中古品:
¥1,373 税込
配送料 ¥257 5月31日-6月2日にお届け(13 時間 56 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
中古商品: 良い | 詳細
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: ヤケ、カバー汚れ有■全体的に使用感がございますが、本の中身は良好です。■付属品等ある場合は記載がございます。■帯の記載が無い場合は欠品しております。■複数購入での送料割引は行っておりません。■ご注文確認後、水濡れ防止にて丁寧に梱包し、迅速に発送させて頂きます。■配送形態は、基本的に日本郵便のゆうメールのみとさせて頂きます。但し、重さ、サイズ、金額によりゆうパックでの配送となる場合がございますので、予めご了承下さいませ。ご不明な点がございましたら、メールにてご連絡下さい。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

ある男の聖書 単行本 – 2001/11/5

4.4 5つ星のうち4.4 6個の評価

中国初のノーベル賞受賞作家の自伝的小説。天安門事件をパリで知り、祖国を捨てた亡命作家が描く「泥沼よりも泥沼で、想像の中の地獄よりもリアルで、最後の審判よりも恐ろしい」文化大革命と性愛。
続きを読む もっと少なく読む

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

中国での生い立ち、政治活動に翻弄された文化大革命、そして海外逃亡…。過去と現在の主人公の姿を章ごとに錯綜させながら「文化大革命」と「愛と性」を赤裸々に描いた、ノーベル文学賞作家の自伝的小説。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 集英社 (2001/11/5)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/11/5
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 496ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4087733513
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4087733518
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 6個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
高 行健
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう

カスタマーレビュー

星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
6グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2019年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常不错的书,配送也比较快。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年8月1日に日本でレビュー済み
自分自身も「亡命」に挑戦したため、なぜか「亡命作家」には惹かれます。個人的に「亡命」を決意した理由を知りたいからです。

図書館で偶然みつけた一冊の本で、中国人初のノーベル文学賞作家だとは知りませんでした。
しかしその一冊のおかげで、断片的であった中国戦後史が頭の中でまとまり、読んで良かった一冊でした。

確かに物語るというよりは散文的で、映画でいうと、現在と過去が交錯し、突然「フラッシュ・バック」がインサートされる構成になっていて、ちょっと複雑。しかし、大江健三郎よりはわかりやすかったりして。

つくづく「中国」という国自体、複雑で私には何を考えているのか理解できませんでした。その思想や主義・主張をです。
私としては、彼の「亡命」は遅すぎたと感じます。まあ「亡命」する事自体が困難だったのでしょうけど。
やはり祖国を捨てる決意をするに至るまでには、それなりの深い理由、個人的な葛藤、覚悟そして勇気と希望が必要ですから。
自国を捨てて他国で生きるということは、単なる移民にすぎません。例え、先方の奨学金を獲った「留学生」であっても、ヨーロッパでは移民局で延々と並び、待たされたあげく、屈辱のビザを取得しなければならないからです。
「亡命」といった観点において、非常に共感を感じました。

私の場合は、帰国した時点で「亡命」ではなく、単なるヨーロッパ文化研究のための「留学」に変わり、予期せぬハッピーエンドになっています。誰も日本人はその真相を知りません。敢えて私も、自国では何も語ってもいませんが。
ただ、アラブ、エジプト人の記者だけが、「それは、政治的な亡命であり、ささやかな抵抗だったのでは・・・」と質問してきた。答えは当然「YES」「ビンゴ!」です。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年2月29日に日本でレビュー済み
 一言でいえば、文化大革命をストーリーの中心に据えた、「女たちのやさしさ」とでも言うような小説。でも、これがバラードの小説に劣らず、面白い。
 高は一昨年のノーベル文学賞受賞者。中国系フランス人なんだけど、亡命してしまったからで、創作は中国語で行なう。その点は同じ中国系フランス人でもヤー・ディンとは違う。元々は劇作家なんだけど、亡命語に2冊の長編小説を書いていて、これはその2冊目(戯曲については、THの16号で紹介したからね)。自伝的長編だという。
 中国の現代小説というと、文化大革命と天安門が二大テーマなんじゃないかというくらいのもので、いろいろ書かれている。先に触れたヤー・ディンの「赤いコーリャン」もそうした小説だった。それらは、訳されているものについてはそれなりに水準が高いし、読んだ限りではだいたい面白いんだけど、高の場合、とりわけっていうのがある。それは、この小説をめぐって、主人公が求めているのが、アイデンティティだというところにある。それは、亡命し、中国系フランス人になったということだけではない。香港の思想家レイ・チョウが「ディアスポラな知識人」で述べているように、ディアスポラな中国人にとって、中華人民共和国の政府に対してはアイデンティティがないということでもある。それは、その土地を管理する「政府」でしかないのだから。だから、高はこの小説の主人公に、この男の聖書であるこの小説を書かせる。
 もう一つは、この小説が、文化大革命をめぐる、中国を舞台にした遠い過去と、出国後の当時はまだイギリスの植民地だった香港を含む西側を舞台にした比較的近い過去が、交互に語られる点にある。遠い過去の「彼」は、近い過去では「おまえ」として、人称まで変えてある。そして、この二つを結ぶのが、性的に抑圧された中国と奔放な西側との、それぞれにおける女性関係ということになる。主人公たちは、しばしば、セックスによって癒されようとするのだけど、実際には癒されることはなく、ただその生命力だけが後に残る。セックスする存在、というのがアイデンティティの一つであるかのように。それでも時には助けられ、時には傷つける。そうした意味で、高による「女たちのやさしさ」と言えるんじゃないだろうか。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年6月9日に日本でレビュー済み
歴史的傑作というべき『霊山』同様、
「おまえ」と「彼」という二つの人称が使い分けられ、
隔章形式で進んでいくこの作品だが
歯に絹着せず正直な感想を言えば、
失敗作の手前でぎりぎり踏み止まっているということになるだろうか。

