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歴史と小説 (集英社文庫) 文庫 – 2006/12/15
司馬 遼太郎
(著)
司馬作品の創作過程がわかるエッセイ集が再登場。
坂本竜馬、土方歳三、西郷隆盛など幕末から明治の激動期を駆け抜けた彼らに、司馬遼太郎は何故惹きつけられたのか? 雄大かつ繊細な司馬史観の原点を伝える充実のエッセイ集。活字が大きくなりました。
坂本竜馬、土方歳三、西郷隆盛など幕末から明治の激動期を駆け抜けた彼らに、司馬遼太郎は何故惹きつけられたのか? 雄大かつ繊細な司馬史観の原点を伝える充実のエッセイ集。活字が大きくなりました。
- 本の長さ376ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2006/12/15
- ISBN-104087461130
- ISBN-13978-4087461138
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2006/12/15)
- 発売日 : 2006/12/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 376ページ
- ISBN-10 : 4087461130
- ISBN-13 : 978-4087461138
- Amazon 売れ筋ランキング: - 384,037位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,050位集英社文庫
- - 6,602位近現代日本のエッセー・随筆
- - 39,369位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
司馬遼太郎がその長きに亘った作家生活の中で残した随想、インタビュー、評伝など多彩な傑作小品を集めた作品集。特に明治大正の時代変動の中で浄土真宗の近代化に身を捧げた清沢満之の苦悩に満ちた生涯を描いた一遍は司馬作品の中でも出色の出来映えだと言っていい。
2018年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評者は、かって司馬遼太郎著『歴史と小説』を読んだ記憶がなくAmazonで購入して読むことにした。
この本のエッセイ集(短編小説のようなものもある)は、氏が30歳後半から40歳半ば(昭和35年~44年)に、新聞、雑誌などに掲載されたものを収録して編纂したものである。
氏の対談集などかなり読んだ評者であるから、本書で同じようなエッセイを読むことになった。
祖父である福田惣八のことや出雲の語り部のことなどである。
本書の多くのエッセイには幕末の志士たちの人物評で占められていた。
「五稜郭の百年」の章でこの砦がとるに足らないような愚劣な造りであることに触れていた。
砦を腐すことに異論はないが、この章の締めくくりで下の・・・内のように記述していた。
・・・またこの程度の要塞をたのみとしていた榎本武揚というひとが、この一事をみるだけででも軍事能力のない人物であったことを知らねばならず、このような人物を信頼してその指揮にあまんじていた旧幕府要人というもののあわれさも事のついでに知らなければならない。・・・(P302)
榎本武揚は、薩長などがあくまで武力で討幕するという強引さに我慢ができなかったのだろう。
人は理性だけで行動することなどできない状況に追い込まれることもあるのではないだろうか。
鳥羽伏見の戦いで負けた慶喜候が大阪から離脱し江戸に向かったことも理性で理解することはできない。
帰った慶喜候たちが波止場で暖をとっているところに、馬で駆けつけた勝海舟が幕僚たちへ「あなた方は何を考えているのだ!」と叱りとばした逸話も残っている。
オランダへ留学した経験もある榎本武揚は、世界の情勢(国際法)も熟知していたから、北海道を独立国にしょうとの思いから逃れたのだろう(理性で考えれば無理があることは明らかなのだろうが)。
