普段小説をおまり読まない、このときのわたしには難しかった。
友人がおすすめしていたので読んでみましたが、最初の数ページで断念しました。
きっと、深く読みこんでいけば、おもしろさがわかるのかな。と感じる作品でした。
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失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫) 文庫 – 2006/3/17
マルセル・プルースト
(著),
鈴木 道彦
(翻訳)
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無意志的意志によって蘇る全コンブレー。
ある冬の日、紅茶にひたしたひと口のマドレーヌからふと蘇るコンブレーの記憶、サンザシの花、少女ジルベルトの瞳、サン=ティレールの鐘塔。そこで過ごした少年の日々を貫く二つの散歩道――。
ある冬の日、紅茶にひたしたひと口のマドレーヌからふと蘇るコンブレーの記憶、サンザシの花、少女ジルベルトの瞳、サン=ティレールの鐘塔。そこで過ごした少年の日々を貫く二つの散歩道――。
- 本の長さ504ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2006/3/17
- ISBN-104087610209
- ISBN-13978-4087610208
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2006/3/17)
- 発売日 : 2006/3/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 504ページ
- ISBN-10 : 4087610209
- ISBN-13 : 978-4087610208
- Amazon 売れ筋ランキング: - 122,774位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 159位フランス文学研究
- - 208位フランス文学 (本)
- - 958位集英社文庫
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年5月19日に日本でレビュー済み
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鈴木先生の訳は自分に合っているみたいです。十三巻まで読了するまで挫折しないように、読み手に対する配慮が感じられます。さすが、読売文学賞受賞!
2013年1月1日に日本でレビュー済み
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翻訳者の力量とは何か、そういうことに気がいっています。正確であっても読みにくければ読者は増えないでしょう。この訳は読みやすいと思います。
2019年6月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
凝った文体、独創的な文学的修辞に高い価値があるが、内容やストーリーは???
全編を通して、女を追い回す話や女とくっついたり、別れたりという話が延々と続く。女、女、女・・・主人公はいつも女のことを考えている。他に考えることはないのか、と言いたくなる。仕事のこととか、社会貢献のこととか・・・・。主人公にとって愛情は性欲と同じのようだが、愛情が全くなくても狙った女をモノにしたがる。狙った女と接触するためにあらゆる策略を考え、待ち伏せするが、対象の女は次々に変わり、見境がないという印象を受ける。俗にいうスケベである。それは偏執的でしつこい。主人公は仕事をせず、裕福な親から生活費をもらっているので、時間はいくらでもあるようで、女への執着と妄想に明け暮れる。主人公は、ロリコン趣味だが、身分の高い貴婦人愛好者、若干の若い男好きでもある。11巻で恋人のアルベルチーヌが死ぬが、死んだ後でも主人公の嫉妬が延々と続く。それは主人公の執拗なストーカー的性格を示している。
作者も述べるように、主人公が求めるのはあくまで女性の幻影である(8巻354頁)。幻影としての女性を求めるので、次から次へと対象が変わるのだろう。女性をモノにすれば、女性のイメージは現実によって壊されるので(イメージと現実が違うのは当たり前のことだ)生身の女を捨てたくなるのだろう。想像力のたくましい主人公がイメージとしての女性を追い求めることは、一見、高尚なようだが、俗にいうスケベであることに変わりはない。作品自体がイメージが作り出す巨大な虚構の世界であり、そこに現実性を求めれば、違和感を感じてしまうだろう。
