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バルセローナにて (集英社文庫) 文庫 – 1994/10/20
堀田 善衞
(著)
スペインに魅せられ、旅し、住むこと二十数年。そこに静かに身をおいて冷徹に見すえた、人間の尊厳と狂気、愚行の歴史と、著者の魂の遍歴を綴る。(解説・清水 徹)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日1994/10/20
- ISBN-104087482286
- ISBN-13978-4087482287
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (1994/10/20)
- 発売日 : 1994/10/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 256ページ
- ISBN-10 : 4087482286
- ISBN-13 : 978-4087482287
- Amazon 売れ筋ランキング: - 671,795位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年6月14日に日本でレビュー済み
本書は堀田さんのスペイン滞在記で、「アンドリン村にて」、「グラナダにて」、そして「バルセローナにて」という3編のエッセイからなっている。「アンドリン村にて」ではバスク(とケルト)の考察が魅力的である。ケルト語でバスクとは「誇り高い人々」、「高い峯にすむ人々」の意らしい(56頁)。「グラナダにて」が語るのは、15世紀末に始まるカスティーリア女王イサベルとアラゴン王フェルナンドのスペインの苦難の歴史で、二人の次女フアナ王女/女王の77年に及ぶ波乱の人生の描写とその夫フェリーペとの関係を中心とする世界帝国の形成の物語である。「バルセローナにて」は偶然出会った二人の老人から聞いた話を交えたスペイン内戦の回想記である。「スペイン内戦は、ある意味では、十七世紀以来の、あらゆる西欧政治思想の叩き台のようなものであった」(222頁)という文章に出会っただけでも本書を読んだ価値がある。もちろんこのエッセイ集を楽しんだことは言うまでもない。
2014年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古本にしては、そこそこの状態の本を届けていただきました。大変感謝しています。
2010年10月5日に日本でレビュー済み
「その国のことを知りたければ、その国のことをよく知る外国人の書いたものを読むに限る」
誰の言葉か忘れたが、本書を読めば、それが真実だと頷ける。
先に読んだ ベルギー史 (文庫クセジュ) に関連して、これを読んだ。その意味では、『ベルギー史』には描かれていない美男王フェリペの別の顔がわかった。
誰の言葉か忘れたが、本書を読めば、それが真実だと頷ける。
先に読んだ ベルギー史 (文庫クセジュ) に関連して、これを読んだ。その意味では、『ベルギー史』には描かれていない美男王フェリペの別の顔がわかった。
2007年8月17日に日本でレビュー済み
1989年に出た単行本の文庫化。
「アンドリン村にて」「グラナダにて」「バルセローナにて」の3本の短編小説が収められている。
しかし、これは本当に小説なのか? 「グラナダにて」は、女王フアナの生涯をまとめた説明文、あとの2編は著者のスペインでの日常を描いているのだが、エッセイ・日記である『スペイン断章』や『オリーブの樹の蔭に』の文章と、まったく変わらないような気がするのである。
さらに、以前の日記・エッセイに出てきた人物や出来事が、ほとんど姿を変えずに出てくるから、現実世界と見分けることが出来ない。
そういうところを差し引いて、小説として鑑賞してみても、あまり面白いとは思えなかった。
「アンドリン村にて」「グラナダにて」「バルセローナにて」の3本の短編小説が収められている。
しかし、これは本当に小説なのか? 「グラナダにて」は、女王フアナの生涯をまとめた説明文、あとの2編は著者のスペインでの日常を描いているのだが、エッセイ・日記である『スペイン断章』や『オリーブの樹の蔭に』の文章と、まったく変わらないような気がするのである。
さらに、以前の日記・エッセイに出てきた人物や出来事が、ほとんど姿を変えずに出てくるから、現実世界と見分けることが出来ない。
そういうところを差し引いて、小説として鑑賞してみても、あまり面白いとは思えなかった。