五稜郭で捕縛され獄についたのち、黒田清隆らの助命で一命をとりとめ、その後太政官政府に起用されてからの活躍(ロシヤなどでの)などをみれば「このような人物」と切り捨てる司馬さんには、少し違和感を覚えてしまったのです。
司馬フアンの評者なのですが、司馬さんは佐幕派にたいして少し辛口評が多いように思う(50年も前のことだが・・・)。
本書では、かって読んだことのある話が多かったのだが、ほんの2~3ページのエッセイなどには記憶にないものが多く興味深く楽しく読むことができた。
この本のエッセイ集(短編小説のようなものもある)は、氏が30歳後半から40歳半ば(昭和35年~44年)に、新聞、雑誌などに掲載されたものを収録して編纂したものである。
氏の対談集などかなり読んだ評者であるから、本書で同じようなエッセイを読むことになった。
祖父である福田惣八のことや出雲の語り部のことなどである。
本書の多くのエッセイには幕末の志士たちの人物評で占められていた。
「五稜郭の百年」の章でこの砦がとるに足らないような愚劣な造りであることに触れていた。
砦を腐すことに異論はないが、この章の締めくくりで下の・・・内のように記述していた。
・・・またこの程度の要塞をたのみとしていた榎本武揚というひとが、この一事をみるだけででも軍事能力のない人物であったことを知らねばならず、このような人物を信頼してその指揮にあまんじていた旧幕府要人というもののあわれさも事のついでに知らなければならない。・・・(P302)
榎本武揚は、薩長などがあくまで武力で討幕するという強引さに我慢ができなかったのだろう。
人は理性だけで行動することなどできない状況に追い込まれることもあるのではないだろうか。
鳥羽伏見の戦いで負けた慶喜候が大阪から離脱し江戸に向かったことも理性で理解することはできない。
帰った慶喜候たちが波止場で暖をとっているところに、馬で駆けつけた勝海舟が幕僚たちへ「あなた方は何を考えているのだ!」と叱りとばした逸話も残っている。
オランダへ留学した経験もある榎本武揚は、世界の情勢(国際法)も熟知していたから、北海道を独立国にしょうとの思いから逃れたのだろう(理性で考えれば無理があることは明らかなのだろうが)。
五稜郭で捕縛され獄についたのち、黒田清隆らの助命で一命をとりとめ、その後太政官政府に起用されてからの活躍(ロシヤなどでの)などをみれば「このような人物」と切り捨てる司馬さんには、少し違和感を覚えてしまったのです。
司馬フアンの評者なのですが、司馬さんは佐幕派にたいして少し辛口評が多いように思う(50年も前のことだが・・・)。
本書では、かって読んだことのある話が多かったのだが、ほんの2~3ページのエッセイなどには記憶にないものが多く興味深く楽しく読むことができた。
2016年7月6日に日本でレビュー済み
司馬遼太郎の歴史小説は面白いが、エッセイも楽しめるということを、久しぶりに『歴史と小説』(司馬遼太郎著、集英社文庫)を読み返して、再認識しました。
とりわけ、「竜馬の死」には司馬らしさが凝縮しています。
「新選組で人斬りといわれた大石鍬次郎は、甲州での幕軍再起の挙がくずれてから板橋で官軍に捕縛された。このとき、『竜馬暗殺は新選組のしごとではない。見廻組である。事件の翌日、近藤勇らが、剛勇の竜馬を仕止めた見廻組の今井信郎、高橋某のはたらきは感賞するに足る、といっていたのをきいたことがある。この記憶にまちがいはない』と申し述べた。この大石の口から下手人の隊名と固有名詞がはじめて出た」。
「今井(信郎)の供述によれば、刺客団は、佐々木唯三郎、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎である」。