後半にホモとレズの話が出てくるが、相変わらず、男と女、男と男、女と女がくっついたり離れたりする話とサロンでのくだらないおしゃべりが延々と続く。貴族とその周辺の人たちは無為徒食の浪費生活の中で恋愛のことしか頭にないようだ。
作者、主人公、多くの登場人物は、いずれも貴族や富裕な有閑階層であり、社会経験に乏しい。彼らの莫大な収入は小作人からの地代なのか、不動産収入なのか、それとも金融資産なのか、気にかかる。彼らは仕事をすることなく、毎日、サロンや遊興に多額の無意味な金を蕩尽する。ストーリーは平板、単調で生活感や現実感がない。小説の大部分を貴族とその知人同士の会話と「社交」の場面が占めている。主人公(作者)には貴族に強い関心と憧れがあり、貴族の生活や行動を仔細に述べるが、貴族の生活や会話に関心のない人には退屈だ。貴族のサロンでは、気品、才気、品位、シックさなどが重視され、貴族の身分には先祖代々の貴族の精神が受け継がれていると作者は述べる。容貌や肉体にも貴族らしさがあるとのこと。才気、気品、知性のある貴族は美人であり、そうではない貴族はブサイクである。実社会から遮断された貴族階級のサロンでの膨大な量の会話は、おしゃべりの才気を楽しむもので、会話のための会話に終始する。
全編を通して現実社会から遊離した現実感のないイメージが支配し、観念と夢想の中で生きる生活感のない人間が描かれている。大学教授の医師や裁判所長が登場するが、仕事をすることなく避暑地やサロンで出入りする暇人として描かれ、現実感に乏しい。想像力だけで医師や裁判官を描けばそうなる。労働とは無縁の現実感のない世界。貴族ではない作者には、当時失われつつある貴族社会に対する強い愛着があったようだ。そうでなければ、貴族の趣味や生活を描く理由がないだろう。
ストーリーに動きが少なく、同じような場面が延々と続く。ストーリーに必然性がなく、どうでもよい描写が長々と続く。小説と言うよりもエッセイや日記に近いと感じる箇所も多い。人間の心理の細かい説明が延々と続く。つまらない内容が延々と続く叙述にどんな意味があるのか?と思う箇所が多いが、内容の意味を深く考えず、文学的な修辞と表現に酔いしれるべきなのだ。内容はつまらないが、文章のテクニックには感心させられる。
イメージと想念が作り出すゲームのような虚構の世界。この作品には人間の心理描写と分析が多く、作者の洞察力を強く感じさせるが、それも想念が作り出すイメージの産物であり、心理描写のリアリティを望んではいけない。作者が述べる人間分析が当たっているかどうかは何とも言えない。その点は人によるだろう。物語に登場する人間の心理はあくまで空想の産物であり、叙述は言葉の遊びである。想像の世界の心理描写を読者が楽しむのは、まるで仮想空間でゲームと表現を楽しむ感覚に似ている。
ドフトエフスキーの作品の心理描写も想像の世界の人間の心理が対象だが、ドストエフスキーは登場人物に哲学や思想を語らせ、会話や議論に迫力がある。そこには思想同士の真剣勝負の世界がある。この本には深淵な思想や哲学と呼べるようなものは、出てこない。この本で描かれる世界は、思想や哲学と無関係に誰でも気軽に安心して参加できる文学的修辞に満ちた言葉の遊びの世界である。
この作品では哲学や思想とは無縁の他愛もないおしゃべりを通して遊びやゲーム感覚で登場人物の心理描写がなされている。それは、京都の祇園の芸者と金持ちの客の間の洒落た言葉遊びのように、貴族のサロンでの高尚な言葉遊びの世界だ。
この小説が扱う世界は、貴族のサロンや交友関係を中心とする世界であり、一般人の生活から遊離した閉鎖的な世界である。バルザック、シェイクスピア、トルストイなどの作品では、多様な登場人物には現実の生身の人間を感じさせるが、この作品にはそのような世界観や視野の広がりはない。狭い世界の現実感のない言葉遊びの世界。この本では、ドレフュス事件をめぐる意見の対立がしばしば登場するが、それも評論家的な立場から意見が述べられるだけで、思想というほどのものではなく、登場人物の現実の生活とは無縁の議論である。
この本が退屈なのは、ストーリーと内容が、単調、平板、無味乾燥、冗長だからだが、独創的な文学的修辞は秀逸だ。ここまで文学的な表現に凝った作品は珍しい。文学的表現の凝り方が偏執的だ。現実のつまらない出来事や事物が、凝りに凝った文学的修辞によって壮麗な構築物にしてしまうテクニックに驚かされる。嘘っぽいといえばそれまでだが、テクニックは凄い。その意味では究極の文学作品なのかもしれない。文学はもともと嘘の世界なので。後世に大きな影響を与えたのもわかる。無から華麗な虚構のイメージを作り出す錬金術師。ほんの少しだけ三島由紀夫に似ている。
