1963年に手をつけられたが完成は1975年である。コロンビアのカリブ海地方では「ガブリエル」
の愛称は「ガボ」もしくは「ガビート」と言われているらしい。読者は、「ガボ」おじさんの「お
話」に耳を傾ける(読む)ことになる。語りの輪がつながっていく連続性があるかと思えば、まっ
たく違う次元の話の輪が続いていく非連続性、時間や空間も自由に操っている。内容は、空想、妄
想、残酷さ、奇想天外さなどが縦横無尽に発揮された爆発的な想像力の集合体である。聞き手(読
み手)は、筋書きのないドラマを次から次へと聞かされるので、話の輪を追っていくだけで終わっ
てしまう感じがする。しかし、信頼していた将軍や司令官から裏切られ、まるで「裸の王様」のよ
うな孤独な独裁者の歴史の語りが残像として残る。著者は、ベネズエラの元大統領ファン・ビセン
テ・ゴメス(1857年から1935年)を念頭において執筆したようだ。ゴメスは、軍事独裁のもと反
対派に対する徹底した弾圧で「アンデスの暴君」とよばれた。また、本書執筆の動機は、対談集『
グアバの香り』のなかで「考えられないほどの年取った独裁者が、牝牛のいっぱいいる宮殿にひと
りぽつんと取り残されているイメージ」や、「権力の孤独を歌った詩のようなもの」を表現したか
ったと語っている。ベネズエラ、ハイチ、パラグアイ、エルサルバドルなど、独裁者はラテンアメ
リカの神話的存在である、といわれている。
構成は、六(話)にわかれて語られるが、六話を通して時系列に語られているわけではない。作
中人物は、「大統領」(閣下ともよばれている)、母親ベンディシオン・アルバラード、正妻レテ
ィシア・ナサレーノ、恋人マヌエラ・サンチェス、そして、腹心の部下たち、裏切りで抹殺されて
いく将軍たち、大統領の替え玉パトリシオ・アラゴネス、行きずりの女たち、公表を禁じられた「
回想録」を書いた外国大使たちなどである。作中人物それぞれの視点で、六話ごとに大統領にかか
わる時空を超えた語りが織りなされ、ちりばめられている。ただ、行きずりの女にも名前があるが
「大統領」には名前がないのだ。「われわれ・・・」という視点は、将軍たちであり、民衆でもある。
「大統領」とはどのような人物だったのか。「われわれ」と「女性たち」、「大使たち」の視点
からまとめてみよう。
各話の冒頭は、「われわれ」が彼の遺体と荒廃した大統領府の光景を語っていることから始まって
いる。「階級章も何もついていない麻の軍服、長靴、左の踵にだけ残っている金の拍車、床にうつ
伏せになり、枕代わりに右腕を頭の下にあてがった人物」が横たわっている。そして、牝牛たちが
肖像画や室内装飾を食い荒らし、禿たかが舞い、鶏が飛び回る乱雑極まる部屋を整理していく。し
かし、遺体が大統領かどうかわからないのだ。誰も大統領の顔を拝んだことがないのだから。彼は、
彗星の飛来する周期で生きているので正確な年齢は不明だ。もちろん百歳ははるか昔に越えている。
本人の遺体か、替え玉パトリシオ・アラゴネスの死体かもわからない。まだ大統領はどこかで生き
ているかもしれない。
母親ベンディシオン・アルバラードが、彼の出生の秘密や権力を掌握する前後についてよくわか
っているはずだ。母親は、「安物オウムを金剛インコに見せるために、上等な雄鶏の尾羽根で仕上
げをする」小鳥屋を商売にしていたが、懐妊の相手は誰だかわからない。後年、息子によって「奇
跡的に、男の助けを借りずに後の大統領を懐妊した」マリアさまのように歴史を書き換えられてし
まう。どうも、修道院の入り口で赤ん坊を産んだようだ。息子は象のような大きな足をもち、睾丸
のヘルニアに冒され、「サーカスの占い女だけが赤子の手に線がないこと」に気づいていた。手だ
けは「ヒキガエルのお腹」みたいに、平べったくてすべすべしていた。彼は読み書きができなかっ
た。大統領になってから外交官たちの前で、母親は、「大統領になるとわかっていたら、この子を
学校にやっていた」と嘆く。そして、彼女の盛大な葬儀の光景が延々と描写される。大統領は、母
親のトランプ占いを参考にして政権運営をしていたようだ。彼女の死後、「おふくろよ・・・」と呼
びかけながら、彼の悩みを打ち明けている。彼女のトランプ占いでは、彼の未来は謎だったが、彼
を取り巻く連中のことはよく予想されていた。心配事は、海兵隊(アメリカ)の操り人形になって
いるし、「居座っている大統領の椅子から引きずり降ろされるんだ」ということだった。