「中岡(慎太郎)は、卓抜した評論家である。かれは難に遭い、死に瀕しつつも、駆けつけた同志の連中にさまざまなことを言った。『卑怯憎むべし。剛胆愛すべし』と、自分たち二人を討った刺客の引きあげの見事さをほめている。刺客が二階座敷からひきあげるとき、『一人の男は、謡曲を謡ってやがった』と中岡は医師に介抱されながらいった。・・・『坂本と自分をやるなどは、よほど剛強の男であろう。幕士は腰抜けである、と平素あなどっていたが、こう思いきったことのできる男がいる。早くやらねば逆にやられるぞ』。中岡は最後までその主戦論をすてなかった」。
これらのエピソードは非常に興味深いのですが、私が一番驚いたのは、徳川慶喜に関する件(くだり)です。「この(竜馬)暗殺の直前、二条城にいる徳川慶喜が、たれの口からきいたか、竜馬の名を知った。その竜馬が大政奉還の立案者であり、かつ反幕志士のなかで唯一の非戦論者であることも知った。むしろ慶喜は竜馬において同志を見出した思いがあったのであろう。『土州の坂本竜馬には手をつけぬよう、見廻組、新選組の管掌者によく注意しておくように』と永井尚志に言いふくめた。永井はむろんよく竜馬を知っている。当然とおもい、翌朝、慶喜の言葉を管掌者に伝えるべく出仕したところ、机の上に紙片がおかれている。紙片には、昨夜、竜馬を暗殺した旨、躍るような書体で大書されていた。――遅かった。と、永井は思ったであろう。事実、竜馬が生きていれば鳥羽・伏見の戦いはおこらなかったかもしれない。暗殺はつねにこのようなものである」。
歴史小説執筆に取り組むに当たっては、関係書籍・文献・資料を神田神保町の古本屋からトラックで運び出すほど大量に買い求めたと言われる司馬の面目躍如です。
とりわけ、「竜馬の死」には司馬らしさが凝縮しています。
「新選組で人斬りといわれた大石鍬次郎は、甲州での幕軍再起の挙がくずれてから板橋で官軍に捕縛された。このとき、『竜馬暗殺は新選組のしごとではない。見廻組である。事件の翌日、近藤勇らが、剛勇の竜馬を仕止めた見廻組の今井信郎、高橋某のはたらきは感賞するに足る、といっていたのをきいたことがある。この記憶にまちがいはない』と申し述べた。この大石の口から下手人の隊名と固有名詞がはじめて出た」。
「今井(信郎)の供述によれば、刺客団は、佐々木唯三郎、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎である」。
「中岡(慎太郎)は、卓抜した評論家である。かれは難に遭い、死に瀕しつつも、駆けつけた同志の連中にさまざまなことを言った。『卑怯憎むべし。剛胆愛すべし』と、自分たち二人を討った刺客の引きあげの見事さをほめている。刺客が二階座敷からひきあげるとき、『一人の男は、謡曲を謡ってやがった』と中岡は医師に介抱されながらいった。・・・『坂本と自分をやるなどは、よほど剛強の男であろう。幕士は腰抜けである、と平素あなどっていたが、こう思いきったことのできる男がいる。早くやらねば逆にやられるぞ』。中岡は最後までその主戦論をすてなかった」。
これらのエピソードは非常に興味深いのですが、私が一番驚いたのは、徳川慶喜に関する件(くだり)です。「この(竜馬)暗殺の直前、二条城にいる徳川慶喜が、たれの口からきいたか、竜馬の名を知った。その竜馬が大政奉還の立案者であり、かつ反幕志士のなかで唯一の非戦論者であることも知った。むしろ慶喜は竜馬において同志を見出した思いがあったのであろう。『土州の坂本竜馬には手をつけぬよう、見廻組、新選組の管掌者によく注意しておくように』と永井尚志に言いふくめた。永井はむろんよく竜馬を知っている。当然とおもい、翌朝、慶喜の言葉を管掌者に伝えるべく出仕したところ、机の上に紙片がおかれている。紙片には、昨夜、竜馬を暗殺した旨、躍るような書体で大書されていた。――遅かった。と、永井は思ったであろう。事実、竜馬が生きていれば鳥羽・伏見の戦いはおこらなかったかもしれない。暗殺はつねにこのようなものである」。
歴史小説執筆に取り組むに当たっては、関係書籍・文献・資料を神田神保町の古本屋からトラックで運び出すほど大量に買い求めたと言われる司馬の面目躍如です。
2015年8月25日に日本でレビュー済み
創作前後の著者の考えていること、物事の感じ方が肩肘張らない様子で綴られていておもしろい。