小説、文学とは何かを考えさせられる。小説にストーリーや思想性は必要ないのか。ストーリーの退屈さと内容のくだらなささえ我慢すれば(かなりの忍耐力が必要だが)、素晴らしい文学作品である。文学的修辞マニアには垂涎の的かも。小説家、文学研究者、文学愛好者、言葉や修辞のマニアには高く評価されるのだろう。この本から小説の表現方法を学ぶ作家も多いのではないか。この作品の複雑な構造は研究対象として価値がある。文学の「修養」のためには読むべき本なのかもしれない。
全編を通して、女を追い回す話や女とくっついたり、別れたりという話が延々と続く。女、女、女・・・主人公はいつも女のことを考えている。他に考えることはないのか、と言いたくなる。仕事のこととか、社会貢献のこととか・・・・。主人公にとって愛情は性欲と同じのようだが、愛情が全くなくても狙った女をモノにしたがる。狙った女と接触するためにあらゆる策略を考え、待ち伏せするが、対象の女は次々に変わり、見境がないという印象を受ける。俗にいうスケベである。それは偏執的でしつこい。主人公は仕事をせず、裕福な親から生活費をもらっているので、時間はいくらでもあるようで、女への執着と妄想に明け暮れる。主人公は、ロリコン趣味だが、身分の高い貴婦人愛好者、若干の若い男好きでもある。11巻で恋人のアルベルチーヌが死ぬが、死んだ後でも主人公の嫉妬が延々と続く。それは主人公の執拗なストーカー的性格を示している。
作者も述べるように、主人公が求めるのはあくまで女性の幻影である(8巻354頁)。幻影としての女性を求めるので、次から次へと対象が変わるのだろう。女性をモノにすれば、女性のイメージは現実によって壊されるので(イメージと現実が違うのは当たり前のことだ)生身の女を捨てたくなるのだろう。想像力のたくましい主人公がイメージとしての女性を追い求めることは、一見、高尚なようだが、俗にいうスケベであることに変わりはない。作品自体がイメージが作り出す巨大な虚構の世界であり、そこに現実性を求めれば、違和感を感じてしまうだろう。
後半にホモとレズの話が出てくるが、相変わらず、男と女、男と男、女と女がくっついたり離れたりする話とサロンでのくだらないおしゃべりが延々と続く。貴族とその周辺の人たちは無為徒食の浪費生活の中で恋愛のことしか頭にないようだ。
作者、主人公、多くの登場人物は、いずれも貴族や富裕な有閑階層であり、社会経験に乏しい。彼らの莫大な収入は小作人からの地代なのか、不動産収入なのか、それとも金融資産なのか、気にかかる。彼らは仕事をすることなく、毎日、サロンや遊興に多額の無意味な金を蕩尽する。ストーリーは平板、単調で生活感や現実感がない。小説の大部分を貴族とその知人同士の会話と「社交」の場面が占めている。主人公(作者)には貴族に強い関心と憧れがあり、貴族の生活や行動を仔細に述べるが、貴族の生活や会話に関心のない人には退屈だ。貴族のサロンでは、気品、才気、品位、シックさなどが重視され、貴族の身分には先祖代々の貴族の精神が受け継がれていると作者は述べる。容貌や肉体にも貴族らしさがあるとのこと。才気、気品、知性のある貴族は美人であり、そうではない貴族はブサイクである。実社会から遮断された貴族階級のサロンでの膨大な量の会話は、おしゃべりの才気を楽しむもので、会話のための会話に終始する。
全編を通して現実社会から遊離した現実感のないイメージが支配し、観念と夢想の中で生きる生活感のない人間が描かれている。大学教授の医師や裁判所長が登場するが、仕事をすることなく避暑地やサロンで出入りする暇人として描かれ、現実感に乏しい。想像力だけで医師や裁判官を描けばそうなる。労働とは無縁の現実感のない世界。貴族ではない作者には、当時失われつつある貴族社会に対する強い愛着があったようだ。そうでなければ、貴族の趣味や生活を描く理由がないだろう。
ストーリーに動きが少なく、同じような場面が延々と続く。ストーリーに必然性がなく、どうでもよい描写が長々と続く。小説と言うよりもエッセイや日記に近いと感じる箇所も多い。人間の心理の細かい説明が延々と続く。つまらない内容が延々と続く叙述にどんな意味があるのか?と思う箇所が多いが、内容の意味を深く考えず、文学的な修辞と表現に酔いしれるべきなのだ。内容はつまらないが、文章のテクニックには感心させられる。