執筆当時の作者自身にほぼ重なる亡命後の「おまえ」が、
ヨーロッパ人の愛人を相手に交情の限りを尽くす場面は、
ウォン・カーウァイかチェン・カイコーあたりが映画化したら、
そこそこ通俗でスタイリッシュな作品に仕上がるかもしれないが、
よるべない根無し草の境遇を真剣に嘆くわけでもなければ、
あっけらかんと無と戯れるだけの軽やかさにも欠けていて、
どこか中途半端で陳腐だと言わざるを得ない。

読みどころはむしろ、数十年前の文革期に生きた「彼」を
主人公とする自伝的回想のほうだろうが、
一つ一つの挿話には体験者にしか語れない迫力と重さがあるものの、
それだけならノンフィクションとして語ればいいわけで、
それとは異なる小説的再構成を施す際に、
あくまで断片的な個々の挿話が『霊山』でのように
大きな全体を感じさせるというところまでは行かず、
断片のままとどまっているきらいがある。

象徴的なのは、主人公が黄河を見に行く場面で、
一点の緑もない荒涼とした景色を前に、
この河を褒め称えた詩人は本当にここに来たことがあったのだろうか、
との疑いを主人公は抱くことになるのだが、
それにひきかえ、『霊山』に描かれた長江流域の原始的な自然は
やはりそれ自体が圧倒的に魅力的であり、
作者自身の資質も、文革期の混乱や
現代人の浅薄な生活といったものに題材を取るよりは、
むしろ前近代的な伝説奇譚の類や
仏教や道教の死生観といったものを、
前衛的な手法を駆使しつつ描くことのほうに
向いているのではないかと思える。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国出身で200年にノーベル賞を受賞した高行健の1999年の作品。原題は「一個人的聖経」で、作者の自伝的作品。本作では主人公の二つの姿勢が描かれている。一つ目は政治的なものである。文化大革命(文革)時に、昨日の英雄が今日は反逆者となってしまうような複雑に政情が変化するなかでいかに庶民(主人公とその取り巻き)が翻弄されたか(「人民の歴史p174」)がよく詳細にわかる(「昨日と今日で是非が逆転する。政治の風向きの変化にしたがって、人々はカメレオンのように色を変えたp67」「一日にして是非が逆転したp125」「彼は、自分の何が問題になっているのか、見当がつかなかったp126」)。文革以前の「大躍進p388」のころのことも少しは触れられるが、中心は文革で、しかも庶民の側の心情・歴史(政治家のものではなく)が描かれているのが貴重。普遍なのは毛沢東に対する絶対の忠誠だけで、他の人物は政府のトップであれ、村の一庶民であれ、一日にして、その立場は、生命の危機となるほどに変化していく。一方、本作では、政治家や政策についてはほとんど語られていない(「おまえが描こうとしているのは政治に汚された個人であって、決してあの汚い政治そのものではないp207」)。
文革の時代が描かれているノーベル賞作家の作品としては莫言の「転生夢現」があるが、比較すると、本作のほうが目を背けるような場面は少ない。これは、本作の主人公が被るダメージは精神的なものが主で、主人公は、非難にさらされないように巧みに政治的立場を変えて生き抜いていくため。もっとも「転生夢現」は主人公が動物であり、ユーモラスな表現のため、肉体的に酷く悲劇的な顛末になるエピソードがおおいにもかかわらず、全体に明るいのに対し、本作は、精神的な自由を常に奪われて自分を失っていく複数の人物が描かれていくのので、暗い話がほとんど。本作を読むと、当時の中国の知識層が、自分の思想を隠し、自分を全体の潮流に同調しているように見せて生き抜くしかなかった文革時代の狂気がわかる(「天地を覆って吹き荒れる政治の嵐の中で、自分の身を保つためには、俗人にまぎれ込むしかない。誰もが言うとおりのことを言い、大多数の人と同じ反応をするp67」「それは一種の強姦だった。他人の意志の下に屈服し、やむを得ず自己批判し、やむを得ず人に言わせられたことを言っていた。