批判に追随する自民党政権。すべてを「テロリスト」として切って捨てるだけでは、解決不可能。サイクス・ピコ体制の矛盾は朝鮮半島周辺にも通底。
2016年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者は「理解不足」を強調しているように読める。
それも確かに大事だと思う。
しかし、お互いの理解が深まることだけで問題が解決するのか。
筆者も本文中で触れている、
サイクス・ピコ体制や中東諸国体制の問題、
そしてその現代的な形態をより深く考察する必要があるように感じた。
それも確かに大事だと思う。
しかし、お互いの理解が深まることだけで問題が解決するのか。
筆者も本文中で触れている、
サイクス・ピコ体制や中東諸国体制の問題、
そしてその現代的な形態をより深く考察する必要があるように感じた。
2015年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年6月のイスラム過激派ISの、国際社会への突然の出現以来、イスラムをテーマとした新書は数多く出版されている。本書もその中の1冊ではあるが…。
多文化共生論・現代イスラム地域研究を専門とする内藤正典氏の本書は、視点の深さにおいて群を抜いている。
本年1月、ISによる日本人2名の殺害の際にTVには連日、様々なイスラム専門家の解説が流れた。中でもとりわけ内藤氏は、持てる情報の広さ、深さにおいて。そして何より、イスラム社会という極めて価値観の異なる、その文化・社会・政治情況を、外側から眺めるのではなく、その価値体系の文脈に即して(つまり翻訳するかのように内側から)、解りやすく、懇切に語る姿勢に感銘を覚えた。本書を読む動機は、まさにそこにあった。
本書は約250ページ。その内容は多岐にわたる。誤解を恐れず、ごく大まかに要約すれば。
全世界に16億人いるイスラム教徒とは、唯一の神であるアッラーから託された神の法、クルアン(コーラン)に則り、神のもとでの人々の平等と相互扶助を旨として生活者として日々、精進を重ねる穏やかで平和的な人々である。
しかし、現代のキリスト教社会とりわけ欧米の精神の根底には、多くの誤解に基づくイスラム・フォビア(イスラム恐怖症)が横たっている。それ故に、アメリカは中東政策を誤り、イスラム報道は事実誤認による歪んだ状態が続いて、イスラム教とキリスト教の両社会の亀裂は深まるばかりである。
一方、イスラム教徒の国家自体も、金満体質や宗派対立、残虐行為などの暴力によってイスラムの精神からはかけ離れて、堕落した情況にある。
そのような全体情況が、従来の地域国民国家とは全く異なる形態のイスラム過激派集団ISを生む大きな要因となった。
読み進むにつれて、広範に目配りされ随所に配慮が行き届いていることに感銘を受ける。
本書の最も注目されるべきは、内藤氏が同志社大学を拠点に実践して来た、アフガニスタンの和平に向けた諸活動である。2010年に、アフガニスタンの当時のカルザイ大統領を招いて、学生との対話集会を開いたことをスタートとして、2012年にはアフガニスタンのタリバン側と政府側の要人の会談をも実現したことである。今後、長い時間を要するであろうかの地の和平に向けた第一歩が、内藤氏の尽力で踏み出されたことなのだ。
さらにその会談が実現した陰には、日本人で唯一とも言えるイスラム法学者の中田考氏の存在が不可欠であったことを明かしている。中田氏は2014年夏、ISへの渡航を目指した学生を手引きしたとの嫌疑により、警察から捜索を受けた。イスラム法学者としての中田氏は、その深い学識によって、イスラム社会そして過激派からも大きな敬意を払われる存在なのだという。
内藤氏はこの中田氏について、誤解を解くべく、誠意と尊敬の念を込めて語っている。