イメージと想念が作り出すゲームのような虚構の世界。この作品には人間の心理描写と分析が多く、作者の洞察力を強く感じさせるが、それも想念が作り出すイメージの産物であり、心理描写のリアリティを望んではいけない。作者が述べる人間分析が当たっているかどうかは何とも言えない。その点は人によるだろう。物語に登場する人間の心理はあくまで空想の産物であり、叙述は言葉の遊びである。想像の世界の心理描写を読者が楽しむのは、まるで仮想空間でゲームと表現を楽しむ感覚に似ている。
ドフトエフスキーの作品の心理描写も想像の世界の人間の心理が対象だが、ドストエフスキーは登場人物に哲学や思想を語らせ、会話や議論に迫力がある。そこには思想同士の真剣勝負の世界がある。この本には深淵な思想や哲学と呼べるようなものは、出てこない。この本で描かれる世界は、思想や哲学と無関係に誰でも気軽に安心して参加できる文学的修辞に満ちた言葉の遊びの世界である。
この作品では哲学や思想とは無縁の他愛もないおしゃべりを通して遊びやゲーム感覚で登場人物の心理描写がなされている。それは、京都の祇園の芸者と金持ちの客の間の洒落た言葉遊びのように、貴族のサロンでの高尚な言葉遊びの世界だ。
この小説が扱う世界は、貴族のサロンや交友関係を中心とする世界であり、一般人の生活から遊離した閉鎖的な世界である。バルザック、シェイクスピア、トルストイなどの作品では、多様な登場人物には現実の生身の人間を感じさせるが、この作品にはそのような世界観や視野の広がりはない。狭い世界の現実感のない言葉遊びの世界。この本では、ドレフュス事件をめぐる意見の対立がしばしば登場するが、それも評論家的な立場から意見が述べられるだけで、思想というほどのものではなく、登場人物の現実の生活とは無縁の議論である。
この本が退屈なのは、ストーリーと内容が、単調、平板、無味乾燥、冗長だからだが、独創的な文学的修辞は秀逸だ。ここまで文学的な表現に凝った作品は珍しい。文学的表現の凝り方が偏執的だ。現実のつまらない出来事や事物が、凝りに凝った文学的修辞によって壮麗な構築物にしてしまうテクニックに驚かされる。嘘っぽいといえばそれまでだが、テクニックは凄い。その意味では究極の文学作品なのかもしれない。文学はもともと嘘の世界なので。後世に大きな影響を与えたのもわかる。無から華麗な虚構のイメージを作り出す錬金術師。ほんの少しだけ三島由紀夫に似ている。
小説、文学とは何かを考えさせられる。小説にストーリーや思想性は必要ないのか。ストーリーの退屈さと内容のくだらなささえ我慢すれば(かなりの忍耐力が必要だが)、素晴らしい文学作品である。文学的修辞マニアには垂涎の的かも。小説家、文学研究者、文学愛好者、言葉や修辞のマニアには高く評価されるのだろう。この本から小説の表現方法を学ぶ作家も多いのではないか。この作品の複雑な構造は研究対象として価値がある。文学の「修養」のためには読むべき本なのかもしれない。
2016年10月2日に日本でレビュー済み
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半年ほどかかりようやく全巻読み終えました。
初めは表現が独特で読み続けられるかどうか不安でしたが、あっという間にプールストの世界にどっぷり浸かっていました。
心の間歇や、12巻後半の語り手が喜びに包まれる描写から13巻のプルーストの主張とも言える文章に感動しました。
この本を読んで時の概念や美術に対する捉え方や精神のありようについて学べた感覚があります。
是非、若い人から歳上の方々まで読んでほしい大傑作です。
初めは表現が独特で読み続けられるかどうか不安でしたが、あっという間にプールストの世界にどっぷり浸かっていました。
心の間歇や、12巻後半の語り手が喜びに包まれる描写から13巻のプルーストの主張とも言える文章に感動しました。
この本を読んで時の概念や美術に対する捉え方や精神のありようについて学べた感覚があります。
是非、若い人から歳上の方々まで読んでほしい大傑作です。
2017年10月28日に日本でレビュー済み
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読むのに慣れるにしたがって普段の自分の人生を侵蝕し始めるのだ文学ってやつは。実在の自分の人生に少なからず影響をあたえる。プルーストを読むと自意識過剰にならないか。愚かな召使のフランソワーズの心理を深読みしたって何にもならないではないか。後々フランソワーズは恋する女性や同性愛者の媒介役になるが、直接渡り歩くのとちがって女々しいやり方である。全巻読まなくてもすっかり読者は女々しくなる。多分全巻読み終わる頃には同性愛者のプルーストのように柔弱になること請け合いである。
