100年後の未来がどうなっているのか。
当時、若手作家だったジュール・ヴェルヌが、1863年に執筆した作品。死後90年経って、見つかった作品とのこと。本編に入る前に、ページ数を割いて発見の経緯がつらつらと書かれている。
予測した世界が、現実の20世紀とあまり変わらない事に驚く。文系の人間、芸術家は蔑ろにされていて、技術者が優遇される世界となっている。
詩作に没頭する青年が、破滅していく。
ディストピアの程度は違うけれど、ブラッドベリの『華氏451度』に似ていると思った。
今から未来を考えるに、ミチオ・カクの『2100年の科学ライフ』という本がある。その本のなかでも、ヴェルヌの予想が的確であった旨、採りあげられていて興味深かった。
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二十世紀のパリ 単行本 – 1995/3/1
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日1995/3/1
- ISBN-104087732177
- ISBN-13978-4087732177
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
時は1963年。ヴェルヌが執筆した時から、ちょうど100年後を想定した時代。パリは文明の発展を謳歌していた…。執筆時「荒唐無稽」と評された本書は、130年の時を越え、現代文明に新たな意味を問いかけている。
登録情報
- 出版社 : 集英社 (1995/3/1)
- 発売日 : 1995/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 246ページ
- ISBN-10 : 4087732177
- ISBN-13 : 978-4087732177
- Amazon 売れ筋ランキング: - 61,393位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 93位フランス文学 (本)
- カスタマーレビュー:
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2013年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2003年1月8日に日本でレビュー済み
大規模な工業化が進み、経済的成功のみが人々の心を占めている20世紀―ヴェルヌにとっての未来社会―の大都会、パリ。その一隅で古典的教養を重んじる若き人文主義者である主人公が、今の社会に馴染むことが出来ずに、次第に追い詰められて行く。
屡々、未来に於ける科学の勝利を予言したと思われることもあるヴェルヌだが、この作品からは寧ろ、ペシミスティックな感受性を持った文人としての、世間に対する素直な絶望感が漂って来る。
勿論この作品にも、未来予言者としての鋭い知見があちこちにちりばめられていて、それだけでも一見の価値はあるのだが、チャップリンの『モダン・タイムス』が、現代の機械化社会に対する批判だけを描いたものではない様に、この作品も、そうした世界で必死になって生きねばならない一人の人間の、悲愴感溢れる心情吐露と読んだ方が面白い。
主人公が吐く怨嗟と呪詛の言葉は、マン等が採り上げた「芸術と社会の対立」と云ったテーマよりも、より即物的な、従ってより逼迫した、生死に関わる問題として浮上して来る。
ここから、ヴェルヌの描くネモやロビュールと云った、驚異的な技術力を持った一個人が、その表現手段として屡々破壊を選ぶのは、技術に四方を取り囲まれて逃げる隙もなく押し潰されていった無数の無名の者達の復讐だった、と読むことも出来よう。
屡々、未来に於ける科学の勝利を予言したと思われることもあるヴェルヌだが、この作品からは寧ろ、ペシミスティックな感受性を持った文人としての、世間に対する素直な絶望感が漂って来る。
勿論この作品にも、未来予言者としての鋭い知見があちこちにちりばめられていて、それだけでも一見の価値はあるのだが、チャップリンの『モダン・タイムス』が、現代の機械化社会に対する批判だけを描いたものではない様に、この作品も、そうした世界で必死になって生きねばならない一人の人間の、悲愴感溢れる心情吐露と読んだ方が面白い。
主人公が吐く怨嗟と呪詛の言葉は、マン等が採り上げた「芸術と社会の対立」と云ったテーマよりも、より即物的な、従ってより逼迫した、生死に関わる問題として浮上して来る。
ここから、ヴェルヌの描くネモやロビュールと云った、驚異的な技術力を持った一個人が、その表現手段として屡々破壊を選ぶのは、技術に四方を取り囲まれて逃げる隙もなく押し潰されていった無数の無名の者達の復讐だった、と読むことも出来よう。