大切なのは自分の心を守り、自信を失わないことだ。そうでないと、つぶれてしまうp145」「問題は呼吸を維持することだ。息をひそめ、肥溜めの中でも死なずにいなければならない。女でも男でも、肉体的な意味であれ政治的な暴力であれ、強姦されることはありうる。完全に占拠されることがあってはならない。彼は頑強というよりは、辛抱強い。繭を作った蚕のように死んだふりをする。目を閉じて、静かな圧力を身に受けるp472.」)。もっとも、この狂気も、この前の時代の日中戦争や内戦時代の虐殺の恐ろしさ(莫言の「赤いコーリャン」「豊乳肥臀」に描かれる)に較べれば、まだマシと思え、それだけ、中国の近代史は厳しいものであったと言える。
本作の理解には、文革の歴史的な変遷の知識が必要。その上で本書を読むと、いくつかのキーワードと、これに対する短い注により、本作の中の時間軸がたどれる構成になっている。本文に登場するキーワード・節・文は以下。「黒五類p54」「大海を渡るには舵手に頼る(毛沢東賛歌)p62」「毛沢東選集p64」「このときまでは、まだ誰もこの階級闘争を同じ事務室の同僚のあいだで繰り広げようとは思っていなかったp65」「農村へ労働改造p66」「延安の整風運動p87」「四つの古いものを破壊する。造反には理がある。p89」「紅五類p91」「ソルジェニーツィンp95」「五・七幹部学校p124、173」「首都近衛兵五・一六兵団p125」「毛沢東語録、毛沢東著作p126」「第一号戦備動員令p132」「雷鋒p165」「身上調書は、本人は一生、目にすることができないp173」「学習ということばは、当時の党の規定に合わない思想を一掃すること、党が正しくないと見なした考え方を取り除くことを指した。私という考えが頭をかすめたら厳しく戦わなければならない(私を捨てて公をたてる)p173」「下放p173」「腕に赤い腕章を付けて以来、彼はこの老人を気にしなくなった。たった一言で、老人を撃破できたp183」「経験交流p183」「プロレタリア司令部中央文革小組p201」「紅灯記p240」「昨日まで毛沢東の最高司令を解説していた者が、明日かあさってには反党分子として命を狙われる立場となるp241」「呉ハンp242」「江青p243」「かい大富p286」「工人宣伝隊p287」「従順な庶民の一人となり、大勢にしたがって生きる。権力の前では服従すればいいp29」「階級隊列精査小組p299」「誰からも相手にされないイヌの糞p300」「内制p301」「小悪党が調子に乗りやがってp302」「拷問を受けたあとに遺体はビルの上に運ばれて、窓から落とされ自殺として処理されたp331」「下放幹部p341」「トルストイの“闇の力”p341」「いまや教授は通りの清掃か、便所掃除をさせられているp345」「公費留学生に合格して日本に派遣されたp346」「郭沫若p368」。
本作で描かれる二つ目の主人公の姿勢は、女性を性の対象としか見ず、「その瞬間p452」の自分の性的満足を満たすために、次々と女性を不幸にしていきながらも、その自覚に薄い、極めて身勝手なもの(「子供を産まない、みだらな女が欲しかったp465」)。このため、中高生くらいの美少女が登場するたびに、また主人公に餌食にされて、一生を台無しにされるのかと、読者のほうは暗澹たる気持ちにさせるもので、あまり見るべきところはない。この主人公にとって「愛」とは、性行為以外のなにものでもなく、精神的なものはゼロである(「彼は本気で彼女を愛していた。そしてさらに、ほかの女を愛することもできたp452」)。「女の体を欲望と孤独のはけ口にしたいp102」主人公は、「孤独で理解されたいと思う」「私はあなたの心に生き続けたい。心で通じ合いたいp145」という女性につけこみ享楽を得ていくのだが、読者としては共感しにくい行動。もっとも、本作では、こうした主人公の行動を肯定的には描いておらず、ひとつの身勝手な人間のモデルとして描くのには成功していると言える。