正妻レティシア・ナサレーノは、どのように大統領の寵愛を得て悲惨な最期を迎えることになっ
たのか。彼女は大統領が生涯にただ一度の純粋な愛を貫いた相手だった。修練女だった彼女を、大
統領がふと「レティシア・ナサレーノとつぶやいた」だけで、大統領直属の特務機関がジャマイカ
の修道院から彼女を誘拐してきたのだ。結婚式で七か月の子どもが生まれる。他の女性に産ませた
五千人の子どもたちは、全員七か月で生まれることになっている。さっそく赤子は「師団と指揮権
をもつ陸軍中将」に任命される。レティシア・ナサレーノは、大統領に読み書きを教え御用新聞の
記事を読ませたり、「左手にフォーク、右手にナイフをもつこと、左右の歯で十五回噛むこと」な
どを指導する。しかし、彼に相談せずこっそり悪行をはたらきはじめる。たとえば、彼女の一族郎
党に既存の商権を強引に切り替えたり、「つけはお役所にまわしておいて」と贅沢な買い物をする。
ある日、若き詩人フェリクス・ルペン・ガルシア・サルメントの詩劇を鑑賞中に鋼鉄製の大統領専
用車がダイナマイトで爆破される。トイレの落書きは、彼女に対する非難の内容が多くなっていた
やさきだ〈実は大統領が字の練習で書いていたのだ)。「水曜日の市場」で彼女と王子が六十匹の
猟犬に八つ裂きにされる。彼の意をくんだ親衛隊たちの仕業だろう。ホセ・イグナシオ・サエンス・
デ・ラ・バッラという七か国語を操る男に犯人捜しを言いつけるが、この男も大統領を裏切ること
になる。
恋人マヌエラ・サンチェスは、美人コンテストの女王に選ばれ、大統領が彼女の家に通うことに
なる。夢にまで現れる。彼は、毎日寝る前に「寝室のドアの三個の掛け金と、三個の錠前と、三個
の差し金を差し込む」習慣がある。彼女は、「その掛け金を外さずに内部に侵入する不思議な力」
をもっているらしい。彼女へ「毎日、同じ時間に奇妙なプレゼント」を山のように抱えて現れる。
たとえば、誕生日プレゼントは、彼女が目覚めると「貧相な町の様子がすっかり変わっていた」の
だ。白いペンキの家や、回転式のスプリンクラーのある緑の芝生など「夜のうちにこっそり」建て
たらしい。また、「彗星をお前だけに見せてやりたい」とか、自然の運行をねじ曲げて、日蝕を用
意させる。結局、日蝕とともに彼女は姿を消してしまう。
大使たちは大統領をどうみていたのだろう。
大使の登場は、六話めに集中している。海外からの債権が膨らみ「この国はもう一文の値打ちもな
いのです。海を除いては」と最後通牒をつきつけられる。海兵隊を駐在させること、滞っている外
債の利子と引き換えに海を差し出せ、などが各大使の要求である。大統領に信任状を奉呈した最後
の外交官パーマストン大使は、「公表を禁じられた回想録」で述べている。「牝牛が大司教の肖像
画のキャンパスを裂いて食べている光景、こっちの質問にトンチンカンな返事をする夢うつつ状態
にある人間」と。また、キャプリング大使は、「出版を禁止された回顧録」の中で「当時の大統領
は老齢のため嘆かわしい痴ほう状態に陥っており、幼児のような動作さえ自由にできなかった」と。
大統領が対話している大使の名前を間違える箇所が二か所ある。痴ほう状態で名前を間違っている
のだ。
「残酷性」については多くの描写があるが一例をあげておく。ロドリゴ・デ・アギラール将軍は、
大統領が終生の友と考えていた腹心の部下だったが、「神に選ばれた者の地位を望み始め、この自
分(大統領)に替わりたいと思いだした」ため、惨殺される。裏切りを共謀した参謀たちを夕食会
へ招待する。そこで提供された料理の描写。「カリフラワーや月桂樹の葉で飾った銀のトレイにな
がながと横たえられ、香辛料をたっぷりかけてオーブンでこんがり焼きあげられた、かの有名なロ
ドリゴ・デ・アギラール陸軍中将が現れた」、「礼装に五個のアーモンドの金星、袖口に値のつけ
ようのない高価なモール、胸に十四ポンドの勲章、口に一本のパセリをあしらった料理」が、ボー
イによって切り分けられた。「諸君、腹いっぱい食べてくれ!」、招待された参謀たちの結果も推
察できる。二千人の子どもたちをセメント船もろとも海上で爆破したこと、要塞の掘りでワニの餌
食にされたこと、生身の皮を剥がれて遺族に送り届けられたことなど、大統領の鋭い予知能力や人
の死にざまを当てるという母親のトランプ占いで、危機管理ができ、同時にいかに残虐な刑罰が行
われたことか。
類似の話題を機関銃のように発する「話」の連続性、蝶のように舞い上がり、舞い踊るような時
空を超えた「話」の非連続性などが堪能できる。時間や歴史を飛び越える描写がある。たとえば、
「三隻の帆船」が沖に浮かんでいる場面。これらはコロンブス探検隊の「カラベラ船」であり、サ
ンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号と思われる。コロンブスの帆船と海兵隊の艦船など「時間」
を自由に操っている。彗星や日蝕の場面も同じだ。「空間」は、「ガボ」おじさんが自ら言ってい
るように「スペイン圏」のカリブと、「英語圏」のカリブを交じり合わせた世界をつくっている。
なぜなら、「ぼくは、カリブのことなら島の一つひとつ、町の一つひとつを知っている」からだ。
(『グアバの香り』)
登場する「話」すべてが、これら連続性と、非連続性の集合体といってもよいだろう。従って、
聞き手(読み手)は過去の話をどんどん忘れていくのだ。つまり、「ガボ」おじさんの豊かな空想
力、想像力の爆発が発揮されているエンターテイメント物語と思えばよいだろう。権力がもたらす
ことによる「永遠の不安」がこうじて「だれを信じればいいのだ、真実はなんだ!」と怒鳴り、そ
の不安が極端にふくれあがり遂に錯乱し「わしは、いったい何者だろう?」とアイデンティティを
探し求める。結局、「彼は自分が何もであるかを知ることがなかった」のである。大統領の名前が
つけられていないことがそれを象徴している。名前は、老年になって字を覚えたころ自分で「サカ
リアス」と書いたり、夢に現れた「死神」から「ニカノール、ニカノール」と呼ばれただけである。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
族長の秋 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫) 文庫 – 1994/5/20
ガブリエル ガルシア=マルケス
(著),
鼓 直
(翻訳)
奇想天外、抱腹絶倒!架空の小国に君臨する大統領がおりなす奇行、悪行の数かずと、仕える部下たちの不安、恐怖、猜疑に満ちた日常を描く、ノーベル賞作家の最高傑作。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日1994/5/20
- ISBN-104087602354
- ISBN-13978-4087602357
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 集英社 (1994/5/20)
- 発売日 : 1994/5/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 336ページ
- ISBN-10 : 4087602354
- ISBN-13 : 978-4087602357
- Amazon 売れ筋ランキング: - 211,227位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 57位スペイン・ポルトガル文学研究
- - 82位その他の外国文学作品
- - 83位スペイン文学
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
26グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年9月9日に日本でレビュー済み
ずいぶん前に読んだのですが、マルケスの作品の中で一番すきかも
知れません。
お得意の超リアリズムを駆使して物語るスタイルは
政敵を丸焼きの料理として出してしまう所に存分に発揮されます。
ラテンアメリカに興味のある方は、一度マルケスの世界の扉を
開けてみてください。結構はまるかも。
知れません。
お得意の超リアリズムを駆使して物語るスタイルは
政敵を丸焼きの料理として出してしまう所に存分に発揮されます。
ラテンアメリカに興味のある方は、一度マルケスの世界の扉を
開けてみてください。結構はまるかも。
2016年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
安く再版されたのが悔しいけどたくさんの人によんでもらえたらそれはそれでよいかな!