内藤氏はこの本の随所で、日本のアメリカ盲従の強硬なイスラム政策に、静かだが断固とした異議を唱えている。憲法九条を持つ日本だからこそ、イスラム圏に受け入れられて来たこという事実に立脚して。
1980年代初めに、シリアに留学した折、反政府との内乱の際、身近に銃撃戦を体験したことなど、長年イスラム世界の研究に従事して来た人ならではのエピソードも語られて、関わりの深さをうかがわせる。
全体に抑えた、穏やかな、解りやすい筆致ながら、読者のイスラム理解を深めようとする確たる信念と誠実さが、ひしひしと伝わって来る。第一級のイスラム入門書として、あらゆる日本人に薦めたい書なのである。
多文化共生論・現代イスラム地域研究を専門とする内藤正典氏の本書は、視点の深さにおいて群を抜いている。
本年1月、ISによる日本人2名の殺害の際にTVには連日、様々なイスラム専門家の解説が流れた。中でもとりわけ内藤氏は、持てる情報の広さ、深さにおいて。そして何より、イスラム社会という極めて価値観の異なる、その文化・社会・政治情況を、外側から眺めるのではなく、その価値体系の文脈に即して(つまり翻訳するかのように内側から)、解りやすく、懇切に語る姿勢に感銘を覚えた。本書を読む動機は、まさにそこにあった。
本書は約250ページ。その内容は多岐にわたる。誤解を恐れず、ごく大まかに要約すれば。
全世界に16億人いるイスラム教徒とは、唯一の神であるアッラーから託された神の法、クルアン(コーラン)に則り、神のもとでの人々の平等と相互扶助を旨として生活者として日々、精進を重ねる穏やかで平和的な人々である。
しかし、現代のキリスト教社会とりわけ欧米の精神の根底には、多くの誤解に基づくイスラム・フォビア(イスラム恐怖症)が横たっている。それ故に、アメリカは中東政策を誤り、イスラム報道は事実誤認による歪んだ状態が続いて、イスラム教とキリスト教の両社会の亀裂は深まるばかりである。
一方、イスラム教徒の国家自体も、金満体質や宗派対立、残虐行為などの暴力によってイスラムの精神からはかけ離れて、堕落した情況にある。
そのような全体情況が、従来の地域国民国家とは全く異なる形態のイスラム過激派集団ISを生む大きな要因となった。
読み進むにつれて、広範に目配りされ随所に配慮が行き届いていることに感銘を受ける。
本書の最も注目されるべきは、内藤氏が同志社大学を拠点に実践して来た、アフガニスタンの和平に向けた諸活動である。2010年に、アフガニスタンの当時のカルザイ大統領を招いて、学生との対話集会を開いたことをスタートとして、2012年にはアフガニスタンのタリバン側と政府側の要人の会談をも実現したことである。今後、長い時間を要するであろうかの地の和平に向けた第一歩が、内藤氏の尽力で踏み出されたことなのだ。
さらにその会談が実現した陰には、日本人で唯一とも言えるイスラム法学者の中田考氏の存在が不可欠であったことを明かしている。中田氏は2014年夏、ISへの渡航を目指した学生を手引きしたとの嫌疑により、警察から捜索を受けた。イスラム法学者としての中田氏は、その深い学識によって、イスラム社会そして過激派からも大きな敬意を払われる存在なのだという。
内藤氏はこの中田氏について、誤解を解くべく、誠意と尊敬の念を込めて語っている。
内藤氏はこの本の随所で、日本のアメリカ盲従の強硬なイスラム政策に、静かだが断固とした異議を唱えている。憲法九条を持つ日本だからこそ、イスラム圏に受け入れられて来たこという事実に立脚して。
1980年代初めに、シリアに留学した折、反政府との内乱の際、身近に銃撃戦を体験したことなど、長年イスラム世界の研究に従事して来た人ならではのエピソードも語られて、関わりの深さをうかがわせる。
全体に抑えた、穏やかな、解りやすい筆致ながら、読者のイスラム理解を深めようとする確たる信念と誠実さが、ひしひしと伝わって来る。第一級のイスラム入門書として、あらゆる日本人に薦めたい書なのである。