2022年8月7日に日本でレビュー済み
本レビューは自身のブログサイト掲載の感想をアマゾンレビュー向けに再構成したものです
ここまで文学的修辞にこだわった作品は見たことがない。
凝りまくった文体や、徹底的に計算された描写など、文学作品としての価値は唯一無二のもののである
仮に文学の世界を志すのであれば、本書を通読することで得られるものは非常に多い
しかし、である。果たして当時女性作家がこれと同じ内容を書いていたならば、果たして同じ評価を得られたであろうか。恐らくそれは否である。
本質的に本書の価値は技巧にしか含まれていないため、つまりそれは当時の基準(おそらくは現代でも)では作者が男性であるという属性が評価点に直結してしまっている
というよりも主人公の行動原理が性欲であるため、同じことを女性が「文学的価値を生む意図で」描写した場合、以前の世界ならばとんでもない批評をされていたことは想像に易い
そのように捉え直した場合、本書の高い文学的価値自体に疑義がつく。文学的価値とは書いた人によって差がつくものなのであろうか。本書は明らかに非常に高い文学的価値があるのだが(ただしストーリーはかなりつまらない)じゃあその価値を決定づけたのが作者の属性であり、作者が本作に込めた文体や文学的修辞のような技巧へのこだわりではないとするならば、じゃあ我々は本作から一体何を読み取ればいいのであろうか
ただ、作家志望ならば本作はぜひとも読んでほしい。小説を書く上で必要となるテクニックの全ては本作から学べる。ただし、本作を女性が書いていたならば現在の評価は得られていなかったであろうという本レビューの主題とは無関係に、本作はストーリーが全然面白くない。ただし伏線は蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、更に伏線の張り方自体に文学的な技巧を駆使してはいる
なんというかプルーストが書いたから高評価を得ただけの作品であり、女性に限らず別の作家が書いていたならば「文体にこだわっているだけで小説としては駄作」みたいな批評を受けて埋もれてそうな作品です
ここまで文学的修辞にこだわった作品は見たことがない。
凝りまくった文体や、徹底的に計算された描写など、文学作品としての価値は唯一無二のもののである
仮に文学の世界を志すのであれば、本書を通読することで得られるものは非常に多い
しかし、である。果たして当時女性作家がこれと同じ内容を書いていたならば、果たして同じ評価を得られたであろうか。恐らくそれは否である。
本質的に本書の価値は技巧にしか含まれていないため、つまりそれは当時の基準(おそらくは現代でも)では作者が男性であるという属性が評価点に直結してしまっている
というよりも主人公の行動原理が性欲であるため、同じことを女性が「文学的価値を生む意図で」描写した場合、以前の世界ならばとんでもない批評をされていたことは想像に易い
そのように捉え直した場合、本書の高い文学的価値自体に疑義がつく。文学的価値とは書いた人によって差がつくものなのであろうか。本書は明らかに非常に高い文学的価値があるのだが(ただしストーリーはかなりつまらない)じゃあその価値を決定づけたのが作者の属性であり、作者が本作に込めた文体や文学的修辞のような技巧へのこだわりではないとするならば、じゃあ我々は本作から一体何を読み取ればいいのであろうか
ただ、作家志望ならば本作はぜひとも読んでほしい。小説を書く上で必要となるテクニックの全ては本作から学べる。ただし、本作を女性が書いていたならば現在の評価は得られていなかったであろうという本レビューの主題とは無関係に、本作はストーリーが全然面白くない。ただし伏線は蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、更に伏線の張り方自体に文学的な技巧を駆使してはいる
なんというかプルーストが書いたから高評価を得ただけの作品であり、女性に限らず別の作家が書いていたならば「文体にこだわっているだけで小説としては駄作」みたいな批評を受けて埋もれてそうな作品です
2010年6月8日に日本でレビュー済み
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三分の一しか読んでませんが、
先は長いです!
この作品の面白さが判る迄、
絶対、全13巻、意地でも、
読破したいと、思ってます。
先は長いです!
この作品の面白さが判る迄、
絶対、全13巻、意地でも、
読破したいと、思ってます。