2013年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても敏速に処理して頂き、本も良好な品でした。有難う御座いました。
2005年9月24日に日本でレビュー済み
作家が虚構を描くとき、しばしば、それを目的とした文体が用いられる。読む方はその文体のエネルギーによって熱せられ、あるいは冷まされてしまう。マルケスの文体の驚くべきことは、それが見てきたかのような、現実であるかのようなリズムと勢いだ。大統領府に牛が歩き、花壇の中でレプラ患者がうなだれている。読めば虚構に違いない場面が、彼の筆によってあたかも現実のように詳細まで描き切られている。独裁者になったことがある人間はこの世で何人もいない。しかし、この本を読むとそのシーンをつぶさに見ることは出来るのだ。
2014年10月30日に日本でレビュー済み
1春_起 p57「昔から三月の貿易風は大統領府の窓から吹きこんでいた
2夏_承「そして気まぐれな愛人として長い年月のなかでこのときに初めて、本能の命じるままに振る舞った。
3秋_転_p168 [この男は、自分の血はもちろん、一滴の血を流されずにすむ完璧なクーデターを思いついた。
4秋_転 「誰にも与えたことのような権限をサエ、デラ、バラを与えた。
5冬_終結 p364「われわれもまた、あてどなくさまようこの老人がいったい何者なのか、
四季が全体にある、
2夏_承「そして気まぐれな愛人として長い年月のなかでこのときに初めて、本能の命じるままに振る舞った。
3秋_転_p168 [この男は、自分の血はもちろん、一滴の血を流されずにすむ完璧なクーデターを思いついた。
4秋_転 「誰にも与えたことのような権限をサエ、デラ、バラを与えた。
5冬_終結 p364「われわれもまた、あてどなくさまようこの老人がいったい何者なのか、
四季が全体にある、
2003年11月24日に日本でレビュー済み
族長をさまざまな人間の視点から描写する作品。なかなか手に入らない本ですが、ぼくは偶然古本屋で百円で売られているのを発見しました。びっくりしました。本の価値が分からない古本屋は素晴らしいです。
「百年の孤独」とはまた違った作品です。哲学的に素晴らしいしいうことはありませんが、読むことによって損をすることはありません。こういう書き方もあるのだと納得してしまう作品です。
「百年の孤独」とはまた違った作品です。哲学的に素晴らしいしいうことはありませんが、読むことによって損をすることはありません。こういう書き方もあるのだと納得してしまう作品です。
2011年1月11日に日本でレビュー済み
ノーベル文学賞を取ったので読もうと思った.
コロンビアは行った事がないので、ピンとこないところもある.
スペインやポルトガルの文学との接点はみつかるが、
南米固有の文化はよくわかっていない.
飽きるというよりは、難解に近いかもしれない.
カミュが一番近いような気もした.
コロンビアは行った事がないので、ピンとこないところもある.
スペインやポルトガルの文学との接点はみつかるが、
南米固有の文化はよくわかっていない.
飽きるというよりは、難解に近いかもしれない.
カミュが一番近いような気もした.