以下は抜粋。

お互いに利害関係がないからこそ、友だちになれるのでしょう。p57

あなたが求めているものは私じゃないわ。私の体から代償を得ようとしているだけよp72

敵を見つけなければならなかったんだ。敵がいなければ、革命政権も独裁のしようがないだろうp95

ユダヤ人であることを告発するかもしれないナチズムの信奉者と愛し合うことができるかp99

女を罪のように見なすのは男の偏見よ。利用するだけで愛がない。それこそ嫌らしい。p116

他人の経験は自分が再検証し、改めて苦しみを味わってからでないと実感できないp166

国家も党の下に位置するp172

災難が自分の身に降りかかる前には多少なりとも加害者だったことを忘れてしまった。歴史というものは、このように何度も顔つきを変えるp174

人間は一度自分の声を失うと、人形になってしまうp175

主義を持っていない人間こそが、真の人間に近い。虫けらや野の草は主義を持っていないp176

自分のことばを失い、オウムが人真似をするように受け売りの話をしたp192

冷静な目で彼の経験した事件を観察するのだ。おまえ(現在の自分)はおまえ、彼(過去の自分)は彼なのだから、おまえが彼の当時の心境になることは難しい。おまえは現在の自己満足と得意さによって、彼に粉飾を加えてはならない。p208

仮面を剥ぎ取ったあとの彼を観察し分析しようというときに、おまえは再び彼を虚飾の人物にする必要がある。それは、おまえとかかわりのない人物で、新たに発見されることを待っている。p208

筆を武器にして正義を広めようとは思わない。まして、正義がどこにあるのかも知らないのだから、正義を誰かに託す必要はない。おまえは、自分が正義の化身でないことを知っているだけだ。創作の動機は、こんな人生の存在を示すことにある。泥沼より泥沼で、想像の中の地獄よりもリアルで、最後の審判よりも恐ろしい。迫害を知らない人間を迫害者もしくは非迫害者にするかもしれない。、、、おまえ自身にとって必要なことなのだp221。

動物は嘘をつかない。置かれた状況のままに生きているp222.

かぶる時間が長くなると、仮面は顔に貼りついてしまって、本当の皮膚や肉や神経と一体になり、もはや剥がそうとしても剥がれなくなってしまうp237

語り合った日以来、沸き上がった恐怖のために、彼らはお互いを避けるようになったp245

母親がおまえを生んだときには、主義などなかったp258

奇妙なのはこの世界のほうさ。そこを住処としている虫けらではないp292.

自由は与えられるものではないし、買えるものでもない。自由は、おまえ自身が人生をどう意識するかだp329.

苦しみと憂いもまた自由なのだp350

彼は女の体を記憶しているだけで、そのほかのことは何も知らなかったp351

あなたのことばを無理やり他人にも言わせようとした。それは間違いです。これこそ、彼が毛沢東に言いたかったことだ。人間の心が、当人の承諾なしに、別の人間によって征服されることがあってはならないp429

心の中の帝王は一人の人間しか操れません。それはほかでもない、私自身です。おまえはいま、このことばを公然と口にできた。毛沢東の影から抜け出すことができた。しかし、これは容易ではなかったp433

一人で自分を見つめる時には、他人の目を一切気にしないことだp435

日本が嫌いだと言った。女にとって不自由な社会だからp456

自分のやりたいことは、老人にならなければわからないのだp464

おまえと彼のあいだには時間と環境のずれがあり、おまえのほうが有利な位置を占めている。ゆっくり彼を観察することが可能だった。p467

ことばは奇跡だ、人の気持ちを通じさせる、だが最後まで通じ合うことは不可能なのだ。p470

おまえは女に対して、欲望だけでなく、大きな感謝の気持ちを抱いていた。p473

解説:過去の「彼」を現在の「おまえ」が内省的に捉えるという二重の視点。「彼」という「存在」を「おまえ」という「意識」が検証する過程で「個人」が発見されるp482
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート